熊野速玉大社は、和歌山県新宮市にある神社。
ココ、熊野三山の一つで、全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮。
孝謙天皇の時代(749~758年)に、「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、熊野三山の中で最も早く『熊野権現』の称号を得た由緒ある神社です。
「勅額」とは、天皇が国内の社寺院に特に与える「直筆の書で記された寺社額」。直筆のお墨付きですね。
境内は、熊野川の流れを背にした千穂ケ峰のふもとにあり、静謐な空気が流れています。
今回は、そんな歴史と由緒をもち、全国数千社とも言われる熊野神社系列の総本宮「熊野速玉大社」をご紹介します。
熊野速玉大社|日本第一大霊験所&根本熊野権現!全国3千社ある熊野神社の総本宮は衆生の苦しみや病気を癒す「薬師如来」と習合し「過去世の救済」ご利益で絶大な信仰をあつめていました。
目次
熊野速玉大社の創建経緯
古来より、すぐそばの千穂ケ峰の一部、神倉山の山頂付近にある「ゴトビキ岩」をご神体とする自然崇拝が源流。熊野信仰の原点です。
「熊野速玉大社」社伝曰く、
『熊野権現御垂迹縁起』等もろもろの書によると、熊野権現(熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神の熊野三神のこと)は最初、神倉山に降臨しましたが、その後、景行天皇58年(128年)に、この地に社伝を建てて熊野神をお迎えしたことが創始とされます。
このことから、最初の降臨地である神倉山の「神倉神社」を「旧宮」、新しく遷った「熊野速玉大社」を「新宮」と呼びます。
ちなみに、『熊野権現御垂迹縁起』とは、熊野権現が紀州熊野に鎮座し世に知られるようになった経緯を記した書物。ですが、その完本は現在には伝わっておらず。。。なので、よくわかりません。。
時代は下り、奈良時代。
孝謙天皇代(749~758年)に、天皇より「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、熊野三山の中で最もはやく『熊野権現』の称号を得ます。
尚、
「熊野権現」についてココでご紹介。本社のご祭神理解には欠かせない要素なので。
「熊野権現」とは、今でいうと「熊野三山に祀られる神」のことで、「熊野神」とか「熊野大神」とも呼ばれます。コレ、本地垂迹思想のもとで、神が「権現」と呼ばれるようになった時の名前。
「本地垂迹」とは、仏教が全国展開&興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つ。日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として、この地に現れた「権現」である、と。
本体である仏や菩薩が「本地」、仮に神となって現われることが「垂迹」。二つ合わせて「本地垂迹」。そして、仮に現れた神のことを「権現」という訳です。
もともと在地にあった神様や自然崇拝の対象が、仏教的体系の中に組み込まれてしまうという恐るべき思想。信仰していた神様が、ある日、実はそれは仏さまが化身として現れたんだよ、こっちが本元だよって言われるのって、、、汗
流石に無理筋なので、新しい名前を生み出して融合させたわけで、それが「権現」。
そんなこんなで奈良時代の末期になると、
熊野権現3神のうち、「熊野速玉大神」は衆生の苦しみや病気を癒す「薬師如来」とされ、「過去世の救済」ご利益を獲得するようになります。
またお妃の「熊野夫須美大神」は「現世利益」を授ける「千手観音菩薩」、「家津美御子大神」は「来世浄土」へ導く「阿弥陀如来」として位置づけられるように。。。スゴ。。。
これが、山伏や熊野比丘尼らの活躍により「熊野権現信仰」は大きなムーブメントとして広がり、全国に数千に及ぶ御分社が祀られるようになります。
これが、今でいう「全国に三千社以上と言われる熊野神社の総本宮」とされる経緯。なんせ、「過去・現在・未来の3つの時間軸」と「対応するご利益」を得た訳で。
中世になると「ごんげんさん」はさらに庶民の間でも広く信仰を集めるように。
過去世救済、現世利益、来世加護を説く「三熊野詣」こそ、滅罪・甦りへの道である!として、「蟻の熊野詣」の名のごとく熊野街道はめちゃくちゃ賑わったという次第。熊野古道も、こうして確立された訳ですね。
尚、この中世のころには、速玉、本宮、那智大社の3つセットで「熊野三社」も確立されていたようです。永保3年(1083年)の『熊野本宮別当三綱大衆等解』が現存する中で熊野三山とする記述の最初。
なので、順番的には、神倉→速玉、からの、本宮、そして那智への展開といった感じ。
いずれにしても、
自然崇拝の原始的な形から、日本神話体系を経て本地垂迹のもとで仏教体系と習合し、過去・現在・未来とご利益を獲得して最強のパワーを得たことで「熊野権現全国展開の道を拓いた」経緯をチェックです。
- 熊野信仰の原点は、千穂ケ峰の一部である「神倉山」山頂にある「ゴトビキ岩」をご神体とする自然崇拝。
- 奈良時代になると、日本神話体系が導入され、さらに、本地垂迹思想のもとで「熊野権現」という名前を獲得。
- 奈良時代末期には、「熊野速玉大神」は衆生の苦しみや病気を癒す「薬師如来」とされ、「過去世の救済」ご利益を獲得。
- 中世になると、過去世救済、現世利益、来世加護を説く「三熊野詣」こそ、滅罪・甦りへの道!として庶民の間でも広く信仰を集めるようになりました。
- そんな中で、古く天皇から「日本第一大霊験所」の勅額を賜ったり、熊野三山の中で最もはやく『熊野権現』の称号を得るなど、熊野信仰の中心的スポットとして位置づけられていたのが、ココ「熊野速玉大社」という次第。
熊野速玉大社の場所
和歌山県新宮市新宮1。熊野川(新宮川)のすぐ近くで、神倉神社がある千穂ケ峰のふもと。
「速玉」の社名の由来に、船の舳先で黒潮の怒濤を切り裂く水しぶきを聖なる飛沫として「速玉」と呼んだという説もあり、熊野灘へ流れ込む「熊野川」付近の立地は結構重要ポイントであります。
かつ、後ほど触れますが、「熊野権現」が最初の降臨した地は背後の山「千穂ケ峰」であり、ふもとという近さもポイントかと思います。
入口はこんな感じで、「熊野速玉大社」は住宅街の中にそっと鎮座。
- 熊野灘へ流れ込む「熊野川」付近の立地であること。これは社名の由来説の一つに。
- 背後の山「千穂ケ峰」のふもとであること。「千穂ケ峰」の一つ「神倉山」は御祭神「熊野権現」の降臨地とされてます。
熊野速玉大社の境内
▲鳥居に大きく「熊野権現」! ココが全国の熊野神社の総本宮!歴史はココから始まった。。。このドキドキ感。熊野詣での中心地へ!
▲「熊野速玉大社」境内はとってものんびりとした雰囲気で、、、心地よし。この奥行きのある空間がステキです。
▲こちら「熊野速玉大社」「神門」。古来、この地を目指してどれほど多くの参拝客が訪れたことか。。。『伊勢へ七度、熊野へ三度』のいわれです。
▲こちらが「熊野速玉大社」拝殿!この奥に、速玉宮、結宮などの神殿があります。つ、ついに。。。熊野権現総本宮キタ━(゚∀゚)━!
しかも!
▲世界遺産!紀伊の地の霊場と参詣道。の碑!
熊野速玉大社のご祭神とご利益
「熊野速玉大社」は、全部で12の社殿があり、まーたくさんの主要な神様が祀られております。
主祭神は、「熊野速玉大神」(▲写真右手)と「熊野夫須美大神」(▲写真左手)。
なお、速玉神は実は、伊奘諾尊(♂)とされ、夫須美神は伊奘冉尊(♀)とされております。。。つまり、日本神話体系が入ってるってことですね。
御利益:
- 「熊野速玉大神」は衆生の苦しみや病気を癒す「薬師如来」として「過去世の救済」
- 「熊野夫須美大神」は衆生を漏らさず救済する「千手観音菩薩」として「現世利益」
その他、以下一覧。社殿、ご祭神、本地仏の順でご紹介。先ほどご紹介した、熊野は神仏習合の地なので、本地仏も列挙しておきます。
上四社
- 第一殿(結宮)熊野夫須美大神(熊野結大神・伊奘冉尊(♀))・・・千手観音
- 第二殿(速玉宮)熊野速玉大神(伊奘諾尊)・・・薬師如来
- 第三殿(証誠殿)家津美御子大神・国常立尊・・・阿弥陀如来
- 第四殿(若宮)天照大神・・・十一面観音 + (神倉宮)高倉下命・・・(本地仏なし)
中四社
- 第五殿(禅児宮)天忍穂耳尊・・・地蔵菩薩
- 第六殿(聖宮)瓊々杵尊・・・龍樹菩薩
- 第七殿(児宮)彦火火出見尊・・・如意輪観音
- 第八殿(子守宮)鵜葺草葺不合命・・・聖観音
下四社
- 第九殿(一万宮)国狭槌尊・・・文殊菩薩 + (十万宮)豊斟渟尊・・・普賢菩薩
- 第十殿(勧請宮)泥土煮尊・・・釈迦如来
- 第十一殿(飛行宮)大戸道尊・・・不動明王
- 第十二殿 米持宮 面足尊 多聞天
これだけ多くの神様を祭ってます。過去・現在・未来の時間軸を網羅し、ありとあらゆるご利益あり!!!
- 主祭神は「熊野速玉大神」と「熊野夫須美大神」。速玉神は「伊奘諾尊(♂)」で本地仏は「薬師如来」、夫須美神は「伊奘冉尊(♀)」で本地仏は「千手観音菩薩」。
- 御利益は、「熊野速玉大神」は「過去世の救済」、「熊野夫須美大神」は「現世利益」。
- 主祭神の他、上中下中社にもたくさんの神様が祭られてます。本地仏対応も要チェックです。
その他もご紹介。
熊野神宝館
「熊野速玉大社」境内にある国宝級の神宝が展示されています。全1204点。室町時代に皇室と足利義満の奉納と伝えられております。保存状態良し、種類多し、しかも類品皆無!「当代最高の古文化財」として是非チェックされてください。熊野神宝館の展示物はコチラで!
蒔絵手箱十一合、玉佩二リュウ、挿頭華三十枚、金銅鳥頸太刀二口、彩絵檜扇十握、装束などは特に有名。
それはそうと、神宝館の前に置いてあったこのお方が、一人もの凄いインパクトを発揮されてました。。。w
これは何だ? そして、誰??
御神木「梛」なぎ
樹齢千年のナギの大樹。「熊野権現の象徴」とされてきました。道中安全を祈り、この葉を懐に納めてお参りすることが習わしだったとか。
熊野詣 奉八度の記念碑
▲熊野詣での本地本元ですから。
手力男神社(左)と八咫烏神社(右)
▲八咫烏は、神武東征神話で登場するカラス。熊野の山で神武一行が道に迷ったときに天照大神が派遣し、道案内を担当しました。熊野と密接な関係があるカラスさんですね。一方の、手力男は、、、ちょっとよくわかりません。
熊野稲荷神社
商売繁盛のご利益で全国展開中。
- 境内にある八咫烏神社は要チェック!八咫烏は神武東征神話で登場する3本足のカラス。熊野の山で神武一行が道に迷ったときに天照大神が派遣し、道案内を担当しました。
- 詳しくはコチラで⇒「頭八咫烏の導きと熊野越え|山で迷って進退窮まる!?天照による2度目の救援は「天孫降臨」の再現だった件|分かる!神武東征神話No.9」
まとめ
熊野速玉大社
和歌山県新宮市にある神社。ココ、熊野三山の一つで、全国に祀る三千社を超えるの熊野神社の総本宮。
孝謙天皇の時代(749~758年)に、「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、熊野三山の中で最もはやく『熊野権現』の称号を得ております。神仏習合の背景を色濃く持つこの地。熊野信仰の中心的位置づけであり、超重要スポットであります。
「熊野速玉大社」境内は熊野川の流れを背にした千穂ケ峰のふもとにあり、静謐な空気が流れていました。熊野詣でとして是非参拝いただき、過去・現在・未来における、ありとあらゆるご利益をゲットされてください。
熊野速玉大社
所在地 | 〒647-0081 和歌山県新宮市新宮1 |
営業時間 | 日の出~日没(授与所は8~17時) 熊野速玉神社のHPはコチラ! |
電話 | 0735-22-2533 |
駐車場 | あり(無料) |
アクセス | JR紀勢本線「新宮駅」より1kmちょっと(15分ほど) |
▲「熊野速玉大社」駐車場ビュー
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