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神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ
今回は10回目。兄猾と弟猾をめぐる神話をお届けします。
頭八咫烏の道案内と、「日臣」改め「道臣」による活躍によって、熊野越えを果たした神武一行。
現在の奈良県宇陀市の宇賀志に到ります。
ここから大和をめざす訳で、「先住勢力=敵の制圧」を中心に物語が展開します。
制圧にあたっては2名の忠臣「道臣」と「椎根津彦」が大活躍。
東征神話自体は、天孫である「彦火火出見=神武」を主役として展開しますが、これはこれで当然として、一方で注目すべきは、神武以外の臣下が活躍するところ。
これは、天孫、または神々の流れを汲む者(彦火火出見)以外の、「人間」にスポットライトが当たるという事でもあります。
さて、最初の制圧ターゲットは「兄猾」と「弟猾」兄弟。
この2名は、宇陀に勢力を張る在地豪族的存在。
兄の兄猾は反抗し、弟の弟猾は恭順します。
これは、「兄の邪悪・劣弱、弟の善良・優強」という古代兄弟譚の類型によるもの。
いつの時代も、兄は何をしでかすかわからない存在なんですよね。弟はそんな兄の言動を見て冷静に対処する感じ。。。汗
兄猾は「謀」を企てます。
新しい宮を造り、その建物の中に圧殺機を仕掛ける。その上で、神武一行を饗宴に誘い、何も知らずに宮に入ってきた彦火火出見を圧殺しようという訳。なんて恐ろしい。。。
ところが、弟猾がこれを密告。マジか。。。弟よ(;゚д゚)
彦火火出見は、将軍「道臣」を派遣し、逆に兄猾を自ら作った圧殺機で殺すわけです。「引きずり出してさらしてバラバラに斬る」といった血なまぐさい表現も出てきます。
反抗した兄のケリがついた後、弟は饗宴を催し、神武一行をねぎらいます。流石、弟。あっぱれにも程がある。。。
ということで、
- 兄猾・弟猾討伐は何を伝えているのか?
この「謎」を探ることで、「兄猾・弟猾攻略」の意味を考えます。
今回も『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお伝えします。ちなみに、前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。
兄猾と弟猾|弟は聡く帰順したが、兄は謀(はかりごと)を企んだのでさらして斬った件
神武東征ルートと場所の確認
今回のお話では、長距離移動は伴わないので、位置関係だけ整理しておきます。
まず、敵布陣の位置関係。
あとで判明しますが、高倉山に登ると敵は「ての字陣形」を展開していました。

宇陀一帯に入るルートは2つ。
- 370号線を北上し入るルート
- 16号→166号線を北上し入るルート
なので、上記「手の字陣形」を踏まえると、370号線は敵が多すぎるため選択できなかったと考えられます。なので、16号→166号線で宇賀志へ入るルートになります。

まずは山越えを優先し、盆地に出られる場所を探った訳です。頭八咫烏は神の使いですから、そんなところも踏まえて道案内したのでしょう。
ちなみに、宇賀志へ入ったあとは高倉山を経てさらに北上。現在の宇陀市榛原へ。
そこから大和の地へ進軍するわけです。これぞまさしく「神策」どおりで、東から西へ大和へ攻め込む、つまり太陽を背に戦うという事ですね。
なんとしてでも榛原の地を攻略する必要があった。そのための前哨戦として今回のシーンが位置づけられます。
現代語訳:兄猾と弟猾
秋、8月2日[1]に、「彦火火出見」は、「兄猾」と「弟猾」[2]という者を召し出させる。この二人は「菟田県」を支配下に置く首領である。
兄の「兄猾」は姿を見せず、弟の「弟猾」はすぐにやってきた。
弟猾は軍門を拝し、告げて言う。
私の兄「兄猾」が反逆を企てております。
天孫(彦火火出見)がこの地にたどり着こうとしている事を聞き、直ちに兵を起こして襲おうとしていたところ、東征軍の威勢をはるかに望み見て、まともには戦えないと怖れたのです。
そこで企てを案じ、兵をひそかに伏せ、仮の新しい宮を造り、その建物の内に「人を圧殺するからくり機」を用意しております。それで饗宴に招待すると偽って誘い出し、待ち構えて殺そうとしているのです。
どうかこの偽りと企てを知り、しっかりと備えてください。
彦火火出見は道臣命を遣わし、その反逆の企ての始終を確認させた。
「道臣命」は「兄猾」には確かに彦火火出見を殺害しようとする「心」があるのを知って激怒し、
「こいつめ!うぬが造った宮に、うぬが自分で入ってみろ!」
と荒々しい声で叱責した。さらに剣の柄をぎゅっと固く握り、弓を強く引きしぼり、兄猾を追いたてた。
兄猾は、天によって罰を受けるのと同じようにどうにも言い訳ができなくなり、そこで自ら中に入りからくり機を踏み、圧死したのである。
それから道臣命は兄猾の屍を引き出し、さらしてバラバラに斬った。流れ出る血はくるぶしまで達した。それゆえ、その地を「菟田血原」という。
兄猾反抗のケリがつき、弟猾は、今まで見た事のないような酒や肴を取り揃え、饗を催し彦火火出見をねぎらった。彦火火出見はその酒肴を兵士達に分け与え、そこで「御謡」を詠んだ。
菟田の猟場である「高城」に「鴫罠」をかけた。獲物がかかるのを待っていると、鴫はかからず、なんと鯨[3]がかかった。先に娶った妻が肴を所望すれば、ソバグリのような実のほとんどないものをいっぱい(与えておこう)、後添えの妻が所望すれば、イチサカキのような実の多いものをいっぱい(与えてやろう)。
これを来目歌 [4]と言う。今、「楽府 [5]」でこの歌を演奏するときは、大小の手の動きと、太細の声とがある。これは古式が今に残ったものである。
注釈
[1]甲午が朔(ついたち)にあたる乙木
[2] えうかし・おとうかし兄弟は、「兄の邪悪・劣弱、弟の善良・優強」という兄弟譚の類型によるものです。
[3]天皇を獲る罠に逆に罠を仕掛けた兄猾(鯨)がかかったという事です。ここでは弟猾がふるまった素晴らしいご馳走の意味も含まれています。
[4]来目は熊野から大和へ入る際に、道臣が率いてきた戦士集団を指し、彼らに天皇が謳いかけた歌にちなむ名称
[5]宮廷の音楽・歌謡を司る役所の名。持統天皇元年正月朔条に楽宮(うたまいのつかさ)の例がある
原文
秋八月甲午朔乙未、天皇使徵兄猾及弟猾者。是兩人、菟田縣之魁帥者也。時、兄猾不來、弟猾卽詣至、因拜軍門而告之曰
「臣兄々猾之爲逆狀也、聞天孫且到、卽起兵將襲。望見皇師之威、懼不敢敵、乃潛伏其兵、權作新宮而殿內施機、欲因請饗以作難。願知此詐、善爲之備。」
天皇卽遣道臣命、察其逆狀。時道臣命、審知有賊害之心而大怒誥嘖之曰
「虜、爾所造屋、爾自居之。」
因案劒彎弓、逼令催入。兄猾、獲罪於天、事無所辭、乃自蹈機而壓死、時陳其屍而斬之、流血沒踝、故號其地、曰菟田血原。
已而弟猾大設牛酒、以勞饗皇師焉。天皇以其酒宍、班賜軍卒、乃爲御謠之曰、
于儾能多伽機珥 辭藝和奈陂蘆 和餓末菟夜 辭藝破佐夜羅孺 伊殊區波辭 區旎羅佐夜離 固奈瀰餓 那居波佐麼 多智曾麼能 未廼那鶏句塢 居氣辭被惠禰 宇破奈利餓 那居波佐麼 伊智佐介幾 未廼於朋鶏句塢 居氣儾被惠禰。
是謂來目歌。今樂府奏此歌者、猶有手量大小、及音聲巨細、此古之遺式也。
『日本書紀』巻三 神武紀より
まとめ
兄猾と弟猾
ここでのポイントは3つ。
- 本シーンは、これ以降、大和入りへ向けた「在地豪族の制圧」が主要テーマになる転換点である事。
- 制圧にあたっては、臣下が活躍。これは、「神代から人代への大転換」を象徴している事。
- 彦火火出見は、先の孔舎衛坂敗戦から学び、まずは使者を立てて恭順の意向を確認している事。
東征軍が目指す大和へ進軍するためには、奈良県榛原宇陀の地を攻略する必要がありました。
これは、東から西へ攻め込む、つまり太陽を背に戦い日神の力を受けて勝ち進める為。孔舎衛坂敗戦時にめぐらせた「神策」が根拠ですね。
熊野の山を越え、人が住む「人界」に入っていった先には、多くの在地豪族が勢力を張っている訳で。
このシーン以後、戦闘に次ぐ戦闘。軍勢や策略がモノをいう人界ならではの展開という事ですね。
そんな展開だからこそ、彦火火出見自ら手を汚す事はせず、臣下の活躍を通じて敵を殺し制圧を進めていくのです。
この結果、臣下の活躍が目を引くことになりますし、結果的にそれほどの臣下を率いている彦火火出見の価値が上がっていく仕掛けになっています。
非常に良く練られた構成だと思います。
一方で、臣下=人間の活躍は、神代の流れを引き継いでいた神話に新たな要素を付加していきます。
それが「神代から人代への転換」。
この転換は突然行われるのではなく、このような「必要性をもった経緯」から段階的に行われます。
なので、最終的に橿原即位に至って、本格的な「人代」がスタートするときもスムースに移行されるようになっている訳です。
最後に、もう一つのポイントとして、「召し出す」という所にふれておきます。
これは、使者を立てて恭順の意向を確認したという事。
今までに無い、初めて出てくる言葉です。
このシーン以降、主要な敵キャラには全て、使者を立てて意向を確認する作業が入ってます。
これは、先の敗戦である「孔舎衛坂の戦い」とは全く異なるやり方。
孔舎衛坂では、右も左もわからずとにかく突っ込んでいった感じで、戦い方として非常に稚拙でした。
情報不足と己への過信・驕りもあって、見事に敗戦を喫すわけですが、ある意味当然とも言えますね。
一方、本シーンでは、まず使者を立てる行動を取り、それでも帰順しないのであれば徹底的に叩く、というやり方ですね。
ここに彦火火出見の成長を見ることができます。
訳も分からずとにかく突っ込んでいくやり方から、使者を立て相手の意向を確認した上で対応を決めるやり方へ。
この点も大きな転換であり、成長であり、非常に面白いポイントだと思います。
オススメ伝承地
古事記中心のスポットですが、以下。
そして、民間伝承として以下。わざわざ山に登る意味が。。。
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本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他
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