神武東征ルートを行くシリーズ
目次
どこまでもアツく奥ゆかしい日本建国神話である「神武東征神話」。でも、「それってホントにあったの?」「ウソでしょ!?」「実際どこよ?」的な興味と疑問にお答えするシリーズ。
なんと、嬉しいことに西日本を中心に「多分ココ的なところ」を集めたスポットがあるのです!
それが、顕彰碑とか伝承碑の皆さんm9( ゚Д゚) ドーン!
日本建国神話の舞台ですから、超パワースポットであります。その地その地が選ばれたのは理由があるからで、それらの謎とかを神話ロマンと合わせて探っていこうという、これまた激しく奥ゆかしい取組みが本シリーズであります!
今回は、「高城(たかき)」を取り上げます。
「高城」
東征神話では兄猾誅殺後、神武が兵たちをねぎらう「歌」の中に出てくる地名です。
詳細の経緯はコチラ↓で確認ください。
今回、
たまたま発見して、ついつい立ち寄ってしまった高城伝承地。実際に確かめてみた結果をご報告です。
菟田の高城|書紀にも古記にも記載無し。まじりっけなしの民間伝承地は、山登りがモーレツだった件
入口は、166号線沿いにあります。
▲こちら、166号線(榛原街道)を北上する風景から。榛原の方へ向かってます。
すると、166号線沿いに看板が立っております。
この看板にヤラレてしまったわけですよ。
高城!?
そりゃおめえ、例の歌だなっ?だな?!兄猾やっつけたときの勝利の歌だな?そりゃてーへんだ!
しかも
▲画像粗くてすみません。偶然発見した看板には、、、
神武天皇が頭八咫烏に導かれて大和の国に入ってきたとき、軍の休息に築いたと言われている。
とのこと。しかも、日本最古の城跡???
ほんまかいな!
『日本書紀』にも『古事記』にも、そんな記述はありませんが、、、どういうこと???
ということで、
興味が先走り、向かってみたわけです。
すると、、、
▲神武ゆかりの地?! 菟田の高城!!!!!
ほほう。
たまたまとは言え、ええとこ見つけたかも!?
ということで、
さらに進むと、、、
Σ(゚Д゚)
こ、ここ登るんすか???
めっちゃ山道ですけど、、、
と、ここまで来て引き下がるわけにもいかず、、、
登る
登る登る、、、
どこまでいくねん!伝承地!
まだですか、、、
まだ先ですか。。。
たいがいにせい!
と、思った矢先、、、
キタ – .∵・(゚∀゚)・∵. – ッ!!
や、やっとか。。。
で、
コレ。
▲神武天皇御東征 菟田高城
これだけ??
さ、寂しすぎる。。。
説明看板がぽつんと立っておりまして、、、
▲とのことです。
いやいや!
神武が休息した場所とか一切書いてないやん!!
治外法権とか、知らんがな!
な、なんなんだこの場所は。。。
やはり、書紀にも古事記にも載ってないということは、100%民間伝承ということだと思います。
そもそも「高城」とは猟場であり、罠を仕掛ける場所であります。それがこんな山の中である訳が無く、、、
勢いだけで山の頂上へ来てしまいましたとさ。
乙!
ということで、
行きましょう。
恒例の。
勝手に認定結果
いつもの委員会とは違いますね。
観光協会の皆様、こちら、
と、させていただきます。ご確認の程何卒よろしくお願い申しあげます。
高度500m!
まとめ
菟田の高城
登山手前の看板には、「神武天皇が頭八咫烏に導かれて大和の国に入ってきたとき、軍の休息に築いたと言われている。」とありますが、肝心の高城伝承地にはそんな説明は一切ございませんでした。
しかも、神武一行は、熊野の険しい山々を、道を穿ち(うがち)ながら、大変な作業をして、ようやく宇賀志へ辿りついた訳で、そんなときに、わざわざ山に登って休もうとする感覚が良く分からない。。。
ま、「だってそこに山があるから」と言われればそれまでですが。。。
説明文の一貫性の無さや、やけに山に登りたくて仕方ない方にはオススメのスポットであります。
余談ですが、高倉山顕彰碑周辺の植林とこのへん一帯の植林の「格の違い」を勝手に感じました。
高倉山顕彰碑は流石、植林されている木は「桧(ひのき)」であります。
一方、市の観光協会によって開発されたこの一帯は、「杉(すぎ)」であります。
桧と杉、その種類の違いに「格の違い」を感じた次第。ま、このへんはどうでもいいか。
菟田の高城
〒633-2136 奈良県宇陀市大宇陀大熊678
車一台停められるスペースがあります。登山道入り口まで進んでいきましょう。
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