神武東征ルートを行くシリーズ
目次
どこまでもアツく奥ゆかしい日本建国神話である「神武東征神話」。でも、「それってホントにあったの?」「ウソでしょ!?」「実際どこよ?」的な興味と疑問にお答えするシリーズ。
なんと、嬉しいことに西日本を中心に「多分ココ的なところ」を集めたスポットがあるのです!
それが、
顕彰碑とか伝承碑の皆さんm9( ゚Д゚) ドーン!
日本建国神話の舞台ですから、超パワースポットであります。その地その地が選ばれたのは理由があるからで、それらの謎とかを神話ロマンと合わせて探っていこうという、これまた激しく奥ゆかしい取組みが本シリーズであります!
今回は、「忍坂(おっさか)」を取り上げます。
「忍坂」
今の地名は「忍阪(おっさか)」となっていて、「坂→阪」へ変わってます。
ま、そんなこと誰も知らねーよ状態ですが、東征神話においては重要スポット。
「忍坂」の地が持つ意味とは?神武東征神話においてどのような意味があるのか?
そんなロマンを探ることで、この地が伝える神話的意味を探ります。
忍坂(おっさか)|大室を建てて八十梟帥残党の掃討作戦を実行した地。忍阪街道と合わせて見どころまとめてみた件
忍坂の日本神話的背景
忍坂は、国見丘の戦いのあと、残党討伐作戦で登場します。以下。
その後でも、打ち破った八十梟帥の残党がなお多数いて、情勢は予断を許さない。
そこで、彦火火出見は振り返って道臣命に命じた。「お前は「大来目部」を率いて、忍坂邑に大きな家を造り、盛大に饗宴を催し、賊どもをおびき寄せて討ち取れ。」
道臣命はこの密命を承り、忍坂に地面に穴ぐらを掘って室とし、大来目部の勇猛な兵を選び、賊のあいだに紛れこませた。そして、密かに手筈を定め命じた。「酒宴が盛りをすぎたあと、私が立ち上がって歌を歌おう。お前たちは私の歌う声を聞いたと同時に、一斉に賊どもを刺し殺せ。」
いよいよ皆が座り酒杯をめぐらせた。賊はこちらにひそかな計略があることも知らず、心にまかせて酔いしれた。その時、道臣命が立ち上がって歌った。
[ 忍坂の 大室屋に 人多に 入り居りとも 人多に 来入り居りとも みつみつし 来目の子らが 頭槌い 石椎い持ち 撃ちてし止まむ ] (忍坂の大きな室屋に、人が大勢いても、人が大勢入っていようとも、勇猛な来目の者たちが、 頭槌の太刀、石槌の太刀を持って(敵を)撃たずに止むものか)その時、こちらの兵士はこの歌を聞き、一斉に頭槌の剣を抜き、一気に賊を斬り殺した。賊の中に生き残る者は一人もいなかった。
(『日本書紀』巻三 神武紀より抜粋)※原文中の「天皇」という言葉は、即位前であるため、生前の名前であり東征の権威付けを狙った名前「彦火火出見」に変換。
詳細の解説はコチラ↓でご確認いただくとして、
忍坂掃討作戦のポイントをまとめると、
- 忍坂は、山と平地の間に位置する場所。
- 山の敵は、山で決着をつける。そのために、その境界に位置する忍坂で饗宴を催し、残党を集め一挙に殲滅したという事。
- 担当は、将軍「道臣(みちのおみ)」。武力の象徴。対「山の敵」対策。
てことで。
東征神話的には、この忍坂掃討作戦以降、いよいよ大和平野へ入っていく展開であり、忍坂は「山→平野への転換スポット」として位置づけられてます。コレ、しっかりチェック。
忍坂の場所
奈良県桜井市忍阪。
↑こちら、「忍阪(おっさか)」交差点そばの郵便局の場所。まずは目印として。
▲交差点の名前に「忍阪(おっさか)」!
▲166号線沿い。奈良から大宇陀・榛原へ向かう道。このあたりが忍坂。奥の山々は、国見丘とかです。あの山から、八十梟帥(やそたける)残党をこの地におびき寄せた訳ですね。
「大室」を建てて残党を集めようとした訳で、しかも、山からおびき寄せるくらいなんで、相当デカイ建物だったはず。そして相当すごい饗宴だったはず。。。って、コレ、神話ロマン。
忍阪交差点から、166号線沿いに大宇陀・榛原方面へ向かうと、、、
▲左へ入る道(忍坂街道)の角に「歴史街道」の立札が立っているところがあります。
それを入ると、、、
あ!あれだ!
ま、まじか。。。傾いとる。。。(;゚Д゚)
▲忍坂道伝承地道 の文字
このあたりは、、、
▲うっそうと生い茂る草、、、「大室」どのへんに建てたんでしょうね?ロマンはどこまでも広がります。
ということで、忍坂については以上。。。
て、、なんか、、、とてつもない寂寥を感じるのはなぜだろう?
碑、傾きまくってたしな。。。
とにかくこれで終わると後味が悪すぎるので、、、
実は、忍阪交差点から、こんな感じで、「忍阪街道」というのが整備されていますのでご紹介しておきます。
▲忍阪交差点から166号線を大宇陀・榛原方面へ歩いていくと、すぐ小道に入るところがあります。
▲忍阪街道。平和な田舎の雰囲気満載やー。
以下、主要な見どころです。
忍阪坐生根神社(おっさかに います いくねじんじゃ)
三輪の大神神社と同じく本殿がなく、後ろの宮山(忍坂山の一部)を御神体とした神社。
少彦名命と額田部氏の祖先・天津彦根命(あまつひこねのみこと)を祀っています。
▲ちょっとした広場になってます。
神籠石(通称:ちご石)
神武が八十梟帥掃討するときに、この石にかくれ、石垣をめぐらし盾としたらしいです。
そうですか。。
舒明天皇陵
第34代天皇。629年即位。天武天皇、天智天皇のお父さん。舒明ファミリーを形成。この舒明陵、とてもユニークな形です。八角形。
忍阪街道から山の方へ入っていった奥にあります。
三段ある四角形の土台の上に、八角形の上円部が乗っかってる形だそうです。イメージ図は以下の通り。
▲たしかに、これは珍しい!
ということで、再び166号線に出てきます。
ほんと、ちょっとした観光地形成されてる感じで、ただ、今となってはそんな訪れる人いないんだろーな感満載でした。
まとめ
忍坂(おっさか) 伝承地
国見丘で撃破した八十梟帥(やそたける)の残党らを殲滅するために、この地に大室を建て饗宴をひらいておびき寄せ、一気にやっつけた場所。
東征神話的には、忍坂掃討作戦以降、いよいよ大和平野へ入っていく展開であり、「山→平野への転換スポット」ということ。結構重要なスポットであります。
そんな忍坂は、今では「記紀万葉の里」として、そこはかとなく観光地が形成されてますので、お時間がございましたらお立ち寄りいただければ幸いです。ご確認の程よろしくお願い申しあげます。
忍坂伝承地
橿原から大宇陀へ向かう道、166号線上にあります。交差点「忍阪(おっさか)」が目印です。
駐車場:なし
トイレ:なし
その他のスポットはコチラで!
こちらの記事もどうぞ。オススメ関連エントリー
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
日本神話編纂の現場!奈良にカマン!
記事中「榛原方面へ向かう道」という記述が2回ありますが、
この道は(榛原へ行けないこともありませんが)普通は「大宇陀へ向かう道」です。
忍阪の一住人
すんちゃん様
投稿ありがとうございます。
修正させていただきました!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
さるたひこ