武甕槌神とは?国譲りを迫り葦原中国を平定したものスゴイ神。日本神話をもとに武甕槌神を分かりやすく解説します。
遂に、帯びていた十握剣を抜き、軻遇突智を三段に斬った。それぞれ化してその各部分が神と成った。また剣の刃から滴る血は、天安河辺にある五百箇磐石と成った。これが経津主神の祖である。また、剣の鐔から滴る血がほとばしって神と成った。名付けて甕速日神と言う。次に熯速日神。その甕速日神は武甕槌神の祖である。(または、甕速日命、次に熯速日命、次に武甕槌神と言う。)
『日本書紀』第九段 現代語訳
〔本伝〕
經津主神と武甕槌神の二神は、出雲國の五十田狭之小汀に降って来て、十握劒を抜いて逆さに大地に突き立てると、その剣の切っ先にあぐらをかいて座り、大己貴神に問うて「高皇産霊尊が皇孫を降らせ、この国に君臨させようと思っている。そこで、まず我ら二神を遣わし、邪神を駆除い平定させることとなった。あなたの考えはどうだ、国を譲るか否か。」と言った。すると大己貴神は「我が子に尋ね、その後で返事をしましょう。」と答えた。この時、その子の事代主神は、出雲國の三穂之碕にいて魚釣りを楽しんでいた。――あるいは、鳥の狩りをしていたとも言う。
そこで、熊野諸手船<またの名は天鴿船>に、使者の稲背脛を乗せて遣わした。そうして高皇産霊尊の勅を事代主神に伝え、その返事を尋ねた。そのとき、事代主神は使者に、「今、天神の御下問の勅がありました。我が父はお譲りするでしょう。私もまたそれと異なることはありません。」と言った。そこで、海中に幾重もの蒼柴籬を造り、船の舳先を踏み傾けて退去した。使者はそういう次第で、戻ってこのことを報告すると、大己貴神は我が子の言葉をもって二柱の神に、「私が頼りにしていた子もすでに国を譲りました。そこで、私もまたお譲りしましょう。もし私が抵抗すれば、国内の諸神もきっと同じように抵抗するでしょう。今私がお譲りすれば、誰ひとりとして従わない者はいないでしょう。」と申し上げた。そして大己貴神は、かつてこの国を平定した時に用いた広矛を二神に授け、「私はこの矛で、国の平定という功を成し遂げました。天孫がもしこの矛を用いて国を治めたならば、きっと天下は平安になるでしょう。今から私は、百足らず八十隈に隠れましょう。」と言って、言い終わるやとうとう隠れてしまった。
そして、二柱の神は帰順しない諸々の邪神たちを誅伐し、<一説には、二神はついに邪神や物を言う不気味な草・木・石の類を誅伐して、すっかり平定し終えた。唯一、従わない神は星神香香背男だけであった。そこで倭文神である建葉槌命を遣わして服従させた。そして二神は天に昇ったと言う>、ついに報告に戻った。
〔一書1〕
そこで天照大神はまた武甕槌神と經津主神とを遣わして、まずそこへ行き悪神どもを駆除させた。そのとき、二柱の神は出雲に降り着き、さっそく大己貴神に「汝はこの国を天神に献上するかどうか。」と尋ねた。すると、「我が子の事代主が鳥猟に行って、三津之碕にいます。今、それに尋ねて返事をしましょう。」と答えた。そこで使者を遣わして訪問させた。すると、「天神の望まれるところであれば、どうして奉らないことがありましょう。」と答えた。そこで大己貴神はその子の言葉どおりに二柱の神に報告した。二神は天に昇って復命をして、「葦原中國はみなすっかり平定しました。」と報告した。そこで、天照大神は勅を下して「もしそうであれば、今まさに我が子を降臨させよう。」と言った。
〔一書2〕
ある言い伝えには、天神は經津主神と武甕槌神とを遣わして葦原中國を平定させた。その時、二柱の神は、「天に悪神がいます。名を天津甕星、またの名を天香香背男と言います。どうかまずこの神を誅して、その後に降って葦原中國を平定しましょう。」と言った。この時、天津甕星を誅するための斎主の神がおり、この神を斎之大人と言う。この神は今、東國の楫取の地に鎮座している。
そうして二柱の神は出雲の五十田狭之小汀に天降ってきて、大己貴神に「おまえはこの国を天神に献上するかどうか。」と尋ねた。すると、「あなた方、二柱の神は、本当に私のもとに来られたのではないように思われる。だから、申し出を許すことはできない。」と答えた。そこで經津主神は天に還り昇って報告した。
その時、高皇産霊尊は二神を出雲に戻し遣わして、大己貴神に勅して、「今お前が言うことを聞くと、深く通にかなっている。そこで、さらに条件を提示しよう。あなたが治めている現世の仕事は、我らの子孫が治めよう。あなた改めて一つ一つについて勅をしよう。そもそも、お前が治めている現世の政事は、我が皇孫が治めるのだ。お前は、幽界の神事をつかさどれ。また、おまえが住む天日隅宮は、今、造営してやろう。千尋もある長い𣑥縄で、しっかり結んで百八十結びに造り、その宮を建てるのに、柱は高く太く、板は広く厚くしよう。また、御料田を提供しよう。また、おまえが往来して海で遊ぶ備えのために、高い橋や浮橋、天鳥船も造ろう。また、天安河にも打橋を造ろう。また、繰り返し縫い合わせたじょうぶな白楯を造ろう。まら、お前の祭祀をつかさどる者は、天穂日命である。」と伝えた。そこで大己貴神は、「天神の申し出は、かくも懇切である。どうして勅命に従わないことがありましょうか。私が治めている現世の政事のことは、今後は皇孫が治めさてください。私は退いて神事を司りましょう。」と答えた。そうして岐神を二柱の神に推薦して、「この神が、私に代わって皇孫にお仕えするでしょう。私はここで退きましょう」と言って、瑞之八坂瓊を身につけて永久に隠れた。
そこで經津主神は岐神を国の先導役とし、周囲を巡りながら平定していった。反抗する者がいれば斬り殺し、帰順する者には褒美を与えた。この時に帰順した実力者が大物主神と事代主神である。そして八十萬神を天高市に集め、これらを率いて天に昇り、その柔順に至ったことを示した。
この時、神が毒気を吐き、この毒気により将兵はみな病み倒れてしまった。このため、軍は奮い立つことができなくなってしまった。
丁度そのころ、その地に熊野の「高倉下」 という名の者がいた。その夜、夢を見た。
(夢のなかで)「天照大神」は「武甕雷神」に伝えた。『いったい葦原中國は、まだ騒然として、うめき苦しむ声が聞こえてくる。(聞喧擾之響焉はここでは「さやげりなり」という)。武甕雷神よ、お前がまたかの国へ行き、征伐しなさい。』。すると武甕雷神は答えて、『私が行かずとも、私が国を平定した剣を下せば、国はおのずと平安をとりもどすでしょう。』と申し上げたところ、天照大神は、『よろしい。』と承諾した。(諾はここでは「うべなり」という)。そこで武甕雷神は、さっそく高倉下に伝えた。『私の剣は「韴靈」という。(韴靈はここでは「ふつのみたま」という)。今、これをお前の倉に置こう。これを取って天孫に献じるがよい。』。高倉下は「承知しました」と申し上げた。
そこで夢から醒めた。
その明け方、高倉下は夢に見た教えに従って「倉」をあけてみると、果たして天から落ちてきた剣が、倉の底板に逆さまに突き立っていた。
高倉下はさっそくこの剣を取って、彦火火出見に奉った。その時、彦火火出見は眠り臥していたが、たちまちに意識を取り戻し、「私はどうしてこんなに長く眠っていたのか。」と言った。続いて、毒気にあたっていた兵士たちもみな意識を取り戻し、目を覚まして起き上がった。
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