猿田彦神社|異様な恰好の守衛神「猿田彦神」を祭る!道ひらき・交通安全・方位除けのご利益で信仰される猿田彦神社

 

猿田彦神社は三重県伊勢市にある神社。

ココ、天孫降臨の際、天孫を「みちひらき」された「猿田彦大神」を祭ります。これにより道ひらき・交通安全・方位除けのご利益で信仰されてます。

なお、社伝としては、猿田彦大神の子孫とされる「宇治土公家」が代々宮司を務めるという、これもスゴイお話で。立派な社殿が印象的で、伊勢神宮の近くにご鎮座されてます。

今回は、そんな道ひらき=開運系神社である猿田彦神社を、猿田彦が登場する日本神話部分と合わせてご紹介します。

 

猿田彦神社|異様な恰好の守衛さん的神である猿田彦神を祭る!道ひらき・交通安全・方位除けのご利益で信仰される神社を日本神話とあわせてご紹介

猿田彦神社の場所

伊勢神宮のすぐそば。三重県伊勢市宇治浦田にあります。

JR&近鉄「伊勢市駅」や近鉄「宇治山田駅」から三重交通バスで「猿田彦神社前」下車。

ほんと伊勢神宮のすぐそばで、あるいて5分くらいで「おはらい町」の入口に到着します。

猿田彦神社

ちなみに、伊勢に到着した倭姫命に、五十鈴川上を天照大御神の鎮座の地であると教えたのが、猿田彦神の末裔とされる「大田命」だそうで、、、

コチラ参考までに⇒「伊勢神宮の創建経緯|「常世の浪が打ち寄せる美しい国だから。」by天照大神

こうした経緯が鎮座する場所にも影響してるんだろうと推測されます。

 

猿田彦神社の創建経緯

猿田彦神社

詳細未詳。

ただ、『日本書紀』に、ご祭神である猿田彦神が鎮座した経緯と場所が記載されております。

それが現在の場所かどうかは別の話。

「私は、伊勢の狭長田さながたの五十鈴川の川上に着く」と猿田彦神が自ら到着する場所を述べております。

この「伊勢の狭長田さながたの五十鈴川の川上」が現在の場所だったかどうかはわかりません。

『日本書紀』ではこれだけしか伝えておらず、その他の部分は『皇大神宮儀式帳』等で伝えられているようです。

猿田彦の末裔として「大田命おおたのみこと」という方がいらっしゃったようで、、、

この「大田命おおたのみこと」さん、実は、垂仁天皇の御代、伊勢に到着した倭姫命に、五十鈴川上を天照大御神の鎮座の地であると教示し土地を献じたらしい。。。スゴ。。

さらに、「大田命おおたのみこと」の末裔である「宇治土公うじのつちぎみ」さんが屋敷内の屋敷神としてご先祖である猿田彦神をお祀りされていたそうで。

明治時代に入り、屋敷神を改めて神社としたのが現在の猿田彦神社だそうです。

話が本当であれば、猿田彦大神の子孫である宇治土公家が代々宮司を務める神社という訳で。

「猿田彦神」-「大田命おおたのみこと」-「宇治土公うじのつちぎみ」宮司家

神話時代の子孫が今でも宮司をつとめてるなんて。すごすぎです。。。

 

猿田彦神社のご祭神とご利益

ご祭神:猿田彦大神

ご利益:猿田彦神が天孫・瓊瓊杵尊の先導をしたということから、交通安全・方位除けの神社として信仰されています。開運系のご利益。

 

猿田彦神社の境内

猿田彦神社 猿田彦神社

 

猿田彦神社の御神田 猿田彦神社の御神田 猿田彦神社の御神田での田植え 猿田彦神社の御神田の苗 猿田彦神社の車祓所 猿田彦神社の池

 

猿田彦神社のご祭神にまつわる日本神話

ご祭神である猿田彦大神が登場するのは、『日本書紀』神代下 第九段 一書第一 です。

有名な、「天孫降臨」のシーン。皇孫・瓊瓊杵尊ににぎのみことが「葦原あしはら中つ国」に降臨。

この時、天照大神は、瓊瓊杵尊ににぎのみことに三種の神器を授けお供の神々を付き従わせます。

で、いよいよ皇孫・瓊瓊杵尊が降臨しようとしたとき、先駆者の者が引き返してきて報告をします。

一柱の神がいます。天八達之衛あまのやちまたにおります。その鼻の長さは七咫ななあた、座高は七尺余り。身長は七尋ななひろ。口や尻は光っていて、眼は八咫鏡のようで、照り輝くさまは赤いホオズキのようです。

これが当神社の御祭神、猿田彦大神であります。

あた」「しゃく」「ひろ」とは古代の長さの単位。

  • あた」:手を開いたときの中指の先から親指の先までの長さ。20cm前後と言われています。
  • しゃく」:これも語源は「咫」と同じですが、長さは唐代律令伝来の背景を加味すると30cm前後。
  • ひろ」:大人が両手を一杯に広げた長さ。180cm前後と言われます。

なので、

その鼻の長さは七咫ななあた、座高は七尺余り。身長は七尋ななひろ」とあるのは、

「鼻の長さは140cm、座高は210cm余り。身長は1260cm(12m前後)」ということで、

猿田彦大神、相当デカいお方だったことが分かりますよね。しかも、口やお尻は光かがやき、眼がデカくて、赤いホオヅキのように光っていたと・・・??

一方で、原文では「衛神」とあるので「守り神」として位置づけられていることがわかります。異様な恰好の巨大な守衛さん的神が、天孫の通り道を立ち塞いでいる状況ですね( ゚Д゚)…

で、

瓊瓊杵尊ににぎのみことは、付き従っている神々を遣わして、尋ねさせるのですが、みな、鼻の長い神の眼力で圧倒され、尋ねることすらできない。。。なんてこった。

そこで、瓊瓊杵尊ににぎのみことは「天鈿女あまのうずめ」を遣わします。

天鈿女あまのうずめは、自分の胸乳を露わにして、裳の紐をヘソの下に押し垂らして、呵々大笑いしながら、鼻長の神に向かい立ちます。

スゴイ状況ですよね。。。( ゚Д゚)

異様な恰好の巨大守衛さん的神の前に、上半身裸で呵々大笑いする天鈿女が向かい立つ。。。

 

ここから問答がはじまります。衛神がまず尋ねます。

衛神「お前がそんなことをするのはどういう理由からだ?」

鈿女「天照大神の御子が通る道に、立ち塞いでいるお前こそ誰だ?」

衛神「天照大神の御子が降臨されると聞いた。そこでお迎え申しあげてお待ちしているのだ。私の名は、猿田彦大神だ。」

鈿女「お前が私を先導するか、それとも、私が汝を先導するか(どっちや!)?」

衛神(猿田彦)「私が先立って案内しよう。」

あーよかった。ここで初めて「猿田彦大神」の名前が明かされ、お迎えに来た=味方であることが判明した訳です。

そこで、猿田彦大神を先導役として皇孫が降臨することになります。

以上が、道ひらきの神として位置づけられる猿田彦大神の神話。なんともスゴイお話ですね。

 

その他の皆さん

たから石

猿田彦神社たから石

 

まとめ

猿田彦神社

三重県伊勢市にある神社で、天孫降臨の際、天孫の「みちひらき」をされた「猿田彦大神」を祭ります。

社伝としては、猿田彦大神の子孫とされる「宇治土公家」が代々宮司を務める猿田彦神社。これもスゴイ。

立派な社殿が印象的で、伊勢神宮の近くにご鎮座。これには日本神話が背景にあることを是非チェックされてください。

伊勢神宮ご参拝の際には是非。道開きの開運効果、抜群であります。

かく言う私のハンドルネームは「さるたひこ」であります。皆様の神話世界の道ひらきでありたいと願っております。

 

住所:〒516-0026 三重県伊勢市宇治浦田2−1−10

JR&近鉄「伊勢市駅」、近鉄「宇治山田駅」、近鉄「五十鈴川駅」下車。三重交通バスで「猿田彦神社前」下車。目の前。

駐車場:限りあり。

猿田彦神社のHPはコチラで!

 

コチラで☟三重県の神社をまとめております!

 

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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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