神武東征神話をもとに、神武天皇が進軍した「東征ルート」を辿り、文献をもとに検証してみる企画。
今回は、
「神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑」
です。
コチラ、大阪府東大阪市の生駒山にあります。リアル山中。
東征神話において、神武天皇が「最初の挫折を経験する」という、非常に重要な場所。激しくチェック。
今回は、実際に行ってみた一部始終を現場からリアルにご報告です。
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑|生駒山の奥深くにありすぎて坂どころではなかったので「無理認定」とさせていただいた件
目次
孔舎衛坂が持つ神話的背景
本企画は、どこまでもアツく奥ゆかしい日本の建国神話「神武東征神話」をもとに、「それってホントにあったの?」「ウソでしょ!?」「実際どこよ?」的な興味と疑問にお答えするシリーズ。
顕彰碑って何ソレ?という方は、まずはコチラをチェック。
日本建国神話の舞台ですから、超パワースポットであります。その地が選ばれたのはどっかに理由があるからで、それらの謎とかを神話ロマンと合わせて探っていこうという、これまた激しく奥ゆかしい取組みであります。
まずは、「神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑」にまつわる日本神話をチェック。
で、要は、神武東征神話の大和入りにおいて、最初の戦闘が生駒山西側の「孔舎衛坂」で行われた、ということ。
これは、大和最大・最強の敵「長髄彦」との戦いで、初戦にして敗退したお話であり、神武紀では「孔舎衛坂で激戦となった」と伝えてます。
この戦いで、彦火火出見のお兄さん「五瀬命」が流れ矢にあたって、肘・脛に重傷を負います。そしてこの傷がもとで死んでしまうのです。
東征神話において「最初の挫折を経験する」非常に重要な場所。
くどいようですがホントに重要です。
この敗戦をきっかけとして、神武は紀伊半島を大きく迂回するルートを余儀なくされますし、
長兄の死から、その報復という「建国とは別の目的」が東征に追加されるのです。
孔舍衛坂顕彰碑へのルート
孔舍衛坂顕彰碑が建つ場所は、大阪府東大阪市の生駒山の中。リアル山中です。
大龍禅寺不動院から生駒山奥へ向かう細い道があるので、それを登っていきます。
まずは、大龍禅寺不動院を目指しましょう。
▲コチラ、大龍禅寺不動院。黄檗宗の寺院で、本尊は十一面観音。河内西国霊場の第28番札所です。
▲もうこの辺から細くて急な坂道。ホントにこんなところを大軍が?
車を停められるような場所はありますが、1~2台がやっと。どうしろと?
▲さらに先に進むと、立札があります。
▲おおおおおおおお!「神武天皇顕彰碑」って書いてある!!!コレは期待が膨らみます!!
▲Σ(゚Д゚;)マジカッ!!皆さまも、いのしし出没にはご注意を!
▲ここから本格的な山道です。。。道、あるの分かります?
▲???この人工物は??
▲滝らしきものあり。構わずどんどん進みましょう。
▲うわー、、、ナニこの鬱蒼感、、、一人しか通れない!大軍無理!!
▲笹が生い茂りすぎ!戦闘無理!!弓矢無理!!
って、、ツッコミどころ満載です。。。汗
登ること15分くらい。ようやく標識が登場。
さらに、、、
▲この立札重要!しっかりチェック!!!
ここから左へ入る道がありますので間違えないように。
私は間違えて、どんどん先に行ってしまいましたよ。。。涙
さらに登っていくと、、、
▲さきほどよりは少し開けた感じが???
▲お!また標識あり!!コレは希望だな、、、コレが無いと不安でしょうがない、、、汗
さらに登ると、、、
いよいよ。。。
からの、、、
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
こちらが「神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑」@山の中すぎる!!!!
登山道の入口から約20分程度。。。ようやっとたどり着きました。。。
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑の様子
「神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑」、まずは裏側の刻文字をチェック。
神武天皇戊午年四月皇軍ヲ率ヰ膽駒山ヲ踰エテ中洲ニ入ラントシ給ヒ孔舎衛坂ニ長髄彦ノ軍ト御會戦遊バサレタリ聖蹟ハ此ノ坂路ノ邉ナリト傳ヘラル
ということで。
「皇軍ヲ率ヰ膽駒山ヲ踰エテ中洲ニ入ラントシ給ヒ」とあり、まさにコレが『日本書紀』巻三(神武紀)で伝える「改めて東へ胆駒山を越えて中洲に入ろうとした。」ってやつ。
さらに「長髄彦ノ軍ト御會戦遊バサレタリ」ってのが、「その時、長髄彦がこれを聞きつけ、「天神子等がこの大和に来る理由は、我が国を奪おうとするためだろう」と言い、配下の兵をことごとく起こし、孔舎衛坂で遮り激しい戦闘となった。」ってやつですね。
詳しくはコチラでチェック!
ところで、、、
こんな説明版が立ってるんですが、、、
▲大阪市教育委員会の皆様、漢字が間違えております。『日本書記』ではなく『日本書紀』。
「紀」ですよ「紀」。よろしくお願い申し上げます。
周囲は木々に囲まれたちょっとした広場的な所。。。。だったはず。
なんだこれ?このうっそうと生い茂る感。。。
この碑を建てるために、切り拓いたのでしょう。もとは山。
このような所で、激戦が繰り広げられた。。。
と????
とてもじゃないが信じられへん。。。
さて、
近くに、神武のお兄さん「五瀬命」負傷した場所なるものがあるそうなので、行ってみました。
こちらも山道。
進むこと5分くらい。
って、、、
なぜゆえ、、こんな離れた?
イメージ的には、五瀬命だって神武と一緒に行動していたはずで、もし本当に顕彰碑が激戦の地ならその近くで負傷したと思うのですが。。。謎
五瀬命は流れ矢に当たって負傷しました。という事は、弓矢を飛ばす空間があったと考えるのが普通だと思いますが、周囲はうっそうとした山の中。
どう考えても、ここで弓矢で攻撃し合ったとは思えず。。。
もしくは、本当に矢にあたったとして、肘脛にあたるということは、結構至近距離からやられたということ?もしくは、ほんとうに偶然に木々の間を飛んできた矢にあたった?それならそれで相当な確率。運悪すぎ。
勝手に認定結果
と、いうことで、、、
とにかく謎だらけ。
てか、不自然すぎるのが率直な感想。。。
不自然な理由は以下3つ。
・ここ「狭すぎ」
孔舎衛坂の前に、龍田を目指したものの狭くて引き返した経緯あり。神武一行は大軍であり、進軍するには相応の道の広さが必要。山道は1人がやっと通れるくらいの広さしかなかった。周囲も同じ。
・ここ「山の中すぎ」
孔舎衛「坂」で戦闘になった訳です。ですが、ここはもはや「坂」ではなく「山」。山の中で戦闘を行うのは無理がある。
・ここ「弓矢使えない」
神武の兄「五瀬命」が流れ矢に当たって負傷したと伝えていますが、ここは木々が所狭しと生えまくっていて、弓矢とか使うの無理がある。本当に流れ矢に当たったとしたそれはそれで敵に近寄られ過ぎか、運の悪い人。そんな兄さんイヤダ。
以上から、
「聖蹟調査委員会」の皆様には大変申し訳ございませんが、
この地は、
と、させていただきます。ご確認の程何卒よろしくお願い申し上げます。
以下、勝手な推測ですが、現在の地名に引きずられてしまったのかなと思います。
『日本書紀』では確かに「孔舎衛坂で激戦になった」と伝えています。
「孔舎衛=くさえ」ということで、確かに山のふもと一帯には「日下=くさか」といった地名がありますし、「孔舎衛小学校=くさかしょうがっこう」という学校もあります。
現在に残る地名から割り出していくと、その近くの生駒越えルートは今回辿った道になるのですが、、、それにしても地形が合わなさすぎです。
本件、
是非、本エントリをお読みの皆さんもご自身で調べてみていただければと思います。コチラもご参考にされてください。
一方で、この生駒越えルートはそれはそれでトレッキングコースとして良い感じです。
所要時間も20~30分で聖蹟に辿りつけますし、途中の分岐点でまっすぐ行けば生駒山山頂へ、または山頂手前にある関西電力鉄塔へ至ることもできます。ここからの見晴らしは確かに素晴らしかったです。
神話のロマンを感じながら、孔舎衛坂激戦の場所を探るハイキング。健康にも頭脳的にも良いことだらけ。おススメです。
水を持参していくのをお忘れなく。あと、トイレも事前に済ませておきましょう。私さるたひこは、何も持たずに行ったのでひどい目に遭いました。。。
まとめ
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑
孔舍衛坂顕彰碑が建つ場所は、大阪府東大阪市の生駒山の中。リアル山中。大龍禅寺不動院から生駒山奥へ向かう細い道があるので、それを登っていきます。20分くらい。道に迷わないように要注意。
結論、この地で戦闘は無理認定。理由は、文献と地形が合わないから。狭すぎ、山すぎ、弓使えないの3セット。東征一行は大軍であり、大和最大の敵との戦闘なわけで十分な広さが必要です。
一方で、トレッキングまたはハイキングコースとしては一考の余地あり。神話が伝える事と実際の地形を照らし合わせながら場所を探ることは神話ロマンと相まってなかなかオモシロい体験です。
行かれた方、是非教えてくださいね。ご意見お待ちしております。
場所:大龍禅寺不動院を越えて細い山道を入っていった先
くれぐれも、水と食糧、それなりの靴をご準備ください。
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先日生駒縦走路から間違えてここへ向かって足を踏み入れました、途中で間違いだと気付き引返しましたが、こういう言われがあったんですね。有難うございました。
>K,宮井 様
記事をお読みいただきありがとうございます。縦走されたんですね、あの山道を。。。流石です。唐突に立っているので謎でしかありませんが、実はこんな言われがあったんです。これも何かの御縁かと思いますので、神武東征神話、是非チェックされてください。今後ともよろしくお願い申しあげます。