日本神話.comならではの、日本神話的観点から入った和歌山の神社紹介をお届けします。
日本神話的に、和歌山が舞台となるのはやはり神武東征神話です。特に神武の長兄「五瀬命」が薨去した竈山は、神話ファンなら絶対に外せない超重要スポット。
今回は、東征神話を中心に関連する神社を、そして神代でも登場する神様をお祭りする個性豊かな神社の皆さんもまとめてご紹介です。
和歌山神社巡りオススメスポット|和歌山は神武東征神話の舞台!熊野信仰とも結びついた東征神話を中心に日本神話から入る和歌山の神社の御祭神・御利益をまとめ!
目次
1.神武東征神話にちなむ神社、伝承地
まずは神武東征神話で、和歌山が登場するところをチェックです。
そもそも神武東征神話とはなんぞや?という方は、コチラから。
日本建国神話、激しくアツく奥ゆかしい神話になっております。
この中で、和歌山が登場する神話はコチラ☟
経緯としては、東大阪の「孔舎衛坂敗戦」を受けて、紀伊半島を南下、ぐるっと一周しようとするところから。
「孔舎衛坂の激戦」では手痛い敗戦を喫し、神武の長兄「五瀬命」が負傷。西から東への東征、それって登る太陽に矢を向けるのと同じで、日神・天照大神の子孫である神武がそんな戦法を採ったら敗戦確実なわけです。コレ、現在の伊勢神宮の位置をイメージすると分かりやすいかと思います。
さて、長兄「五瀬命」が受けた傷、結構深刻で、痛くて痛くて思わず雄たけびをあげた訳です。その地が伝承地として残っていて、和歌山県和歌山市内にある水門吹上神社の境内にあります。
まずは神社をご紹介し、その後、伝承地をご紹介。
水門吹上神社
ご祭神:蛭兒神(戎様)、大己貴神(大黒様)
ご利益:商売繁盛、家内安全
福の神を2神でお祀りするのは全国でも珍しい形式。地元では、紀州の「十日戎祭」発祥の地として有名で、正月9日、10日、11日の十日戎には多くの人々でにぎわいます。
もともと「水門神社」と「吹上神社」という、2つ別々の神社だったのが天正年間(1573―1591)に合祀された経緯あり。
⇒「水門吹上神社|紀州の「十日戎」発祥の地!ですが神話的には神武の長兄「五瀬命」が雄叫び上げた地として重要な神社」
で、この境内に先ほど触れた神武の長兄「五瀬命」が傷の痛みに耐えかねて雄たけびをあげた場所とされる顕彰碑が建っているわけです。
単に傷が痛くて叫んだわけではありません。その「雄たけび」は無念の雄たけび。宮崎の日向を出発し、大和にやってきたのに、東征を達成しないまま、敵にやられた傷がもとで死んでしまう、、、そう、このとき、すでに「五瀬命」は自らの死を予期していた訳であります。その無念さ、、、筆舌尽くしがたく。。。
と、
ここ、是非、そんな神話ロマンをもって参拝されてください。
さて、そんな「五瀬命」、最終的に死んでしまう訳ですが、その地と伝えられるのが、竈山神社であります。
竈山神社
ご祭神:五瀬命
神武東征神話における、神武の長兄「五瀬命」が亡くなった遺跡として位置づけられてます。
創建経緯は具体的に、いつ、と言うのは不明ですが、延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡、竈山神社」と記されており、古くから重要な神社として位置づけられていたようです。
⇒「竈山神社|神武の長兄「五瀬命」薨去の地!「理想」を追う東征に「報復」が追加された超重要スポット!!」
この地は神武東征神話における重要な転換の地。一言で言うと、
建国と言う理想の追求に、報復というかたき討ちが追加された地。
ここでの「長兄の死」は、単に「お兄さんが傷を受けて死んでしまった」だけではありません。このときの神武の無念は深く、以後、東征の目的に「かたき討ち」が追加されることになるという流れ。
これは、東征神話後半の、長髄彦との最終決戦における御歌でも出てきます。
ま、非常に悲しみに満ちた地であり、復讐というおどろおどろしい感情を持つ地だという事ですね。コレ、神話ロマン。
さて、
竈山神社で長兄を葬ったあと、神武一行は紀伊半島を南下、潮岬をまわって紀伊半島東側へ出ます。そこで最初に立ち寄った地が、現在の和歌山県新宮市、阿須賀神社です。
阿須賀神社
御祭神
- 事解男命
- 家津美御子大神
- 熊野速玉大神
- 熊野夫須美大神
御利益:航海・延命・生産・発育
社伝によれば創祀は孝昭天皇の時代、紀元前423年。「熊野三社」でもっとも古い歴史を持ちます。さらっと言ってますが、紀元前ですよ、紀元前。そんな古い時代からあるなんて。。。なんて由緒深いんでしょ。
⇒「阿須賀神社|新宮発祥の地!日本神話で「熊野神邑」として登場する神社は、航海・延命・生産・発育ご利益で篤い信仰を集めている件」
で、この境内には、神武一行が訪れたとされる顕彰碑が建ってます。
神武東征神話では、「熊野神邑」として伝えられる地であり、新宮発祥の地でもあって、結構重要なスポットなんです。
そして!
神邑に立ち寄った後、「天磐盾」に登り、これから進む熊野灘をはるか望み見たと伝えられるのが神倉神社です。
神倉神社
御祭神
- 高倉下命
- 天照大神
御利益:不明。ただし、山岳信仰、巨岩信仰の空気をビシビシ感じる超パワースポットであり、清々しい気持ちと畏敬の念を感じることができます。
山岳信仰とか巨岩信仰といった原始的な信仰の形があって、後代になって熊野信仰が加わり、「熊野権現が最初に降臨した場所である」とされるようになります。
現在は、熊野三社の一つである熊野速玉大社の摂社。境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、および世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部になってます。とにもかくにも超オススメのスポット。
⇒「神倉神社|眺望最高!唯一無二! 神武天皇が東征途上で登った天磐盾は角度垂直&驚愕の石段538段を上った先にソソリ立っていた件」
東征神話においては、神武こと「彦火火出見」がココに登り、はるか眼下に広がる熊野灘を見て、ただならぬ気配を察知。そこで軍を引いて徐々に進んだと伝えます。
尚、「軍を引く」という言葉は、東征神話において孔舎衛坂敗戦とココの2か所でしか出てこない重要表現。「東征」=進軍することが大前提なわけで、その逆を行く行動は「よほどの事」と解釈すべきで、実際、このあと、次兄と3兄の二人を失うという試練が襲います。
こちら、是非そんなロマンをもって参拝されて下さい。熊野灘の位置づけについてはコチラで詳しくまとめてます⇒「熊野灘のおすすめ観光スポット|日本神話的熊野灘の位置づけと要チェック観光スポットをまとめてご紹介!」
さて、
東征神話を伝える『日本書紀』『古事記』には直接ふれられてはないのですが、ま、後代における応用発展という形で、熊野那智大社が東征神話に絡む創建経緯をお持ちです。
熊野那智大社
御祭神:合計13柱を祭ります。
主祭神は、「熊野夫須美大神」。こちら、伊奘冉尊の別称。そして本地仏は「千手観音」とされてます。
御利益:所願成就
熊野那智山信仰は、その始まりは山岳信仰であり、その代表格が「那智の大瀧」です。そこに、日本神話体系が導入され、国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さま的位置づけである「夫須美神」(伊奘冉尊)を祭るようになった経緯があります。
⇒「熊野那智大社|まるで天空の神社!熊野三山の一つ「熊野信仰の中心地」である神社は、熊野の深く険しい山にあって静謐な空気が漂っている件」
神武東征神話との絡みでは、社伝曰く、
「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されております。
ということのようです。
合わせて、コチラもチェック鉄板です。
⇒「飛瀧神社と那智の瀧|落差日本一の迫力!日本三名瀑のひとつである大滝は飛瀧神社のご神体として古くから人々の畏敬を集めてきた件」
ホント、圧倒的な大瀧を前に畏敬の念しか浮かばないのが正直な所。滝のマイナスイオンと合わせて超パワースポットであります。
以上が、和歌山県における日本神話関連の代表的な神社です。
2.神代に登場する神様にちなむ神社の皆さん
当サイトならではの、どこまでも日本神話推しな神社紹介。ココからは、神代に登場する神様にちなむ神社の皆さんをご紹介します。
和歌山といえば熊野。その熊野における信仰、熊野信仰を代表する神社がコチラ。
熊野速玉大社
御祭神:10以上の神様をお祭り。主祭神は、「熊野速玉大神」と「熊野夫須美大神」。
御利益:病気平癒、過去救済、所願成就
熊野信仰をベースにした自然崇拝の原始的な形から、日本神話体系を経て本地垂迹のもとで仏教体系と習合。
過去・現在・未来とご利益を獲得して最強のパワーを得たことで「熊野権現全国展開の道を拓いた」中心的な神社です。
⇒「熊野速玉大社|日本第一大霊験所&根本熊野権現!全国3千社ある熊野神社系列の総本宮は、熊野川の流れを背にした千穂ケ峰のふもとに静かに鎮座中」
そして、紀伊半島の西側。和歌山市には「和歌」で有名な和歌浦があり、いくつかの美しい神社があります。中でもオススメはコチラ。
玉津嶋神社
御祭神
- 稚日女尊
- 息長足姫尊
- 衣通姫尊
- 明光浦霊
御利益:和歌上達、文芸上達
「和歌の浦」は和歌山市の南西部に位置する景勝地。国の名勝指定もある風光明媚なスポット。その中心的神社が玉津嶋神社です。
古くから、神様がおわす地として崇められてきた背景と美しい景観から、歌に詠まれ篤い信仰を集めてきました。特に、和歌の神・衣通姫尊が祀られたことが重要。これを機に、都から玉津島詣が行われ、天皇御宸筆和歌などの奉納がなされてきた経緯があります。
⇒「玉津嶋神社|和歌三神の社!「和歌の守護神」として古来より和歌の上達御利益で篤い信仰を集めていた神社は朝日に照らされ美しく輝いていた件」
鹽竃神社
御祭神:
- 鹽槌翁尊
- 祓戸大神四座
「鹽竈神社」の名前自体の由来は、御祭神の「鹽槌翁尊」の故事、並びにこの地域で行われていた塩田で塩を焼く釜から付けられたものだそうです。
もともとは、「玉津嶋神社の祓所」だったのですが、大正6年(1917年)鹽竈神社として神社になりました。先ほどご紹介した玉津嶋神社とセットで御参拝されてください。
⇒「鹽竃神社|安産・子授けの御利益で信仰をあつめる「しおがまさん」は岩穴「輿の窟」に鎮座している件」
これらの神社がある「和歌浦」についてはこちらで詳しく。
3.その他の神社の皆さん
上記和歌浦つながりで2つ神社をご紹介。
和歌浦天満宮
御祭神:菅原道真
御利益:学業成就
和歌山県和歌山市和歌浦にある神社です。学問の神様である菅原道真が祀られ、大宰府天満宮、北野天満宮とともに日本の三菅廟といわれているくらいのもんげー天満宮。
建っているところは天神山の上、傾斜激しい石段を登っていくのですが、一番上では美しい和歌の浦を眺められるナイスな立地。是非チェックされてください。
⇒「和歌浦天満宮|日本三菅廟の一つ!学業成就ご利益満載の神社は和歌浦の美しい眺めが最高だった件」
紀州東照宮
御祭神:
- 徳川 家康 公
- 徳川 頼宣 公
御利益:心願成就、病気平癒
コチラも和歌山県和歌山市和歌浦に鎮座する神社。
雑賀山の上にあって、煩悩を表す108段の階段「侍坂」を登っていった先、和歌浦の入り江を遠く眺められるナイスな立地。
紀州藩初代藩主徳川頼宣によって創建された、どこまでも徳川な神社であります。
⇒「紀州東照宮|心願成就と病気平癒ご利益は徳川の実績が保証!煩悩108段の侍坂を登った先、和歌浦の眺めが素敵な神社」
まとめ
和歌山県の神社巡り
どこまでも日本神話推しな当サイトならではの和歌山県神社巡り、いかがでしたでしょうか?
今でこそ、世界遺産登録を通じて熊野信仰がクローズアップされておりますが、和歌山県は日本神話における重要な舞台でもあることを是非チェックしていただければと思います。
紀伊半島の自然環境から自然崇拝、山岳信仰が育まれ、そこに日本神話体系が持ち込まれ、さらに仏教が入ってきて熊野信仰として確立してきた経緯。
多くの信仰が生まれたのはやはり和歌山が持つ豊かで奥深い自然があってこそ。神社巡りを通じて、日本神話のみならず、こうした和歌山の自然を是非感じていただければと思います。
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