伊耶那岐命/伊奘諾尊(イザナキノミコト)について、日本神話をもとに分かりやすく解説します。
「伊耶那岐命/伊奘諾尊」
『古事記』では、天地初発に神世七代の七代目、男女ペアの男神として「伊耶那岐命」を伝えます。『日本書紀』では「伊奘諾尊」として登場。
本エントリでは、「伊耶那岐命」の神名の名義や神世七代における位置づけやその意味を確認後、『古事記』や『日本書紀』の神話をもとに、伊耶那岐命/伊奘諾尊の誕生や活動にまつわる神話を分かりやすく解説していきます。
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
伊耶那岐命(イザナキノミコト)の名義(『古事記』編)
目次
伊耶那岐命とは?その名義と
「伊耶那岐命」= 結婚向けて誘い合う男神
『古事記』神話では、神世七代の七代目、男女ペアである「双神」の男神として「伊耶那岐命」を伝えます。
「伊耶那」は、「誘ふ」の語幹。
「岐」は、男性を表す語。神代紀上の「伊奘諾尊」の「諾」によって「き」が清音であることが分かります。
「命」は、命(ミッション)を持った存在。伊耶那岐命は、最初は「伊耶那岐神」として登場。その後、天神により修理固成ミッションを委任された(言依さし)ところから「伊耶那岐命」に変化。
直前に成った「於母陀流神」と「妹 阿夜訶志古泥神」により、男神が女神に対して「於母陀流(あなたの容貌は整って美しい)」と褒め称え、次いで女神が「阿夜訶志古泥(まあ何と恐れ多いこと)」と畏まることで、お互いに充足円満な成人であることを表象(成人であるってところは特に重要。成人してないと結婚できません)。それを引き継いで、伊耶那岐命と伊耶那美命により結婚に向けて誘い合う流れの中での神名になってます。
ということで、
「伊耶那岐命」=「「誘ふ」の語幹」+「男性」+「命(ミッション)をもった存在」= 結婚向けて誘い合う男神 |
伊耶那岐命(イザナキノミコト)の神世七代における位置づけ
伊耶那岐命は、神世七代の七代目、男女ペアである「双神」の男神として位置づけられてます。
ポイントは、神世七代の神名を通じて、世界が次々に具体的な形をとって展開するさまを表象している、ってことで。
神世七代の神名の要点をまとめると、以下になります。テーマは結婚に向けたラブ・ストーリー♡
神名 | 表象するもの | |
第一代 | 国常立 | 天の常立神に続き、それと対応して成る国の恒常的確立(予祝) |
第二代 | 豊雲野 | 地上世界に豊かな雲のわき立つ野が出現したこと、地上世界の豊穣(予祝) |
第三代 | 宇比地&須比地 | 天→国、雲野→泥砂という対応に即した、地上世界の土台 |
第四代 | 角杙&活杙 | 土台としての大地に標識となる杙を打ち込む |
第五代 | 意富斗&大斗乃 | 打ち込んだところに(外と内を隔てる)戸(門)を造立 |
第六代 | 於母陀&阿夜訶 | 男と女をそれぞれ「面足る」「あや畏ね」と称える |
第七代 | 伊耶那岐&伊耶那美 | 男と女とが互いに誘いあう |
これ、ホントによくできた神名になっていて。
表象しているのは、神の世に、新しく世界が次々に具体的な形をとって展開するさまであり、以下のような物語展開。
- 先ずは、国(国土)が恒久的に(永久に)確立することを予祝
- その国(国土)に、豊穣を約束する「雲のわき立つ野」が出現することを予祝
- そのうえで双神により具体的な表れとして、大地の土台ができ、そこに標識となる杙を打ち込み、戸を造立する
- そして、男女の神により、互いに全き性を具有することを称えあい、誘い合う、、
『古事記』神話では、このように、天地開闢から世界が形づくられる様子を神名によって表現してるんです。
特に、伊耶那岐命・伊耶那美命の誕生は重要で。
この二神が誕生する前は、国や野が誕生を予祝したり、土台とか杙とか戸とか、、表象内容は外観・外見にとどまっているのですが、伊耶那岐命&伊耶那美命の登場によって、男と女が互いに誘い合い、一体化しようと声を掛けあうようになるんです。ポイントはまさにここで。要は、
日本神話的世界創生は「最終的に収斂していく事」にあります。一体のものとして収れんする。
国→野→土台→男と女の誕生、そして一体化。
男と女という、本来的にあい異なる性が、異なればこそ、互いに誘いあって一体化しようとする本質的・根源的なありようを表象している、とも言えて。
だからこそ、そのあとに結婚し交合し、いよいよ具体的な国や神々が誕生していく流れが出来上がる訳です。
神世七代と伊耶那岐命・伊耶那美命の位置づけを、日本神話全体の文脈から見ると、とても奥ゆかしい内容になっていることが分かりますよね。ココ、是非チェック。
伊耶那岐命(イザナキノミコト)とは?『古事記』編
伊耶那岐命(イザナキノミコト)の誕生
まずは、『古事記』神話をもとに、伊耶那岐命の誕生経緯をお届け。
次に、成った神の名は、宇比地邇神。次に、妹 須比智邇神。次に、角杙神。次に、妹 活杙神(二柱)。次に、意富斗能地神。次に妹 大斗乃辨神。次に、於母陀流神。次に、妹 阿夜訶志古泥神。次に、伊耶那岐神。次に、妹 伊耶那美神。
伊耶那岐命(イザナキノミコト)の活動
続けて、『古事記』神話をもとに、伊耶那岐命の活動をお届け。
流れは大きく7つ。
- 国土の修理固成のために結婚し国生みの大事業を成す
- 瑞穂国へ向けて神生みの大事業を成す
- 妻の死を嘆き悲しみ、我が子に復讐、斬断する
- 妻を追って黄泉国を訪れるが、死の汚穢を恐れて脱出、黄泉つひら坂で妻と絶縁する
- 筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊をし、二十三神を化成し、最後に天照大御神・月読命・建速須佐之男命の三貴子を生む
- 三貴子に、高天原・夜食国・海原の分治を委任する
- 須佐之男命を天界から追放し、淡海の多賀に鎮座する
以下、
上記7つの流れに沿って『古事記』神話を抜粋しながらお届けします。
伊耶那岐命の活動① 国土の修理固成のために結婚し国生みの大事業を成す
ここにおいて、天神諸々の命をもって、伊耶那岐命・伊耶那美命の二柱の神に詔して「この漂っている国を修理め固め成せ」と、天沼矛を授けてご委任なさった。
そこで、二柱の神は天浮橋に立ち、その沼矛を指し下ろしてかき回し、海水をこをろこをろと搔き鳴らして引き上げた時、その矛の末より垂り落ちる塩が累なり積もって嶋と成った。これが淤能碁呂嶋である。
その嶋に天降り坐して、天御柱を見立て、八尋殿を見立てた。ここに、その妹伊耶那美命に「汝の身はどのように成っているのか。」と問うと、「私の身は、出来上がっていって出来きらないところが一つあります」と答えた。ここに伊耶那岐命は詔して「私の身は、出来上がっていって出来すぎたところが一つある。ゆえに、この私の身の出来すぎたところをもって、汝の身の出来きらないところに刺し塞いで、国土を生み成そうとおもう。生むことはどうだろうか」と言うと、伊耶那美命は「それが善いでしょう」と答えた。
そこで伊耶那岐命は詔して「それならば、私と汝とでこの天御柱を行き廻り逢って、みとのまぐはいをしよう。」と言った。このように期って、さっそく「汝は右より廻り逢いなさい。私は左より廻り逢おう。」と言い、約り終えて廻った時、伊耶那美命が先に「ほんとうにまあ、いとしいお方ですことよ。」と言い、その後で伊耶那岐命が「なんとまあ、かわいい娘だろうか。」と言った。
各が言い終えた後、(伊耶那岐命は)その妹に「女人が先に言ったのは良くない。」と告げた。しかし、寝床で事を始め、子の水蛭子を生んだ。この子は葦船に入れて流し去てた。次に、淡嶋を生んだ。これもまた子の例には入れなかった。
ここに、二柱の神は議って「今、私が生んだ子は良くない。やはり天神の御所に白しあげるのがよい。」と言い、すぐに共に參上って、天神の命を仰いだ。そこで天神の命をもって、太占に卜相ない「女の言葉が先立ったことに因り良くないのである。再び還り降って改めて言いなさい。」と仰せになった。
ゆえに反り降りて、更にその天の御柱を先のように往き廻った。ここに、伊耶那岐命が先に「なんとまあ、かわいい娘だろうか。」と言い、その後に妹伊耶那美命が「なんとまあ、いとしいお方ですこと。」と言った。
このように言ひ終わって御合して生んだ子は、淡道之穗之狹別嶋。次に、~中略~ 次に、大倭豊秋津嶋を生んだ。またの名は天御虚空豊秋津根別という。ゆえに、この八嶋を先に生んだことに因って、大八嶋国という。
伊耶那岐命の活動② 瑞穂国へ向けて神生みの大事業を成す
既に国を生み竟へて、更に神を生んだ。ゆえに、生んだ神の名は、大事忍男神。次に石土毘古神を生み、次に石巣比売神を生み、次に大戸日別神を生み、次に天之吹男神を生み、次に大屋毘古神を生み、次に風木津別之忍男神を生み、次に海の神、名は大綿津見神を生み、次に水戸神、名は速秋津日子神、次に妹速秋津比売神を生んだ。(大事忍男神より秋津比賣神に至るまで、幷せて十神ぞ。) ~中略~
次に風の神、名は志那都比古神を生み、次に木の神、名は久久能智神を生み、次に山の神、名は大山津見神を生み、次に野の神、名は鹿屋野比売神を生んだ。またの名は野椎神という。(志那都比古神より野椎に至るまで、幷せて四神ぞ)。 ~中略~
次に生んだ神の名は、鳥之石楠船神、またの名は天之鳥船という。次に大宜都比売神を生んだ。次に火之夜芸速男神を生んだ。またの名は火之炫毘古神と謂う、またの名は火之迦具土神という。 (引用:『古事記』上巻より)
伊耶那岐命の活動③ 妻の死を嘆き悲しみ、我が子に復讐、斬断する
ゆえに、伊邪那岐命は詔して「愛しき我が妻の命よ、一人の子に代えようと思っただろうか(いや思ってはいない)」と言い、そのまま(伊邪那美命の)枕の方に腹ばいになり、足の方に腹ばいになって哭いた。この時、涙に成った神は、香山の畝尾の木の本に坐す、泣沢女神である。ゆえに、その神避った伊邪那美神は、出雲国と伯伎国とのさかいの比婆山に葬った。
ここに伊邪那岐命は、腰に帯びていた十拳剣を拔いて、その子、迦具土神の頚を斬った。その御刀の先についた血が、神聖な石の群れにほとばしりついて成った神の名は、石拆神。次に根拆神。次に石筒之男神。次に御刀の本についた血もまた、ほとばしりついて成った神の名は、甕速日神、次に樋速日神、次に建御雷之男神。またの名は、建布都神。またの名は豊布都神。次に、御刀の手上柄に集まった血が手の指の間から漏れでて成った神の名は、闇淤加美神。次に、闇御津羽神。(上の件の石拆神より以下、闇御津羽神まで、并せて八神は、御刀に因りて生った神ぞ。) (引用:『古事記』上巻より)
伊耶那岐命の活動④ 妻を追って黄泉国を訪れるが、死の汚穢を恐れて脱出、黄泉つひら坂で妻と絶縁する
ここに、(伊耶那岐命は)伊耶那美命に会おうと欲って、黄泉国に追っていった。
そうして、(伊耶那美命が)御殿の閉じられた戸から出て迎えた時、伊耶那岐命は「愛おしい我が妻の命よ、私とお前が作った国は、まだ作り終えていない。だから還ろう。」と語りかけた。すると、伊耶那美命は答えて「残念なことです。あなたが早くいらっしゃらなくて。私は黄泉のかまどで煮炊きしたものを食べてしまいました。けれども、愛しき我が夫の命よ、この国に入り来られたことは恐れ多いことです。なので、還ろうと欲いますので、しばらく黄泉神と相談します。私を絶対に見ないでください。」と言った。
このように言って、その御殿の中にかえり入った。その間がとても長くて待ちきれなくなった。そこで、左の御美豆良に刺している神聖な爪櫛の太い歯を一つ折り取って、一つ火を灯して入り見たところ、(伊耶那美命の身体には)蛆がたかってごろごろ音をたてうごめき、頭には大雷がおり、胸には火雷がおり、腹には黒雷がおり、陰には拆雷がおり、左の手には若雷がおり、右の手には土雷がおり、左の足には鳴雷がおり、右の足には伏雷がおり、あわせて八つの雷神が成っていた。
そこで、伊耶那岐命は、その姿を見て恐れて逃げ還る時に、その妹伊耶那美命が「よくも私に辱をかかせましたね」と言って、黄泉の醜女を遣わして追いかけさせた。ここに伊耶那岐命は、黒御縵を取って投げ棄てると、たちまち山ぶどうの実が生った。(醜女が)これを拾って食む間に、逃げて行く。なおも追ってくるので、また、その右の御美豆良に刺していた神聖な爪櫛の歯を折り取って投げると、たちまち笋が生えた。(醜女が)これを拔き食む間に、逃げて行った。また、その後には、八種の雷神に、千五百の黄泉軍を副えて追わせた。そこで、腰に帯びていた十拳劒を拔いて、後手に振りながら逃げて来た。なおも追いかけて、黄泉比良坂のふもとに到った時、そのふもとに生えていた桃子を3つ取って、待ち撃ったところ、ことごとく逃げ返った。
そこで伊耶那岐命は、その桃子に「お前が私を助けたように、葦原中国に生きているあらゆる人々(青人草)が苦しい目にあって患い困る時に助けるがよい。」と告げて、意富加牟豆美命という名を授けた。
最後に、その妹伊耶那美命が自ら追ってきた。そこで、千人かかってやっと引きうごかせるくらいの岩をその黄泉比良坂に引き塞いで、その岩をあいだに置いて、おのおの向かい立って、離縁を言い渡した時、伊耶那美命が「愛しい我が夫の命よ、このようにされるならば、私はあなたの国の人草を、一日に千人絞め殺しましょう。」と言った。そこで、伊耶那岐命は「愛しい我が妻の命よ、お前がそのようにするならば、私は一日に千五百の産屋を建てよう。」と言った。
こういうわけで、一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まれるのである。ゆえに、その伊耶那美命を号けて黄泉津大神という。また言うには、その追って来たのをもって道敷大神という。また、その黄泉の坂に塞いだ石は、道反之大神と名付け、また塞ぎ坐す黄泉戸大神ともいう。ゆえに、其のいわゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂という。 (引用:『古事記』上巻より)
伊耶那岐命の活動⑤ 筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊をし、二十三神を化成し、最後に天照大御神・月読命・建速須佐之男命の三貴子を生む
こうして伊邪那伎大神は「私はなんとも醜い、醜く穢れた国に到っていたものだ。だから、私は身の禊をする。」と詔して、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到って、禊ぎ祓いをした。
そこで、投げ棄てた杖に成った神の名は、衝立船戸神。次に、投げ棄てた帶に成った神の名は、道之長乳歯神。次に、投げ棄てて嚢に成った神の名は、時量師神。次に、投げ棄てた衣に成った神の名は、和豆良比能宇斯能神。次に、投げ棄てた褌に成った神の名は、道俣神。次に、投げ棄てた冠に成った神の名は、飽咋之宇斯能神。次に、投げ棄てた左手の手纒に成った神の名は、奧疎神。次に、奧津那藝佐毘古神。次に、奧津甲斐辨羅神。次に、投げ棄てた右手の手纒に成った神の名は、邊疎神。次に、邊津那藝佐毘古神。次に、邊津甲斐辨羅神。
右の件の船戸神以下、邊津甲斐辨羅神以前の十二神は、身に著ける物を脱ぐに因って生んだ神である。
そこで、(伊邪那伎大神)は、「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れが弱い(遅い)。」と詔して、初めて中の瀬に身を投じて潜って滌いだ時に、成り坐した神の名は、八十禍津日神。次に、大禍津日神。此の二神は、あの穢れがはなはだしい国に到った時の汚垢に因って成った神である。次に、その禍を直そうとして成った神の名は、神直毘神。次に大直毘神。次に伊豆能賣神。あわせて三神である。
次に、水底で滌いだ時に成った神の名は、底津綿津見神。次に、底筒之男命。水の中ほどで滌いだ時に成った神の名は、中津綿津見神。次に、中筒之男命。水の上で滌いだ時に成った神の名は、上津綿津見神。次に、上筒之男命。この三柱の綿津見神は、阿曇連等の祖神として奉斎する神である。ゆえに、阿曇連等は、その綿津見神の子、宇都志日金拆命の子孫である。また、その底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は、墨江の三前の大神である。
そして、左の目を洗った時に成った神の名は、天照大御神。次に、右の目を洗った時に成った神の名は、月読命。次に、鼻を洗った時に成った神の名は、建速須佐之男命。
右の件の八十禍津日神以下、速須佐之男命以前の十柱の神は、身を滌ぐに因って生んだのである。 (引用:『古事記』上巻より)
伊耶那岐命の活動⑥ 三貴子に、高天原・夜食国・海原の分治を委任する
この時、伊邪那伎命はおおいに歓喜んで「私は子を生み続けて、生みの終に三柱の貴い子を得た」と言い、そこで、その首飾りの珠の緒を、その珠がふれあって揺らぐ音をたてるばかりに取りゆらかして天照大御神に授け、詔して「そなたの命は、高天原を治めなさい」と委任した。ゆえに、その首飾りの名を、御倉板擧之神という。次に、月読命に詔して「そなたの命は、夜を治める国を治めなさい」と委任した。次に、建速須佐之男命に詔して「そなたの命は、海原を治めなさい」と委任した。 (引用:『古事記』上巻より)
伊耶那岐命の活動⑦ 須佐之男命を天界から追放し、淡海の多賀に鎮座する
そこで、各が委任され授けられた命のとおりに治めるなかで、速須佐之男命は委任された国を治めずにいて、長い髭が胸先までとどくまで泣きわめいていた。その泣くさまは、青山を枯山のように泣き枯らし、河や海は悉く泣き干上がった。このため悪しき神の音はところ狭しとうるさく騒ぐ蝿のように満ちあふれ、あらゆる物の妖がことごとく発った。
ゆえに、伊邪那岐大御神は速須佐之男命に「どうしてお前は委任された国を治ずに、哭きわめいているのだ」と言った。これに答へて「私は亡き母の国、根之堅州国に罷りたいとおもっているのです。故に哭いているのです」と言った。そこで、伊邪那岐大御神は大く忿怒って「それならばお前は此の国に住んではならない」と言って、そのままどこまでもどこまでも追放した。
伊奘諾尊(イザナキノミコト)とは?『日本書紀』編
『日本書紀』が伝える伊奘諾尊を理解するために必要な基礎知識
流れは大きく3つ。
流れ | 本伝 | 異伝〔一書〕 |
①国生み | 陽神として国生みを主導 | 〔一書1〕無知な陽神、天神指令に動かされる 〔一書2〕矛をおろして嶋を得る 〔一書3〕高天原にいて矛で嶋を成す 〔一書4〕矛で探って嶋を成す 〔一書5〕交合方法しらず鳥から学ぶ 〔一書10〕陰主導で夫婦となる |
②神生み、分治 | 万物を生み終え、天下の統治者を生もうとして日神・月神・蛭児・素戔嗚尊を生む。素戔嗚尊は無道として根国へ放逐する | |
③鎮座 | 幽宮を淡路洲に構え身を隠す |
ということで。
上記3つの流れに沿って『日本書紀』神話を抜粋しながらお届けします。
伊奘諾尊(イザナキノミコト)の誕生
ここからいよいよ『日本書紀』神話をもとに、伊奘諾尊の誕生経緯をお届け。
伊奘諾尊は 神世七代の最後の世代として誕生。
次に現れた神は、泥土煑尊※1、沙土煑尊※2。次に現れた神は、大戸之道尊※3、大苫辺尊※4。次に現れた神は、面足尊・惶根尊※5。次に現れた神は、伊奘諾尊・伊奘冉尊。 (『日本書紀』第二段〔本伝〕より)
異伝では、沫蕩尊の子として誕生したとも伝えている。
ある書はこう伝えている。国常立尊が、天鏡尊を生んだ。天鏡尊が、天万尊を生んだ。天万尊が、沫蕩尊を生んだ。沫蕩尊が、伊奘諾尊を生んだ。 (『日本書紀』第二段〔一書2〕より)
伊奘諾尊(イザナキノミコト)の活動
伊奘諾尊の活動として国生みがある。
〔本伝〕聖婚、洲国生み
伊奘諾尊と伊奘冉尊の二柱の神は、天浮橋の上に立って共に計り、「この下の底に、きっと国があるはずだ。」と言った。そこで、天之瓊矛(瓊とは玉である。ここでは努という)を指し下ろして探ってみると海を獲た。その矛の先から滴り落ちた潮が自然に凝り固まり、一つの嶋と成った。それを名付けて「磤馭慮嶋」といった。
二柱の神は、ここにその島に降り居ると、共に夫婦となり、国を産もうとした。そこで、磤馭慮嶋を、国の中心である柱(柱、ここでは美簸旨邏という)とし、陽神は左から巡り、陰神は右から巡った。分かれて国の柱を巡り、同じ所であい会したその時、陰神が先に唱え、「ああ嬉しい、いい若者に会ったことよ。」と言った。(少男、日本では烏等孤という)。陽神はそれを悦ばず、「私が男だ。理の上では、まず私から唱えるべきなのだ。どうして女が理に反して先に言葉を発したのだ。これは全く不吉な事だ。改めて巡るのがよい。」と言った。
ここに、二柱の神はもう一度やり直してあい会した。今度は陽神が先に唱え、「ああ嬉しい。可愛い少女に会ったことよ。」と言った。(少女、ここでは烏等咩という)。そこで陰神に「お前の身体には、なにか形を成しているところがあるか。」と問うた。それに対し、陰神が「私の身体には女の元のところがあります。」と答えた。陽神は「私の身体にもまた、男の元のところがある。私の身体の元のところを、お前の身体の元のところに合わせようと思う。」と言った。ここで陰陽(男女)が始めて交合し、夫婦となったのである。
〔一書1〕天神ミッションと無知な二神
ある書はこう伝えている。天神が伊奘諾尊・伊奘冉尊に、「豊かな葦原の永久にたくさんの稲穂の実る地がある。お前達はそこへ行き国の実現に向けた作業をしなさい。」と言って、天瓊戈を下された。そこで二柱の神は、天上の浮橋に立ち、戈を投げて地を求めた。それで青海原をかき回し引き上げると、戈の先から滴り落ちた潮が固まって島となった。これを磤馭慮嶋と名付けた。
二柱の神はその島に降り居て、八尋之殿を化し作った。そして天柱を化し立てた。そして陽神が陰神に、「お前の身体は、どんな形を成しているところがあるのか。」と問うた。それに対して「私の身体に備わっていて、陰(女)の元と称するところが一カ所あります。」と答えた。そこで陽神は、「私の身体にも備わっていて、陽(男)の元と称するところが一カ所ある。私の身体の元を、お前の身体の元に合わせようと思う」と言った。
さっそく天柱を巡ろうとして約束し、「お前は左から巡れ。私は右から巡ろう。」と言った。さて、二柱の神が分かれて天柱を巡り、半周してあい会すると、陰神は先に唱えて「ああ、なんとすばらしい、いい少男(若者)ではないか。」と言った。陽神は後に和して、「ああ、なんとすばらしい、いい少女ではないか。」と言った。ついに夫婦となり、まず蛭児を産んだ。そこで葦船に載せて流した。次に淡洲を産んだ。これもまた子供の数には入れなかった。
こうしたことから、また天に詣り帰って、こと細かに天神に申し上げた。その時、天神は太占で占い、「女の言葉が先に揚がったからではないか。また帰るがよい。」と教えた。そして帰るべき日時を定め、二柱の神を降らせた。
かくて二柱の神は、改めてまた柱を巡った。陽神は左から、陰神は右から巡り、半周して二柱の神があい会した時に、今度は陽神が先に唱えて、「ああ、なんとすばらしい、いい少女ではないか。」と言った。陰神がその後に和して「ああ、なんとすばらしい、いい少男ではないか。」と言った。
このあと、同じ宮に共に住み、子を産んだ。
〔一書2〕多彩に展開する国生み
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊と伊奘冉尊の二柱の神は天霧の中に立って、「私は国を得ようと思う。」と言い、天瓊矛を指し下ろして探り、磤馭慮嶋を得た。そこで矛を抜き上げると、喜んで「良かった。国がある。」と言った。
〔一書3〕
ある書はこう伝えている。伊奘諾・伊奘冉尊の二神は高天原に座して、「国があるはずだ」と言った。そこで天瓊矛でかきまわして磤馭慮嶋を成した。
〔一書4〕
ある書はこう伝えている。伊奘諾と伊奘冉の二柱の神は互いに言った。「物がある。浮かんでいる油のようだ。その中に国があると思う」。そこで、天瓊矛で探って一つの嶋を成した。名付けて「磤馭慮嶋」という。
『日本書紀』第五段 現代語訳
〔本伝〕天下之主者生み(神生み)
次に海を生んだ。次に川を生む。次に山を生む。次に木の祖、句句廼馳を生む。次に草の祖、草野姫を生む。またの名を野槌と言う。
そして伊奘諾尊・伊奘冉尊は共に議り、「我々はすでに大八洲国をはじめ山川草木まで生んでいる。どうして地上世界の統治者を生まないでいようか。」と言った。
そこで、共に日神を生む。名を大日孁貴と言う。(大日孁貴、ここでは於保比屢咩能武智と言う。孁は、音は力丁の反である。ある書には、天照大神と言う。ある書には、天照大日孁尊と言う。)この子は、光り輝くこと明るく色とりどりで、世界の内を隅々まで照らした。それで、二柱の神は喜び「我々の子供は多いけれども、まだこのように霊妙不可思議な子はいない。長くこの国に留め置くのはよくない。すぐに天に送り、天上の事を授けるべきだ。」と言った。この時は、天と地がまだたがいに遠く離れていなかった。それで天柱を使って、天上に送り挙げたのである。
次に、月神を生んだ。(ある書には、月弓尊、月夜見尊、月読尊と言う。)その光りの色どりは日神に次ぐものであった。日神とならべて天上を治めさせるのがよいとして、また天に送った。
次に蛭児を生んだが、三歳になっても脚が立たなかった。それゆえ天磐櫲樟船に乗せ、風のまにまに捨てた。
次に素戔鳴尊を生んだ。(ある書には、神素戔鳴尊、速素戔鳴尊と言う。)この神は勇ましく残忍であった。そして、いつも哭くことをわざとしていた。このため、国内の多くの民を早死にさせ、また青々とした山を枯らしてしまった。それゆえ父母の二神は素戔嗚尊に勅して、「お前は、全く道に外れて乱暴だ。この世界に君臨してはならない。当然のこと、はるか遠く根国へ行かなければならない。」と命じ、遂に放逐したのである。
〔一書1〕御寓之珍子生み
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊が「私は天下を統治する優れて貴い子を生もうと思う。」と言い、左の手で白銅鏡を持つと、そこから化し出る神があった。これを大日孁尊と言う。右手に白銅鏡を持つと、また化し出る神があった。これを、月弓尊と言う。また首を廻らせて見たその瞬間に、化す神があった。これを、素戔嗚尊と言う。
先に化し出た大日孁尊および月弓尊は、ともに性質が明るく麗しかった。それゆえ、伊奘諾尊は両神に天地を照らし治めさせた。素戔嗚尊は、生まれつき残酷で害悪なことを好む性格であった。それで根国に下して治めさせた。
珍、ここでは「うづ」と言う。顧眄之間、ここでは「みるまさかりに(顧みるまさにその瞬間に)」と言う。
〔一書6〕人間モデル神登場による新たな展開
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊と伊奘冉尊は共に大八洲国を生んだ。
その後に、伊奘諾尊は、「私が生んだ国は朝霧だけがかすんで立ちこめ満ちていることよ。」と言った。そこで吹き払った気が化して神となった。名を級長戸辺命と言う。また級長津彦命と言う。これが、風の神である。また飢えた時に子を生んだ。名を倉稲魂命と言う。また、海神等を生んだ。名を少童命と言う。山神等は名を山祇と言い、水門神等は名を速秋津日命と言い、木神等は名を句句迺馳と言い、土神は名を埴安神と言う。その後に、悉くありとあらゆるものを生んだ。
その火神の軻遇突智が生まれるに至って、その母の伊奘冉尊は焦かれ、化去った。その時、伊奘諾尊は恨み「このたった一児と、私の愛する妻を引き換えてしまうとは。」と言った。そこで伊奘冉尊の頭の辺りを腹ばい、脚の辺りを腹ばいして、哭いて激しく涕を流した。その涕が落ちて神と成る。これが畝丘の樹下に居す神である。名を啼沢女命と言う。
遂に、帯びていた十握剣を抜き、軻遇突智を三段に斬った。それぞれ化してその各部分が神と成った。また剣の刃から滴る血は、天安河辺にある五百箇磐石と成った。これが経津主神の祖である。また、剣の鐔から滴る血がほとばしって神と成った。名付けて甕速日神と言う。次に熯速日神。その甕速日神は武甕槌神の祖である。(または、甕速日命、次に熯速日命、次に武甕槌神と言う。)また、剣の先から滴る血がほとばしって神と成った。名付けて磐裂神と言う。次に根裂神。次に磐筒男命。(一説には磐筒男命と磐筒女命と言う。)また、剣の柄から滴る血がほとばしって神と成った。名付けて闇龗と言う。次ぎに闇山祇。次に闇罔象。
こうした後に、伊奘諾尊は伊奘冉尊を追って黄泉に入り及びいたって共に語った。その時、伊奘冉尊は「私の愛しい夫よ、どうして来るのがこんなに遅かったのですか。私は黄泉で煮炊きした物をすでに食べてしまったのです。でも、私はこれから寝ようと思います。お願いですから、けっして私をご覧にならないでください。」と言った。伊奘諾尊はそれを聴かず、こっそり湯津爪櫛を取り、櫛の端の雄柱を引き折り松明として見ると、膿がわき、蛆虫がたかっていた。今、世の人が夜に一つ火を灯すことを忌み、また夜に投げ櫛をすることを忌むのは、これが由縁である。
その時、伊奘諾尊はおおいに驚き、「私は、思いもよらず何と嫌な汚穢い国に来てしまったことだ。」と言い、すぐに急いで走り帰った。その時、伊奘冉尊は恨んで「どうして約束を守らず私に恥をかかせたのか。」と言い、泉津醜女(一説では泉津日狭女と言う)八人を遣わし、追い留めようとした。ゆえに、伊奘諾尊は剣を抜き、後ろ手に振りながら逃げた。さらに、黒い蔓草の頭飾りを投げた。これがたちまち葡萄と成った。醜女はこれを見て採って食べた。食べ終えると、更に追った。伊奘諾尊はまた湯津爪櫛を投げた。たちまち竹の子に成った。醜女はまたも、これを抜いて食べた。食べ終えるやまた追ってきた。最後には、伊奘冉尊もまた自ら来て追ってきた。この時には、伊奘諾尊はすでに泉津平坂に至っていた。(一説では、伊奘諾尊が大樹に向かって小便をした。するとこれがすぐに大河と成った。泉津日狭女がその川を渡ろうとしている間に、伊奘諾尊はすでに泉津平坂に至った、という。)そこで、伊奘諾尊は千人力でやっと引けるくらいの大きな磐でその坂路を塞ぎ、伊奘冉尊と向き合って立ち、遂に離縁を誓う言葉を言い渡した。
その時、伊奘冉尊は「愛しい我が夫よ、そのように言うなら、私はあなたが治める国の民を、一日に千人縊り殺しましょう。」と言った。伊奘諾尊は、これに答えて「愛しい我が妻よ、そのように言うならば、私は一日に千五百人生むとしよう。」と言った。そこで「これよりは出て来るな。」と言って、さっと杖を投げた。これを岐神と言う。また帯を投げた。これを長道磐神と言う。また、衣を投げた。これを煩神と言う。また、褌を投げた。これを開齧神と言う。また、履を投げた。これを道敷神と言う。その泉津平坂、あるいは、いわゆる泉津平坂はまた別に場所があるのではなく、ただ死に臨んで息の絶える間際、これではないか、とも言う。
伊奘諾尊は黄泉から辛うじて逃げ帰り、そこで後悔して「私は今しがた何とも嫌な見る目もひどい穢らわしい所に行ってしまっていたものだ。だから我が身についた穢れを洗い去ろう。」と言い、そこで筑紫の日向の小戸の橘の檍原に至り、禊祓をした(身の穢れを祓い除いた)。
こういう次第で、身の穢れをすすごうとして、否定的な言いたてをきっぱりとして「上の瀬は流れが速すぎる。下の瀬はゆるやかすぎる。」と言い、そこで中の瀬で濯いだ。これによって神を生んだ。名を八十枉津日神と言う。次にその神の枉っているのを直そうとして神を生んだ。名を神直日神と言う。次に大直日神。
また海の底に沈んで濯いだ。これによって神を生んだ。名を底津少童命と言う。次に底筒男命。また潮の中に潜ってすすいだ。これに因って神を生んだ。名を中津少童命と言う。次に中筒男命。また潮の上に浮いて濯いだ。これに因って神を生んだ。名を表津少童命と言う。次に表筒男命。これらを合わせて九柱の神である。その中の底筒男命・中筒男命・表筒男命は、これが住吉大神である。底津少童命、中津少童命、表津少童命は、安曇連らが祭る神である。
そうして後に左の眼を洗った。これによって神を生んだ。名を天照大神と言う。また右の眼を洗った。これに因って神を生んだ。名を月読尊と言う。また鼻を洗った。これに因って神を生んだ。名を素戔嗚尊と言う。合わせて三柱の神である。
こういう次第で、伊奘諾尊は三柱の御子に命じて「天照大神は、高天原を治めよ。月読尊は、青海原の潮が幾重にも重なっているところを治めなさい。素戔嗚尊は天下を治めなさい。」と言った。
この時、素戔嗚尊はすでに年が長じていて、また握りこぶし八つもの長さもある鬚が生えていた。ところが、天下を治めようとせず、常に大声をあげて哭き怒り恨んでいた。そこで伊奘諾尊が「お前はどうしていつもそのように哭いているのだ。」と問うと、素戔嗚尊は「私は根国で母に従いたいのです。だから、哭いているだけなのです。」と答えた。伊奘諾尊は不快に思って「気のむくままに行ってしまえ。」と言って、そのまま追放した。
〔一書7〕激烈なシーンで化成する激烈な神
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊は剣を抜き軻遇突智を斬り、三つに刻んだ。そのうちの一つは雷神となった。もう一つは大山祇神と成り、一つは高龗と成った。
〔一書8〕
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊は軻遇突智命を斬り、五つにばらした。これがそれぞれ五つの山祇に化成した。一つは首で大山祇と成った。二つは身体で中山祇と成った。三つは手で麓山祇と成った。四つは腰で正勝山祇と成った。五つは足で䨄山祇と成った。
〔一書9〕一方的な絶縁スタイル
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊は妻に会いたくなり、殯斂のところへ行った。すると伊奘冉尊は、まだ生きているかのように、伊奘諾尊を出迎え共に語った。そして伊奘諾尊に、「私の愛しい夫よ、どうかお願いです、私を決して見ないで下さい。」と言った。そう言い終わると忽然と姿が見えなくなった。このとき暗闇となっていた。伊奘諾尊は一つ火を灯してこれを見た。すると、伊奘冉尊の身は膨れあがっていて、その上に八色の雷がいた。
伊奘諾尊は驚き逃げ帰った。その時、雷達が皆起きあがり追いかけてきた。すると、道端に大きな桃の樹があった。伊奘諾尊はその樹の下に隠れ、その実を採って雷に投げると、雷達はみな退き逃げていった。これが、桃で鬼を追い払う由縁である。そして、伊奘諾尊は桃の木の杖を投げつけ、「これよりこちら側には、雷は決して来るまい。」と言った。この杖を岐神と言う。元の名は来名戸之祖神と言う。
〔一書10〕黄泉との完全なる断絶
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊は後を追って、伊奘冉尊のいる所に至った。
そして語って、「お前を失った事が切なく悲しくてやって来たのだ。」と言った。伊奘冉尊は、「親族のあなたよ、どうか私を見ないで下さい。」と答えた。伊奘諾尊はそれには従わず伊奘冉尊を猶も見た。それ故、伊奘冉尊は恥じ恨んで、「あなたは私の様子を見てしまった。私もあなたの様子を見る。」と言った。このとき伊奘諾尊も自らを恥じた。
そこで、そこを出て帰ろうとした。この時、ただ黙って帰らず、盟って「必ず離縁しよう」と言った。そしてまた「親族のお前には負けない。」と言った。そこで誓いを固めるために唾を吐いた。その唾から生まれた神を、名付けて速玉之男と言う。次に、次に、これまでの事柄を一掃したことから生まれた神を、泉津事解之男という。合わせて二柱の神である。
その妻と泉平坂で相戦う時になって、伊奘諾尊は、「始め、私が親族のお前のために悲しみ、また慕ったのは、私が弱かったからだ。」と言った。すると、泉守道者が、「伊奘冉尊のお言葉があります。『私はすでにあなたと国を生みました。どうしてさらに生きる事を望みましょうか。私はこの国に留まります。あなたと一緒にこの国を去ることはしません。』と仰いました。」と言った。この時、菊理媛神からも言葉があった。伊奘諾尊はそれを聞いて褒めた。そして、去って行った。
しかし、伊奘諾尊は自ら泉国を見た。これは全く良くないことだった。この穢れを濯ぎ払おうと思い、すぐに粟門や速吸名門を見に行った。しかしこの二つの海峡は潮の流れが非常に速かった。それ故、橘小門に帰り、穢れを濯ぎ払った。
その時に、水に入って磐土命を吹き生んだ。水から出て、大直日神を吹き生んだ。また入って、底土命を吹き生んだ。水を出て、大綾津日神を吹き生んだ。また入って、赤土命を吹き生んだ。そして水から出て、大地・海原の諸々の神々を吹き生んだ。
不負於族、これを「うがらまけじ」と読む。
〔一書11〕天照大神の天上統治と農業開始
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊は、三柱の子それぞれに「天照大神は、高天原を治めよ。月夜見尊は、日と並んで天を治めよ。素戔嗚尊は、海原を治めよ。」と勅任した。
『日本書紀』第六段 現代語訳
〔本伝〕
そこで(根国への追放処分を受け)、素戔嗚尊は伊奘諾尊に請い、「私はいま勅命を奉じて根国に行こうとしています。ですから、しばらく高天原に出向き、姉(天照大神)とお会いしてその後、永久にこの世界から退去することにしたいと思います。」と言った。伊奘諾尊はこの請願を勅許した。そこで、素戔嗚尊は天に昇り、天照大神のもとに詣でたのである。
この後、伊奘諾尊は、はかり知れない仕事をすでにやり遂げ、霊妙な命運が遷るべきであった。それで終の住み処となる幽宮を淡路の洲に構え、ひっそりと身をとこしえに隠したのである。またこうした伝えもある。伊奘諾尊は、その仕事がすでに行き届き、德も偉大であった。そこで天に登り、天神に報告した。これにより、日の少宮に留まり宅むのである。少宮、ここでは「倭柯美野」と云う。
伊耶那岐命/伊奘諾尊(イザナキノミコト)の鎮座地
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