「御代替わり」とは、天皇の代が替わること。
受け継がれてきた天皇の地位を、その時間を、次の天皇へ渡してつないでいくこと。その一連の儀式を言います。
今でこそ、
皇位を継承するための「儀式」みたいなイメージがありますが、
その一番重要なテーマは
「正統性」と「継承」にあり。
皇位に相応しい人に渡してつないでいく。
だからこそ、ポイントは
- 相応しい=正統性をどう示すか?
- 継承する=どのように受け継いでいくか?
の2点であり、この視点で御代替わりを見てみることで、深みや味わいがぐっと増してきます。
しかも!
天皇家の場合、それを日本神話から、
つまり、神の時代の出来事とつなげ、組み立てることで、誰もが納得するような仕組みを創り上げてきた経緯あり。コレ、世界オンリーワン。圧倒的。
今回は、御代替わりの中身はもちろんのこと、その背景として設定されてる日本神話についてもディープに、分かりやすくご紹介します。
御代替わりとは?日本神話に根ざす御代替わり(皇位継承)の全貌を徹底解説!
目次
御代替わりとは?日本的御代替わりのスゴさ
「御代替わり」。
「御」は敬意の接頭語、
「代」とは「ある人が、家や地位を受け継いで、その地位にある期間」のこと、
- ある人=天皇
- 家や地位=日本という国や、国の統治者としての地位
つまり、天皇が、日本という国や、国の統治者としての地位を受け継ぎ、その天皇としての地位にある期間のことを「代」といい、
その「代」が替わる、から「御代替わり」となります。
受け継がれてきた天皇の地位を、その時間を、次の天皇へ渡してつないでいくこと。その一連の儀式を言うのですが、
ココでは、具体的な内容に入っていく前に、まずは
日本的代替わりのスゴさ
についてチェックです。
コレ、一言で言うと、
「神話と歴史が繋がってる国」ならではの継承儀礼であること。
コレに尽きます。
神話と歴史が繋がってるとは?
それは、
神の時代と歴史の時代が繋がってる、って事。まんま?
でも、コレ、
フツーではありません。
世界を見渡しても、そんなの無いし、、、
こういうのって、基本的には、
神話は神話、歴史は歴史
神は神、人は人
という考え方が一般的で。
神の時代と人の時代がどっかで混ざって繋がってる、、、なんて無くて。
少なくとも、文献的に、記録的に、一本で繋がってる例はどこにもありません。唯一無二。フツーじゃない。
そんなフツーじゃない国、だからこそ、
他のどこにも負けない、
いや、他のどんな国も追随できない圧倒的な特徴があります。
それが、
継承されてきた時間の長さ
コレ、圧倒的。
なんせ、神代から継承されてきた訳で、圧倒的とかなんとかというより、もう、なんか、、よく分かりませんっ。。。それどういうこと???
御代替わりの一連の儀式にちょいちょい出てくる
天照大神だなんだと、神的ワード出現の理由がコレ。
神の時代から繋がって継承されてきてるから、出てきちゃうんです。フツーに神が。
●必読:日本神話とは?多彩で豊かな神々の世界「日本神話」を分かりやすく徹底解説!
代表的な儀式の所以とか、それやってる理由を辿ると、神の時代の話が出てくる。
神の時代でこうだから、今までコレでやってますねん。って。
何にも知らないと、ちょ、、何コレ??みたいな感覚になりますが、
背景が分かれば、途端にその日本的な奥ゆかしさに目頭が熱くなる。、、一同礼! 繋がってるって、そういうこと。
具体的な数字を。
御代替わり継承の歴史は2600年以上
日本建国の祖であり、初代天皇となった神武天皇。
この神武天皇というお方が、日本という国をつくり、天皇として即位したのが、今から2600年以上も前のお話。
●必読:橿原宮即位と東征完結|歴史はココから始まる。橿原宮で即位し世界最古の国「日本」をつくった件
てことは、
少なくとも、天皇の即位儀礼である「御代替わり」は、その始原から考えると2600年以上の歴史をもってるってことになる。
この時点でスゴいんですが、
継承や各儀式の起源という話になると、
天孫降臨や、それ以前の国生み神話までさかのぼってしまうモノ凄さ。
それ何年前???
もう訳分からんくらい途方もない時間軸。宇宙誕生が約138億年前? てことはそれよりちょいあとの100億年前くらい??
まずは、この途方もない時間感覚、その神代まで遡ってしまうスゴさをチェックです。
神話に根ざす御代替わりが生まれた理由
日本的代替わりのスゴさ、ということで、
- 神話と繋がってる継承儀礼であること、
- そこからくる、途方もない時間軸、継承されてきた時間があること、
を踏まえて、
ここでは、
なぜそんな御代替わりが生まれたのか?
その理由を説き明かしていきましょう。
(以下、統治と言う言葉が頻出しますが、これは古代でのお話。今は象徴天皇制ですのでそういうことでご承知おきくださいませ)
神話に根ざす御代替わり誕生の理由
それは、
即位する天皇の正統性を示すため
「正統性」とは、「ある政治権力の支配が正しいとされる根拠」のこと。
リーダーになる人がいて、
そのリーダーが、
なんでリーダーとなるのか?を明確にするための根拠、ってことで。
その「根拠」「理由」があるから、みんな納得して、リーダーについていく、なんなら神輿を担ぐ訳です。
正統性の二大柱、というのがありまして。
それが、
- 血統
- 歴史
であります。
これ、ジャパンスタイル。
- 血統とは、祖先からつながっている血のつながりのこと。血筋。
- 歴史とは、祖先から受け継がれてきた物語のこと。今回でいうと神話。
みんなが納得してついていくリーダーですから、
スゴい血筋のお方であり、スゴい歴史背景をもってるお方であるべきですよね。
どこぞの馬の骨とも分からん人をリーダーとして認める訳には参りませぬ。
てことで、
即位する天皇の正統性を示すために、
我らがご先祖様たる古代日本人は、神の時代からのつながりを求め
そこに、
具体的には、
- 天皇は、高天原の統治者である天照大神の血筋を引いてる
- 天皇は、神の時代から続く神話的(歴史的)背景を持っている
てことを示していった訳なんです。
いや、、、そんなお方だったら、、、
ヤバいよね。
納得せざるを得ません。。。いや、もっと積極的に、スゴいリーダーがやってきた!みんなでついていこうや!ってなる。 いや、なろう。
で、
そんな理由から編纂されたのが日本神話。
具体的には、
『日本書紀』や『古事記』といった書物にその正統性の根拠を埋め込んでいった訳です。
オモロー!なのは、両書ともに歴史書であること。コレがめっちゃ独特。神話なのに歴史。このごちゃ混ぜ感がたまらない。
ちなみに、いずれの書物も日本最古級。
時代背景として、8世紀ごろの歴史がからんでくる壮大なお話に。
●必読:飛鳥浄御原宮|日本神話編纂のふるさと!歴史書の編纂というビッグプロジェクトがスタートした超重要スポット
奈良サイコーやで
ということで、
- 天皇は、高天原の統治者である天照大神の血筋を引いてる
- 天皇は、神の時代から続く神話的(歴史的)背景を持っている
この
血統と歴史という二大柱をもって
即位する天皇の正統性を示し、それを「御代替わり」の儀式として構成し、誰もが納得する継承システムとして創り上げた、ってこと。
壮大。。。
ほんと、古代日本人が構想した世界、創り上げた仕組みがスゴすぎて。。。創意工夫と智恵の結晶として学びをいただきたい。
そんな視点で御代替わりを見てみるのもオススメです。
現代の御代替わりとその流れ
神話に根ざす御代替わりのスゴさと、その理由・背景が理解できたところで、
ここからは、実際の、リアルな現場をチェック。
まずは、
基準となる、現代の御代替わりをご紹介。
その上で、御代替わりメニューのどこに神話ロジックが埋め込まれているか、
また、御代替わりの歴史的変遷も含めてご紹介していきます。
現代の御代替わりは、大きく3部構成。
と。
3つ目が途端に怪しくなるけど、それはそれ、何度も申し上げますが、神の時代から継承されてるお話ですから。
歴史の人物が、ある時から祭られる神になってしまう(例えば、八幡宮、天満宮、明治神宮等)日本的な奥ゆかしさや精神性と合わせて理解。
この3つの儀礼、
分かりやすく整理すると、
テーマは
「完全体としての天皇になる儀式」と言えます。
完全体としての天皇とは?
つまり、政治と祭祀を掌握・承継した天皇、という事。
古代においては、政治と祭祀を司ることが天皇としての絶対用件。
そのために、
政治における継承 | 践祚(践祚式、即位式) |
祭祀における継承 | 大嘗 |
という仕組み、枠組みをつくった、って事。
※現代では三部構成ですが、そもそもは二部構成。践祚と大嘗。即位礼は、平安期以降に唐風を模して分離独立したメニュー。
これが、現代の御代替わりにも引き継がれてるってことなんです。
てことで、
政治と祭祀の枠組みをもとに、
就任して、お披露目して、神と繋がる
ホップ・ステップ・ジャンプで完全体天皇誕生!
そのうえで、
現代の御代替わりメニューの概要がコチラ。メインどころをチェック。
1.践祚式
「践祚」とは、皇位を践むという意味で、天皇という位につくことを言います。
ポイントは、
何をもって位についたとするのか?
で、それは、天皇を証明するグッズ(レガリア)を継承すること、であります。
これも神代からの伝統。神様もミッション+グッズのセットで活動。
参考:『日本書紀』巻第一(神代上)第四段 一書第1 天神ミッションと無知な二神
グッズとは、「三種の神器」がメイン。他、現代では、天皇の印鑑(はんこ)である「御璽」、日本国の印鑑である「国璽」、皇室に由緒ある品々を継承。それが「剣璽等承継の儀」。
で、継承したら継承したで、今度はご先祖様(天照大神)や神々にご奉告。なんでココで天照に奉告するのかも神話が根拠。詳細後ほど。
N | 儀式 | 概要 | 場所 |
1 | 剣璽等承継の儀 | 即位に伴い剣璽等を承継される儀式 | 宮殿 |
2 | 即位後朝見の儀 | 即位後初めて国民の代表に会われる儀式 | |
3 | 賢所の儀 | 賢所(天照大神)に皇位を継承されたことを奉告する儀式 | 賢所 |
4 | 皇霊殿・神殿に奉告の儀 | 皇霊殿神殿に皇位を継承されたことを奉告する儀式 | 皇霊殿、神殿 |
※2019年の御代替わりスケジュール。宮内庁発表の「即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等(予定)について」資料より加工。
必読:践祚式とは?|位(祚)を践む儀式!天皇であることを証明する三種の神器を継承し皇位に即く、それが践祚式です
2.即位礼
国内外に即位を宣言することがメイン。
宣言をどこでどのように行うのか?がポイント。それが、「即位礼正殿の儀」。
ココでは、高御座という、特別な壇が用意され、天皇がその壇上から即位を宣言します。
正殿の中庭には、たくさんの「旛」と呼ばれる仗旗(特別な旗)が立てられ色鮮やか。他、弓や太刀などを持ち、古代の装束を着た参役者、供奉員らが整然と控えるなか、総理大臣が寿詞奏上、万歳三唱。。。と、まースゴい。
N | 儀式 | 概要 | 場所 |
1 | 即位礼当日賢所大前の儀 | 即位礼の当日、賢所に天皇が即位礼を行うことを奉告される儀式 | 賢所 |
2 | 即位礼当日皇霊殿・神殿に奉告の儀 | 即位礼の当日、皇霊殿及び神殿に天皇が即位礼を行うことを奉告される儀式 | 皇霊殿、神殿 |
3 | 即位礼正殿の儀 | 即位を公に宣明されるとともに、その即位を内外の代表がことほぐ儀式 | 宮殿 |
4 | 祝賀御列の儀 | 即位礼正殿の儀終了後、広く国民に即位を披露され、祝福を受けられるためのパレード | 宮殿~赤坂御用地 |
5 | 饗宴の儀 | 即位を披露され、祝福を受けられるための饗宴 | 宮殿 |
※2019年の御代替わりスケジュール。宮内庁発表の「即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式等(予定)について」資料より加工。
3.大嘗祭
一代につき一度だけ斎行。
天皇によって毎年斎行されてる「新嘗祭」が、即位の年だけ、つまり新天皇が即位した年だけ、1回限りで「大嘗祭」という名前に切り替わります。
「悠紀殿」「主基殿」を中心とした「大嘗宮」が特別に造営され、そこで秘儀が。。。ココにも神代の設定あり。
国家・国民の安寧や、五穀豊穣を、天照大神はじめ神々に感謝するのはもちろんの事、その隠れた意味は、天皇が祖先神たる天照大神と繋がること(諸説あり)。
さらに、
大嘗祭用には特別な神饌が用意されるのですが、代表的なのが、特別な田んぼ(斎田)から収穫される特別な稲。
特別な田んぼ感は、占いで決めることによって示されます。スゴくない?宮中で占い!これも神代からの伝統。
分類 | N | 儀式 | 概要 | 場所 | 時期 |
お米作り | 1 | 斎田点定の儀 | 悠紀及び主基の両地方(斎田を設ける地方)を定めるための儀式 | 神殿 | 5月 |
2 | 大嘗宮地鎮祭 | 大嘗宮を建設する予定地の地鎮祭 | 皇居東御苑 | 7月 | |
3 | 斎田抜穂の儀 | 斎田で新穀の収穫を行うための儀式 | 斎田 | 秋 | |
4 | 悠紀主基両地方新穀供納 | 悠紀主基両地方の斎田で収穫された新穀の供納をする行事 | 皇居 | 秋 | |
お祭り | 5 | 神宮に勅使発遣の儀 | 神宮に大嘗祭を行うことを奉告し幣物を供えるために勅使を派遣される 儀式 |
宮殿 | 11月 |
6 | 大嘗祭前一日鎮魂の儀 | すべての行事が滞りなく無事に行われるよう天皇始め関係諸員の安泰を祈念する儀式 | 皇居 | 11月 | |
7 | 大嘗祭当日神宮に奉幣の儀 | 神宮に大嘗祭を行うことを勅使が奉告し幣物を供える儀 | 神宮 | 11月 | |
8 | 大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀 | 賢所に大嘗祭を行うことを奉告し御饌を供える儀式 | 賢所 | 11月 | |
9 | 大嘗祭当日皇霊殿神殿に奉告の儀 | 皇霊殿及び神殿に大嘗祭を行うことを奉告する儀式 | 皇霊殿、神殿 | 11月 | |
10 | 大嘗宮の儀 ・悠紀殿供饌の儀 ・主基殿供饌の儀 |
大嘗宮の悠紀殿及び主基殿において初めて新穀を皇祖及び天神地祇に供えられ、自らも召し上がり、国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝し、祈念される儀式 | 皇居東御苑 | 11月 | |
11 | 大饗の儀 | 大嘗宮の儀の後、天皇が参列者に白酒、黒酒及び酒肴を賜り、ともに召し上がる饗宴 | 宮殿 | 11月 |
●必読:大嘗祭とは?天皇一代につき一度だけ斎行!日本神話に根ざす大嘗祭の全貌を徹底解説!
●必読:斎田点定の儀|特別な田んぼ「斎田」を亀卜で占う神事!神代から継承された奥ゆかしい儀式を日本神話とあわせてご紹介!
●必読:大嘗宮の儀「悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀」とは?|神に奉る・いただく( 薦・享)がセットの共食!天照大神と繋がる大嘗祭の中心儀式
さて、
改元についても少し解説。
新しい天皇の代になると「元号」が改められます。
本エントリでは、上記、現代の御代替わりメニューからは外して、補足として位置づけ。
ホントは一連のメニューの中に、つまり、天皇が行うことの中に入れたいんですが、、、
歴史的には、代替わり以外にもいろんな理由や事情によって改元が行われてました。不吉な事が連続すると改元、吉祥が発生すると改元、思い立ったら改元、、、
参考:金鵄飛来=祥瑞応見|「瑞(みつ)」は王の聖徳に天が応えて示す「しるし」。古代にはそれなりのもんげー制度があった件|分かる!神武東征神話 No.18
ですが、明治以降は制度化され、皇位継承があった時に限って行われるように。
このときから元号は、その時の天皇代を表象するものになってます。
現代の感覚、例えば、昭和の時代は昭和天皇と同一、平成は平成天皇と同一、はココから来てる訳ですね。
ポイントは、
天皇の天皇たる所以は何か?
ということで。
それが、、、
時を司る
ということ。ココは激しく推させていただきます。
これまで紹介してきた御代替わりの儀礼メニューは、極論、資金さえあれば誰でも同じようなことはできます。レガリアつくって、受け取って、高御座つくって、登って宣言して、大嘗宮つくって、儀式を行う。極論、誰でもできると言えばできる。少々極論すぎる?
でも、、、
時を変えることはできません。
誰かが「今から改元する!クジャクの年がはじまるのだ!」と言ったところで、、、今から???ってなって、改元できませんよね。
天皇だけが唯一、時を司り、時を変えることができる。
時を握ってるって、
それくらい重いことなんです。
これも元を辿れば神代から、神話を受け継いで誕生した初代「神武天皇」から続く伝統だったりします。
今でこそ、象徴天皇制の下で、改元については内閣主導みたいな形になってますが、本来は、天皇が握っていた唯一絶対の権限だったんすね。
ちなみに、元号は、良い意味を持つ二字を用いる伝統で、時代背景や明日への希望、元号としての相応しさなどを勘案した字が設定されてます。令和改元、盛り上がりました。
ということで、
現代の御代替わりメニューの概要をお届けしてきましたが、次の章では、御代替わりの起源をご紹介。日本神話はその次で。
御代替わりの起源
ココからは、御代替わりの起源、その原型が形づくられた時代のことをご紹介。
本格的に語りはじめると膨大な量になるので、ココではポイントを。
御代替わりは、最初から完成されてた訳ではなく、
飛鳥時代から奈良、平安にかけて改良・整備されてきた歴史あり。
流れとしては大きく
ホップ・ステップの二段階。
- ホップ:原型づくり・・・天武天皇(飛鳥時代)
- ステップ:発展→完成型づくり・・・桓武天皇~清和天皇(平安時代)
ということで、
ここでは、御代替わりの原型がつくられた飛鳥時代をご紹介。発展・完成形がつくられた時代のことは、践祚式や即位礼のエントリで詳しく解説しています。コチラも是非。
御代替わりの原型づくり 飛鳥時代の即位儀礼
御代替わりの一番最初は、初代天皇である神武天皇から二代目の綏靖天皇のとき。
ですが、この頃のことは『日本書紀』にも伝えておらず、よーわかりません。代替わり儀礼として本格的につくられたのは、7世紀末から8世紀初頭にかけて。飛鳥時代のことです。
なんでこの時代か?
というと、その背景には天皇が絶対的な権力を握った出来事があったからです。力の無い人が「オレ様天皇~!」と叫んだところで誰もついてきません。
そのきっかけとなったのが、、、
壬申の乱
遠因として、白村江の敗戦もアリ。、、、なんか、歴史の授業みたいになってますが、、、
必読:飛鳥浄御原宮|日本神話編纂のふるさと!歴史書の編纂というビッグプロジェクトがスタートした超重要スポット
古代史最大の内乱。
中央にいた既得権益豪族どもを、
地方豪族の力を結集して、ぶちのめしたのが大海人皇子。後の「天武天皇」であります。
すごいでしょ?
自分の冠する名前に「天」をつけちゃう。そのセンスとか自信とか。
この天武天皇、
壬申の乱に勝利したことで、絶対的なパワーを握ります。
ひっくり返したわけやからね。
このスーパーパワーを背景に、
天皇を中心とした中央集権国家づくりを強力に推し進める。
その三大柱となったのが、
- 即位儀式整備
- 律令整備
- 歴史書編纂
というわけで。
即位儀式 | |
律令整備…国の仕組みづくり | 歴史書編纂…正統性を示す |
つまり、
即位のための根拠として、律令と歴史が「国家プロジェクト」的に整備されていったわけです。
ということで、早速、その現場をチェック。
天武天皇(673~686)の即位儀礼
①天武天皇二年(673年)2月
天皇、有司に命じて壇場を設け、帝位に飛鳥浄御原宮に即く。(『日本書紀』天武天皇二年)
②天武天皇二年(673年)12月
大嘗に侍奉る中臣・忌部及び神官、播磨・丹波二国の郡司らに賜禄ふ。(『日本書紀』天武天皇二年・大嘗初見)
③同五年(676年)9月
神官奏して曰さく「新嘗の為に国郡を卜はしむ。斎忌は尾張国の山田郡、次は丹波国の訶沙郡、並に卜に食へり」とまうす。(十一月朔日、新嘗の事を以て、告朔せず)
と、
いかがでしょうか?
ゾクゾクしません???
古代日本人がアツい情熱と叡智と魂を注ぎ込んで創造した即位儀礼。そのゴツゴツした原型が、その現場がコレ。ゾクゾク。。。
ポイントは、
- 「天皇、壇場を設け帝位に即く」とあるように、「壇」を設けて即位する形式。
- 即位の年12月に、大嘗を斎行している。
- その3年後、新嘗を斎行しているが、新嘗でも悠紀・次(主基)が選ばれている。
てことで、
このころは、践祚と即位が一体のものだったようで。大嘗と新嘗も言葉は別ですが中身は同じで未分化状態だったことが伺えます。
と、
総じて、即位儀礼としては、今と比較すると未成熟状態ながら、その萌芽が感じられる仕上がりになっております。
でもって、
周到かつスゴイのが、
これ以降、これを、法律によって規定化していく作業が進められます。
「令(浄御原令)」(当時の法律)による、即位儀礼の規定化。コレは、天武天皇亡きあと、奥さんの持統天皇によって施行。
それがコチラ。
即位—— 凡そ践祚日には、中臣、天神の寿詞奏せよ。忌部、神璽の鏡剣 上れ。(神祇令践祚条)
大嘗—— 凡そ大嘗は、世毎に一年、国司(悠紀・主基両国)事行へ。以外は、年毎に所司(神祇官および祭りに預かる諸司)事行へ。(神祇令大嘗条)
スゲー、。マジで。徹底的にやってる感じがする。
ポイントは、
- 即位(践祚)の時は、中臣氏が祝詞奏上担当で、忌部氏が神璽である鏡剣を奉る担当
- 大嘗と新嘗を分離。大嘗は、天皇の代毎に一年とし、悠紀・主基両国の国司が神饌を奉る担当。それ以外の年は、神祇官等が担当。
ということで、
天武天皇代に原型としてつくられた儀礼を、法律で規定し国家の仕組みとして落とし込んでいった経緯であります。スゴ… (゚A゚;)ゴクリ
ちなみに、、
現代の「御代替わり」とのつながりを簡単にいうと、
- 「忌部の鏡剣奉る儀」→ 現代:「剣璽等承継の儀(践祚式)」における「三種の神器」継承の儀礼。
- 「壇場」に上る→ 現代:「即位礼正殿の儀(即位式)」における高御座での即位宣言。
- 「中臣による天神の寿詞奏上の儀」→ 現代:内閣総理大臣の寿詞。
- 悠紀・主基両国を占いによって決め、その斎田からの稲を奉る→ 現代の大嘗祭とほぼ同じ。昔は国司が担当。
と。いうことで、
古代の儀礼が、形を変えつつも、現代に受け継がれてる訳ですね。素敵+.(´∇`*)。+.゚ イイ!!
しかも、、、
ココからが重要で。
御代替わり儀式の根拠として、
日本神話が設定されてる!!
って事。
即位儀式、律令、歴史書の3つが繋がる。。。
つまり、
儀式の原型づくりと合わせて、律令(法律)の中にも根拠が埋め込まれ、さらに歴史書の中にも神話としての埋め込みがされていたってこと。
即位儀礼、律令整備、歴史書編纂
この3つのプロジェクトを関連させながら、国の仕組みとして形づくっていった、、。
壮大。ホントスゴすぎ。
天皇中心の国家体制を構築するために、天皇がこの国を統治する正統性を示すために、重要なポイントをしっかりと押さえながら繋がりをつけてる。誰だこんなブッ飛んだ事を構想したヤツは???多分、中臣大嶋。。。
ということで、
次はいよいよ日本神話の登場。
これまでご紹介してきた御代替わりを支えるバックボーンとしての日本神話。その壮大な仕掛けをご堪能あれ。
御代替わりの根拠となる日本神話
改めて、スゴい国だなと思います。
御代替わりを語ってると、いつの間にやら神話世界へ繋がってきてしまう。
神話と歴史が繋がってる唯一無二の国ならではのビックリ現象。
早速、践祚・即位と大嘗祭に分けてご紹介。
①践祚、即位に関連する日本神話
天皇が即位する「践祚式、即位礼」のポイントは、
- そもそも論、天皇が即位(統治)する理由
- その位を証明するグッズ(レガリア)
- 中臣による天神寿詞の奏上、忌部による鏡剣の奉上
それぞれの「神話的出どころ、根拠」です。
全部で4つ。
まず1つめ。
-① なぜ天皇が統治するのか?
践祚、即位にあたっての「そもそも論」。だからこそ超重要。激しくチェック。その根拠は、2点、
- 血筋
- 経緯
であります。
まずは、血筋のお話から。
コレ、簡単に言うと、天皇は「皇統」に属し、具体的には、天照大神の子孫だから、という理由。
スゴイよね、、、もう、、、いきなり良くわかんない。。とにかくスゴイ。
で、日本神話には、しっかりと根拠となる「天照の系譜」が伝えられてるのです。
参考:分かる!神武東征神話|神武の生い立ち|天照大神の第五世代 子孫(来孫)であり、海神の孫でもある件
神代に限って言うと、
初代天皇である「神武天皇」は、
天照大神からみて「第五世代目の子孫」として設定されてる。
天照→おしほみみ①→ににぎ②→やまさち③→ふきあえず④→神武⑤
の順。
現代では、5番目の孫を「来孫(らいそん)」と呼びますが、コレに相当。
天照大神の子孫として位置づけられてる神武
すごくない?コレ、、、
世界の最高神の子孫って、、、しかも、母方の系譜をたどると「海の神」や「山の神」とつながっていく設定になっていて。
って、どんなロイヤルファミリーやねん、、、
いきなりもんげー話で恐縮ですが、
正統性の根拠としての「血統」について、天照大神から続く系譜をもってるってこと、まずはチェック。
以後、歴史の時代ではずーっと、天皇家として、歴代の天皇はこの系譜を受け継いでる、ってことになります。
続いて、2つ目。
正統性を担保する経緯(理由)のお話。
これは、天孫降臨神話における「天壌無窮の神勅」が根拠。
「天壌無窮」とは、天地と同じように永遠に続くこと。「勅」とは、権力者が与える絶対命令のこと。
簡単に言うと、
天孫が統治をせよと(命令)、そうすれば、その統治は、皇室の繁栄は、天地がある限り永遠であると(保証)。そういう内容であります。
経緯は以下。
地上世界である「葦原中国」の平定を承け、天照大神は自分の子孫を「葦原中国の統治者」として天降らせます。
その時、降臨する「彦火瓊瓊杵尊」に「天上無窮の神勅」発動。ココに根拠あり!
そして皇孫に勅して、皇孫に勅して、「葦原千五百秋之瑞穂國は、我が子孫が君主たるべき地である。汝、皇孫よ、行って治めなさい。さあ、行きなさい。宝祚の栄えることは、天地とともに窮まることがないであろう。」と言った。と命じた。 (『日本書紀』神代下第九段〔一書1〕)
と。
ポイント3つ。
- 葦原千五百秋之瑞穂國は、我が子孫が王となる地である =予祝&保証
- 皇孫のおまえが行って治めなさい =絶対命令
- 天の系譜は栄え、天地とともに永続するだろう =保証
てことで、
要は、
天照大神による「命令+保証」の意味を持たせた絶対命令。コレが即位(統治)の根拠!
だって、最高神たる天照大神が命令して、しかも保証してんだから。。。その正統性たるや、絶対的なものですよね。一同正座!姿勢を伸ばして拝聴!
ということで、まず、そもそも論である、なんで天皇が統治すんの?について
血統と経緯についての神話でした。
次!
-② 統治を証明するものは?何をもって天皇(統治者)とするのか?
即位(統治)の理由が明確になったら次は、その証明であります。
この証明、神世界の価値観を踏襲し、グッズ(レガリア)で証明することになっております。
それが、
三種の神器
コチラも、天孫降臨に際し、天照大神から授かった宝物で。先ほどの神勅と同じシーン。
天照大神は、天津彦彦火瓊瓊杵尊に八坂瓊曲玉と八咫鏡、草薙劒の三種宝物を授けた。 (『日本書紀』神代下第九段〔一書1〕より一部抜粋)
と。
天照大神自ら、直々に、「三種宝物」を授けた訳ですね。
以後、ににぎ②→やまさち③→ふきあえず④→神武⑤、と引き継がれ、以降の天皇も代々これを引き継いでる訳です。
現代の「剣璽等承継の儀」で三種の神器が出てくる理由がコレ。スゴイよね、、、最高神からいただいた宝物、、、
ポイントは、昔から伝わってる伝統工芸品を受け継ぎました、ではなく、
天皇として日本を統治する根拠、それを証明する品を受け継いでる、ってこと。コレ、めちゃんこ重要。
だからこそ、平安時代以降つい最近まで、神格化され「剣璽渡御」、つまり、剣璽が自ら渡ってくる、という儀式名で、そういうもの(神)として位置づけられてた訳。コレも激しくチェック。
次!
-③ で、「三種宝物」ってどっから来たのよ?
って、ことになりますよね。ご安心ください。すべて、神話に紐づけられてますから。以下ご紹介。
「三種宝物」ですが、意味分解すると、(玉+鏡)+剣、の2つから成ります。
なので、以下、2つの神話をご紹介。
1つめ。
「八坂瓊曲玉」「八咫鏡」は天石窟神事に紐付け
「三種宝物」のうち、「八坂瓊曲玉」「八咫鏡」は、
天照大神が岩戸に引きこもり世界が闇に包まれてしまう、という「天石窟神事」に根拠あり!
経緯は以下。
(素戔嗚尊が暴れん坊将軍っぷりを発揮。これにより、天照大神が天石窟に幽居、世界は常闇で昼夜の別がなくなってしまう。。。)
そこで、諸神は天児屋命を直々に指名。天照大神を石窟から出すための祝詞を唱えさせます。
ポイントは、中臣のご先祖とされる天児屋命の活躍っぷりと、その祝詞の素晴らしさ。
日神が天石窟にとじ籠もるに及んで、諸神は中臣連の遠祖である興台産霊の児の天児屋命を遣わして祈らせた。
そこで天児屋命は、天香山の真坂木を根ごと掘り出し、その上の枝には、鏡作の遠祖である天抜戸の児の石凝戸辺が作った八咫鏡を掛け、中の枝には、玉作の遠祖である伊奘諾尊の児の天明玉が作った八坂瓊曲玉を掛け、下の枝には、粟国の忌部の遠祖である天日鷲が作った木綿を掛け、そうして忌部の首の遠祖である太玉命にこの真坂木を手に取り持たせ、壮大で重厚に(日神を)賛美する称辞を祈り申し上げた。
時に、日神はこれを聞いて「このごろ人が何度も石窟から出るように誓願するが、いまだこんなにも麗美しい言葉はなかった。」と言い、そこで磐戸を細めに開けて外を窺った。
この時、天手力雄が磐戸の側にひかえていたので、ただちに磐戸を引き開けると、日神の光が世界の隅々まで満ちた。 (『日本書紀』神代上第七段〔一書3〕)
(天照大神や、八十万神々や、天鈿女命の神がかり演舞は、第七段〔本伝〕を中心としたお話)
ポイントは、
神事で、しかも、世界に光を取り戻すめっちゃ重要な儀式における「祭具」として、玉と鏡が位置づけられてる、って事。
世界に光を取り戻した時に使われた祭具
これを天皇が継承する、、、
光を取り戻したんですよ!そのおかげで今があるんですよ!象徴としての意味、そして、その玉鏡パワー、超絶間違いなしでしょ
次!
「草薙剣」は八岐大蛇退治に紐付け
「三種宝物」のうち、残りの「草薙剣」は、
素戔嗚尊が地上世界の「悪」の権化「八岐大蛇」を退治する、という「八岐大蛇退治」に根拠あり!
経緯は以下。
八つの丘、八つの谷の間に巨大な蛇体を這いわたらせ、毎年娘を呑み込みにやってくる八岐大蛇。地上世界の悪の象徴であります。
この超巨大な大蛇を、素戔嗚尊は、超強力な酒で眠らせ、寝ているスキに十握剣で寸断。刻んで刻んで尾に至ると、剣の刃が欠けた。ので割いて見ると、「草薙剣」発見。すぐに神剣として天神に献上します。コレが根拠!
酒を得ると、八岐の頭をそれぞれ酒桶に突っ込んで飲み、酔って睡てしまった。この時を見はからって、素戔嗚尊は帯びていた十握剣を抜き、細かくその大蛇を斬り刻んだ。尾に至ったところで、その剣の刃が少し欠けた。そこでその尾を切り裂いて見ると、中に一振りの剣があった。これが、いわゆる草薙剣である。 ー中略ー 素戔嗚尊は「是は神剣である。私がどうしてあえて自分のものとして置こうか。(いや、置いておくことはできない)」と言い、そこで天神に献上したのである。 (『日本書紀』神代上第八段・本伝)
と。
ポイントは、
- 地上世界の悪の権化を退治し、その体の中から出てきた神剣であること
- 素戔嗚尊は、天神に献上している=天と地の主従関係を象徴する神剣であること
の2点。
モノスゴイ剣なんです。「草薙剣」。地上における悪の権化を退治し、その中から獲得された剣。
当然、悪い奴がいたら速攻で斬段可能。超絶パワー間違いなし!
あと、天神に献上している=天と地の主従関係を結ぶときに使用された神剣であることもチェックです。
ということで、
まとめると
- 「三種宝物」を分解すると、玉+鏡、剣、の2セットから成る。
- 玉+鏡は、地上世界に光を取り戻す曰く付き。剣は、地上世界の悪を退治する曰く付き。いずれも、統治者として持つべき属性を網羅した、もんげー宝物。
以上の2点。しっかりチェックです。
そんな宝物をもってる訳で、天皇。勝てる訳がない。スーパーパワーがココに!
で、一応、
神話的な流れを最後に補足しておくと、
要は、
『日本書紀』の
- 第七段で、神事を通じて玉と鏡を提示
- 第八段で、退治を通じて剣を提示
- 第九段で、天孫降臨時に天照大神から神勅と合わせて下賜
という流れになってる。
全ては、天皇即位における正統証明のために。
遡ること、天孫降臨時の神勅+宝物に由来。さらに出どころを辿ると、光を取り戻す神話や、地上世界の悪を退治する神話に由来するスーパートレジャー、
て事ですね。
練りに練られた神話と歴史、儀式との繋がり。その構想力、発想力、、、古代日本人の叡智ってホントスゴイ。現代に生きる私たちも負けずに頑張らないと!
追加で。
-④ なんで中臣、忌部がご指名で活躍してるの?
について。
お気づきになられましたでしょうか?
先ほどご紹介した天石窟神話
天児屋命、活躍しすぎでしょ。。。
中臣の遠祖、つまり、中臣のご先祖様である天児屋命が全体を統括してるような印象。。。(本伝は思兼神)
しかも、ココが重要、
天児屋命の称辞。
本文では、壮大で重厚な祝詞だったと伝えてます。
これを聞いた天照大神は気分高揚⤴、籠っていたはずなのに嬉しくなって外を窺ってしまい、、、結果、外に出されてしまう始末。。。
なんてスゴい祝詞なんだっ
いや、なんてスゴイ祝詞を奏上するんだ天児屋命っ
ちょいちょい登場する「忌部」と合わせて、超重要祭祀の場面で活躍なう。
しかも、覚えてらっしゃるでしょうか、
即位の原型が形作られた時代の法律「飛鳥浄御原令」で規定されていた文言にも。
即位—— 凡そ践祚日には、中臣、天神の寿詞奏せよ。忌部、神璽の鏡剣 上れ。(神祇令践祚条)
とありました。
やっぱり中臣、忌部が大活躍。
コレは、、、一体。。。(゜Д゜)
本件、語りだすと膨大な量になるので、詳細は別エントリで。ココでは簡単に。
要は、
中臣、忌部氏は、
ともに「祭祀を司っていた超重要氏族」だった、って事。
古代においては、即位関連儀礼って祭祀的な色彩が濃かったって事で。そらそうだ。神の時代から継承されてるし。つながってるし。
これは、現代においては特に大嘗祭で受け継がれてる伝統で。おかげでいろいろ物議を醸してしまうのですが。。。汗
ま、とにかく、徹底的に中臣&忌部推し。
こうした古代での設定が、例えば、中臣による天神の寿詞奏上の儀であり、それが引き継がれ、形を変え、現代の即位式の「即位礼正殿の儀」における内閣総理大臣の寿詞に繋がっていくわけです。
総理大臣の寿詞はちょっと無理目か。、天児屋命のような祝詞は奏上できないし。。。?
ということで、
以上が、践祚、即位式における日本神話との繋がりでした。
まだまだ続く!
②大嘗祭に関連する日本神話
ここからは「大嘗祭」に関連する日本神話を解説。
「大嘗祭」を本当に理解しようとしたら、背景にある、古代日本人が「稲」に対して持っていた並々ならぬ想いや信仰を理解する必要があります。
ココでは、その部分を日本神話からご紹介。
まず、
日本の美称として「豊葦原千五百秋瑞穂之地」という言葉があります。
「葦原」には稲が生育。つまり、豊かな葦原=豊かな稲がみのる場所。「千五百」とは稲の収穫がめちゃめちゃたくさん、そんな秋。ウットリ(*´ェ`*) 秋=1年の収穫の時でもあるので、千五百とかけて、めっちゃ長い間、年という意味も。「瑞穂」はみずみずしい稲穂。
まとめると、
豊かな葦の茂る原でめっちゃ大量になんなら永遠に稲穂が収穫できるみずみずしくすばらしい地、の意味。
まースゴイ。これでもかってくらい予祝感満載のワードで。
最初に登場するのは、『日本書紀』第四段〔一書1〕
天神が伊奘諾尊・伊奘冉尊に言った。「豊かな葦原の永久にたくさんの稲穂の実る地がある。」(原文:天神謂伊奘諾尊・伊奘冉尊曰、有豊葦原千五百秋瑞穂之地。) (『日本書紀』巻一(神代上)第四段〔一書1〕)
と。
至高なる存在、天神によって予祝された、豊かな秋の実りが約束された地、
それが日本なんですね。
このほか、日本の建国神話である神武東征神話では、
「秋津洲」という日本の美称が登場。
必読:論功行賞と国見|エピローグ!論功行賞を行い、国見をして五穀豊饒の国「秋津洲(あきづしま)」を望み見た件|分かる!神武東征神話 No.26
東征を成就させた神武天皇が、国見をするシーンがあるのですが、ココで、「国状」をはるかに望みみて
「蜻蛉が交尾している形のようだ」(原文:猶如蜻蛉之臀呫焉)
と伝えます。
「蜻蛉」=トンボであり、トンボと言えば、水田に飛んでいる秋の実りを象徴する虫ですよね。
トンボが交尾して飛ぶ=たくさんのトンボが連なり飛ぶ=豊かな稲の実りがある
という事で、
ココにも「稲」を通じた豊かな日本を称える、あるいは予祝する思想がある訳です。
神代で天神が予祝した「豊葦原千五百秋瑞穂之地」は、神武天皇の東征と建国によって「秋津洲」として結実した。とも言えて、
稲に寄せた古代日本人の格別な想いを、その信仰をまずチェックされてください。
そのうえで大嘗祭を見てみると、、、
特別に造営される「大嘗宮」の中心となる社殿が「悠紀殿」と「主基殿」で。
ここに、「悠紀国」「主基国」の田んぼから収穫された特別な「稲」が奉納される形式になってるのも頷けますよね。
国家・国民安寧の土台となる食
その中心的位置づけとして、象徴として「稲」が設定されていて、そうした伝統を、新嘗祭、大嘗祭は引き継いでいる訳です。
ちなみに、、、
「大嘗祭」または「大嘗」という言葉は、日本神話では出てきません。
神話に「代替わり」なんて無いので、大嘗祭のベースとなる「新嘗」に関わる神話がメイン、なので、まずは新嘗祭に関連する日本神話をチェックいただき、そのうえで大嘗祭の起源神話をチェック。
まずは、新嘗祭。
- 五穀、特に稲の起源(そもそも論)
- 稲が地上世界にもたらされた経緯
それぞれの「神話的出どころ、根拠」はコチラで↓
必読:新嘗祭とは?五穀豊穣を感謝し神と共食する「新嘗祭」。その起源は日本神話にあり!
そして、大嘗祭の起源とされる神話についてですが、
むしろ、天皇が天照大神や天神をお祭りするようになった経緯、という方が正確で。
大嘗祭も祭祀であり、天照大神や天神をお祭りすることには変わりないので、ココでご紹介。
それが、
日本の建国神話である「神武東征神話」。
必読:神武東征神話を丸ごと解説!ルートと地図でたどる日本最古の英雄譚。シリーズ形式で分かりやすくまとめ!
この壮大な神話の最後の箇所、
東征を果たし、日本を建国、初代天皇として即位したところで、神武天皇がこれまでのことを振り返って総括するシーンがあります。
そこで東征の途上でいただいた神助(天照の救援、天神の支援)に対する孝行を宣言し実行します。
四年春月の二十二日、(天皇は)勅して仰せられた。「我が皇祖の御霊が天から降りご覧になって、我が身を照らし助けてくださった。今、すでに諸々の賊を平定し、天下は何事もなく統治されている。そこで天神を郊祀って、大孝の志を申しあげよう。」そこで、斎場(靈畤)を鳥見山に設けて、その地を名付けて上小野の榛原・下小野の榛原といい、もって皇祖である天神を祭られた。 (『日本書紀』巻三〔神代紀〕より一部抜粋)
日本神話版御恩と奉公。。。
「我が皇祖の御霊が天から降りご覧になって、我が身を照らし助けてくださった。」とは、東征過程でのこれら神助たち。
天神そのものではありませんが、こちらも天の支援ということで。
日本の建国は、神武天皇というリーダー一人のチカラで成し遂げられた訳じゃない。そこには、優秀な部下の貢献や、天照や天神の支援があって。皆様の貢献や支援をいただいてようやく建国を果たすことができました。ありがとう。
で、
「そこで天神を郊祀って、大孝の志を申しあげよう。」(天神を郊祀し、用ちて大孝を申すべし。(原文:可以郊祀天神、用申大孝者也。)とは、
「郊祀=郊外で天を祭る儀礼」による「大孝(最大の孝行)」の実践。
具体的には、
靈畤を鳥見山に立てて天神を祭る
というもの。
靈畤とは、斎場のこと。鳥見山に、お祭り用の祭壇を立て皇祖である天神を祀った。
コレが大嘗祭の起源とされてます。実際、奈良県桜井市には「鳥見山」があり「等彌神社」があり、そのことが謳われてる。
必読:等彌(とみ)神社|大嘗祭発祥の地!鳥見山霊畤を背後に鎮座する等彌神社は日本神話的超絶パワースポット!
ポイントは、この祭祀が
「恩」に対する「孝」としてお祭りした
という事。「孝」とは親孝行の「孝」。
これはまさに、
「即位した天皇のありかた」を物語っている
て事であって。
神武天皇が即位し孝を実践したように、即位にあたっては新嘗、あらため大嘗の場で、五穀豊穣、国民国家の安寧とあわせて、皇祖である天神へのお祭りを実践する、という形。
天皇が祭祀を継承している根拠がココにあり。
激しく重要事項であります。
ということで、
大嘗祭に関する、文献的に追いかけられる神話関連のお話は以上です。
簡単にまとめておくと、
- 天上世界で確立した、植え→育て→実り→お祭りする、というサイクルをもとに、地上世界でも同じ事を行っている。何なら、宮中では今も受け継がれていて、天皇自ら田んぼを営んでいる。
- 地上世界にもたらされた稲は、元を辿れば天照大神の「斎庭の穂」に由来。神聖な稲、人民の食となり、人民を活かす食べ物。
- こうした「稲」への格別な想いや信仰は、日本の美称である「豊葦原千五百秋瑞穂之地」や「秋津洲」といった言葉に表れている。
- 大嘗祭での祭祀、もっと言うと、天皇が祭祀を行う理由は、建国の過程における「神助(恩)」に対する「孝」の実践として。以後現代まで継承されている超重要事項であります。
以上の4点、是非チェックされてください。
最後に、おまけとして、、、って、まだあるの?これで最後だから!
③天皇の宮中祭祀に関連する日本神話
御代替わり儀礼でちょいちょい登場する「宮中三殿」という言葉。節目節目で、天皇皇后は「宮中三殿」への奉告や祭祀を欠かしません。
これ、なんで?
というお話。これもまた、日本神話に根拠あり!
まず、宮中三殿って何?
てところを簡単に。
「宮中三殿」とは、皇居にある、「賢所」「皇霊殿」「神殿」の3つの殿舎の総称。現在は、吹上御苑の東南にあります。
賢所:皇祖神「天照大神」を祀る殿舎。天照の御霊代である神鏡が奉斎されてます。(八咫鏡の複製、実物は伊勢神宮の内宮に)
皇霊殿:歴代天皇および皇族の霊を祀る。明治以降に創建されたもの。
神殿:天神地祇を祀る。こちらも明治以降のお話。
で、
日本神話的に直接つながるのは「賢所」。天照の御霊代である神鏡を祀ってる点。
コレ、天照大神の神勅によるものだったりします。これまた天孫降臨伝承から。
この時、天照大神は御手に宝鏡を持ち、それを天忍穂耳尊に授けて祝福して、「我が御子よ、この宝鏡をご覧になることは、私を見るのと同じに考えよ。この鏡と床とを同じくし、殿を同じくして、お祭り申し上げる鏡とせよ」と仰せられた。 (『日本書紀』神代下第九段・一書第二)
※実際は、このあと天から降臨するときになって、忍穂耳尊の子、火瓊瓊杵尊が生まれます。これにより、忍穂耳尊に代わって火瓊瓊杵尊が降臨する展開に。
コレ、神話界隈では有名な
「天照大神による宝鏡授与および同床斎祀の神勅」と呼ばれるものです。
要は、
降臨するに際して、天照大神が直々に勅を下し、宝鏡を授けて、この鏡を見るときには私(天照)を視るようにせよ、そして、寝る場所、住む場所を同じにして、いつもお祭りせよと。仰った訳です。
これを根拠として、現代では賢所で、天照の御霊代である神鏡を奉斎しているという次第。
あわせてチェックされてください。
ということで、御代替わりにおける日本神話との関連でした。
改めて、神話から続く歴史と伝統を今に引き継いでいる日本ってスゴイ。ホント。奥ゆかしさ度合がヤバい。。
最後の最後に、これまでの内容を総括。
御代替わりにおける、日本神話との関連とその意義について。
一言で言うと、
即位と神話は相即不離。即位なくして神話なし、神話なくして即位なし。
って感じです。
御代替わりに伴う一連の諸儀礼、行事は日本神話を根拠とします。天照大神を中心とする神話、ならびにその事蹟に関連づけ、その位に即く者(皇太子、後嗣)を天照大神をはじめ神神やその世界につなげ、神聖化、権威化、正統化をはかった。
単なる歴史書としてではなく、神話は即位を根拠づけ、その由縁、起源伝承として成り立ちます。そういう側面があるってこと。
この世界の統治者(葦原中国の主、王)を誕生させるものがたり、そこに、即位儀礼が神話に要請したつながりの本質があるんですね。
ただ、、個人的には、そういったことに対して政治的にどうのというより、古代日本人の構想力とか想像性の豊かさ、みたいなところに光をあて、そこから学びをいただくのがいいと思います。
まとめ
「御代替わり」とは、天皇の代が替わること。
天皇が、日本という国や、国の統治者としての地位を受け継ぎ、その天皇としての地位にある期間のことを「代」といい、その「代」が替わる、から「御代替わり」。
もう少しかみ砕いて言うと、
受け継いできた天皇としての地位を、その時間を、次の天皇へ渡してつないでいくこと。
今でこそ、
皇位を継承するための「儀式」みたいなイメージがありますが、
その一番重要なテーマは
「正統性」と「継承」にあり。
皇位に相応しい人に渡してつないでいく。
天皇家の場合、それを日本神話から、つまり、神の時代の出来事とつなげ、組み立てることで、誰もが納得するような仕組みを創り上げてきた経緯あり。コレ、世界オンリーワン。圧倒的。
背景としては、天皇中心の国家体制づくりがあって、
儀礼の原型づくりと合わせて、律令(法律)の中にも根拠が埋め込まれ、さらに歴史書の中にも神話としての埋め込みがされていった経緯あり。
即位儀礼、律令整備、歴史書編纂
この3つのプロジェクトを関連させながら、国の仕組みとして形づくっていった訳です。
古代日本人の構想力とか想像性の豊かさが、ほんとスゴい。
実際、継承するためには、いろんな事が必要になってくる訳で。
私たちも、例えば、家を受け継ぐ、といった場合には、
- 受け継ぐ正統性を示さないといけません、
- 受け継ぐモノを特定しないといけません、
- 受け継ぐ背景や歴史、理由を明確にしないといけません、
などなど、、
実は、自分たちにも身近な話でもあって、
天皇家では、国とつながってるので大事になってますが、そもそもは、家とか、家督とか、そういったものをどうやって継承していくか、という話で。
日本という国ではこうしてるけど、自分たちはこうしてる、といった感じで自分に引きつけて考えてみると、「御代替わり」という壮大な継承儀式が身近に感じられると思います。
参考文献
訓讀註釋儀式践祚大嘗祭儀(皇學館大学神道研究所編、思文閣出版)、日本古代即位儀礼史の研究(加茂正典、思文閣出版)、大嘗祭の研究(皇學館大学神道研究所編、皇學館大学出版部)、大禮と朝儀 付有職故実に関する講話(出雲路通次郎、臨川書店)、日本の祭祀(祭祀学会編、星野輝興先生遺著刊行会)、平安朝儀式書成立史の研究(所功、国書刊行会)、復刻版 卽位禮と大嘗祭(三浦周行、神社新報社)、律令制祭祀論考(菊地康明編、塙書房)、古代祭祀の史的研究(岡田精司、塙書房)、古代伝承と宮廷祭祀(松前健、塙書房)、続大嘗祭の研究(皇學館大学神道研究所編、皇學館大学出版部)、古事記研究(大嘗祭の構造)(西郷信綱、未来社)、記紀神話と王権の祭り(水林彪、岩波書店)
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
日本神話編纂の現場!奈良にカマン!
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