「花窟神社」は三重県熊野市にある神社。
ココ、「黄泉の国」を統治する伊奘冉尊(♀)が祀られている「ただならぬ地」。
高さ約45メートルの巨岩と古代から続く祭祀でもって「黄泉の国を司るお方」を鎮めているという「曰くつきのスポット」です。
実際、その巨大さは圧倒される感じで、黄泉の国=死のきな臭さ、すら感じる静謐さを感じました。
今回は、そんな日本神話ファンなら絶対に外してはならない超重要スポットを、神話的背景や位置づけも含めてぜんぶまとめてご紹介します。
花窟神社|伊奘冉尊の鎮魂祭祀の場!高さ45mの圧倒的な巨岩と神代から続く花の祭りが神話ロマンすぎる件
目次
花窟神社と伊奘冉尊をめぐる背景
少々長くなりますが、「花窟神社」の日本神話的背景を先にご紹介。
コレ、当サイトならでは。特に、「花窟神社」は日本神話の背景理解が必須。神話とリアルがつながってるなんて、サイコーだ!コレを知れば、参拝に深みがぐっと出てきますよ♪
「花窟神社」に関連する日本神話は『日本書紀』から。
●必読→:『日本書紀』と『古事記』の違いに見る「日本神話」の豊かさとか奥ゆかしさとか
で、
『日本書紀』巻一(神代上)第五段〔一書5〕に「花窟神社」創建に関わる伝承アリ。
コチラ!
ある書はこう伝えている。伊奘冉尊は火の神を生んだ時に焼かれ死んだ。そこで紀伊国の熊野の有馬村に葬った。その土地では、習俗としてこの神の魂を祭る時には、花をもって祭り、そして鼓や笛や旗を用いて歌い舞って祭るのである。
一書曰。伊奘冉尊生火神時。被灼而神退去矣。故葬於紀伊国熊野之有馬村焉。土俗祭此神之魂者。花時亦以花祭。又用鼓・吹・幡旗、歌舞而祭矣。 (『日本書紀』第五段〔一書5〕より)
●詳細解説はコチラで→ 『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第2,3,4,5 ~卑の極まりと祭祀による鎮魂~
第五段〔一書5〕はこれだけ。
ほんと、伊奘冉のために書かれたような伝承です。
『日本書紀』の神代紀において、
具体的な地名と祭祀方法まで伝えてるのは〔一書5〕だけ。
つまり、
それだけ「伊奘冉祭祀」が重要な位置づけだったことが伺える
という訳。ココしっかりチェック。
- 伊奘冉尊は火神(軻遇突智)を生んだ時に、その火によって焼かれ死んだ。
- そこで、紀伊国の熊野の有馬村に葬った。
- 伊奘冉の魂を祭る時には、花をもって祭り、そして鼓や笛や旗を用いて歌い舞って祭る。
神の時代から継承された祭祀。なんて奥ゆかしいんだ!
「花窟神社」参拝には、毎年、2月2日と10月2日に行われるお祭りも合わせてしっかりチェックです。
さて、
ココまでの話だけだと、伊奘冉が火神を産んだときに焼死したのね、それでお祭りしてるのね、で終わりなんですが、、、
コレだけじゃ終わらない!
のが日本神話。
先ほどご紹介した第五段〔一書5〕には続きがあって、、、それが、次の伝承〔一書6〕。
ココ〔一書6〕では、伊奘諾尊に対する恨みから、
「お前の世界の民を1日に千人縊り殺してやる!」
と呪詛する伊奘冉を伝えます。
縊り殺す、、、って、首をゴリっと捻って殺す恐ろしい殺人方法、、((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
その現場がコチラ。
火神によって焼死した伊奘冉を追いかけて死の世界(黄泉)へ行った伊奘諾尊。伊奘冉が課した「見るなの禁」を破ってしまい伊奘冉激怒。逃げ帰る伊奘諾尊が、この世(生)とあの世(死)の境である「泉津平坂」へ至ったところから。
この時には、伊奘諾尊はすでに泉津平坂に至っていた。そこで、伊奘諾尊は千人力でやっと引けるくらいの大きな磐でその坂路を塞ぎ、伊奘冉尊と向き合って立ち、遂に、離縁を誓う言葉を言い渡した。その時、伊奘冉尊は「愛しい我が夫よ、そのように言うなら、私はあなたが治める国の民を、一日に千人縊り殺してやる。」と言った。伊奘諾尊は、これに答えて「愛しい我が妻よ、そのように言うならば、私は一日に千五百人生んでやる。」と言った。
伊奘諾尊 已至泉津平坂 故便以千人所引磐石 塞其坂路 與伊奘冉尊相向而立 遂建絶妻之誓 時伊奘冉尊曰 愛也吾夫君 言如此者 吾當縊殺汝所治國民日將千頭 伊奘諾尊 乃報之曰 愛也吾妹 言如此者 吾則當産日將千五百頭 (『日本書紀』巻一(神代上)第五段〔一書6〕より一部抜粋)
●詳細解説はコチラで→ 『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第6 ~人間モデル神登場による新たな展開~
最後は、売り言葉に買い言葉ですか、、、汗
それにしても「縊り殺す」。。。
なんて恐ろしい、、、
ポイントは、
- 死者を代表する伊奘冉尊は「見るなの禁」を破った伊奘諾尊を恨んでいること。
- その恨みから、1日千人の人間を縊り殺しつづけていること。
- 一方で、伊奘諾は1日千五百人を生むとしてるので、人口は増えるし、死に対して生が優位という関係になってる
- 「伊奘諾尊=この世界=生」VS「伊奘冉尊=黄泉の国=死」、という対立構造があること。
の4つ。
それにしても、、、
伊奘諾尊が平坂に置いた千人がかりでやっと引けるくらいの巨大な磐(千人所引磐石)って、、、
「花窟神社」の巨岩のことなんじゃ???
くらいの勢い。いや、神話ロマンです。
つまり、ココ「花窟神社」の地とは、
鎮魂祭祀の場
である、てこと。しっかりチェック。
〔一書5〕〔一書6〕等の内容を踏まえると、
- 熊野の有馬村でずーっとお祭りをしている事をわざわざ伝えているという事は、それだけ祭祀が重要だという事=なんなら、祭祀を止めるとアブナイ。
- 何がアブナイって、その神話的背景から、死を司る伊奘冉尊は、伊奘諾に代表される生の世界に対する激しい恨みを抱いているから。
- だからこそ、鎮めるためには巨大な岩が必要だったし、お祭りすることがめちゃくちゃ大事だった。
という話。
こうした背景理解をもとに「花窟神社」を参拝すると、なんだか、おどろおどろしい感じがして。下手すると黄泉の国から伊奘冉尊がよみがえってくるんじゃないかって。。。なんて恐ろしい。。。
ね?神話ロマン、サイコーでしょ? これを踏まえて現地をチェックです!
花窟神社の創建経緯
日本神話的背景をチェックした後は、リアルな「花窟神社」をご紹介。
歴史的には、「花窟神社」は、昔から神殿がなく、巨岩を「伊奘冉尊の御神体」としてお祭りをしてきた次第。神社として格を得たのは明治時代のこと。
ちなみに、熊野三山の中心である本宮大社は、主神が伊奘冉尊の子である「家津御子神」であり、今も花を飾って祭りが始まります。このことから、「花の窟」は熊野三山の根源ともされております。
また、「花窟神社」の巨岩は、少し離れたところ、和歌山県新宮市にある神倉神社の巨岩とセット。花窟が「陰石」、神倉のゴトビキ岩が「陽石」。いずれも、熊野の巨岩信仰がもとになってます。
平成16年には、世界遺産として「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部に「花窟神社」が登録されています。
花窟神社の場所
「花窟神社」の場所は、三重県熊野市有馬町。
ね? コレ、先ほどチェックした通り、実は『日本書紀』に記されている地名。文献上は「熊野の有馬の村」。神代の伝承なのに、リアルな地名を伝えてるのは結構珍しいスポット。それくらい重要な場所だったんすよ。
って、ほら、日本神話を知ると、こんな楽しみ方ができるようになる!
社伝曰く、
「日本最古の神社」「神々が眠る日本最古の地・花の窟」というのも神代から続くというのが根拠となってます。
熊野灘に臨む、ゆるやかなカーブを描く七里御浜、、、
その、中央付近に、、、
ドーン!
と立っているのが「花窟神社」の巨岩。
ちなみに、熊野灘についてはコチラで⇒「熊野灘のおすすめ観光スポット|日本神話的熊野灘の位置づけと要チェック観光スポットをまとめてご紹介!」
▲パノラマで。熊野灘と七里御浜。ホント抜けるような空間が広がってます。
今回参拝させていただいたのが夕方前。
▲七里御浜の目の前に熊野街道が通ってます。道路を挟んですぐに花窟神社の入口アリ。標識があるのですぐに分かります。
▲駐車場から「花窟神社」入り口方面を見る図。トイレとか売店とかあります。右奥が「花窟神社」の入口です。
▲さー来ましたよ!黄泉の国の統治者、伊奘冉尊が鎮まる恐怖のスポット「花窟神社」です!!!
花窟神社の境内
ココから境内の様子をご紹介。なんども申し上げますが、黄泉の国=死を司る伊奘冉尊を祭る神社です。注意して進みましょう。
海岸近くなんで、防風林的な林を抜けていくと、、、
▲見えてきました!あそこが、、、荒ぶる神、伊奘冉の鎮まる地!一日千人縊り殺すって!
▲手水舎
▲手水舎の横にも、岩が! どこまでも「岩推し」な感じ、サイコーです!
いよいよです!!!
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
。。。写真に入りきりません!!
どどどどどどどどどどど!!!!
って、なんて巨大なんだ!!! 見上げる首が痛くなるっ!!
千人力でやっと引けるくらいの大きな磐(千人所引磐石)って、きっと、これくらいの磐だったのだろう。。嗚呼ロマン♪
▲コチラが「御綱掛け神事」でかけられる大繩。7本の縄で束ねられております。7つの意味は、伊奘冉尊が生んだ「7つの自然神」、風、海、木、草、火、土、水。
▲そして、ぶら下がっている幾何学模様の縦に細長いシロモノは、三貴神を意味する「旗縄」。太陽、月、暗黒。素戔嗚尊が暗黒の神だそうですが、、、
スゲー、、、なんかスゲーよマジで。
花窟神社のご祭神
- 伊奘冉尊
岩の下にある「ほと穴」。高さ6m、幅2.5m、深さ50cmほどの窪みです。ココが伊奘冉尊の葬地。玉砂利を敷きつめた祭場になってます。。。なしか死の気配が???
そして
- 軻遇突智尊
伊奘冉尊の巨岩の目の前。「王子の岩」と呼ばれる高さ12m程の岩。伊奘冉尊が生んだ軻遇突智尊を祭ります。子供なので「王子」の岩。
と、
母と子が一緒に祭られているという訳です。このあたりも神話ロマンをかきたててくれます。「花窟神社」サイコーです!
ところで、当神社には他にも重要事項が。それが祭祀です。
御綱掛け神事
「花窟神社」では年2回、例大祭を行ってます。
神々に舞を奉納し、約170mの大綱(しめ縄)を、岩の上から境内の南にある松の御神木にわたす神事。三重県無形文化指定。
『日本書紀』の記述にあるように、花を添え、楽器を鳴らしてお祭りしてるんですね。
ちなみに、縄については、こちら。
▲「花窟神社」にあった紹介図から。大繩は、7本の縄を束ねる極太のシロモノ。これは、伊奘冉尊が生んだ7つの神を象徴しているんですね。
その他
稲荷大明神社
開運を呼ぶ「黄金竜神」も祭ってます!
そして、最後に、神武東征神話とのつながりを。
神武東征神話における花窟の位置づけ
まずは、コチラをチェック。
要は、
神話世界においては、この地が「伊奘冉=黄泉(死)の国にいる神」を鎮め、祭る地として位置づけられていた
ということ。
これは、この地がいわゆる「黄泉の国=異界」と接する場所として、重要な位置づけをもっていた訳で、それは「死」とつながるきな臭さを持ってるのです。
だからこそ、東征において、突然暴風雨に遭遇し兄二人を喪失するところにつながるわけで。
「彦火火出見(神武)」は「天照大神」の子孫。天照は「伊奘諾尊♂」が生んだ神です。
つまり、神武は伊奘諾の系統にあり、黄泉=死の国の伊奘冉とは対立する訳です。
これが、先ほど「花窟神社」の神話的背景理解でご紹介した「生と死の対立構造」。
「伊奘諾の末裔」である神武が足を踏み入れてきたことで、ここに鎮まっていた「荒ぶる神」が東征一行に襲い掛かったという事。暴風雨はその象徴という訳ですね。
日本神話をこうして解釈すると、すごい深みとか奥行きが出てくると思います。コレ、神話ロマン。
「花窟神社」には、なので、神代と東征神話の2つをチェックして参拝されてくださいね。
まとめ
花窟神社
三重県熊野市にある神社で、黄泉の国を統治する伊奘冉尊が祀られています。
高さ約45メートルの巨岩と祭祀でもって「黄泉の国を司るお方」を鎮めているという「ただならぬ地」。
実際、その巨大さは圧倒される感じで、黄泉の国=死のきな臭さすら感じる静謐さを感じます。
日本神話ファンなら絶対に外してはならない超重要スポット「花窟神社」。是非、チェックされてください。
住所:三重県熊野市有馬町上地130
駐車場あり
トイレあり
コチラで☟三重県の神社をまとめております!
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