神倉神社|天磐盾(ゴトビキ岩)がご神体の神倉神社は日本神話的超絶パワースポット!

神倉神社@新宮市

 

「神倉神社」は和歌山県新宮市にある神社。

ココ、日本でも、いえ、世界を見渡しても唯一無二なんじゃないかと思えるくらいモノスゴいスポット。

新宮市内最高峰の「千穂ヶ峰」の東南端にある「神倉山」。その頂上付近、標高120mくらいのところに「神倉神社」がへばりつくように建ってます。

「神倉神社」へ登る石段は、角度垂直。ロック・クライミングか!と総ツッコミを許容する凄まじさ。一度見れば度肝を抜かれること間違いなし。

しかも、神武東征神話で登場し、物語における重要な転換点として位置づけられる場所。

しかもしかも、全国約3千社もある熊野神社系列のご祭神「熊野権現」が、いちばん最初に降臨したのがこの地という伝承もあり。

いや、もう、ほんと紹介ネタに尽きない超絶さ。今回は、そんなハードの面でもソフトの面もモノスゴイ神社「神倉神社」をご紹介します。

 

神倉神社|天磐盾(ゴトビキ岩)がご神体の神倉神社は日本神話的超絶パワースポット!

神倉神社:天磐盾(ゴトビキ岩)の持つ日本神話的背景

まずは、当サイトならではの「神倉神社」に関連する日本神話をご紹介。

これをチェックすれば、神倉神社の超絶な重要性がご理解いただけるはず! マジヤバいすよ、ココ。

神倉神社は、日本神話の中でも神武東征神話で登場。

東征神話では、

天磐盾あまのいわたてとして伝えられてます。

神武東征神話は、日本の建国神話。詳しくはコチラで!

東大阪の孔舎衛坂くさえさか敗戦により、紀伊半島を一周して大和へ入るルートへ変更せざるを得なかった神武天皇。

東大阪→和歌山(竈山)→新宮と、紀伊半島をぐるっと回って「神邑」に上陸した神武天皇は、ココ天磐盾あまのいわたてに登り、はるか眼下に広がる熊野灘を見て、そこで軍を引いて徐々に進みます。

ついに 狭野さのを越えて熊野の「神邑みわのむら」 に至る。そして「天磐盾あまのいわたて」に登る。そこで軍を引いて徐々に進む。 (遂越狹野而到熊野神邑、且登天磐盾、仍引軍漸進。) (『日本書紀』巻三神武紀より一部抜粋)

ちなみに、、、

「軍を引く」は、東征神話において、孔舎衛くさえさか坂敗戦とココの2か所でしか出てこない重要表現。「東征=進軍することが大前提」なわけで、その逆を行く行動は「よほどの事」と解釈すべきです。

なぜ神武は軍を引いて、徐々に進んだのか?

これが重要なポイントで。

実際、この後、とんでもないことが起こります。

  • 熊野灘を進むと、突然、暴風雨に遭い一行の船は木の葉のように揺れ漂ってしまう。
  • このとき、次兄の「稲飯命いなひのみこと」 が剣を抜き、荒れ狂う海に身を投じて「鋤持神さいもちのかみ」となる。
  • 次いで、3兄の「三毛入野命みけいりののみこと」もまた、恨み言を言い、波の先を踏んで「常世とこよの国」に往ってしまった。これにより兄たちの全てを失う。

と、まあ「熊野灘の受難」とも言うべき事態が次々に発生するわけです。

なお、神武こと「彦火火出見ひこほほでみ」は4人兄弟。

先の東大阪・孔舎衛坂くさえさか敗戦により長兄を亡くし、この地で残りの二人の兄も亡くし、つまり最大の協力者であるお兄さんたちを全て失ってしまうのです。なんてこった。

ココ、熊野の地と「天磐盾あまのいわたて」は、そうした恐るべき事態が発生する直前に訪れた場所。

神倉神社では是非、眼下に広がる熊野灘を見ながら、神武がなぜ軍を引いたのか?どんな気配を察知したのか?そんな神話ロマンを感じていただきたい!!! 最後に答えを解説!

▲神倉神社から眺める熊野灘ビュー。神話をもとに眺めると、とても深みがでて味わい深いビューへ変化♪

ということで、日本神話をもって現場へゴー!

 

神倉神社:天磐盾(ゴトビキ岩)への道

「神倉神社」自体は、市内最高峰の「千穂ヶ峰」の東南端にある神倉山の頂上付近にあります。

和歌山県新宮市内にある「新宮駅」からおよそ1km、熊野速玉大社より500mほどの地に鎮座。

天磐盾 神倉神社

▲住宅街に突如生えてきた!と思うくらいズドンと垂直に切り立つ山、というより岩山。で、「神倉神社」は標高120mあたりに鎮座なう。

 

天磐盾 神倉神社

▲入口は閑静な住宅地の中、学校の目の前にあります。「神倉神社」が持つ神話的背景とは想像もつかない「ほんわか」な入口です。

 

神倉神社の創建経緯

神話の時代から登場する「神倉神社」。

日本神話では「天磐盾あまのいわたて」として登場しますが、もともとは、ご神体であるゴトビキ岩に象徴されるように、山岳信仰とか巨岩信仰といった原始的な信仰の形があって、そこに、後代、日本神話体系が導入され、仏教体系が加わり「熊野信仰」として全国展開していく、、といった経緯。

中でも重要なのは、

熊野権現くまのごんげんが、最初に降臨した場所である

って事。

全国数千社ある熊野神社の御祭神である「熊野権現」、その最初の降臨がココ神倉山だったということは、此の地が超絶パワースポットであることを物語るものであります!

熊野権現、熊野信仰の詳細はコチラ☟でチェックされてください。

神倉山に降臨した熊野権現は、景行天皇58年(128年)、現在の熊野速玉大社の地に遷座。これにより、最初の降臨地である「神倉神社」を「旧宮」、新しく遷った速玉を「新宮」と呼びます。あわせてチェック。

尚、近くにある阿須賀神社では別伝として、最初に神倉降臨、その後阿須賀に遷ったことも伝えます。コチラも是非。

いずれにしても、最初に降臨した地がココということで、「神倉神社」は「熊野根本神蔵権現」あるいは「熊野速玉大社奥院」と称されるようになりました。

平安時代以降、修験者が集うようになり、熊野参詣記にもその名が登場するようになっていきます。

近世においては、境内に社殿、崖上に拝殿があったようですが、一気に時代は下り、明治3年(1870年)年の台風で倒壊。その後荒廃したため、明治40年(1907年)に熊野速玉大社に合祀されました。さらに昭和に入って社務所や鳥居などが再建されてます。

現在は、熊野三社の一つである「熊野速玉大社」の摂社。

境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、および世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部になってます。

尚、「神倉神社」の巨岩は、少し離れたところ、三重県熊野市にある花窟はなのいわや神社の巨岩とセットとして位置づけられていました。神倉のゴトビキ岩が「陽石」、花窟が「陰石」。いずれも、熊野の巨岩信仰がもとになってます。こちらもチェックされてください。

 

「神倉神社」のポイント①熊野権現が最初に降臨した地、それが神倉山

  • もともとは、山岳信仰とか巨岩信仰といった原始的な信仰アリ。後代、日本神話体系が導入され、仏教体系が加わり「熊野信仰」として全国展開していきます。
  • 神倉山に降臨したとされる熊野権現は、景行天皇58年(128年)、現在の熊野速玉大社の地に遷座。これにより、最初の降臨地である「神倉神社」を「旧宮」、新しく遷った「速玉大社」を「新宮」と呼びます。
  • 現在は、熊野速玉大社の摂社としての位置づけ。さらに、国の史跡「熊野三山」の一部であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部になってます。
  • 巨岩繋がりで、三重県熊野市にある花窟はなのいわや神社の巨岩も要チェック。神倉のゴトビキ岩が「陽石」、花窟が「陰石」とされてます。

 

神倉神社:天磐盾(ゴトビキ岩)の境内

ココからは、神倉神社の境内の様子をご紹介。

「神倉神社」境内入口には橋が架かっていて、コチラの世界と彼方の世界をつないでいます。

天磐盾 神倉神社

▲橋を渡るとそこは「熊野大神降臨の聖域」であり「神武東征神話の舞台」であります。ドキドキしながら進みましょう。

 

天磐盾 神倉神社

▲コチラ、神武東征神話で登場する「天磐盾あまのいわたて」の解説碑。気分アガるわ~⤴ 日本神話をもって現地を見ると、見方が変わるでしょ?

 

天磐盾 神倉神社

境内を進むと、、、

 

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なんやこの石段は!!!!!??? すさまじい角度、急こう配!!!インパクトは写真の3倍!

 

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▲って、この石段、本気で登るの???度肝抜かれっぱなしの「神倉神社」。写真ではなかなか伝わりづらいですが、、、ほぼ垂直。むき出しの岩段。。。爆汗

コチラ、源頼朝が寄進したと伝わる538段の石段。もうちょっとちゃんと石を積んでほしかったでござる。。。

 

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▲ある程度登ったところで後ろを振り返るの図。分かりますかね?階段が先の方でいきなり無くなってる感じ。急すぎるので見切れてしまうのです。。。

 

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▲最初の踊り場的広場。ぜーぜー。。。 コレは水が必要だ。。。夏とかヤバいので水分補給しながら登りましょう。

 

「火神社」と「中ノ地蔵堂」

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▲左が「火神社」。右が「中ノ地蔵堂」。ココ上倉は「火の祭り」でも有名です。

火のお祭りは「御燈おとう祭り」と呼ばれ、約1400年の伝統を持つモノスゴイお祭り。「あがり子」と呼ばれる白装束の男たち約2千人が、燃えさかるたいまつを手に、急な参道を駆け降りるというとんでもない火祭りです。暗闇に浮かび上がる勇壮な炎の帯、、、ってはっきり言って超危険です。

KyodoNewsより引用

 

って、まだまだ続く、、、

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▲やや勾配はゆるやかに、されどゴツゴツ石段は続きます。

 

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▲どこまで続くんだ、、、石段に次ぐ石段。ゴツゴツ階段!それが「神倉神社」!

 

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▲山桜が美しい。。。参拝したのは3月末。桜の季節だったんで、とてもいい感じでした。ウグイスが、ほーほけきょと鳴いてます。

 

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▲って、やっと見えたーーー!!!「神倉神社」の本殿か! ぜーぜー。。。

 

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▲山の湧き水?清流? いずれにせよ谷水の手水舎。

 

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▲磐です。全体的に。 巨大な。 ハイ。 スゴイなコレ。。。「神倉神社」

そして!!!

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おおおおおおおおおおおおおおおおおお!これが、神武が見た景色!

あのころ、あの時、神武が進もうとしていた熊野灘方面は、きっとどんよりとして嵐を予感させる雲が立っていたに違いない!

ああ、なんて神話ロマン。って後ほど解説。

 

「神倉神社」のポイント②唯一無二の石段を登った先に見えるのは神武が見たであろう熊野灘ビュー

  • 源頼朝が寄進したと伝わる538段の石段。ほぼ垂直&むき出しのゴツゴツ岩階段がスゴイです。
  • 15分ほど登るとその先には、新宮市を一望できるナイスなスポットあり。これこそ神武が見たであろう熊野灘ビュー。

そして!

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▲おおおおおおお!これが「神倉神社」ご神体の巨岩!「ゴトビキ岩」!!!

神武東征神話では、「天磐盾」に登ったとあるので、、つまり、神武はコイツの上に登ったんだろう。。。流石、、

地元では、「琴引岩」とも表記。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言だとか。。。ま、似てなくもないか。

 

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スゴイ迫力です。コレは間違いなくもの凄いパワースポットだ。。。

 

神倉神社:天磐盾(ゴトビキ岩)のご祭神

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  • 高倉下命たかくらじのみこと
  • 天照大神

ご祭神である「高倉下たかくらじ」は神武東征神話に登場。

熊野灘のシーンのあと、「荒坂津あらさかのつ」で「熊野の神」が現れ、突如、東征一行に毒気を吹きかける。。。猛毒にヤラレた彦火火出見ひこほほでみはじめ将兵たちは危篤きとく状態に陥りますが、天照大神が救援の手をさしのべます。「武甕雷神たけみかづちのかみ」を通じ、神代・葦原中國あしはらなかつくに平定時に使用された「韴霊剣ふつみたまのつるぎ」を使い覚醒。危機脱出!という次第。

このとき登場し、神武に剣を奉って、一行を覚醒させたのが高倉下たかくらじさん。救世主であります。詳細はコチラ↓

何かと東征神話と関連がある神社。ご祭神が、なぜ天照大神と一緒に祭られてるのか?も神話をチェックすれば理解できますね。

ご参拝のときは、特に、東征神話の知識は必須であります。

 

神倉神社に関連する日本神話補講

冒頭で解説した、神倉神社に関連する神武東征神話について補足解説&答え合わせを。

神武天皇が「天磐盾あまのいわたて」に登り、はるか眼下に広がる熊野灘を見て、そこで軍を引いて徐々に進んだ。というところ。

改めて、「軍を引く」は、東征神話において孔舎衛くさえさか坂敗戦とココの2か所でしか出てこない重要表現。「東征=進軍することが大前提」なわけで、その逆を行く行動は「よほどの事」と解釈すべき事態。

なぜ神武がは軍を引いて、徐々に進んだのか?

コレについて日本神話補講!

実際、この後、「熊野灘の受難」とも言うべきとんでもないことが次々発生。

  • 熊野灘を進むと、突然、暴風雨に遭い一行の船は木の葉のように揺れ漂ってしまう。
  • このとき、次兄の「稲飯命いなひのみこと」 が剣を抜き、荒れ狂う海に身を投じて「鋤持神さいもちのかみ」となる。
  • 次いで、3兄の「三毛入野命みけいりののみこと」もまた、恨み言を言い、波の先を踏んで「常世とこよの国」に往ってしまった。これにより兄たちの全てを失う。

で、、

読み解きのポイントは、なんでこんなことが起こるの?というところ。

コレ、日本神話的には

熊野は、「伊奘冉系の、何をしでかすかわからない荒ぶる神々が棲む世界の入り口、境界の地」とも言える場所だから

ということなんす。そういう場所の設定がある。

実際、「天磐盾あまのいわたて」より先、神武天皇が進んだところには伊奘冉尊を祭る花窟神社があり。で、花窟神社は『日本書紀』第五段〔一書5〕で伝えるように、伊奘冉尊の鎮魂祭祀を行ってる場所だったりします。

『日本書紀』第五段

そもそもが、

日本神話的には、「生を代表する伊奘諾尊」と「死を代表する伊奘冉尊」という、生と死の対立構造があります。

で、伊奘諾尊が生んだ天照大神、そして天照大神の子孫である神武天皇。当然、神武天皇は「生」を代表する側の系統にいる。

「死」の側の伊奘冉的には、そんなヤツが近づいてきたら、、、もっというと、泉津平坂よもつひらさかで酷い別れをした伊奘諾の、その子孫がやってきたわけで。。。やっつけたくなるのも分かりますよね。。。

●必読→ 『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第6 ~人間モデル神登場による新たな展開~

実際、足を踏み入れた神武天皇は暴風雨はじめ数々の受難に遭遇する。。 ?コレって、、神武的には、とばっちり??

てことで、

神武天皇が「天磐盾あまのいわたて」に登り、眼下に広がる熊野灘を見たとき、ただならぬ気配を察知したのはそういう伊奘冉系のヤバさ。死の香り。だからこそ「軍を引いて徐々に進んだ。」という行動に出た訳ですね。

ココ神邑は、そういう意味で、「伊奘冉系の、何をしでかすかわからない荒ぶる神々が棲む世界の入り口、境界の地」とも言える場所だったりするのです。コレ、超絶神話ロマン。

▲神倉神社からの熊野灘ビュー。神話をもとに眺めるととても深みがでて味わい深い景色。神話ロマンを全身に感じて!!

 

「神倉神社」のポイント③神武東征神話の舞台で神話ロマンに思いを馳せよ!

  • 御祭神は、高倉下と天照大神。高倉下は、神武東征神話において、神武のピンチを救出すべく遣わされた神。
  • ココ「天磐盾あまのいわたて」は、このあと起きる恐るべきイベントが発生する直前に訪れた場所。きっと熊野灘は、嵐の到来を予感させるどんよりと重たい雲が垂れ込めていたんだろう。

 

おまけ!

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「神倉神社」に参拝したのは3月下旬。ちょうど桜が咲いていて美しい景色に彩を添えておりました。

 

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桜を見ながら神話ロマンに思いをはせる。。。こんなに素敵な時間があるでしょうか?

 

まとめ

神倉神社

「神倉神社」は和歌山県新宮市にある神社。

新宮市内最高峰の「千穂ヶ峰」の東南端にある神倉山。その頂上付近、標高120mくらいのところにへばりつくように建ってます。

場所だけでなく、神社へ登る石段も角度垂直、ロッククライミングか何かかと思わせるすさまじさ。一度見れば度肝を抜かれること間違いなし。

しかも、神武東征神話で登場し、物語における重要な転換点として位置づけられる場所。参拝に当たっては神話知識は必須。

しかもしかも、全国約3千社もある熊野神社系列のご祭神「熊野権現」が一番最初に降臨したのがこの地という伝承もあり。

いや、もう、ほんと紹介ネタに尽きないスーパーな神社、それが「神倉神社」。ハードの面でもソフトの面もモノスゴイ!新宮を訪れた際は鉄板のスポットです。是非。

 

神倉神社

所在地 〒647-0044 和歌山県新宮市神倉1丁目13-8
営業時間 境内自由
https://kumanohayatama.jp/?page_id=18
電話 0735-22-2533(熊野速玉大社受付と同じ)
駐車場 あり(無料)
アクセス JR紀勢本線「新宮駅」より1kmちょっと(15分ほど)

 

こちらの記事も是非。神倉神社の本宮。熊野信仰総本宮はコチラ!

 

神倉神社(天磐盾)が登場する日本神話はコチラ!

 

どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!

日本神話とは?多彩で豊かな神々の世界「日本神話」を分かりやすく徹底解説!

日本書紀 現代語訳
『古事記』現代語訳
天地開闢
国生み神話

 



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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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