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『古事記』を中心に登場する神様とその位置づけをご紹介します。今回は「天之常立神と国之常立神」です。
従来の主な議論を踏まえ、実は神話的にはこう解釈すべき的なところをお届けします。
天之常立神と国之常立神|「常立」=常に立つこと、恒常的確立を意味。両神を対応させ引き継がせることで、天と国の確立、世界の展開に道をつけています。
2神の関係と立ち位置
「天之常立神と国之常立神」は、『古事記』の上巻冒頭、天地初発で誕生する神々です。
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誕生する神々を整理するとこんな感じ。

さて、
そんな中での「天之常立神と国之常立神」。
まず、この2神が同じ天に誕生した神でありつつも、「天」と「国」との対応から成り立っていることは明らかですね。
「天之常立神」は、高天の原に誕生した造化三神に続いて「宇摩志阿斯訶備比古遅神」のあとに誕生し、五柱の別天神の最後の神として位置づけられてます。
一方、「国之常立神」は、対偶神の「宇比地邇神と須比智邇神」や「角杙神と活杙神」など、大地の側に属する神世七代の筆頭。
この関係や立ち位置が重要です。
理由は、
「天」の側に属する別天神の最後の神と、「地」の側に属する神世七代の最初の神という対応は、「天と地との対応」に根差しているから。
言い換えれば、
「天の常立」のあとに、これを引き継いで「国の常立」が成り立ち、互いに対応する関係をかたちづくっているという事。
この点はしっかりチェックされてください。
従来の議論:正訓字か借訓字か?
さて、そのうえで、従来の議論というか、学説をご紹介します。
実は、これまでは、上記確認した「2神の対応関係」を顧慮していないのが大半でした。
論点は主に、
神名の核「常立」の「常」を
- 正訓字(「常しへ」などの常に変わらない意の漢字)とみるか、
- 借訓字(床の意の「とこ」を表すために借りた字)とみるか、
おおきくこの2つの見方があり、今もって決着がついていません。。。汗
従来の諸説を整理してポイントを解説したものがありますので、以下に引用します。
第一の問題は、このトコが「常」と表記されることの意味についてである。
確かに、「常」の意の「トコ」は、動詞を修飾した例を見ないから、「床」の意としたほうがよいであろう。しかし、単に「床」の意であれば、「天之床立神」と表記すればよいのであって、敢えて「常」字を用いたのは、その場のもつ恒久性を含意させたものと見るべきであろう。その意味で、正字か借字かと二者択一的に問うのは適切ではあるまい。
『古事記』注解2、上巻その一 山口佳紀氏説
このあと、
「第二の問題」とする「床」の解釈に移り、「神々生成の場がトコ(床)という語で捉えられた」と説きながら、「そのような場のもつ恒久性を表現するために、「常」の字が用いられたものと考えられる。」と結論づけています。
正訓字だ借訓字だと、まー、いろいろ議論がある訳ですね。
ただ、、、
結論付けている、場の「床」と恒久性の「常」は、両立するとは考えにくく、、、まして「常」がその両方の意味を表したというのは、後で盛り込みすぎなお話であります。。。
ここは、やはり常道にのっとって解くべきで。
「常」は、辞書の見出し語だけでも、「常し」「常しなへ」「常しへ」「常とば」「常夏」「常滑」「常宮」「常闇」「常世」「常夜」など、それこそ枚挙にいとまがありません。
動詞を修飾する例が「常」にないからといって、杓子定規的に「床立」を当てるだけでは、かえって本質を見失いかねぬと、そういうお話で。
ということで、本来の「常」の意味に立ち返り、前後の文脈と関係性を踏まえて解釈していきましょう。
「常立」=常に立つこと=恒常的に確立していることを意味
そもそも、「常」は、独立した単語としては存在しません。
今回の神名に登場する「常」は、例えば「常し」(形容詞)「常しなへ」(形容動詞)などの「常」であって、単語を構成する「語幹」です。
「語幹」とは、語尾が変化する語の、変化しない(と見なす)部分のこと。
この語幹「常」が名詞と結びついた例が「常夏」「常宮」などです。いろいろ結びつくわけですね。
一方の、「立」は、「立つ」の名詞形の「たち」(動詞の連用形が名詞となる型。例:あそぶ→あそび、等)。
なので、「常立」とは、通常の用法である語幹「常」+名詞「たち」という組み合わせの形になる、という事。
シンプルに。
従って、常に立つこと、つまり、恒常的に確立していることを意味するのが「常立」だというお話になる訳です。
細かすぎ?
でも、大事なんですよ。
まとめると、
別天神の最後に、天の恒常的な確立を表す「天の常立の神」が成り、これを承けて、今度は地の側に転じ、神世七代の筆頭として、国の恒常的な確立を表す「国の常立の神」が成る。
そして、以下には、この国の恒常的な確立に引き続いて、国を構成する具体的な事物と神々が次々に継起的に誕生していく流れ。
つまり、これら、天や国の確立、そして世界を形づくる展開に道をつけるために、「天の常立の神」と「国の常立の神」を対応させ、引き継がせている、という事。
このダイナミックな展開を是非チェックいただければと。
本来の意味と文脈から読み取ると、とても巧妙かつ奥ゆかしい構成になってるのが分かりますよね。
まとめ
「天常立神と国常立神」は、『古事記』の上巻冒頭、天地初発で誕生する神々。
2神は「天」と「国」との対応から成り立ってます。
「天常立神」は、高天の原に誕生した造化三神に続き「宇摩志神」のあと、「天の側」にて別天神の最後の神として誕生。
一方、「国常立神」は、対偶神に代表される「大地の側」に属する神世七代の筆頭として誕生。
この関係や立ち位置が重要。
別天神の最後に、天の恒常的な確立を表す「天の常立の神」が成り、これを承けて、今度は地の側に転じ、神世七代の筆頭として、国の恒常的な確立を表す「国の常立の神」が成るという次第。
そして、以下には、この国の恒常的な確立に引き続いて、国を構成する具体的な事物と神々が次々に継起的に誕生していく流れです。
本来の「常」の意味と合わせて、
天と国の形成と確立、そして世界を形づくる展開に道をつけるために、「天の常立の神」と「国の常立の神」を対応させ、引き継がせている、という点を是非チェックされてください。
うん、マニアック。
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