神武紀|八咫烏の導きと熊野越え|山で迷って進退窮まる!?天照による2度目の救援は「天孫降臨」の再現だった件|分かる!神武東征神話No.9

 

多彩で豊かな日本神話にほんしんわの世界へようこそ!

正史『日本書紀』をもとに、
最新の文献学的学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。

今回は、

神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ9回目。

テーマは、

八咫烏の導きと熊野越え

「熊野荒坂津」で神の毒気にあたって意識不明の重体に陥った「彦火火出見ほほでみ」こと神武。天照大神の救援により危機を脱しました。

さらに陸路を進みますが、今度は深く険しい熊野の山、、、越える道が分からず、進退窮まります。

そこで再び、天照大神が救援の手をさしのべる。「八咫烏やたがらす」を遣わし、東征一行の道案内をさせます。

ここで活躍するのが、「日臣命ひのおみのみこと」。彼の活躍により、無事、熊野を抜け菟田下県うだ の しもつあがたへ到着。ここは、菟田野うだの大宇陀おおうだ榛原はいばらの南半分にあたる一帯です。

なぜ八咫烏やたがらすが登場するのか?

その八咫烏やたがらすが道案内し、臣下である「日臣命ひのおみのみこと」が道を切り拓く物語は何を伝えているのか?

これらのロマンを探ることで、「熊野越え」の意味を考えます。

今回も、概要で全体像をつかみ、ポイント把握してから本文へ。最後に、解説をお届けしてまとめ。

現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄がここにあります。それでは行ってみましょう!

 

神武紀|八咫烏の導きと熊野越え|山で迷って進退窮まる!?天照による2度目の救援は「天孫降臨」の再現だった件

神武紀|八咫烏の導きと熊野越えの概要

今回も『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお届け。ちなみに、前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。

神武紀|熊野荒坂で全軍昏倒|神の毒気にヤラレて意識不明の重体に!?天照による危機救援は「葦原中國平定」再現の意味があった件|分かる!神武東征神話No.8

01/25/2016

「熊野荒坂津」からさらに陸路を進みますが、深く険しい熊野の山を越える道が分からず、進退窮まります。

そこで再び登場、天照大神!!!

コレも、神策の効果発動中だからこそ。

東征ルート

東から西へ、天の道に沿った動きだから天照大神の支援が得られるという訳。「八咫烏やたがらす」を遣わし、東征一行の道案内をさせるという救援の手がさしのべられる。

この烏(カラス)の飛来により、彦火火出見ほほでみは東征の成功を確信します。

で、

この熊野越えで活躍するのが、「日臣命ひのおみのみこと」。彼の活躍により、無事、熊野を抜け菟田下県うだ の しもつあがたへ到着。ここは、菟田野うだの大宇陀おおうだ榛原はいばらの南半分にあたる一帯。

「日臣命」はこの功績により、「道臣みちのおみ」という名前をもらいます。

 

東征ルートと場所の確認

荒坂で神の毒気にあたったのが、大泊から42号線へ入る急坂付近。

本文をそのまま解釈すれば、「道が絶えてしまった」ということは、山の奥深くに入り込んだということ。恐らく309号線の途上。

神武東征神話 東征ルート

309号線から北上し、北山村で169号線と合流→16号→166号線(伊勢街道)を辿るルート。

 

熊野の山 (9)
▲熊野上空から。険しい山々が続きます。

熊野を越え、山間のやや開けた盆地的な場所にでます。これが「菟田下県うだ の しもつあがた」。現在の宇陀南半分のエリア。で、この中の一つの村が菟田の「 穿邑うがちむら」。現在の宇賀志うかしです。

この「熊野越え」は、頭八咫烏やたがらすの道案内をもとに、臣下「日臣命ひのおみのみこと」の活躍により達成されました。東征神話の中でも、臣下の活躍が具体的に記述される初めての箇所です。

この「日臣命」は、「天忍日命あまのおしひのみこと」の末裔。「天忍日命あまのおしひのみこと」は、天孫降臨で「瓊瓊杵尊ににぎのみこと」に随伴、神の先ばらいを担当しました。

  1. 熊野の山を越え人里に出る展開のなかで、天照による救援の手が差し伸べられた事、
  2. 神代・天孫降臨てんそんこうりんで活躍した神様の末裔が、降臨のときと同じように天孫(神武)の進む道を切り拓いた事。

これらの設定を踏まえると、先の荒坂と同じく、この「熊野越え」もまた、重要な意味が込められている臭いがぷんぷんです。

 

神武紀|八咫烏の導きと熊野越え 現代語訳と原文

東征一行は中洲なかつしまに向かおうとした。しかし、山中は険しく、進むべき道もなかった。進退窮まり、踏みわたるべきところも分からない。

そのような状況の時、ある夜、彦火火出見ほほでみは夢をみた。その中で、天照大神が現れ、「私が、今から八咫烏やたがらすを遣わそう。それを道案内とするがよい。」と教えた。

果たして、八咫烏やたがらすが空から飛んできて舞い降りた。火火出見ほほでみは感嘆の声をあげ「この烏の飛来は、めでたい夢のとおりだ。なんと偉大なことよ、輝かしいことよ。我が皇祖の天照大神が、東征の大業を成し遂げようと助けてくれたのだ。」と言った。

そこで、臣下の大伴氏の遠祖「日臣命ひのおみのみこと」が、久米部を率いて、大軍の将として、山を踏みわけ道を通しながら、烏の飛び行く先を尋ね、仰ぎ見ながら追っていった。そうしてついに、菟田うだ下県しもつあがたにたどり着いた。道を穿うがちながら進んだので、その場所を名付けて菟田の穿邑うがちのむらという。(穿邑は、ここでは「うかちのむら」という。)

この時、彦火火出見ほほでみは勅して日臣命ひのおみのみことを褒め称えて言った。「お前は、忠実で勇猛な臣下だ。その上、よく先導の功を立てた。この功績をもとに、お前の名を改めて『道臣みちのおみ』とする。」

既而皇師、欲趣中洲、而山中嶮絶、無復可行之路、乃棲遑不知其所跋渉。

時夜夢、天照大神訓于天皇曰「朕今遣頭八咫烏、宜以爲鄕導者。」

果有頭八咫烏、自空翔降。天皇曰「此烏之來、自叶祥夢。大哉、赫矣、我皇祖天照大神、欲以助成基業乎。」

是時、大伴氏之遠祖日臣命、帥大來目、督將元戎、蹈山啓行、乃尋烏所向、仰視而追之。遂達于菟田下縣、因號其所至之處、曰菟田穿邑。

于時、勅譽日臣命曰「汝忠而且勇、加能有導之功。是以、改汝名爲道臣。」 (『日本書紀』巻三 神武紀より抜粋)

 

神武紀|八咫烏の導きと熊野越え 解説

八咫烏、、モスラ並みの大きさ?、バッサバッサと舞い降りて、、、って、すごい絵だ、、そんなロマンに想いを致しながら、、

以下詳細解説。

  • 東征一行は中洲なかつしまに向かおうとした。しかし、山中は険しく、進むべき道もなかった。進退窮まり、踏みわたるべきところも分からない。
  • 既而皇師、欲趣中洲、而山中嶮絶、無復可行之路、乃棲遑不知其所跋渉。

→「中洲なかつしま」=世界の中心、東征の目的地。超重要ワード。

中洲(なかつしま)|葦原中国の中心となる地!東征の目的地「中洲」まとめ

12/13/2021
熊野の山 (9)

山中は険しく、進むべき道もなかった。進退窮まり、踏みわたるべきところも分からない。」とある通り、熊野の険しい山の中でにっちもさっちもいかなくなってしまった模様。

ちなみに、、この熊野の遭難は、熊野神の仕業かも、、。

例えば、日本武尊やまとたけるのみことが、胆吹山いぶきやまの神を討ちに行って、神の逆襲にあって遭難するという伝承あり。

熊野の山々の物理的な険しさ厳しさというのがあるとは思いますが、荒ぶる神のしわざという観点で見てみるのもロマンが広がって◎。

で、

これまでの熊野灘の暴風雨、荒坂津での神の毒気含めて、「天磐盾」以降は、自然(あるいは、何をしでかすか分からない神)が襲い掛かるシリーズ、ってこと再度チェック。

大きな試練にぶち当たり、それを乗り越えていく、という壮大な神話的仕掛けが設定されてます。

熊野灘の後は「独り」。つまり、神武が自ら乗り越えていかないといけない。そこに男のロマンがある。その2。

で、

重要なのは、その試練の乗り越え方。

東征神話はそこに天照大神の関与・救援を入れてきてる。コレ、激しく重要で。

天照大神の救援は、それまで個人レベルの決意だった「東征」に、天照大神による「お墨付き」を与える意味がある、ってこと。一種のギャランティー。

天上における最高神であり、皇祖でもある天照大神が東征の成就を支援する。これほど大きな後ろ盾はありません。

かといって、ハンパな試練では天照大神も関与できない。誰もが納得、今、ここでヘルプ入らないでどーする天照状態にならないとダメで。そのためには、人のチカラではどーにもならん絶体絶命の危機ってのを用意する必要があり、それが、今回の「山中進退窮まる」。

しかも!

さらに重要なのは、

最終的に、東征成就、天皇即位したときに、神武は鳥見山で天神を祭るのですが、コレはこの救援・援助に対する「孝」として行う。コレ、日本神話版「御恩と奉公」。

『日本書紀』 巻第三(神武紀)

論功行賞と国見|エピローグ!論功行賞を行い、国見をして五穀豊饒の国「秋津洲(あきづしま)」を望み見た件|分かる!神武東征神話 No.25

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そしてそして、これが現在、皇室が行っている祭祀の根拠になってる訳です。天皇がなぜ祭祀を欠かさないのか?その理由がコレで。

壮大すぎる、、((;゚Д゚))))ガクブル

数千年の時を経て継承されてきたロマンが、伝統が、そのきっかけが、、、

実は、、、

山で道に迷いました。。。の件。

  • そのような状況の時、ある夜、彦火火出見ほほでみは夢をみた。その中で、天照大神が現れ、「私が、今から八咫烏やたがらすを遣わそう。それを道案内とするがよい。」と教えた。
  • 時夜夢、天照大神訓于天皇曰「朕今遣頭八咫烏、宜以爲鄕導者。」

→神代は神との交信は夢で行う??

夢に天照大神が現れ「私が、今から八咫烏やたがらすを遣わそう。それを道案内とするがよい。」とのことで、、

実は東征神話では、夢は結構大事な位置づけになってます。この後の宇陀攻略の時も同じく、危機的状況を打開するきっかけは「夢」。夢で見たこと・訓え(夢辞)が、局面打開の拠りどころとして使われてます。

天香山の埴土採取と顕斎|夢に見た天神の教えによりにより丹生川上で祭祀!それでもって敵を撃破しようとした件|分かる!神武東征神話No.12

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そして、、

ついに登場!「八咫烏やたがらす」!!!

あた」は約16cm。八で、約1mほど。「頭八咫烏」とは、頭部だけで八咫、つまり1mほどある巨大なカラスとして描かれてます。「頭」の字は、頭部であることを示すためのものなので、読みません。

ちなみに、、『古事記』では「八咫烏」なので全体で約1m。ま、それなりの大きさです。

頭だけで1mってことは、、まーまー大きいよ。。

モスラ並み??

いえ、モスラは「幼虫の体長が53m、成虫は体長135m・体重1万5千t・翼の大きさが250m(一説)」とのことなので、それよりは小さい。。それでも全長あるいは翼開長10mくらいはあったと推測されます。

ちなみに、、

烏菟うとという言葉あり。コレ、日と月の別名で、太陽の中に3本足のカラスが住み、月の中にウサギがいるという中国古代の伝説によるもの。

月のウサギは日々慣れ親しんでますよね。実は「月のウサギ」は、「太陽のカラス」とセットだったのです。

そもそも、「八咫烏やたがらす」自体はこうした伝説にちなむもの。天照大神が太陽神なので、太陽神の使者として頭八咫烏が飛来した、という訳。コレしっかりチェック。

次!

  • 果たして、八咫烏やたがらすが空から飛んできて舞い降りた。火火出見ほほでみは感嘆の声をあげ「この烏の飛来は、めでたい夢のとおりだ。なんと偉大なことよ、輝かしいことよ。我が皇祖の天照大神が、東征の大業を成し遂げようと助けてくれたのだ。」と言った。
  • 果有頭八咫烏、自空翔降。天皇曰「此烏之來、自叶祥夢。大哉、赫矣、我皇祖天照大神、欲以助成基業乎。」

→ここでの重要事項は、2点。

①天照大神に対して「皇祖」の呼称が初めて用いられた

我が皇祖の天照大神が(我皇祖天照大神)」とあり、天照大神に対して「皇祖」の呼称が使われてます。コレ、初。

つまり、神武が天皇の位に就くことができたのは、天照の「助成」があってこそ。この「助成」こそが天照大神を「皇祖」たらしめてることを言ってる訳ですね。

②これにより神武が東征の成功を確信した

東征の大業を成し遂げようと助けてくれたのだ(欲以助成基業乎)」とあります。「基業」とは、国家統治の業をいう言葉。

夢に天照大神が訓えた内容を、八咫烏の飛来によって確信した訳です。「基業」成就の有無を、神意の具体的あらわれによって確かめるの巻。

コレ、それまで個人レベルの決意だった「東征」に、天照大神による「お墨付き」が与えられ、神武自身もそれを確信する、という意味があって。

大きな試練中の時だからこそ、助けてもらえることへの気持ち的なありがたさとか、確信を通じて強くなれるところだとか、神武のマインド的な部分で大きな転換点として位置づけられます。

次!

  • そこで、臣下の大伴氏の遠祖「日臣命ひのおみのみこと」が、久米部を率いて、大軍の将として、山を踏みわけ道を通しながら、烏の飛び行く先を尋ね、仰ぎ見ながら追っていった。そうしてついに、菟田うだ下県しもつあがたにたどり着いた。道を穿うがちながら進んだので、その場所を名付けて菟田の穿邑うがちのむらという。(穿邑は、ここでは「うかちのむら」という。)
  • 是時、大伴氏之遠祖日臣命、帥大來目、督將元戎、蹈山啓行、乃尋烏所向、仰視而追之。遂達于菟田下縣、因號其所至之處、曰菟田穿邑。

→東征神話的伏線回収のところ。

改めて、東征発議。

東征発議と旅立ち

神武紀|東征発議と旅立ち|東征の動機とか意義とか建国の決意とかをアツく語った件 神武東征神話No.2

01/20/2016

ココで、「火瓊々杵尊は、天のせきをひらき、雲の路をおしわけ、日臣命ひのおみのみことらの先ばらいを駆りたてながらこの国へ来たり至った。」と語ってました。東征発議で天孫降臨の再現を予兆する伏線が設定され、このシーンで回収される訳です。

さらに、日本神話という大きな物語の中での伏線と回収も行われてます。

『日本書紀』神代紀第九段〔一書4〕では、次のように伝えてました。

「(高皇産霊神たかみむすびのかみが瓊々杵尊を天降らせた時)天忍日命あまのおしひのみことは、来目部くめべの祖先神の天槵津大来目あめくしつおおくめをひきいて、背に天磐靫あまのいわゆき(矢を入れる容器)を負い、腕に稜威高鞆いつのたかとも(弓を射るとき左手首に着けるもの)を着け、手に天梔弓あまのはじゆみ(山漆で造った弓)と天羽羽矢あまのははや(大蛇をもたおす強力な矢)をもち、八目鳴鏑やつめのなりかぶらの矢をそえ持ち、また頭槌剣かぶつちのつるぎを帯びて天孫の先導をされた。(『日本書紀』神代紀第九段〔一書4〕より一部抜粋)」

この、天孫降臨。天忍日命あまのおしひのみことが、天槵津大来目あめくしつおおくめをひきいてきらびやかに武装し、天孫の先導を行います。

で、

この天忍日命あまのおしひのみこと」が「日臣命ひのおみのみこと」の祖先であり、また、「天槵津大来目あめくしつおおくめ」が同じく東征の軍隊「大来目おおくめ」の祖先なんです。

要は、

神代、「天忍日命あまのおしひのみこと」「天槵津大来目あめくしつおおくめ」両者が瓊々杵尊の降臨を先導したように、その子孫である「道臣」と「大来目」が神武東征を先導する。

これが意味するのは、、、

天孫降臨の再現

熊野越えのエピソードを通じて天孫降臨を再現し、東征の正当性や神武の権威付けを狙ってる訳ですね。

◎天孫降臨
・主役 瓊瓊杵(ににぎ)(天孫)
・随伴先ばらい担当 天忍日命(日臣の先祖)
・状況 天から地へ、天孫が降臨する

◎熊野越え
・主役 神武(天孫)
・道の切り拓き担当 日臣命(天忍日の末裔)
・状況 山から人里へ、天孫が降りてくる

非常に練りに練られた神話です。日本書紀編纂チームの構想力が凄すぎて震える。。。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

神武東征神話 東征ルート

「そうしてついに、菟田うだ下県しもつあがたにたどり着いた」とあります。コレ、現在の宇陀南半分のエリア。で、この中の一つの村が菟田の「 穿邑うがちむら」。現在の宇賀志うかしです。

「宇賀志」は、穿邑の「穿(うがち)」に由来。「穿」は、穴をあけて通すこと、貫き通ること。

神武東征 (2)

↑166号線(榛原街道)を北上、榛原の方へ向かう風景。

次!

  • この時、彦火火出見ほほでみは勅して日臣命ひのおみのみことを褒め称えて言った。「お前は、忠実で勇猛な臣下だ。その上、よく先導の功を立てた。この功績をもとに、お前の名を改めて『道臣みちのおみ』とする。」
  • 于時、勅譽日臣命曰「汝忠而且勇、加能有導之功。是以、改汝名爲道臣。」 

→日臣命の功績を称え、「道命」という名前を与える。

「日臣」という名前自体が、「日神(天照大神)」の子孫の「臣下」というイメージがあり。。。今回、熊野越えの功績をもとに「道臣」という名前に。

コレ、同じことが、もう一人の臣下である「珍彦→椎根津彦」でもありました。

東征順風・戦闘準備

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合わせてチェックです。

 

まとめ

八咫烏の導きと熊野越え

ここでの重要事項は、これにより「神武が東征の成功を確信した事」

八咫烏の飛来には、それまで個人レベルの決意だった「東征」に、天照大神による「お墨付き」を与える意味があったという事です。一種のギャランティー。これはデカイ。

天上における最高神であり、皇祖でもある天照大神が東征の成就を支援する。これほど大きな後ろ盾はありませんよね。

最終的に、橿原で即位したとき、神武天皇は天照大神を祭りますが、それは、この援助に対する「孝」の位置づけとして行うのです。

これが皇室が行っている祭祀の根拠になっています。

そして、「日臣命ひのおみのみこと」の活躍。

日臣は、天孫降臨で「瓊瓊杵尊ににぎのみこと」に随伴し、神の先ばらいを担当した「天忍日命あまのおしひのみこと」の末裔。

つまり、神代・天孫降臨で活躍した神様の末裔が、降臨と同じように天孫(神武)の進む道を切り拓く設定になっている。これにより、天孫降臨を再現した、というのが今回のポイント。

◎天孫降臨
・主役 瓊瓊杵(ににぎ)(天孫)
・随伴先ばらい担当 天忍日命(日臣の先祖)
・状況 天から地へ、天孫が降臨する

◎熊野越え
・主役 神武(天孫)
・道の切り拓き担当 日臣命(天忍日の末裔)
・状況 山から人里へ、天孫が降りてくる

熊野越えのエピソードを通じて天孫降臨を再現し、東征の正当性や神武の権威付けを狙ってる訳です。

陸路へ転換し、荒坂で「韴霊剣ふつみたまのつるぎ」を手に入れたのは「葦原中國あしはらのなかつくに平定神話の再現」でした。そして、熊野越えでは、天照による八咫烏派遣によって東征へのお墨付きを与え、さらに「天孫降臨神話を再現」したわけです。

こうして読むと、非常に良く練られた神話だということが分かりますし、より面白く、立体的にみえてくると思います。

 

神話を持って旅に出よう!

神武東征神話のもう一つの楽しみ方、それが伝承地を巡る旅です。以下いくつかご紹介!

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本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他

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1 個のコメント

  • こんにちは
    僕が神武東征で一番不自然に感じているのがこの熊野越えの
    話なのです。

    国道309号線はともかく、169号線は現在でも山また山の地域、
    加えて大台ケ原や尾鷲近辺を通るので日本有数の豪雨地帯、
    度重なる土砂崩れ、そして冬季には積雪で道が凍結しやすい状態。
    何日掛かるか分からないので食料は多めに、夜は電灯も無いので
    行軍できず、テントも無いので基本は雨ざらしの野宿。

    古代に道があったのかどうか分かりませんが、よほど地理に詳しく
    天候が読める人が居ないと簡単に集団遭難してしまいます。

    神武が生駒山の戦いから熊野に逃れた辺りは十分再現可能だと思います。
    しかし、時代は下って戦国時代、紀伊山地よりも穏やかな伊賀の山越え
    ですら、徳川家康は大変難儀したと言っています。まして、熊野越えは
    八咫烏という道案内人が居たとしても人口や集落が少なかったこの時代、
    無理だったのでは?と僕は考えています。

    実際のところはどうだったのか。熊野越えの後で榛原に入って大和を
    攻める話になるので、本当は家康がたどった道を逆に、つまり熊野越えを
    あきらめ、伊勢まで渡り榛原へ向かったのか?と推理いたします。神話
    ですから敗北や挫折の話は、出てこないのかもしれませんね。

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    参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他