出雲大社は、島根県出雲市にある神社。
ココ、「神々の国、出雲」を代表する神社で、日本神話的にも「顕界・幽界の統治」といったテーマを持つ非常に重要なスポットでもあります。
出雲大社の神殿は、古代においては想像を絶する威容を誇っていたと伝えられ、神話ロマンをこれでもかとかきたててくれます。
今回は、そんな日本神話的背景を含めて出雲大社の見どころを全部まとめてご紹介です!
出雲大社|幽界(神事)を司る大国主を祀る!幽世統治の超絶パワースポット出雲大社をまとめてご紹介!
目次
出雲大社の日本神話的背景
まずは、当サイトならではの、出雲大社に関連する日本神話からご紹介。
有名な「国譲り神話」から。
国譲り神話は、『日本書紀』巻第一(神代紀)第九段で伝えてます。『日本書紀』では、大国主は「大己貴神」という神名。
国造りをした「大己貴神(=大国主命)」に対して、高天原側が国を譲れと迫ります(国譲り)。
高天原側は、皇孫を降臨させ葦原中国の統治者としたい思惑があって、、
その交渉ロジックは、
- 「大己貴神」が国造りにより治めていた「国」あるいは「顕露の事(目に見える世界)」を、皇孫(高天原系)の統治とする。
- 一方で、その見返りとして「大己貴神」には「神事(幽冥の世界)」を治めることとする。
つまり、分治提案であります。
天孫が「この世界」を統治するから、「大己貴神」は「神事(幽界)」を統治してくれと。さらに、立派な宮もつけるから、なんとか国を譲ってくれないかと。
要は、分治提案の他に、優遇策として提示されたのが「天日隅宮」ということで。これが「出雲大社」の創建経緯になってるのです。
そこで、高皇産霊尊は二神(經津主神と武甕槌神)を再び遣わして、大己貴神に「(中略)そこで、さらに条件を提示しよう。あなたが治めている現世の事は、我らの子孫が治めよう。あなたは神事をお治めなさい。また、あなたが住む天日隅宮を今からお造りし、長い楮の縄を用い、多くの結び目でしっかりと結ぼう。その宮を造るのに、柱は高く太くし、板は広く厚くしよう。また、田をお供えよう。また、あなたが海に通って釣りをする場合に備えて、高い橋や浮橋、天鳥船をお造りしよう。また、天安河に掛け橋を造ろう。また、多くの皮を縫いつけた白い楯をお造りしよう。また、あなたの祭祀を天穂日命に掌らせよう」と言葉を伝えた。 (『日本書紀』神代紀 第九段〔一書2〕より一部抜粋)
と、
「大己貴神(大国主)」に対して破格の条件を提示していますよね。宮殿だけじゃなくて、田んぼも、橋も船も、そしてお祭りも!
で、ここで登場した「天日隅宮」が、出雲大社とされてる次第。
ポイントは、
その規模、スケール感!
「その宮を造るのに、高く太く、板は広く厚く」ということで、一説には、出雲大社本殿の高さは、太古は32丈(約100m)、中古は16丈(約50m)、近古は8丈(約25m)という言い伝えもあり。。
太古の建築技術で100mもの高さをもつ構造物は作れるはずがない!
、、と言う事だったんですが、
なんと2000年に、本殿八足門前の境内遺跡から当時のものとされる「宇豆柱」が発見されています。
▲こちら、出雲大社隣の「島根県立古代出雲歴史博物館」で展示されている「宇豆柱」。
直径3mの巨大な柱で、これがまさに、神話でいう「柱は高く大し。」と思われます。。
ここから
当時の神殿(出雲大社)を復元したのが、同じく博物館に展示されております。
▲太古の出雲大社復元イメージ。あくまで案の一つではありますが、古代ロマンをこれでもかとかきたててくれますよね。
▲太古の人々はこんな視界を見ていたのでしょうか。どこまでも広がる古代ロマン、サイコーです!
ま、
いずれにしても、
こうした巨大な建造物が必要だった「理由」が大事で、
国を譲ってもらうためには、それくらい大きな交換条件が必要だった
ということでチェック。
実際、大己貴神は、「天神の申し出はこんなにも行き届いている。あえて命令に従わないこともあるまい。私が治めている現世の仕事は皇孫に治めさせよう。私は退いて神事を治めよう(『日本書紀』第九段〔一書2〕」と返事をしてこの世界から退去しています。
コレにより、、大己貴神は神事=幽冥界を司る大神として位置づけられ、その神威は顕界の最高神「天照大神」に負けず劣らずな感じになっていきます。これはこれで、一時論争に発展したほどです。
出雲大社参拝の際には、まずはこうした日本神話経緯の理解が必須です。
出雲大社の概要
続けて、実際の現場をご紹介。
まずは、出雲大社の概要を。
コチラ。
社名 | 出雲大社(旧:杵築大社。神代:天日隅宮) |
住所 | 島根県出雲市大社町杵築東195 |
創建年 | 神代(国譲り神話による) |
御祭神 | 大己貴命(大国主大神)、他、ゆかりのある神様多数 |
社殿 | 御本殿、拝殿、大神大后神社(御向社)、境内摂末社【神魂伊能知比売神社(天前社)、神魂御子神社(筑紫社)、素鵞社、氏社(北・南)、門神社(東・西)、釜社、十九社(東・西)、祓社、野見宿禰神社】他11の境外摂末社、神祜殿(宝物殿)、神楽殿、彰古館、国造館、等 |
祭典 | 1月:大御饌祭、御飯供祭、福迎祭 2月:祈穀祭 5月:出雲大社大祭礼 6月:夏越大祓 8月:出雲大社教大祭 11月:神迎神事・神迎祭、神在祭、神等去出祭、献穀祭(23日) 12月:御饌井祭、歳末大祓(31日) |
見どころ | ・国譲り神話に由来する神話的・歴史的壮大さ、スケール感 ・八雲山を背後に建つ御本殿の荘厳さ、美しさ ・御本殿前の地面には、発掘された巨大な柱の図アリ。古代ロマンをビリビリ感じるスポット。 ・大己貴命(大国主大神)に関係のあった女神が全てお祭りされてる懐の広さ? ・御本殿裏手には、父神である素戔嗚尊。稲佐の浜から砂を持ってくるとイイことあるかも? ・11月の神在祭には全国から神々が集まる聖地、稲佐の浜で神迎え、神宿泊用の十九社 ・神楽殿のしめ縄の巨大さにビックリ(;゚Д゚)! ・隣には、島根県立古代出雲歴史博物館。出雲大社の歴史とか背景をチェック。 |
アクセス | JR出雲市駅から一畑バス[出雲大社・日御碕・宇竜行き]で約25分 |
開門時間 | 6:00~20:00 ※16:30より警備の都合で十九社から北側へは立ち入り禁止 |
駐車場 | あり。無料。300台以上 |
電話番号 | 0853-53-3100 |
HP等 | 出雲大社HP |
地図
やはりポイントは、
国譲り神話に由来する、神話的・歴史的壮大さ、スケール感
コレ、当社ならではの鉄板コンテンツ。巨大な「天日隅宮」を堪能あれ!
ということで、続けて出雲大社の現場をご紹介!
出雲大社への道
出雲大社は、島根県出雲市大社町にあります。
この町全体が、出雲大社を中心に展開してると言っても過言ではなく、、出雲大社の周辺には関連する神社の他、たくさんのお店が軒を連ねます。
車でお越しの場合は、山陰道出雲ICよりR431を出雲大社方面へ。車で20分ほど。出雲大社そばに駐車場あり。
出雲大社へ電車でお越しの場合は、一畑電車大社線の「出雲大社前駅」下車、徒歩5分ほど。こちら、1時間に1 ~2本の間隔で運転中。
近くには旧出雲大社駅もあり!お時間があれば、ロマンを感じに是非!
まずは、
最初の鳥居から。
宇迦橋の大鳥居
▲宇迦橋のたもとに立つ巨大鳥居。高さは出雲大社の本殿より1m低い23m。
直径2mの鉄筋コンクリートの鳥居で、鳥居上、中央の額は畳6畳敷きの大きさ。この辺からして巨大であります。流石、出雲大社。
鳥居を抜けると出雲大社の門前町である「神門通り」が続きます。
まー、たくさんのスーベニアーが! 出雲大社=縁結び系にかこつけて、さまざまな商品展開。で、坂の上にたつ鳥居が、出雲大社の入口「勢溜の大鳥居」。
ということで、境内に入る前に創建経緯をチェック!
出雲大社の創建経緯
改めて、創建経緯は日本神話から。
高天原側と地上(出雲)側の対立構造の中で、
高天原としては、天孫が「この世界」を統治するから、「大己貴神」は「神事(幽界)」を統治してくれと。さらに、立派な宮もつけるから、なんとか国を譲ってくれないかと。
統治領域を分け分けするだけでなく、高天原側が「国譲りの見返り」に提示した優遇策が「出雲大社」ということで。『日本書紀』には「天日隅宮」として記されております。これが出雲大社の創建経緯。
創建は「神代」にあって、そこからずっと続いているという訳で。スゴイですよね。。。
尚、歴史的には、『出雲国風土記』には出雲大社の旧名である「杵築大社」が掲載されてて。大国主のために大勢の神々が集まって宮を杵築いたという地名伝承でもあります。少なくとも8世紀初期ごろには出雲大社の社殿が建てられていたと推定されてます。
なお、一気に時代は下って、
1871年(明治4年)に「出雲大社」に改称。
ちなみに、創建以来、天照大神の子の「天穂日命」を祖とする出雲国造家が、出雲大社の祭祀を担っております。こちらも後ほど。
出雲大社の境内
▲出雲大社の敷地は背後の八雲山とあわせて南北に細長く伸びる形。その広さ約2万7000㎡!野球グラウンド3個分!
出雲大社のポイントは、やはり
スケール感
巨大、破格、威容を誇る、想像を絶する、流石!
このあたりの形容詞が当てはまる感じで。それは日本神話の「国譲り神話」が元だから。そうしないと大国主納得しないから。
国宝の本殿を中心に拝殿の他、摂末社が境内・外にそれぞれ11社、他、文庫、宝庫、彰古館など。いっぱいありすぎ!
まずは出雲大社本殿へ向かいましょう。
勢溜の大鳥居
▲出雲大社の入口である2番目の鳥居「勢溜の大鳥居」。
「勢溜」の由来は、鳥居周辺はその昔、芝居小屋などが建って賑わっていたそうで。人の勢いが溜まるところから「勢溜」という名前に。
参道入口から進むと素敵な松並木が続きます。
▲こちらの参道、全国でも珍しい「下り参道」。「勢溜の大鳥居」が出雲大社のなかで一番高いところで、ここから「気」とかエネルギーがすーっと本殿の方へ向かっていくそうです。
この心地よい気と一緒に進んでいきましょう。
途中右手に「祓社」があります。「祓戸神」4柱が心身の穢れをはらい清めていただけます。
祓社(出雲大社末社)
御祭神:「瀬織津比咩神」「速開都比咩神」「氣吹戸主神」「速佐須良比咩神」
まとめて「祓戸神」。『古事記』『日本書紀』のほか、『延喜式祝詞』等の文献がもと。いずれも「祓い」に関連する神様たち集結。
祓橋
▲「下り参道」の先にあります。先ほどの祓社といい、この祓橋といい、まずは徹底的に穢れを落としましょうと。
松の馬場
▲祓橋を渡ったところ。美しい松の参道が続きます。こちら、「松の馬場」とも呼ばれ「日本の名松100選」に指定。
樹齢数百年の松たち。中央の参道は、かつては皇族や勅使が通行した道で、一般ピープルは両側の道を歩きました。今もそうですが。。。ほんと美しい松並木です。
手水舎
▲松の参道を抜けると、手水舎が。清水で俗界の穢れを落とします。祓社、祓橋、手水舎。これだけ落とせば結構落ちたんではないでしょうか!
- 「勢溜の大鳥居」から全国でも珍しい「下り参道」。「勢溜の大鳥居」から「下り参道」を通じて流れる「気」とかエネルギーにのって本殿へ向かいます。
- 途中右手にある「祓社」で心身の汚れをはらい清め、祓橋、手水舎で徹底的に穢れを祓いましょう。
そして、
手水舎の左右には出雲大社のご祭神「大国主」に関する日本神話を再現した像が!2つあり。
御慈愛の御神像
▲出雲大社本殿向かって左手。『古事記』の「稲羽の素菟」の神話がモチーフ。
って、こ、コレ、どこかで見たことがあるような、、、
って、鳥取県にある白兎神社やん!
▲コチラ、白兎神社入り口にある因幡の白兎のシーン。出雲大社と違って大国主が青年のようです。
神話的には、白兎神社の大国主の方が正解。因幡の白兎のシーンは、大国主が成人するまえの話なので、若くてみずみずしい大国主なわけです。出雲大社のように老けておりません!
ちなみに、像の左手、袋を持っていますが、コレ要チェック。
このなかには、「薬」が入っていたとされてます。このことから、「大穴牟遲神(=大国主神)」は医療の神様としての信仰を集めるようになります。
ムスビの御神像
▲出雲大社本殿に向かって右手。『日本書紀』の「国造り神話」がモチーフ。
コチラの像、ポイントは、写真奥にある金の玉。波の上に乗ってるヤツ。
コレ、実は、「大己貴神(大国主命)」の魂である「幸魂・奇魂」。そう、神の魂であります。
背景には「国造り神話」があって、、、
「大己貴神(大国主命)」は、はじめ、「少彦名命」と協力して国造りをし、数々の困難を克服して天下を経営していたのですが、ある時「少彦名命」は常世国へ消えてしまいます。
参考:常世国とは?海上遥か彼方にある理想郷!日本神話的「常世國」を徹底解説!
一人ぼっちになった「大己貴神(大国主命)」が海で「独り言ちた」ときに現れたのが、この金の玉、「幸魂・奇魂」なんです。
語ると長くなるので、別エントリで詳しく。いずれにしても、この金の玉、改め「幸魂・奇魂」は、「三諸山(三輪山)に住みたい。」ということで、鎮座する宮を造営。
で、実は、これが大神神社だったりします。島根から大和へ。この辺りは壮大な神話ロマンの広がる世界ですね。
参考:大神神社|大国主の魂(幸魂・奇魂)が鎮まる三輪山の神|奈良県桜井市」
- 『古事記』の「稲羽の素菟」の神話では、大国主は「大穴牟遲神」として登場。裸の兎の傷を治したことで美女をゲット。ココから、医療の神様としての信仰を集めるようになります。
- 『日本書紀』の「国造り神話」では、「大己貴神」として登場。自分の「幸魂・奇魂=魂」を三輪山に鎮まらせたことから大神神社創建へつながります。この国造り神話から国土開拓の神としての信仰をあつめます。
出雲大社「荒垣」内社殿
▲こちら荒垣内入口である「銅鳥居」。正面に拝殿が見えます。
この銅鳥居の中が、出雲大社の中心的神殿が立ち並ぶ区画。一番外側にある「荒垣」と呼ばれる垣で囲われています。
図式化すると以下の通り。
▲オレンジの線で表したのが垣根。本殿側から「玉垣」「瑞垣(廻廊)」「荒垣」の三重の垣。出雲大社、なんだか厳重に守られてる感じで。。。
回る順番は以下のイメージ。
▲①銅鳥居から拝殿へ、②八足門で本殿へ参拝、③東十九社で神有月に思いを馳せ、④素鵞社で大国主のお父さん素戔男尊に参拝、⑤で西向きのご祭神へ一礼、⑥の西十九社で再び神在月に思いを馳せて、⑦神楽殿の大縄に度肝を抜かれるコース。
では以下、詳細を。
出雲大社荒垣入ってすぐ左手、神馬と神牛があります。
▲「神牛」は学力向上、「神馬」は子宝・安産の御利益があると言われてます。
出雲大社拝殿
▲室町時代の1519年、戦国武将であった尼子経久によって最初に造営。しかし、時代は下り1953年、正遷宮奉祝での火事により一度焼失。その後、寄付と復興により1959年に完成。結構最近のお話です。
二拝四拍手一拝の作法で拝礼されてください。
▲拝殿の注連縄は、太さ3m、長さ8m、重さ1.5tの大きさ。ほんと、見事です!
八足門
▲拝殿の裏手。瑞垣内には入れませんのでここからご本殿にお参りします。手前地面の赤い三つの円、これが古代の宇豆柱の跡です。
▲「天日隅宮」の神殿を支える柱が「宇豆柱」。3つの柱を束ねて一つの大きく高い柱としていた訳ですね。なんて巨大なんだ! ロマンはどこまでも広がる。。。
出雲大社本殿
ご祭神:大国主大神
※『日本書紀』では「大己貴神」でほぼ統一されていますが、『古事記』では「大穴牟遲神」として「大国主の子供のころの名前」とされてます。他にも仏教と結びついて「大黒様」としても知られてます。
ご利益:国土開拓の神、農耕発展の神、医薬開発の神、そして縁結びの神・福の神
実は、ご祭神の大国主神は、正面となる南側ではなく西側を向いておられます。図示すると以下。
▲御神座は本殿内の北東部分で西側を向いてます。なので、八足門でお詣りした後、右からぐるっと瑞垣を回って、西側のところで再度お詣りするようにしましょう。
本殿北西部分にある、御客座五神は、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神が祀られています。『古事記』系の天地開闢5柱。
参考:『古事記』本文より「天地開闢」の語訳とポイント|天に五柱の別天つ神、地に七代の神々出現
西を向いている理由は詳細不明。
ただ、向いている方向には稲佐の浜があったりします。
▲稲佐の浜は、国譲りの交渉が行われた場所。高天原側の使者である2柱の神(經津主神と武甕槌神)がやってきた場所なわけで。大国主は今でも高天原側の使者がやってくるのを待っているのでしょうか。。。
▲瑞垣の北東角付近から見た本殿。高さ24mで神社としては破格の大きさ。現在の本殿は延享元年(1744年)に建立。白木を用いた日本で一番古い神社建築様式である「大社造り」。その代表的な建築物であります。今でも「出雲大社の本殿」は、神社建築の中では日本一の規模を誇ります。
- 創建経緯の国譲り神話から。その交渉ロジックは、「大己貴神」が国造りにより治めていた「国」を、皇孫(高天原系)の統治としたいので譲れと。その見返りとして「神事(幽冥の世界)」を治めることとする。つまり、分治提案。
- さらに、統治領域を分けるだけでなく、高天原側が提示した優遇策が「出雲大社」。『日本書紀』には「天日隅宮」として記される。これが、巨大な宮殿が必要だった理由。
話を戻し、出雲大社の本殿周辺の社殿をチェックしていきます。
▲②の八足門から本殿を望み、太古の神話ロマンへ思いを馳せたところで、右側へ。ぐるっと瑞垣を一周します。
東十九社
▲西十九社と対を成す社殿。10月になると全国から八百万の神々が集まり、ここにお泊りになります。
一般的に10月は「神無月」と呼ばれますが、ココ出雲では「神在月」と呼ばれてます。それは、全国各地の八百万の神様が10月になるとココに集まって会議をするから。「神が在る」出雲は「神在月」、「神が無い」その他の地域は「神無月」という訳。
大国主は「幽冥界」を司る大神。その神威は顕界の最高神「天照大神」に負けず劣らずな訳で。これはこれで、一時論争に発展したほどです。
そんな背景があるからこそ、出雲大社に全国の八百万の神神が集うというのも納得ですよね。本件のちほど。
出雲大社では、「神在祭(御忌祭)」と呼ばれるお祭りが、旧暦10月11日から17日まで開催されます。
前日10日の夜、海の彼方から来る神々を迎えるため、「稲佐の浜」で「神迎えの神事」が行われ、神の使いである龍蛇を「曲物」に載せて本殿に納めます。
そのうえで、神々は境内左右の十九社に宿り、「上宮」において神議されるという流れ。ココ、八百万の神の宿泊施設という感じでチェックを。10月以外は全国の八百万の神への遥拝所として位置づけられてます。尚、「上宮」については敷地外なので後ほど。
釜社
ご祭神:宇迦之魂神
ご利益:五穀豊饒、食物司管、商売繁盛、開運
御祭神がみなさん食物系なので、五穀・食物系御利益。五穀・食物系の根本は、人々の命を育てる根源の力をいただけるイメージです。
素戔嗚尊の子で、食物を司る神。全国の稲荷社のご祭神でもあります。東十九社の北側に隣接。
天前社、御向社
▲瑞垣の向こう側に2社が並んで建ってます。手前が「天前社」、奥(本殿寄り)が「御向社」。
天前社(伊能知比賣神社)
ご祭神:蚶貝比賣命・蛤貝比賣命
大国主が若いころ神々による幾多の試練を与えられ、大やけどを負ったときに大国主の治療・看護にあたった神様です。看護の神としての信仰あり。
御向社(大神大后神社)
ご祭神:須勢理毘賣命
素戔嗚尊の娘であり、のちの大国主の正后。大国主は、素戔嗚に様々な試練を課されるのですが、これを助け克服へ導いたのが須勢理姫であります。夫婦で同じ瑞垣内に鎮まってるって良いですよね。
ま、いずれにしても、奥さんといい、看護婦さんといい、女神をそばに侍らせて鎮座されてる大国主って偉大ってことで。
文庫
▲寛文7年(1667年)の御遷宮に際して新設された図書館です。瑞垣の東北角付近にあります。
そして、さらに進むと、、、
素鵞社
ご祭神:素戔嗚尊
大国主のお父さんです。日本神話の中心的登場神である三貴神(天照、月読、素戔嗚)の一柱。
高天原の最高神「天照大神」の弟として、数々のエピソードを持ちます。特に高天原を追放され出雲に天降りしてからの活躍は、神話展開に大きな影響を与えます。八岐大蛇退治は特に有名。
その後、八岐大蛇から救った奇稲田姫を妻として迎え、出雲大社のご祭神である大国主を生むわけです。
場所的に、本殿の裏手、息子を今でも見守っているような、そんなところにあります。
さらに進むと、彰古館があります。が、こちらは後ほど。
瑞垣の西北角付近から。
▲右手に見える社殿が筑紫社。そしてこの辺りに、西向きのご祭神と向かい合うスポットがあります。
筑紫社(神魂御子神社)
ご祭神:多紀理毘賣命
大国主の妻で宗像三女神の一柱「多紀理毘賣命」を祀ります。このお姫様自体は、天照と素戔嗚の誓約を通じて誕生した神で。やはりお父さん関連であります。なお、大国主との間には「味耜高彦根命」「下照比売命」を生んでおります。
ま、先ほどご紹介した東側にある「天前社」「御向社」と合わせて、つまりご祭神の大国主は左右に関係のあった女神を侍らせて鎮座されているということで。かなり漢気満載で偉大な風。
御神座正面礼拝スポット
▲瑞垣の西。西に向かって鎮座されてるご祭神と正面でご対面する場所です。再度拝礼ください。
氏社(出雲大社摂社)の2社
ご祭神:天穂日命
天照大神の第二番目の子で、出雲国の国造家の祖先神。
「天穂日命」は天照の子として認知された神。素戔嗚尊との「誓約の儀式」の中で生まれました。
「あなたの祭祀を天穂日命に掌らせよう(『日本書紀』第九段〔一書2〕)」と、大国主が国を譲りこの地に鎮まるとともに、その「祭主」としてお仕えをすることになりました。
つまり、天照の子の子孫が代々出雲大社の宮司として祭祀を引き継いでいるということになります。これも優遇策の一環としての位置付け。
ちなみに、現在の出雲大社宮司は天穂日命以来、第84代目の直系の末裔だそうです。スゴ。。。
ご祭神:宮向宿禰命
出雲の国造家(=出雲大社宮司のお家)の祖先神である「天穂日命」の第17代の末裔。このお方の代で、「出雲臣」の姓をいただき、国造となった次第。
大国主祭祀と出雲国の行政統治の両方を一手に担ったもんげーお方という訳です。
コチラの氏社の2社は、西に向かって鎮座するご祭神に向かい合うように東向きで鎮座されております。此れも全て大国主祭祀の役目から。コレ重要なので是非チェックです。
西十九社
▲東十九社と同じ役割です。10月は八百万の神々の宿泊施設として。普段は、全国の八百万の神々への遥拝所として。
と、いうことで、
ようやっと一周してきました。荒垣内の主要な社殿は以上です。
彰古館
出雲大社の左上に位置。大正3年(1914年)開館。ご本殿や宝庫に収蔵されていた宝物や歴史的遺品当を集めて公開中。国の登録有形文化財にも指定。
一般200円、大学・高校100円、中・小学50円!
ここで少し中の様子をご紹介。受付で対面式チケット購入。
からの、
いきなり迎えてくれる「野見宿禰」の像。境内に神社があります。後ほど。
そして!
見てください!この無数の大黒様!!! 大国祭りやー!!
めっちゃ笑顔です!!!
一階は大黒様で埋め尽くされており、一生分の大黒様と福をいただけます。
仏教の「大黒天」の「大黒(だいこく)」と、「大国主」の「大国(だいこく)」が似てるところから習合。七福神一つ「大黒様」として、食物・財福を司る神となった経緯あり。
そして、二階へ。
▲出雲大社のミニチュア模型が!これは分かりやすい!
そして、当サイトとして超おススメはコチラ!
▲「幣帛」であります( ゚Д゚)! 幣帛とは、祭祀において神様に奉献するもの。五色絹・綿・絁・糸などが納められてます!
背景としては「勅祭社」という神社のカテゴリがあり、これは、毎年例祭に、天皇のお使いである勅使が参向し幣帛をお供えしての祭文奏上する神社のこと。出雲大社の他、橿原神宮や靖国神社、明治神宮、平安神宮等の名高い神社が列せられている次第。
個人的に、幣帛を生で目にする機会はコチラでした⇒「橿原神宮紀元祭|2月11日「建国記念の日」レポ」
いやー、スゴイです、初めて中身にお目にかかりました。感動です。
あと、日本神話的に重要なのがコチラ!
▲明治天皇御即位の御幣
慶応4年(1869年)8月27日、明治天皇の即位に際し、同8月30日に出雲大社御前前にお供えされた幣帛。檜製の柳箱に、真綿、苧麻、木綿糸が納められております。
特に、真綿は、絹の一種で、養蚕による糸です。こちら、今でも皇后の重要な仕事として位置づけられており、元は日本神話にその始まりを伝えております。
●必読→ 皇居に水田が?!その場所は?天皇が自ら稲を育てる「親耕」を、日本神話から紐解いてみる
以上の、幣帛と養蚕糸は是非、直接ご覧になっていただきたい!
おまけ
▲縁結びで有名になりましたからね。全国から押し寄せる縁結びを目に見える形で表現するとこんな感じになります。
- 出雲大社境内には大国主の関係者が。いや関係神が。裏手には、大国主のお父さんである素戔嗚尊、両側には関係した女神が、それぞれ祭られています。
- 更に、東西には、10月になると全国から集まるら八百万の神々がお泊りになる宿泊施設を完備。それゆえに、ココ出雲では10月は「神在月」と呼ばれています。
- 更にさらに、現在の出雲大社宮司のご先祖様である「天穂日命」も祭られています。天照大神の第二番目の子で、大国主が国を譲りこの地に鎮まるとともに、その「祭主」としてお仕えをしてきました。
さて、出雲大社荒垣内の社殿をひととおり巡ったあとは、神楽殿へ向かいましょう。
出雲大社「荒垣」外社殿
神楽殿
▲本殿西の神楽殿。ココにある注連縄は日本一の大きさで有名です。
▲長さ13m、周囲9m、重さ5t!もんのスゴイ迫力であります。
金刀比羅宮
ご祭神:大物主神
先ほど、ムスビの神像で触れた通り、大国主の魂=大物主であります。特に、大国主の幸魂・奇魂への信仰は大きく、「大物主」の名の如く、万物の根源=霊魂を司り、殖産・医療・技芸、そして漁業豊漁、航路安全等幅広いご利益で篤い信仰をあつめてますね。
神楽殿の前の広場、超重要な神様が祀られてますので、是非チェックされてください。
野見宿禰神社
ご祭神:野見宿禰命
出雲大社の入口、下り参道から祓橋の西側(左手)、神苑相撲場の北西にひっそりと建っておられます。相撲の始祖とされる「野見宿禰命」を祀ります。。国譲り神話では、相撲をとって勝敗をつけたというお話も伝わりますしね。
▲すぐ近くに土俵が!土俵付きの神社。というか大社。かなりレアなのではないでしょうか!
- 神楽殿の注連縄は、長さ13m、周囲9m、重さ5t!もんのスゴイ迫力。出雲大社のスケール感を物語るアイテムです。
- 他、下り参道から祓橋の西側、神苑相撲場の北西に建つ「野見宿禰神社」もチェック。相撲の始祖とされる「野見宿禰命」を祀り、国譲り神話では、相撲をとって勝敗をつけたというお話も伝わります。
ということで、出雲大社境内主要な社殿は以上です。
出雲大社境内外の主要スポット
稲佐の浜
▲出雲大社の西方1kmくらいのところにある海岸。ここに国譲りを迫る高天原側の使者「経津主神」と「武甕槌神」がやってきました。
また、現在では、旧暦10月10日の夜、海の彼方から来る神々を迎えるため「神迎えの神事」が行われます。ここで神の使いである龍蛇を「曲物」に載せ、出雲大社の本殿に納めます。
必読:「稲佐の浜|国譲り神話の舞台!美しい夕日と神々しい日の出の様子を両方まとめてお届け。」
上宮(出雲大社摂社)
▲稲佐の浜と出雲大社の中間あたりにあります。住宅地の細い道の奥、ひっそりと建ってますが、結構重要な神社。
「神迎えの神事」後、神々は出雲大社境内にある東西の十九社に宿り、「上宮」において神議されるという流れであります。
因佐神社(出雲大社摂社)
ご祭神:建御雷神
国譲り神話に関連して、高天原側の使者として大国主のもとにやってきた神をまつります。稲佐の浜で交渉を行いました。
こちら、鳥居もあり一つの神社として成立している感じです。
命主社(出雲大社摂社)
ご祭神:神皇産霊神
天地万物の根本である神をまつります。大国主の試練において常に大国主を加護し国造りの大業を支援した神様です。正式名称「神魂伊能知奴志神社」。
社名のとおり、命を感じさせる大木が境内に立ってます。
三歳社(出雲大社摂社)
ご祭神:事代主神、高比売神、御年神
「事代主神」「高比売神」は大国主の子神。国土経営に祭祀大国主を助けた功績あり。後世で「御年神」が合祀され三歳社と称するようになりました。正月3日には、福迎え神事が斎行されます。
こちら、出雲大社と神楽殿の間にある小道の奥、ずーっと山道を登って行った先にあります。
▲このあたり、蛍が飛び交う素敵な場所としても知られております。
▲山の中に、ひっそりとたたずむ風。三歳社です。
下の宮(出雲大社末社)
ご祭神:天照大御神
皇室の祖先神。摂社ではなく末社として位置づけられているところに、出雲大社と伊勢神宮、出雲神話圏と大和神話圏の相克を感じたりします。
真名井の清水
出雲大社の神事に関わる神聖な清水。11月23日の「古伝新嘗祭」において、国造の寿齢を延ばすとされる「歯固めの神事」には、この真名井の清水の小石を使う習わしになっているそうです。
島根の名水百選にも選ばれている御神水ですね。
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特に「稲佐の浜」は必須のチェックポイント。この浜に国譲りを迫る高天原側の使者「経津主神」と「武甕槌神」がやってきました。現在では、旧暦10月10日の夜、海の彼方から来る神々を迎えるため「神迎えの神事」が行われます。
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他、出雲大社周辺の摂社、末社はいずれも、大国主や神事に関連するスポットです。ちょっと足を延ばしてチェックしましょう。
出雲大社創建に関わる日本神話補講:顕界と幽冥界
顕界と幽冥界
出雲大社、そして「大己貴神(=大国主神)」を理解するときに、避けて通れないテーマが「顕界と幽冥界」です。
これ、世界構造、世界の捉え方に関わる非常に重要な問題で。
- 「顕界」とは、うつし世、眼に見える世界。
- 「幽冥界」とは、かくり世、眼に見えない世界。神事。
と、日本神話的な設定があります。
冒頭の、「高皇産霊尊」と「大己貴神(=大国主神)」との国譲り交渉において、高天原側から「天日隅宮」をつくるほか各種優遇策が提示された時に出てきた言葉。
吾が治らす顕露事は、皇孫治らしたまふべし。吾は退りて幽事を治らさむ。
私が治めている現世の政事は、今後は皇孫が治めになってください。私は退いて神事をつかさどりましょう。 (『日本書紀』第九段一書二)
と。
ここで伝える「顕露事」とは、高天原から地上の葦原中つ国を含む世界のことであり、治政を含む意味あいです。
一方、「幽事」とは、目に見えない神の世界(身を隠した神々のいる世界)のことで、「神事」のことを言います。
国造りを行い、今まで自分(大国主)が行なっていた「顕露事」を皇孫に譲り、自分はこの世界から退いて「幽事」、つまり神事を司ります、という事ですね。
これが大国主が神事(幽事)を司るとされる根拠になっています。
で、
大国主の統治する「幽界」ですが、コレ、実際どんな世界?と言われても、なかなか答えるのが難しい問いだったりします。
実は、後世になって、「幽界」と「黄泉国」、つまり「神事」と「死」は一緒になってしまいます。ですが、本来、幽冥と黄泉とは違う世界であり概念です。
何が違うかというと、
黄泉国には「死」という契機があるのに対して、幽界には「死」といった契機は存在しません。
大国主は、ただ目に見える世界(顕界)から「退いた」だけなのです。退いて幽界へ。姿を消しただけ。
なので、整理していくと、
顕界のなかに高天原や葦原中国や生の世界があり、死ぬと死の国(黄泉)へいく。
一方、幽界のなかには、、、???
ココからはよく分かりません。少なくとも文献には記載されていないので何とも言えないわけです。
ただ、顕界と幽界は神話世界を構成する最大の対比構造という訳で、顕界の最高神が天照大神であり、幽界を司る神が大国主なわけで、もし「どっちが上?」という話が持ち込まれると大変な論争を引き起こしてしまう訳です。
いずれにせよ大国主と幽界というお話には、そういった壮大なテーマが潜んでいることをチェックしておいていただければと思います。
出雲大社教
上記、非常に深遠なテーマをはらんでいるからこそ、後世においてここから独特な信仰が発展的に生まれてきます。それが出雲大社教であります。こちら、明治以後に誕生した神道十三派の一つ。
出雲大社境内の荒垣内にある氏社でご紹介した通り、
天照大御神の御子神「天穂日命 」は、大国主大神祭祀の「祭主」となり、その子孫は代々出雲国の「國造」 として出雲の政治をになってきました。同時に出雲大社宮司として祭祀も担っておられます。
ココから、
出雲大社教では大神の「御杖代」 (大神の神霊を宿し、神人一体となって祭祀を奉仕するもの)として國造を推戴しています。現在は第八十四代の千家尊祐國造が出雲大社宮司としてお仕えされています。 (出雲大社教説明文より)
ということで、非常に特異な展開をされてきました。
出雲大社教の布教方針は、宗祠と仰ぐ出雲大社に鎮まります大国主大神とのご神縁に結ばれることで、安心立命の中に生かされることを教え導くことです。
本教の教義は「幽顕一貫」「顕幽一如」。顕世は今我々が生活し、目に見える世界のことであり、幽世は、神魂と人の霊魂の世界のことです。顕世と幽世とは、相即不離の関係にあり、この世での幸栄(幸福と繁栄)は、幽世からの恩頼(ご加護)により与えられます。
人間の霊魂は、死後、大国主大神が治められる幽世 に帰り、大神によってその帰着するところが決まります。それ故に、生前の善悪に関し、大神の神慮を奉戴し、心行を正直にして修身誠意、大神の恩頼を仰ぐことにより、幽世に帰り入るとき、代々の先祖たちと共に、御家の守護神として霊魂の安寧を得ることになります。 (出雲大社教説明文より)
とのことで、かなりディープな世界が展開されております。
いろいろありますが、こうした壮大な展開を生み出した大国主の存在感はやはりスゴイものがあると言え、出雲大社参拝の際にはこうした背景もチェックしておいていただければと。
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国造りを行い、今まで自分(大国主)が行なっていた「顕露事」を皇孫に譲り、自分はこの世界から退いて「幽事」、つまり神事を司ります、という交渉内容から、大きな問題につながっていきます。
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他、ここから出雲大社教などの展開へつながっていった経緯も押さえておきましょう。
まとめ
出雲大社
島根県出雲市にある神社。
「神々の国、出雲」を代表する神社で、日本神話的にも「顕界・幽冥界の統治」といったテーマを持つ非常に重要な神社でもあります。
その神殿は、古代においては想像を絶する威容を誇っていたと伝えられ、神話ロマンをこれでもかとかきたててくれます。
ご参拝の際は是非、日本神話をもって行かれてください。その奥行きや深さがぐっと増してくると思います。
あと、参拝は早朝がおススメです。朝の静謐な空気と出雲大社の荘厳さがマッチしてとても清々しい気持ちになれます。日の出を稲佐の浜で迎え、その足で出雲大社へ向かいましょう。
出雲大社の概要はコチラ。
社名 | 出雲大社(旧:杵築大社。神代:天日隅宮) |
住所 | 島根県出雲市大社町杵築東195 |
創建年 | 神代(国譲り神話による) |
御祭神 | 大己貴命(大国主大神)、他、ゆかりのある神様多数 |
社殿 | 御本殿、拝殿、大神大后神社(御向社)、境内摂末社【神魂伊能知比売神社(天前社)、神魂御子神社(筑紫社)、素鵞社、氏社(北・南)、門神社(東・西)、釜社、十九社(東・西)、祓社、野見宿禰神社】他11の境外摂末社、神祜殿(宝物殿)、神楽殿、彰古館、国造館、等 |
祭典 | 1月:大御饌祭、御飯供祭、福迎祭 2月:祈穀祭 5月:出雲大社大祭礼 6月:夏越大祓 8月:出雲大社教大祭 11月:神迎神事・神迎祭、神在祭、神等去出祭、献穀祭(23日) 12月:御饌井祭、歳末大祓(31日) |
見どころ | ・国譲り神話に由来する神話的・歴史的壮大さ、スケール感 ・八雲山を背後に建つ御本殿の荘厳さ、美しさ ・御本殿前の地面には、発掘された巨大な柱の図アリ。古代ロマンをビリビリ感じるスポット。 ・大己貴命(大国主大神)に関係のあった女神が全てお祭りされてる懐の広さ? ・御本殿裏手には、父神である素戔嗚尊。稲佐の浜から砂を持ってくるとイイことあるかも? ・11月の神在祭には全国から神々が集まる聖地、稲佐の浜で神迎え、神宿泊用の十九社 ・神楽殿のしめ縄の巨大さにビックリ(;゚Д゚)! ・隣には、島根県立古代出雲歴史博物館。出雲大社の歴史とか背景をチェック。 |
アクセス | JR出雲市駅から一畑バス[出雲大社・日御碕・宇竜行き]で約25分 |
開門時間 | 6:00~20:00 ※16:30より警備の都合で十九社から北側へは立ち入り禁止 |
駐車場 | あり。無料。300台以上 |
電話番号 | 0853-53-3100 |
HP等 | 出雲大社HP |
地図
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