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「天香山神社」は、奈良県橿原市にある神社。
天香具山の北側斜面、地元村落(南裏町)から少し外れたところに建ってます。ひっそり感満載。
今でこそ寂れた感じは否めませんが、日本神話的には非常に重要な場所に建っている神社。今回、隠れたパワースポットとして取り上げてみたいと思います。
天香山神社|神意を伺う占いの神「櫛眞命」を祭る!天石屋戸神話で使われる「波波迦の木」が境内に生える?超絶神話ロマンスポット!
天香山神社までの道
天香久山神社は「天香久山」の北部にあります。
「天香久山」は「大和三山」の一つ。大和三山とは、奈良盆地南部にそびえる3つの山々の総称のこと。
天香久山(152m)、畝傍山(199m)、耳成山(140m)の3つ。
『万葉集』では「大和三山の神」が、神代に「恋争い」をしたという歌で登場。
「香具山は 畝火ををしと 耳成と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 嬬をあらそふらしき」 (『万葉集』中大兄皇子、巻1-13)
そして、飛鳥時代の持統天皇代、
大和三山周辺に条坊制を取り入れた「藤原京」が整備されました。
藤原京は、大化の改新(645年)以後、新しい国家の首都として造営された日本で最初の都市で、694年(持統8年)から710年(和銅3年)までの16年の間、都として位置づけられておりました。

▲こんな感じ。畝傍山は現在の橿原神宮の背後にある山。ちょっと離れております。
直近では、「大和三山」として1967年に「歴史的風土保存区域」に指定、2005年には「国の名勝」に指定されてます。
そんな背景を持つ天香久山。
私さるたひこは、165号線から天香久山に向かいました。
ので、北側から向かった形です。それがこちら。

道の先に見えるのが天香久山。平べったい感じで広がってます。参拝の日は天気はどんよりとした雲が垂れ込める感じで、
まさに、
神武東征神話にうってつけの日。
きっと土を取りに来た日もこんな感じだったに違ない
(後ほどご紹介)
後ろを振り向くと「耳成山」。

そして、あれが「畝傍山」です。
「大和三山」、結構近い距離にあるのが分かりますねー。
さて、
両側の畑を抜けて小道を進むと民家出現。

その先に、、、
ありました!天香山神社です。
天香山神社の創建経緯
当社の創建経緯は以下の通り。
平安時代の『延喜式神名帳』(927年)に「大和国十市郡 天香山坐櫛眞命神社大月次神嘗」と記載されています。(神社札より)
と記載されるのが初出。
平安時代には創建され、月ごとにお祭りが行われていたようですね。
そして、
当社が鎮座する天香久山は、古事記、日本書紀、万葉集など多くの文献に、神々や日本国創始との関わりが多く記されていることから、我が国の始まり、すなわち大和朝廷発祥に関わる聖地「物実」として、八百万の神々と結ばれた神山、我が国の国体と認識され今に至ります。(神社札より)
「物実」とは、物事のもとになるもの。物の種。
実際、天香久山は、古来より、いや、神代よりもの凄いパワーを持つ神の山として位置づけられておりました。後ほどご紹介。
天香山神社の境内
ここからは、境内の様子をご紹介。
入口の石鳥居からはまっすぐ参道をいくのですが、この右手に、
「波波迦の木」!

おおおおおおおおおおおおおおおお!
あの天岩屋戸神話(『古事記』バージョン)で登場する「波波迦の木」がこんなところに??
この木で香久山の雄鹿の骨を焼いて吉凶を占ったって!
神の次代の話じゃなかったの??
なんでこんなところに!??スゴすぎる!
本件、詳細後ほどご紹介。
続いて、
手水舎

タオルが良い味出してます!

そして拝殿があって、その奥に本殿があります。
ひっそりとした感じがビシビシ伝わってきます。

こちらが本殿。

ご祭神:「櫛眞命」
こ祭神は、神意を伺う占いの神であり、国家の大事を判断する亀卜や、天皇陛下即位の大嘗祭に行われる神饌田卜定に関わる神として重んじられて参りました。(神社札より)
とあり、
占いに関連する神様。
特に、
「天皇陛下即位の大嘗祭に行われる神饌田卜定に関わる神」という所、めっちゃ重要。
大嘗祭についてはコチラで↓
必読:大嘗祭(だいじょうさい)とは?天皇一代につき一度だけ斎行!日本神話に根ざす大嘗祭の全貌を徹底解説!
で、
大嘗祭には、「特別な稲」が供進されるのですが、
この「特別な稲」を収穫する田んぼを決めるのに、古来から、いや、神代から続く「占い」が行われます。
具体的には、
特別な稲を育てる「悠紀」「主基」という2つの場所(地方)を決めるにあたって、「波波迦の木」と「亀甲」を使った「亀卜」という占い法が用いられます。
で、コレ、実は、天岩屋神話に由来するもの凄い占い。
コチラ。
天兒屋命は、布刀玉命を召して、天香山の真男鹿の肩をそっくり抜いて、天香山の天波波架(木の名)を取って、占合いをさせた。 (『古事記』上巻より一部抜粋)
と。
ココでは、鹿の肩骨と天波波架の木を使って占いをしています。
神の代で行われた占い、、、(゚A゚;)ゴクリ
古代、占いといえば、獣骨を使っての「卜占」と呼ばれる方法で、
まず、木の棒の先端を焼き、真っ赤に焼けたところを何度も骨に押しつける。すると、あるときポクって音がしてヒビが入ります。このヒビの入り方、割れ方によって神意を占う、というもの。
この方法が、現代の大嘗祭に向けた準備でも使われていて、現代では、亀の甲羅を使用しているので「亀卜」と呼ばれています。アオウミガメの甲羅。
スゲー!
で、「波波迦の木」はそのまま引き継がれていて、それが、ココ天香山神社に生えている「波波迦の木」という訳。
スゴくない???コレ。
天香山神社は、神代から果てしない時間を経て継承されてきた伝統と繋がってる訳なんですね。超重要事項であります。
その他。

明治天皇がここで遥拝されたそうです。遥拝とは、遠く隔った所から拝む事。近くから拝むのは畏れ多いという事かと。天皇ですらそれだけリスペクトしていたということは、明治の時代は相当重要視されていた場所だったという事ですかね。
さて、さきほどから言ってる、東征神話にからむ、とか「物実」とか、なにがそんなに「超絶」なのか?についてご紹介。
実は、ココ
天香久山は、神武東征神話における「超重要な祭祀」と関係が深い場所
なんです。
日本の建国神話である「神武東征神話」では、この祭祀を通じて、神武は超絶パワーをゲットし、その後、連戦連勝で進み遂に橿原で即位する、という建て付けになってます。
その超重要祭祀とは「丹生川上」、つまり「丹生の川上」で行う「祈ひ」の儀式。
この儀式が行われた場所は、天香久山から東へ15kmほど行ったところ。宇陀市榛原。
詳しくはコチラで⇒「香具土採取と顕斎|天神降臨!守護パワーゲットによりスーパーサイヤ人状態になって敵を撃破しようとした件|分かる!神武東征神話No.13」
ものすごく簡単に言うと、
- 紀伊半島をぐるっと回って新宮→熊野と進んできた東征軍が宇陀に到着。宇陀域内には賊軍が陣取りエラい事になってる。
- そんなとき、夢の中で天神が、「天香具山の社中の土で祭器を作って天神地祇を祭り呪詛すれば、敵は自ら平伏する」と訓えてくれた。
- そこで神武は、天神の訓えのとおり作戦実行。部下を変装させて敵陣をくぐり抜け、天香山の土をとってきて祭祀を執り行った。その祭祀によってスーパーパワーをゲットした神武は賊軍を蹴散らし無事宇陀を突破した。
というお話。
神話的には、危機的状況を天香久山の土を使った祭祀によって突破し、
なんなら、それ以降は、連戦連勝を重ねるストーリーになってる。
イヤ、ホント。
神話的には、この山の土が相当重要だったという事で。
実際、この思想、というか信仰は、正史『日本書紀』においてもつたえられていて、
天香久山の土は「国御魂」と呼ばれ、国の魂が宿る場所として非常に重要視されてるんです。
なので、本来、この山は超絶パワースポットであり、ものすごい御利益のある場所なのです(今は面影もありませんが、、、涙)。
そんな山の名前を冠する神社、そしてその山に建つ神社、それが天香山神社という訳です。
天岩屋戸の神話と合わせて、ホントはスゴイ。
ということで、奈良橿原市民のさるたひことしては、
是非この地へお越しいただき、このパワーを感じていただきたい。国の魂が宿る場所、それが天香久山だから!
ということで。
おまけ。
他、
天香山神社の境内にはこんなものが。
ひさかたの 天の香具山 このゆふべ 霞たなひく 春立つらしも(柿本人麿 歌集)
→天の香具山に、今日この夕方、霞がたなびいている。ああ春になったらしい
と。
その他にも、
ちなみに、天香久山はハイキングコースも整備されております。
境内からも道が続いているので、お時間のある時は是非。
まとめ
天香山神社
奈良県橿原市にある天香具山の北側斜面にある神社。ひっそり感満載。
『日本書紀』においては、天香久山の土は「国御魂」と呼ばれ、国の魂が宿る場所として非常に重要視されています。なので、本来、この山は超絶パワースポットであり、ものすごい御利益のある場所。
ハイキングコースが整備されているので、天香久山パワーを全身に浴びながらリフレッシュ&パワーアップ効果が期待できるはず。間違いない!
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