保食神とは?食物の神!月夜見尊に打ち殺されたことで五穀や牛馬が誕生。日本神話をもとに保食神を分かりやすく解説します。
こうしてすでに天照大神は天上にあり、月夜見尊に対して「葦原中国に保食神がいると聞く。月夜見尊よ、そこに行き様子をうかがってきなさい。」と言った。
月夜見尊がその勅命を受けて降り、保食神のもとに到ると、保食神はさっそく首を巡めぐらし、国に向かえば口から飯を出し、また海に向かえば大小さまざまな魚を口から出し、また山に向かえば大小さまざま獣を口から出した。それらのありとあらゆる品物を備え、数え切れないほどたくさんの机に積み上げて饗応した。この時、月夜見尊は怒りをあらわにして、「なんと汚らわしい、卑しい。口から吐いた物なんかを、敢えて私に喰わせてよいはずはないだろう。」と言い、剣を抜いて打ち殺した。
そうして後に復命して詳しくこの事を報告した。この時、天照大神は激怒し、「汝は悪い神だ。もう顔など見たくもない。」と言った。こうして、天照大神は月夜見尊と、日と夜と時を隔てて住んだ。
この後に、天照大神は天熊人を遣わし、往って様子を看させた。この時、保食神は実際すでに死んでいた。ただ、その神の頭頂部は化して牛馬と成り、額の上に粟が、眉の上に蚕が、眼の中に稗が、腹の中に稲が、陰には麦と大豆、小豆が生じていた。天熊人はそれを全て取って持ち去り、天照大神に奉った。
時に天照大神は喜び、「この物は、この世に生を営む人民が食べて活きるべきものである。」と言って、粟・稗・麦・豆を陸田(畑)の種とし、稲を水田の種とした。またこれにより天邑君(村長)を定めた。そこでさっそくその稲の種を、天狭田と長田に始めて植えた。その秋には、垂れた稲穂が握り拳八つほどの長さにたわむほどの豊作であり、たいへん快よい。また、口の中に蚕を含み、糸を抽き出すことができた。これをとり始めて養蚕の道が拓けたのである。
保食神、ここでは「うけもちのかみ」と言う。顕見蒼生、ここでは「うつしきあをひとくさ」と言う。
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