「大嘗祭」とは、御代替わりの一連の儀式の一つで、天皇一代につき一度だけ斎行される特別なお祭り。
毎年、天皇によって宮中で斎行されてる「新嘗祭」が、
即位の年だけ、つまり、新天皇が即位した年だけ、1回限りで「大嘗祭」という儀式名に。
「悠紀殿」「主基殿」を中心とした「大嘗宮」が、特別に造営され、新たに即位した天皇として「特別な祭祀」を斎行。
特別な祭祀とは、
その年に収穫された新穀(特に稲)を天照大神に供え、また、天皇自らもこれを食べる「共食」の儀式。その隠れた意味は、新天皇として祖先神・天照大神と繋がること、関係を構築することにあります。
今まで皇太子として(ある意味)サブ的に参加していた新嘗祭、そこではメインは天皇で。それが、代替わりを機にメインプレーヤー交替、その最初の新嘗祭が「大嘗祭」。だからこそ、メインとして、初めて神と直接やりとりをし、関係を構築する儀式ってことであり、そういう位置づけになる訳です。
今回は、そんな特別な儀式「大嘗祭」について、当サイトならではの日本神話との繋がりを中心に分かりやすくご紹介します。
大嘗祭とは?天皇一代につき一度だけ斎行!日本神話に根ざす大嘗祭の全貌を徹底解説!!
目次
大嘗祭とは?
まずは、大嘗祭の位置づけと、その意味をチェック。
まず位置づけ。
大きくは、御代替わりにおける一連の儀式の一つとして。
現代の御代替わりは、大きく3部構成。
と。
この3つの儀礼、
分かりやすく整理すると、
テーマは
「完全体としての天皇になる儀式」
であります。
完全体としての天皇とは?
つまり、
政治と祭祀を掌握・承継した天皇
という事。
古代においては、政治と祭祀を司ることが天皇としての絶対要件。
そのために、
政治における継承 | 践祚(践祚式、即位式) |
祭祀における継承 | 大嘗 |
という仕組み、枠組みをつくった、って事。
これが、現代の御代替わりにも引き継がれてる。
その中で、今回は大嘗祭をピックアップ中。
で、
次にご紹介するのは、「大嘗祭」の言葉の意味。
ポイントは、
「嘗」
という漢字。
「嘗」とは「 あじわう、舌でなめ味わう」というのが原義、
天子や諸侯が、祖先の霊に、新穀を供え祭る秋の儀礼、という意味も(『礼記』王制より)。
つまり、
その年に収穫された新穀で作った酒や飯を「御饌」として祖神に供え、五穀豊穣に感謝するとともに、自ら食する(嘗める=あじわう、舌でなめ味わう)秋のお祭りのことを、「嘗」という訳です。
なお、
新穀を酒と飯で嘗めることから、新嘗。そのお祭りなので、新嘗祭。
参考:新嘗祭とは?五穀豊穣を感謝し神と共食する「新嘗祭」。その起源は日本神話にあり!
で、
大嘗祭は、新天皇としての新嘗祭初回。初めてメインとして神と共食をする儀式。詳細後ほど。
ということで。
まずは、御代替わり全体のなかでの位置づけと、「嘗」をポイントとした「大嘗祭」の意味をしっかりチェック。
現代の大嘗祭とその内容
「大嘗祭」の位置づけと意味を理解したところで、
ここからは実際の、現代における大嘗祭について解説。
ポイントは、
稲。
もちろん、大嘗祭当日にお供えされる「神饌」は、稲のほかにも鮮魚、干物、果物などがあるのですが、やはり、なんといっても、最大のポイントは「稲」。
これは、日本神話にも由来する、
古来から継承されてきた日本人の「稲」に対する信仰や想いが反映されていて、、、
稲の行方をもとに流れを見てみると、大嘗祭がめっちゃ分かりやすくなります。
てことで、
大嘗祭を、大きく2段階で整理。
- お米作り
- 大嘗祭当日
大嘗祭というと、どうしても当日の儀式ばかり目がいきがちですが、実は、それまでの準備、特に稲の確保が重要なんす。
具体的には、
「悠紀田」「主基田」という、「特別な稲」をつくる場所(田んぼ)を2か所、「占い」によって決めるところから。
必読:斎田点定の儀|特別な田んぼ「斎田」を亀卜で占う神事!神代から継承された奥ゆかしい儀式を日本神話とあわせてご紹介!
なんなら、
占いするための「亀の甲羅」や「波波迦の木」を伐採するところから大嘗祭の準備は始まってたりする訳で(詳細後ほど)。
なんだかんだと年初から具体的な準備が始まってて、
それもこれも、全ては「特別な稲」を確保するためなんす。
そのうえで、以下。
少々ボリューミィですが「稲」の行方をもとにチェック。
大嘗祭のメニュー
分類 | N | 儀式 | 概要 | 場所 | 時期 |
お米作り | 1 | 斎田点定の儀 | 悠紀及び主基の両地方(斎田を設ける地方)を定めるための儀式 | 神殿 | 5月 |
2 | 大嘗宮地鎮祭 | 大嘗宮を建設する予定地の地鎮祭 | 皇居東御苑 | 7月 | |
3 | 斎田抜穂の儀 | 斎田で新穀の収穫を行うための儀式 | 斎田 | 秋 | |
4 | 悠紀主基両地方新穀供納 | 悠紀主基両地方の斎田で収穫された新穀の供納をする行事 | 皇居 | 秋 | |
お祭り | 5 | 神宮に勅使発遣の儀 | 神宮に大嘗祭を行うことを奉告し幣物を供えるために勅使を派遣される 儀式 |
宮殿 | 11月 |
6 | 大嘗祭前一日鎮魂の儀 | すべての行事が滞りなく無事に行われるよう天皇始め関係諸員の安泰を祈念する儀式 | 皇居 | 11月 | |
7 | 大嘗祭当日神宮に奉幣の儀 | 神宮に大嘗祭を行うことを勅使が奉告し幣物を供える儀 | 神宮 | 11月 | |
8 | 大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀 | 賢所に大嘗祭を行うことを奉告し御饌を供える儀式 | 賢所 | 11月 | |
9 | 大嘗祭当日皇霊殿神殿に奉告の儀 | 皇霊殿及び神殿に大嘗祭を行うことを奉告する儀式 | 皇霊殿、神殿 | 11月 | |
10 | 大嘗宮の儀 ・悠紀殿供饌の儀 ・主基殿供饌の儀 |
大嘗宮の悠紀殿及び主基殿において初めて新穀を皇祖及び天神地祇に供えられ、自らも召し上がり、国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝し、祈念される儀式 | 皇居東御苑 | 11月 | |
11 | 大饗の儀 | 大嘗宮の儀の後、天皇が参列者に白酒、黒酒及び酒肴を賜り、ともに召し上がる饗宴 | 宮殿 | 11月 |
※宮内庁発表の「即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等(予定)について」資料より加工
※賢所:皇祖神「天照大神」を祀る殿舎。天照の御霊代である神鏡が奉斎されてます。
※皇霊殿:歴代天皇および皇族の霊を祀る。明治以降に創建されたもの。
※神殿:天神地祇を祀る。こちらも明治以降のお話。
※宮殿:皇室の公式行事が行われる場所。正殿や長和殿などがあります。
と、
まースゴイ。一言で「大嘗祭」といえど、ほんと多くの事前準備があるんですね。
ポイント2つ。
- 稲
- 当日
以下、順に。
まず、稲。やっぱり稲。
中でも、「斎田点定の儀」は超重要。
概要では、「悠紀及び主基の両地方(斎田を設ける地方)を定めるための儀式」と、さらっと書いてるけど、やってることはめちゃくちゃスゴイ。
何かというと、
神の時代に由来する占いで決める
って事。
す、スゴい、、、いきなり神です。
後ほど詳細解説しますが、コレ、天磐屋神話に由来する占い方法で。神が行っていた占い方法をもとに、現代の世でも占って決めるという、、、マジか事態
具体的には、
「波波迦の木」と「亀甲」を使った「亀卜」という占いによって、
「悠紀」「主基」という2つの場所(地方)を決めます。
その上で、「悠紀」「主基」の両地方には、「斎田」という特別な田んぼが設定され、この斎田(悠紀田、主基田)で稲を植え育て、秋になって収穫された稲を供納する流れ。
大嘗祭という特別な場ですから、特別な稲が必要で、そのために、特別な選び方をして決めてる訳ですね。
必読:斎田点定の儀|特別な田んぼ「斎田」を亀卜で占う神事!神代から継承された奥ゆかしい儀式を日本神話とあわせてご紹介!
ちなみに、今回の大嘗祭用には、
斎田のうち東日本の「悠紀田」を栃木県に、西日本の「主基田」を京都府とすることが決まっております。
いやー、神の時代からの継承されてきた手法を使ってるなんて、、、壮大すぎです。
2つ目のポイントは、
大嘗祭当日の、「大嘗宮の儀」。
コチラ、2日間の日程で、初日の夜に「悠紀殿供饌の儀」、2日目の未明に「主基殿供饌の儀」が斎行。
概要では、「大嘗宮の悠紀殿及び主基殿において初めて新穀を皇祖及び天神地祇に供えられ、自らも召し上がり、国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝し、祈念される儀式」であるとされてますが、、、
先ほどご紹介した通り、
神にお供えし、自らも食す=「嘗める」という「共食」がポイント。
占いにより斎田を定めるのも、この儀式のため。この「共食」により、新たに即位した天皇が、祖先神たる天照大神と繋がる、新たに関係を構築するのです。
天皇としては、毎年、新嘗祭を斎行しているサイクルがまずあって。
その中で、今まで皇太子として(ある意味)サブ的に参加していた新嘗祭、そこではメインは(お父さんである)天皇で。それが、代替わりを機にメインプレーヤーが交替。
そんな経緯のなかで、新天皇としての最初の新嘗祭が「大嘗祭」になる。だからこそ、メインとして、初めて神と直接やりとりするなかで関係を構築する儀式として位置づけられる訳です。
儀式は秘儀。なので、夜中に行う形。
必読:悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀|神に奉る・いただく( 薦・享)がセットの共食儀式。天照大神と繋がる大嘗祭の中心儀式です
ということで、
- 特別な田んぼの決め方
- 共食を中核とした儀式
現代における大嘗祭と、2つのポイントでチェック。
次は、そんな大嘗祭の歴史、とくに儀礼として形成されてきた歴史をご紹介します。
大嘗祭の歴史 原型づくり 飛鳥時代
ココからは、大嘗祭の歴史をご紹介。
本格的に解説しはじめると膨大な量になるので、
原型が形づくられ、完成形として成立したところまでをご紹介。
大嘗祭は、7世紀末、飛鳥時代に原型がかたちづくられます。
そして、現代まで通ずるものとして完成したのは9世紀、平安時代。
まずは、
飛鳥時代の原型づくりから。
この時代のメインプレーヤーは「天武天皇」。
古代史最大の内乱となった「壬申の乱」に勝利したことで、絶対的なパワーを握った経緯あり。
必読:飛鳥浄御原宮|日本神話編纂のふるさと!歴史書の編纂というビッグプロジェクトがスタートした超重要スポット
天武天皇によって
天皇を中心とした中央集権国家づくりが強力に推し進められます。
その中で、
即位儀礼整備、律令整備、歴史書編纂
という、3つの国家プロジェクトが始動、進行。
天皇即位や統治の正統性を示すために、
さまざまな形でその根拠を埋め込み、リンクを張り、設定していくわけです。
早速、その現場をチェックしてみましょう。
天武天皇代における大嘗祭
①天武天皇二年(673年)12月
大嘗に侍奉る中臣・忌部及び神官、播磨・丹波二国の郡司らに賜禄ふ。(『日本書紀』天武天皇二年・大嘗初見)
②同五年(676年)9月
神官奏して曰さく「新嘗の為に国郡を卜はしむ。斎忌は尾張国の山田郡、次は丹波国の訶沙郡、並に卜に食へり」とまうす。(十一月朔日、新嘗の事を以て、告朔せず)
と、
ポイントは、
「大嘗」と「新嘗」は区別されてたようですが、内容は(今と比べると)未分化
って事。
天武天皇二年(673年)は、天武天皇が飛鳥浄御原宮で即位した年。
なので、①の12月条では「大嘗」という言葉が使われてます。一方で、その3年後、②の同五年(676年)9月条では「新嘗」になってます。
また、「大嘗」でも2つの国が選ばれてるし、「新嘗」でも占いをして「斎忌」「次」を選んでます。このあたりは未分化な感じですよね。
ちなみに、、、
現代の大嘗祭の中心的殿舎とされるのが、「悠紀殿」「主基殿」。特別な稲を育てるための「悠紀国」「主基国」。
この、
「悠紀」と「主基」って何なのよ?
について少し解説。
これについては、先ほどの、天武天皇条にヒントあり。
「新嘗の為に国郡を卜はしむ。斎忌は尾張国の山田郡、次は丹波国の訶沙郡、並に卜に食へり」
とありました。
ここでは、「斎忌は~、次は~」という内容で伝えてます。
コレ、つまり、
メインとサブという事であります。
- 斎忌・・・「斎」は、心身を清め、飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いわう。いつく、という意味。「忌」は、この上なく清浄、いみきよめるという意味。忌火などの例。
- 次・・・次の、補完的な、という意味。
メインとサブ。
で、
なんでメインとサブみたいな形になってるのか?
というと、
要は、、、
稲ですから。
豊作のときもあれば、不作のときもある。なんなら異常気象とかで収穫できない場合だってあります。
そうした事態へのリスクヘッジとして、メインとサブという仕組みを用意してる、って事なんす。ココがポイント!
占いによってまずはメインとなる「斎忌」を定め、次に、万が一のための代替えとなる「次」を定める。律令で定められた当時の、原型としての考え方はそんな感じ。
最初から「悠紀殿」とか「主基殿」があった訳ではなくて。このあたりは後代につくられていったものであります。漢字の違いも、後代(持統天皇代)に変化。このあたりは豆知識的なところで。
続いて、
天武天皇の奥さんである持統天皇代のことをご紹介。大嘗祭を国家行事として形づくった女性であります。
持統天皇代における大嘗祭
持統天皇の功績は、法律による規定化。
「令(浄御原令)」に明文化・規定化し、国家行事として位置づけた訳です。
それがコチラ。
凡そ大嘗は、世毎に一年、国司(悠紀・主基両国)事行へ。以外は、年毎に所司(神祇官および祭りに預かる諸司)事行へ。(神祇令大嘗条)
ポイントは、
- 大嘗と新嘗を分離。大嘗は、天皇の代毎に一年とし、悠紀・主基両国の国司が神饌を奉る担当。それ以外の年は、神祇官等が担当。
ということで、
天武天皇代に原型としてつくられ、運用レベルだった儀礼を、法律で規定し国家の仕組みとして落とし込んでいった経緯。スゴ… (゚A゚;)ゴクリ
で、
それ以降は、この内容を大枠として踏襲しながら、平安時代に完成、そして現代にいたる、という流れ。
そして、、、
当サイトとして、もっと重要なのが、日本神話との繋がりであります。
大嘗祭、新嘗祭を行う理由を、神話と紐づけているところ、激しくチェック。
先ほどご紹介したとおり、
即位儀礼、律令整備、歴史書編纂
この3つのプロジェクトを関連させながら、天皇中心の国家体制を構築していった訳です。
天皇が中心ですから。天皇がこの国を統治する正統性を示すために、儀礼、法律、歴史書と、重要なポイントをしっかり押さえながら繋がりをつけてる。
壮大です。ホント、その構想力、発想がスゴい。
ということで、大嘗祭の原型がつくられた飛鳥時代からお届けいたしました。
次は、大嘗祭が完成した平安時代の内容をご紹介。
大嘗祭の歴史 完成形 平安時代
ココからは、大嘗祭が完成した平安時代の内容をご紹介。
平安の時代は、即位儀礼の唐風化が進み、儀式として華やかに、厳かになっていった時代であります。
現代の大嘗祭に通じる内容がつくられ、ある意味「完成」を見た次第。『貞観儀式』『延喜式』といった文献に儀式の詳細が伝えられてます。
現代に通じるところでは、例えば儀式の名称。
- 平安時代では、「悠紀殿の儀」「主基殿の儀」
- 現代では、「悠紀殿供饌の儀」「主基殿供饌の儀」
と、
現代の大嘗祭は、基本は平安時代に完成した儀式を踏襲している訳です。
斎行される時間もそうで、
平安時代は、現代と比べると時間が少し遅くなってますが
- 「悠紀殿の儀」…初日夜:戌の四刻(午後9時)~
- 「主基殿の儀」…翌未明:丑の四刻(午前3時頃)~
と、
現代、例えば2019年の「大嘗宮の儀」
- 初 日「悠紀殿供饌の儀」・・・11月14日午後6時半~
- 2日目「主基殿供饌の儀」・・・11月15日午前0時半~
と、同じような時間だったりします。
ちなみに、現代の大嘗祭は秘儀とされており、詳細の所は正直よー分かりません。時代の変遷によって変化している所もいくつかあり。それでも、核心の部分は変わらずで。それが「共食」。これは昔も今も同じ概念のもとで斎行。今回、主にご紹介したいのもココ。
参考文献としては、昭和53年に発表された川出清彦氏の「大嘗祭の祭儀」(皇學館大學神道研究所編『大嘗祭の研究』)。コレ、大嘗祭研究の中でもかなり詳しく研究されている本で、より深く知りたい方にはおススメです。
今回は、
氏の論文をもとに、理解の便をはかり、文言、表記等の一部を補足・改修しながら、中身をなるべくそのままにお届け。
まずは、概要として、
全体の流れ、建物の位置関係をご確認ください。
ということで、流れから。
2日間の大嘗祭(大嘗宮の儀)、
- 「悠紀殿の儀」…初日夜:
戌四刻(午後9時)~亥の四刻(午後11時頃) - 「主基殿の儀」…翌未明:
丑の四刻(午前3時頃)~寅の四刻(午前5時頃)
で、
内容はというと、、、
実は、同じだったりします。
「悠紀殿の儀」「主基殿の儀」は同じ儀式次第。「悠紀殿」「主基殿」2つの神殿で、同じ事を繰り返す。
具体的には、
神饌 行立 と 親供・直会
「神饌 行立」とは、神にお供えする神饌が「悠紀殿」「主基殿」に運ばれる事。
正確には、神饌を神として、神饌自体が神殿に渡っていく、といった意味あいです。
「親供・直会」とは、神饌を神に奉る・いただく( 薦・享)が対になった儀式。新天皇と神との「共食」がポイント。
この2つをメインとして、
「悠紀殿の儀」「主基殿の儀」が行われる訳です。
参考:悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)とは?|大嘗宮の中心的神殿!「御親供・御直会の儀」が行われる悠紀殿・主基殿のヒミツを大公開!
次に、
全体のマップ。どこに何があるのか?をチェック。
全体観として分かり易い資料はコチラ。
現代の大嘗祭でも基本的には同じ建物をつくり祭祀を実施。
ポイントとなる建物はコチラ。
「膳屋」とは「台所」のこと。コレ、「悠紀殿」「主基殿」それぞれに、近くに用意されます。
先ほどご紹介した「神饌 行立」。
コレは、「悠紀殿」「主基殿」それぞれの「膳屋」で作られた料理(神饌)が、運ばれていくこと(渡っていくこと)を言う訳ですね。
ちなみに、、
その料理はこんな感じ。
他にも、
①脂燭 ②削木 ③ 竹杖 ④海老鰭槽(手水受け容器) ⑤多志良加(手水注ぎ土瓶) ⑥ 楊枝筥 ⑦御巾子筥 ⑧神食薦(菰の葉に木綿を編み込んだ、神饌を載せる敷物)⑨御食薦 ⑩枚手筥 ⑪箸筥 ⑫御飯筥 ⑬生魚筥 ⑭干魚筥 ⑮菓子筥 ⑯鮑汁漬 ⑰海藻汁漬 ⑱空盞(羹を盛る器) ⑲御羹八足机 ⑳御酒八足机 ㉑御粥八足机 ㉒御酒(御直会)八足机
※「筥」は葛筥(箱)のこと。この筥の中に、生魚類ならその切り身が檞葉細工の容器に四箇もられます。この容器は、柏の葉数枚を竹の糸で綴じた葉盤製。
と、、まースゴイ。
新天皇として初めて、皇祖天照大神と共食する訳ですから、失礼のないように、そんな心配り・おもてなし。
ポイントは⑫の「御飯筥」。ご飯のはいった箱。そう、斎田で収穫された特別なお米を使ったご飯であります。
そして、
いよいよ核心。「悠紀殿」「主基殿」の内部。
▲コチラ「悠紀殿の儀」「主基殿の儀」の原型がつくられた平安時代の復元図より。
大きく2つの区画に分れていて、図上半分の「室(内陣)」、図下半分の「堂(外陣)」。それぞれ、メインと控えの関係。
で
ポイントは、
神座の向き
コレ、伊勢神宮の方向を向いてます。ココがポイント!
平安時代=京都に都があったので、伊勢神宮は南東の方向。なので、神座(皇祖天照大神が降臨される場)も南東を向いています。
この、神座、御座で、メインイベントである「親供・直会の儀」が、つまり、新天皇と神との「共食」が行われる訳です。
で、
「采女」と呼ばれる「配膳係」が、いろいろ準備。神座に御手水を供したり、神食薦・御食薦を敷いたり、神饌を伝え伝えで運びお供えしたり、、、。
新天皇はというと、、、
最初、上記図中、下。外陣にまずあって、西南の座に着座し、神饌が運ばれてきたら、中(図中の上)へ入り、御座につかれます。
「采女」の皆さんによって、神座へ神饌がお供えされたら、いよいよ「親供・直会の儀」。
新天皇みずから箸をとって神饌をお皿に盛つて奉る(御親供)。そして、今度は、天皇みずから神饌を食する(御直会)。
これが、核心である「親供・直会の儀」。
つまり、
神饌を神に奉る・いただく( 薦・享)が対になった儀式。
非常に丁重丁寧な作法がある訳で。
この直会は、皇祖の霊徳を自身の身に受けるためのものとされてます。まさに天照大神と繋がる瞬間。。。
思い起こせば、、天皇家の御世継ぎとして生をうけ、皇太子としてありながら、もちろん宮中行事等での祭祀は行ってきましたが、あくまで次順(皇太子)としてで。でも、この大嘗祭で初めて、新たな天皇として、メインを張って、神と直接やりとりをする、直接つながりをつくる訳です。
古代における「政」の二大柱、政治と祭祀。政治は三種の神器の継承と即位宣言によって。そして祭祀をこの大嘗祭で引き継ぐ。これにより、完全体として誕生する。それが大嘗祭の実質だったりする訳です。
話を戻して。
この後、神饌を下げて一同退下。天皇はこのあと、廻立殿に戻ります。これで「悠紀殿の儀」が終了。
新天皇は、このあと、続けて「主基殿の儀」に臨み、同じ内容を行います。
ということで、
2日間(初日夜と2日目夜中)の流れと内容は以上。
- 「悠紀殿」「主基殿」で同じ事を繰り返す
- 内容は2つ。「神饌 行立」「親供・直会」
- 神饌は、「膳屋」という専用の台所でつくって運ぶ
- 「親供・直会」は、神饌を神に奉る・いただく( 薦・享)が対になった儀式
以上、是非チェック。
実際の儀式詳細はコチラで掲載してますのでチェックされてください:大嘗宮の儀【悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀】とは?|神に奉る・いただく( 薦・享)がセットの共食!天照大神と繋がる大嘗祭の中心儀式
非常に奥ゆかしい内容。ご先祖様との繋がりを大切にする日本の心を体現されてる感じですよね。
ということで、
次は、いよいよ本サイトおススメの内容。大嘗祭の起源となる日本神話をたっぷりご紹介していきます。
大嘗祭の根拠となる日本神話
ここからは大嘗祭に関連する日本神話を解説。正史『日本書紀』をもとにお届け。
歴史書なのに日本神話が登場するオモシロさについてはコチラで。
参考:『日本書紀』と『古事記』の違いに見る「日本神話」の豊かさとか奥ゆかしさとか
改めて、
「大嘗祭」のポイントは、
稲
いや、むしろ、
神話が稲だから、大嘗祭も稲。
という方が正しくて。
もっというと、
古代日本人が「稲」に対して持っていた並々ならぬ信仰や想いがあったから稲、てことであります。
日本神話に根差す大嘗祭 稲に見る日本神話的信仰や思想
ココでは、「大嘗祭」理解のための土台となる思想、信仰についてご紹介。
日本神話で、
日本の美称として登場するのが「豊葦原千五百秋瑞穂之地」。
全11文字熟語の長~い言葉ですが、、意味内容は以下。
「葦原」には稲が生育。つまり、豊かな葦原=豊かな稲がみのる場所って事。
「千五百」とは稲の収穫がめちゃめちゃたくさん、そんな秋。秋=1年の収穫の時でもあるので、千五百とかけて、めっちゃ長い間、年という意味も。
「瑞穂」はみずみずしい稲穂、みずみずしく豊かな、という意味。
まとめると、
豊かな葦の茂る広大な原でめっちゃ大量になんなら永遠に豊かな稲穂が収穫できるみずみずしくすばらしい地、の意味。
まースゴイ。これでもかってくらい予祝感満載のワードで。
最初に登場するのは、『日本書紀』第四段〔一書1〕
天神が伊奘諾尊・伊奘冉尊に言った。「豊かな葦原の永久にたくさんの稲穂の実る地がある。」(原文:天神謂伊奘諾尊・伊奘冉尊曰、有豊葦原千五百秋瑞穂之地。) (『日本書紀』巻一(神代上)第四段〔一書1〕)
と。
至高なる存在、天神によって予祝された、豊かな秋の実りが約束された地、
それが日本なんですね。
もっとあります。
日本の建国神話である神武東征神話では、
「秋津洲」という、こちらも日本の美称が登場。
必読:論功行賞と国見|エピローグ!論功行賞を行い、国見をして五穀豊饒の国「秋津洲(あきづしま)」を望み見た件|分かる!神武東征神話 No.26
東征を成就させた神武天皇が、国見をするシーンがあるのですが、ココで、「国状」をはるかに望みみて
「蜻蛉が交尾している形のようだ」(原文:猶如蜻蛉之臀呫焉)
と伝えます。
「蜻蛉」=トンボであり、トンボと言えば、水田に飛んでいる秋の実りを象徴する虫ですよね。
トンボが交尾して飛ぶ=たくさんのトンボが連なり飛ぶ=豊かな稲の実りがある
という事で、
ココにも「稲」を通じた豊かな日本を称える、あるいは予祝する思想がある訳です。
神代で天神が予祝した「豊葦原千五百秋瑞穂之地」は、神武天皇の東征と建国によって「秋津洲」として結実した。とも言えて、
稲に寄せた古代日本人の格別な想いを、その信仰をまずチェックされてください。
そのうえで大嘗祭を見てみると、、、
中核儀式である「大嘗宮の儀」に、
「悠紀」「主基」の田んぼから収穫された「特別な稲」が供進される形になってるのも頷けますよね。
国家・国民安寧の土台となる食
その中心的位置づけとして、象徴として、「稲」が設定されていて、そうした伝統を、新嘗祭、大嘗祭は引き継いでいる訳です。
尚、
- 五穀、特に稲の起源(そもそも論)
- 稲が地上世界にもたらされた経緯
それぞれの「神話的出どころ、根拠」はコチラで。
必読:新嘗祭とは?五穀豊穣を感謝し神と共食する「新嘗祭」。その起源は日本神話にあり!
↑ココでのポイントは、
①そもそも論として、稲の発生起源は「保食神」の腹の中。それが天上に持ち帰られ、天照大神が意味づけ。人民が食し、人民を活かすものであると。
②そのうえで、種として植え、育ててみると、秋には豊かな実りを得た。自ら率先して、稲の育成方法を示す。
③さらに、新嘗は当然のこととして行い、これにより、植えて→育てて→実って→お祭りする、というサイクルが天上世界で確立。
④これを承けて、天孫降臨に際し、天照大神から「斎庭の穂」として火瓊瓊杵尊に授けられ、これが地上世界へもたらされる。
⑤最後に、地上世界でも新嘗が行われたことをもって、天上世界と同じサイクルが確立したことを伝える。
そんな流れ。
壮大、、、
今、私たちがフツーに食べているお米には、そんな神話的背景があったって事、是非チェック。今まで以上にありがたくいただきます。
次に、大嘗祭の起源とされる神話についてご紹介。
日本神話で伝える大嘗祭の起源
こちら、一応、大嘗祭の起源とされてるんですが、むしろ、天皇が天照大神や天神をお祭りするようになった経緯、という方が正確で。
それが、
日本の建国神話である「神武東征神話」。
必読:神武東征神話を丸ごと解説!ルートと地図でたどる日本最古の英雄譚。シリーズ形式で分かりやすくまとめ!
この壮大な神話の最後の箇所、
東征を果たし、日本を建国、初代天皇として即位したところで、神武天皇がこれまでのことを振り返って総括するシーンがあります。
そこで東征の途上でいただいた神助(天照の救援、天神の支援)に対する孝行を宣言し実行します。
四年春月の二十二日、(天皇は)勅して仰せられた。「我が皇祖の御霊が天から降りご覧になって、我が身を照らし助けてくださった。今、すでに諸々の賊を平定し、天下は何事もなく統治されている。そこで天神を郊祀って、大孝の志を申しあげよう。」そこで、斎場(靈畤)を鳥見山に設けて、その地を名付けて上小野の榛原・下小野の榛原といい、もって皇祖である天神を祭られた。 (『日本書紀』巻三〔神代紀〕より一部抜粋)
日本神話版御恩と奉公。。。
「我が皇祖の御霊が天から降りご覧になって、我が身を照らし助けてくださった。」とは、東征過程でのこれら神助たち。
さらに、
天神そのものではありませんが、こちらも天の支援ということで。
日本の建国は、神武天皇というリーダー一人のチカラで成し遂げられた訳じゃない。そこには、優秀な部下の貢献や、天照や天神の支援があって。
皆様の貢献や支援をいただいてようやく建国を果たすことができました。ありがとう。
で、お祭りをする。
「そこで天神を郊祀って、大孝の志を申しあげよう。」(天神を郊祀し、用ちて大孝を申すべし。(原文:可以郊祀天神、用申大孝者也。)とは、
「郊祀=郊外で天を祭る儀礼」による「大孝(最大の孝行)」の実践。
具体的には、
靈畤を鳥見山に立てて天神を祭る
というもの。
靈畤とは、斎場のこと。鳥見山に、お祭り用の祭壇を立て皇祖である天神を祀った。
コレが大嘗祭の起源とされてます。実際、奈良県桜井市には「鳥見山」があり「等彌神社」があり、そのことが謳われてます。
必読:等彌(とみ)神社|大嘗祭発祥の地!鳥見山霊畤を背後に鎮座する等彌神社は日本神話的超絶パワースポット!
ポイントは、この祭祀が
「恩」に対する「孝」としてお祭りした
という事。「孝」とは親孝行の「孝」。
これはまさに、
「即位した天皇のありかた」を物語っている
て事で。
神武天皇が即位し、孝を実践したように、
即位にあたっては大嘗の場で、五穀豊穣、国民国家の安寧とあわせて、皇祖である天神へのお祭りを実践する、という形。
天皇が祭祀を継承している根拠がココにあり。
激しく重要事項であります。
最後に、補足として。
「悠紀」「主基」という2つの場所(地方)を決める
「波波迦の木」と「亀甲」を使った「亀卜」という占いについて。
コレ、
天岩屋神話に由来する占い方法です。
天兒屋命は、布刀玉命を召して、天香山の真男鹿の肩をそっくり抜いて、天香山の天波波架(木の名)を取って、占合いをさせた。 (『古事記』上巻より一部抜粋)
と。
ココでは、鹿の肩骨と天波波架の木を使って占いをしています。
古代は、獣骨を使っての卜占で、方法としては、木の棒の先端を焼き、真っ赤に焼けたところを何度も骨に押しつけると、あるときポクって音がしてヒビが入ります。このヒビの入り方、割れ方によって神意を占う、というもの。
現代では、亀の甲羅を使用しているので「亀卜」と呼ばれます。アオウミガメの甲羅。
ちなみに、、アオウミガメは絶滅の恐れがあり、国際的な取引を規制するワシントン条約をはじめ、国内法でも保護対象となってたりして。
今回の大嘗祭にあたっては、2018年の段階で宮内庁から、東京都小笠原村に協力依頼がはいり、春に捕獲された8頭分の甲羅を確保した経緯あり。
一方で、
「波波迦の木」はそのまま引き継がれています。奈良県にある、天香久山の天香山神社に生えている「波波迦の木」の枝を伐採し、それを宮中に運んで使用されてます。
アオウミガメと同様に、昨年の段階で橿原神宮経由で天香山神社の宮司さんに連絡がはいり、2019年1月に「波波迦の木」の枝を採取するお祭りが斎行されてます。
必読:波波迦の木 採取神事|大嘗祭用の斎田を決める「亀卜」に使用する神木採取の儀!神代から継承された奥ゆかしい神事の様子をご紹介!
いずれも、
1年以上前から準備され、そのうえで占いの儀式が行われている訳です。
大嘗祭という特別な場には特別な稲が必要。そのために、特別な選び方をして決めてる。そしてそれは、神の時代から継承されてきた伝統によるものなんです。
ということで、
大嘗祭に関する、文献的に追いかけられる神話関連のお話は以上です。
簡単にまとめておくと、
- 天上世界で確立した、植え→育て→実り→お祭りする、というサイクルをもとに、地上世界でも同じ事を行っている。何なら、宮中では今も受け継がれていて、天皇自ら田んぼを営んでいる。
- 地上世界にもたらされた稲は、元を辿れば天照大神の「斎庭の穂」に由来。神聖な稲、人民の食となり、人民を活かす食べ物。
- こうした「稲」への格別な想いや信仰は、日本の美称である「豊葦原千五百秋瑞穂之地」や「秋津洲」といった言葉に表れている。
- 大嘗祭での祭祀、もっと言うと、天皇が祭祀を行う理由は、建国の過程における「神助(恩)」に対する「孝」の実践として。以後現代まで継承されている超重要事項であります。
以上の4点、是非チェックされてください。
まとめ
「大嘗祭」とは、天皇一代につき一度だけ斎行される特別なお祭り。
毎年、天皇によって宮中で斎行されてる「新嘗祭」が、
即位の年だけ、つまり、新天皇が即位した年だけ、1回限りで「大嘗祭」という名前に替わります。
「悠紀殿」「主基殿」を中心とした「大嘗宮」が特別に造営され、ココで新たに即位した天皇として「特別な祭祀」をおこないます。
歴史的にみると、こうした形式は、飛鳥時代に原型が形づくられましたが、その起源をたどると日本神話にいきつく壮大な仕掛けをもっています。
大嘗祭、ぜひ、そんな壮大なロマンをもってチェックされてください。
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参考文献
訓讀註釋儀式践祚大嘗祭儀(皇學館大学神道研究所編、思文閣出版)、日本古代即位儀礼史の研究(加茂正典、思文閣出版)、大嘗祭の研究(皇學館大学神道研究所編、皇學館大学出版部)、大禮と朝儀 付有職故実に関する講話(出雲路通次郎、臨川書店)、日本の祭祀(祭祀学会編、星野輝興先生遺著刊行会)、平安朝儀式書成立史の研究(所功、国書刊行会)、復刻版 卽位禮と大嘗祭(三浦周行、神社新報社)、律令制祭祀論考(菊地康明編、塙書房)、古代祭祀の史的研究(岡田精司、塙書房)、古代伝承と宮廷祭祀(松前健、塙書房)、続大嘗祭の研究(皇學館大学神道研究所編、皇學館大学出版部)、古事記研究(大嘗祭の構造)(西郷信綱、未来社)、記紀神話と王権の祭り(水林彪、岩波書店)
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[…] 歴史の時代になると、御神体をくるむ聖衣として使用されたり、大嘗祭だいじょうさいの中心的神殿「悠紀殿ゆきでん」「主基殿すきでん」に設置されていたりと、こちらも超重要な位 […]