天香久山は、奈良県橿原市にある山。
近くにある畝傍山、耳成山と合わせて「大和三山」の一つで、標高は152.4m、大和三山の中では2番目の高さです。
その、のびやかで美しい山容は、古来より多くの歌人を魅了してきました。
本記事では、天香久山にまつわる神話から、歴史、万葉の歌、周辺の神社など、その魅力を全部まとめてご紹介致します。
この記事で分かること
- どんな山なの?
- どんな歴史があるの?神話と万葉歌からご紹介
- どんなオススメスポットがあるの?
- どうやっていけばいいの?
- 他になんかあれば教えて!
まとめて分かりやすくご紹介します!
天香久山とは?
まずは、
天香久山って、どんな山なの?からご紹介。
天香久山があるのは、奈良県橿原市。
橿原といえば、日本建国の地。
初代神武天皇を祭る橿原神宮を始め、大和三山があるし、藤原宮跡があるし、隣には飛鳥があるし、、、古代ロマンがこれでもか!と、てんこ盛りのエリアです。
天香久山の標高は152.4m。
同じ橿原にある畝傍山、耳成山と合わせて「大和三山」と呼ばれ、三山のなかでは2番目の高さ。
今でこそ、単独の山、みたいな感じになってますが、実はそうではなく。
古代においては、多武峰から続く竜門山地の山裾、その端っこに位置していました。永い年月での浸食により、他の部分は無くなり、残ったのが今の天香久山。
表記としては、現代は「天香久山」が通例。これは、国土地理院の地図で「天香久山」と記載されてるから。
古代は、「天香山」「天香具山」「香具山」「香山」といった表記あり。読み方も、「あまのかぐやま」「あめのかぐやま」などなど。
歴史的風土特別保存地区であり、国の名勝に指定されています(文化庁HPへ)。
天香久山の神話、歴史、歌
ここからは
どんな歴史があるの?
というところを、神話の時代から遡り、さらに詠まれてきた歌をもとにご紹介。
のびやかで美しい山容をもつ天香久山。
「天」という尊称がつけられているように、大和三山のなかでも一番神聖視された山であり、多くの歌人を魅了してきた山でもあります。万葉集には単独で9首詠まれていて、全体でも13首に登場。みんな大好き天香久山。
神代 天にあった天香具山
天香久山が最初に登場するのは、神世の時代。
『古事記』が伝える「天石屋戸神話」に登場。
素戔嗚尊の乱暴狼藉を恐れ天照大御神は天の石屋戸に籠ります。これにより高天原以下、葦原中国は闇に閉ざされる。そこで八百万の神々が天の安河原に集まり神事を行います。
そこで登場するのが、高天原にある「天の香山」。以下。
ゆえに、是に天照大御神見畏み恐れて、天の石屋戸を開いてその中にお籠り坐した。ここに高天原は皆暗く、葦原中国も悉く闇に包まれた。これに因り常夜が続いた。そうして万の神の苦しむ声が狹蝿のようにうるさく満ち、万の妖がことごとく発った。
このような次第で、八百万の神、天の安河原に神集い集いて、高御産巣日神の子、思金神に対応策を考えさせた。 ー中略ー そして、天兒屋命、布刀玉命を召して、天の香山の真男鹿の肩をそっくり抜いて、天の香山の天のははか(木の名)を取って、占合ひの祭りの設営をさせた。そして、天の香山の五百津真賢木を根こそぎ掘り採って、上枝に五百個もの多くの勾璁を長い緒で連ねた珠を取り著け、中枝に八尺鏡を取り繋け、下枝に白丹寸手・青丹寸手を垂らせた。この様々の物は、布刀玉命が御幣と取り持って、天兒屋命が詔戸を言祷ぎを申した。 (『古事記』上巻より一部抜粋)
この後、天宇受売命が神懸りして踊り、高天原は鳴動、八百万の神は咲いあいます。これを不思議に思った天照大御神が、外の様子を伺おうと天の石屋戸を開くことで、再び世界に光が戻るのです。
ポイントは、
- 天の香山は、もともと高天原にあった聖なる山。
- 天の香山の鹿の骨と天のははかの木を使って、占合ひの祭りを行った。
ということで、
神事や占いで使用する祭具(骨・木)が天香山にあったんです。
神話世界では、高天原にある「聖なる山」として位置づけられていることが分かります。
ちなみに、、、
現代の天香久山の天香山神社には、ここで登場する「天のははか」が自生しています。
しかも!
令和の御代替わりの際には、大嘗祭にお供えされる稲を育てる斎田を決める占いに、この天香山神社の「ははかの木」が使われた経緯あり。
天香久山は、神話と歴史が交錯する超絶ロマン発生地帯であります。
ということで、
まずは、そもそも論、天香久山ってどっからきたの?という話、
神代に起源があり、もともとは高天原にあった聖なる山であること、チェックです。
この世界観をもとに、歴史の時代、特に『万葉集』では天から降り落ちてきた山「天降りつく天(神)の香具山」(257、260番)と歌われるようになるのです。
天にあった天香具山が地上に降りてきたと伝えられる伝承はこれが起源なんですね。
神代 建国神話で登場する天香山
天香久山が次に登場するのは、同じく神話の時代。
日本の建国神話である、神武東征神話です。
日向の地を発ち、世界の中心である「中洲」を目指して東征する神武天皇。
熊野方面から大和(中洲)へ進攻する際、現在の奈良県宇陀の地で、強大な敵が行く手を阻みます。
そのとき、天皇は夢に得た天神の教えに従って「天香山の埴土」を採り、祭器をつくって神々を祭る。これにより天神地祇の加護を得た天皇は、強敵を次々と倒し天下を平定、ついに日本という国を建国するに至ります。以下。
(神武天皇は)この夜、自ら祈って寝た。すると夢に天神が現れ、教えて言った。「天香山にある社の土を取って、『天平瓮』 八十枚をつくり、あわせて『厳瓮』もつくり、天神地祇を敬い祭るのだ。また、厳重な呪詛を為よ。そうすれば、賊どもは自ら平伏するだろう。」 彦火火出見は謹んで夢の教えを承り、その通りに実行しようとした。
必読:香具土採取と顕斎|天神降臨!守護パワーゲットによりスーパーサイヤ人状態になって敵を撃破しようとした件|分かる!神武東征神話No.13
ポイントは、
- 天神の教えの中で「天香山の埴土」採取ミッションを得る。
- 「天香山の埴土」で作った祭器で祭りをすることで天神地祇の加護を得る。
ということで、
天におられる崇高なる天神ですから、
当然、「天香山の埴土」のパワーを知っていた訳です。
劣勢を逆転する超重要な祭祀に、その埴土でつくった祭器が必要だったんです。
こういう内容も、
もとを辿れば天界にあった天香山と、地上の天香山が同じように神聖視されていたからこそ。地上の香山を、高天原の天の香山に繋げる意味もあった訳です。
「天」という冠は、単についてるわけじゃない!つながってるって事!
ちなみに、、、
神武天皇は、建国が成就されたのち、東征をふりかえって、
この「埴土」については特に「埴安」と名付けて、地名発祥伝承として位置づけています。
埴土の力で天下が平安になったから「埴安」。
これ、結構特別なことで、天の香山の埴安を、天下平定の象徴として位置づけてる訳です。
かなりスゴいことになってきました天香山。。。
でも、こうした神話の時代の設定や超重要な位置づけがあるからこそ、歴史の時代で天香久山が歌に詠まれ、信仰されるようになるんですよね。
ということで、次からはいよいよ歴史の時代。万葉ロマンの世界です。
舒明天皇の国見歌
神代から歴史の時代へ。
歴史の時代に最初に登場するのは、飛鳥時代。『万葉集』から、舒明天皇の国見(高所から国状を見る王の儀礼的行為)歌です。
大和には郡山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち国見をすれば 国原は煙立ち立つ 海原はかまめの立ち立つ うまし国そ あきづ島大和の国は (万葉集2番歌)
ポイントは、
大和を代表する山「とりよろふ山」として、天香具山が歌われていること。
大和には多くの山があるけれど、とりわけ天の香具山は、国見(高所から国状を見る王の儀礼的行為)の山であると讃えています。
「国原」とは、広い国土のこと。「煙立ち立つ」とは、国土に暮らす人々の家から立つかまどの煙。随所に立つかまどの煙からは、豊作による豊かな食と民の賑わいが情景として浮かびます。
また、「海原」には水鳥である「かもめ」も飛来。かもめが飛来する場所には、豊かな海の幸がある。
国原・海原、いずれも豊穣・豊漁である豊かな国「うまし国」であることが歌われている訳です。それを、「あきづ島大和の国」として讃えている。いわば予祝の意味も込められた「ことほぎ」の歌であります。
なお、
この「あきづ島」は、神武天皇の国見歌(秋津洲の名号の起源)を踏襲しています。
神武天皇の国見歌とは、建国を果たした神武天皇が国見をした際に、大和の地を称えた歌のこと。眼下に広がった豊かに実る稲の田と連なり飛ぶたくさんの蜻蛉から、この地を「蜻蛉の臀呫の如し」と称えました。
必読:論功行賞と国見|エピローグ!論功行賞を行い、国見をして五穀豊饒の国「秋津洲(あきづしま)」を望み見た件|分かる!神武東征神話 No.26
これが日本の美称「秋津洲」の起源となっており、舒明天皇もこの言葉を踏襲してるんです。
舒明天皇は、古代王朝におけるビッグダディ。舒明天皇の子供には、天智天皇や天武天皇がおり、舒明ファミリーのトップとして君臨したスゴい天皇であります。
必読:舒明天皇陵(段ノ塚古墳)|舒明ファミリーの頂点!ビッグダディ舒明天皇の陵はとってもユニークな八角形
その舒明天皇が国見をした際に歌った2番歌は、神武天皇の事蹟をふまえて大和の国を称えており、その国見をした地として天の香具山が位置づけられている訳ですね。
持統天皇の香具山歌
続いて登場するのは、飛鳥時代後期。天武天皇の遺志を引き継ぎ、国の礎づくりと藤原京遷都を実施した持統天皇の歌から。
春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天香具山 (万葉集28番歌)
飛鳥に続く白鳳の時代、持統天皇によって詠まれた有名な歌ですよね。
この時代、天香具山の西側一帯には、日本で最初の本格的都城である藤原京が造営され、白鳳文化が花開きました。
本歌は、夏の訪れと共に、天香具山に干す衣更えが耕作の始まりを告げていることを描いたさわやかな歌です。
「夏来るらし」とは、夏の到来を意味。この「夏」とは、四時間における四月のこと。
「白たへの衣干す」とは、衣替えのことで、夏用の服である「暑衣」へ衣替えをするために天日干しすることを歌っています。新緑に萌える天香具山の緑に映える暑衣の白が対照的なコントラストでもって歌われています。
で、
コレ、通常は「衣替えの歌」とされていますが、それ以上に大事なのは、
この歌が農事を告知する王者(天子)の歌であること。
古代においては、天子の行う夏服の着用と営農の勧めという重要儀礼があったのです(『礼記』月令、孟夏)。
いわば、農事を告げる山として天香具山が位置づけられており、それは、舒明天皇の国見歌の内容と対応しています。
夏の到来により、夏服を着て民に先んじて田を耕す理想の天子像、そうした伝統を踏まえた歌なんですね。
ちなみに、この「親耕」の伝統は、現在の天皇にも引き継がれています。
藤原宮―御井の歌
天香具山が次に登場するのは、同じく藤原京時代の歌から。作者不詳ながら「御井の歌」として知られ、藤原京の栄華を称えた歌です。
やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水 (万葉集 52番歌)
訳文: あまねく天下を支配されてらっしゃるわが大君、天高く照らしてらっしゃる日の神の御子なる天皇、その天皇が藤井が原に素晴らしい宮殿を造営され、埴安の池の堤に立ってご覧になると、大和の青々とした香具山は、東面の御門として春山らしく茂っている。畝傍の瑞々しい山は、西面の御門として端山らしくどっしりとしている。耳成の青菅茂る山は、北面の御門として神々しい。名も妙なる吉野の山は、南面の御門のはるか向こう雲の彼方に連なっている。このよき山々に守られた高くそびえる大宮殿、天高くそびえる大宮殿の水こそは、永遠に尽きることなくあれ。この御井の真清水は。
天香具山の西側一帯に造営され、白鳳文化が花開いた藤原京。「御井の歌」はその栄華を称えた歌で。
「埴安の堤の上に立ち見す」とあり、建国神話で大きな力を発揮した「埴安」伝承を踏まえた上で、埴安の堤の上にたって国見をするという伝統的行為が歌われています。
一帯に広がる美しい藤原京は、香具山をはじめとする大和三山が取り囲んでいました。東は香具山、西は畝傍山、北は耳成山、そして南は吉野の山が、都を守る門として囲んでいると歌っています。
そして、都を存続させる要である井戸の存在。藤原京を、豊富で清冽な井泉に恵まれた宮都として賛美しているのです。井戸があれば、都も天皇も永遠に続いていくだろうと。
飛鳥浄御原宮から藤原京への遷都は、それまでの「宮都」といった規模感から、本格的な城壁を持つ「宮城」スケールへの大転換でした。また、ハード面だけでなく、ソフト、具体的には、律令制度や歴史書の編纂等、日本の仕組み作りの点からも大きな変革が行われた時代でもあります。
本歌は、そうしたなかで育まれていった日本(日本人)としての自覚や自負といった意識の拡大を映し出しているといえます。
高市皇子尊の殯宮挽歌
続いてご紹介するのは、藤原京の栄華の終焉、そのきっかけとなったと言える、高市皇子の死を悼む歌から。
高市皇子は、藤原京に遷都した持統天皇朝の太政大臣として、実質的な統治に当たっていました。
その高市皇子が造営し、政治の中枢として位置づけられていたのが「香具山の宮」です。天香具山付近にあった模様。
吾が大王の 万代と 念ほし食して 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと念へや 天のごと 振り放け見つつ 玉襷 懸けて偲はむ 恐ありども
訳文: 我が大君が永遠にと思し召して造られた香具山の宮は、万代までも続いていくと思われた、天を振り仰ぎながら、深く心に懸けてお偲びしてゆこう。恐れ多いことではあるけれども。
高市皇子尊の、突然の薨去を悼む挽歌は、『万葉集』のなかでも最長の雄篇。今回ご紹介したのはその中から、最後のほんの一部。
香具山の宮には巨大な「埴安の池」があり、宮仕えをしていた人々がそこに船を浮かべて遊覧に興じるなど栄華を極めていました。これは、後に大伴旅人の歌によって伝えられています。
また、その池の堤では、かつて持統天皇が国見をしたことを、一つ前にご紹介した「御井の歌」で伝えていました。
いずれも、天香具山、そして香具山にあった「香具山の宮」が、政治的にも文化的にも日本の中心であったことを示す内容です。
ちなみに、歌中「香具山の宮」は、日並(草壁)皇子の「島の宮」に対応していますし、「埴安の池」も同じく「勾の池」に対応。高市を草壁と重ねているわけですね。
※参考:「島の宮 勾の池の 放ち鳥 人目に恋ひて 池に潜かず」(『万葉集』巻第二-202170 柿本人麻呂)
草壁皇子に代わる存在として大きな期待を背負い、政権の中枢にあって世を謳歌していた高市皇子でしたが、、、
永遠に続くかと思われたその栄華は、突然の死によって終わってしまいます。持統天皇十年(696)、高市皇子の薨去。その死を悼む挽歌が、『万葉集』のなかでも最長となっているのも、こうした背景があったからなんです。
ちなみに、このとき、妃である桧隈女王が夫の回復と延命を願い、哭澤の神に祈ったのに叶わなかった、そのことを恨み悲しむ歌が伝わっています。
哭澤の神社に神酒すゑ祷祈れども 我ご王は高日知らしぬ (『万葉集』巻第二-202)
そして、桧隈女王が祈った哭澤の神社は、現在の天香久山のふもとに鎮座する畝尾都多本神社です。なお、哭澤神は、日本神話で伝える、伊奘諾尊が、最愛の妻を亡くした悲痛の中で流した「涙」から生まれた神であります。
この高市皇子の薨去から10年あまりで、都は藤原京から平城京へ遷都。これにより、藤原京は荒廃していくことになり、天香具山も歴史の表舞台から姿を消していくことになるのです。
鴨君足人の香具山歌
平城京遷都により、藤原京は荒廃の一途を辿ります。天香具山にあった香具山の宮もうち捨てられていきました。鴨君足人の香具山歌は、その栄枯盛衰を歌っています。
天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木の暗茂に 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ辺に あぢ群騒き ももしきの 大宮人の 退り出て 遊ぶ船には 楫棹も なくて寂しも 漕ぐ人なしに
訳文: 天から降ってきたという天の香具山では、霞の立つ春になると、松を渡る風に、埴安の池に波が立ち、桜の花が木陰いっぱいに咲き乱れ、池の沖では鴨がつがいを求め、岸辺ではあじ鴨の群れが騒がしく、宮仕えの人々が宮殿から退出していつも遊んでいた船には、櫂も棹もなく、物寂しく静まりかえっている。船を漕ぐ人もいないままに。
天香具山は、春になれば桜が美しく、池にはたくさんの鴨がいて、大宮人が遊覧に興じていたのに、、、今では、その船も漕ぐ人もいなくて寂しく静まりかえっている、、、と。
かつての賑わいや栄華が嘘のように見るかげもない有りさまをさらしています。奈良の平城京へ遷都後の荒廃を歌っているのです。
帥大伴卿の歌
最後にご紹介するのは、大伴旅人の歌から。先ほどもご紹介したとおり、大伴旅人は高市皇子が栄華を極めていたころ、同じ時代の空気を吸っていたお方。
その後、九州へ赴任してからも、天香具山を「魂のふるさと」として歌っています。全五首の歌。
我が盛り またをちめやも ほとほとに 奈良の都を 見ずかなりなむ(3-331)
訳文: 私の栄華を極めた時がまた返ってくることがあるだろうか。いやそんなことはあり得まい。もしかすると、奈良の都を見ないまま終わってしまうのではなかろうか。
我が命も 常にあらぬか 昔見し 象の小川を 行きて見むため(3-332)
訳文: 私の命はいつまでもあってくれないものか。昔、吉野へ行って見た象の小川を見るために。
浅茅原 つばらつばらに 物思へば 古にし里し 思ほゆるかも(3-333)
訳文: 浅茅原の茅原ではないが、つらつらと物思いに耽っていると、古びてしまった里がしみじみ思われることよ。
萱草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため(3-334)
訳文: 忘れ草が私の衣の紐に付いているよ。香具山の故郷を自然と忘れてしまえるために。
我が行ゆきは 久にはあらじ 夢の曲 瀬とはならずて 淵にてありこそ(3-335)
訳文: 私の旅は長くはないだろう。吉野川の夢のわだ(吉野宮滝)よ、年月を経ても浅瀬にはならず、美しい水を湛えた深い淵のままであってくれ。
神亀五年(天平二年)、大伴旅人は太宰府の長官である「太宰帥」として九州へ赴任します。そのさいに読んだ望郷の歌。
奈良の都に対する望郷から、明日香、香具山、吉野に対する懐旧の念へと転換する5首の歌となっており、特に3首目以降、生まれ故郷の明日香へと追想は展開し、ノスタルジーに堪えきれず、いっそのこと故郷を忘れてしまいたいと詠んでいます。そして、しめくくりでは再び朝廷の聖地「吉野」への思いを歌い上げる。いずれも抒情豊かな歌です。
奈良の都の繁栄と、我が身の老衰が対比されていて。ここでの「古りにし里」とは、香具山の故郷のこと。
旅人は、奈良の都の繁栄には見向きもせず、一途に香具山の故郷を追懐、追慕している。天の香具山の故郷に寄せる旅人の痛切な心情が窺えます。
世は平城京の時代であり、藤原京は荒廃していく一方ですが、天香具山はいつまでも「心の故郷」として旅人の心に残っていたんですね。
こうしてみてくると、
天香具山の歴史は、神話を起源としながら、藤原京の前後を頂点とする栄枯盛衰の物語でもあるわけです。万葉ロマンとは、つまり、日本の原点、日本の心をめぐるロマンなんだと思います。
天香久山に関連するその他の伝承
おまけとして2つご紹介します。
まずは『伊予国風土記』逸文から。
『伊予国風土記』逸文では、天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)の「天山」となり、もう1つが大和国の「天加具山」になったと伝えられています。
伊予郡の郡家の東北に天山があるのですが、この「天山」の名の由来は山が天より降った時、二つに分かれたことによる、というもの。これは「天山」を大和の「天の香具山」と結びつけた地名説話でもあります。
続いて『阿波国風土記』逸文。
『阿波国風土記』逸文では「アマノモト山」という山が阿波国(徳島県)に落ち、それが砕けて大和に降りつき天香具山と呼ばれたと記されているそうで。ただ、本逸文については、一説には明治初期まで阿波藩に存在したとの説もありますが、実際の所行方が判っていません。
天香久山周辺のオススメスポット
ここからは、
どんなオススメスポットがあるの?
てところをご紹介。神の山「天香久山」ならではの、日本神話に起源をもつ超絶神社が多くあります。
天香山神社
本エントリでもご紹介しましたが、『古事記』につたえる天石屋神話に登場する「ははかの木」が自生する超絶パワースポット。天香久山周辺の神社を束ねる中心的神社でもあります。ご祭神は、「櫛真智命神」で、占いの神様です。
必読:天香山神社|神意を伺う占いの神「櫛眞命」を祭る!天石屋戸神話で使われる波波迦の木が境内に生える?超絶神話ロマンスポット!
住所 | 〒634-0022 奈良県橿原市南浦町608 |
電話番号 | 0744-21-1115 |
駐車場 | あり 神社の入口から右手へ、細い農道の先右手。無料。 |
神職さんは常駐ではありませんが、毎月1日の月並祭を斎行されてらっしゃるので、そこでお話を伺うことができます。
國常立神社
天香久山の頂上にある神社。神の山として位置づけられていた天香久山に、国土神たる国常立尊がお祭りされているのは非常に重要な意味があるように思います。
住所 | 〒634-0022 奈良県橿原市南浦町326 |
駐車場 | なし 天香山神社の駐車場を利用されてください。無料。 |
天香山神社から登山道が続いています。神社から10分ちょっとで山頂へ。天香久山山頂からは藤原宮跡をはじめ畝傍山を遠望することができます。
▲中央の奥に見えるのが畝傍山。右手の緑の一角が藤原宮跡です。
天岩戸神社
天香久山の南麓にある神社。天照大神の岩戸隠れの伝承地です。超絶パワースポット。拝殿の裏には、岩戸隠れを彷彿とさせる磐座があります。天香山神社、国常立神社とはウォーキングコースで繋がってます。
住所 | 〒634-0022 奈良県橿原市南浦町772 |
駐車場 | なし 住宅地の奥にあるので、周辺に車を停めるスペースはありません。 |
畝尾坐健土安神社
日本建国に大きな力を発揮した「天香山の埴土」の神を祭ります。神話的に超絶パワースポット。東征伝承における「埴安」という地名伝承がもとになった社名です。
必読:畝尾坐健土安神社|建国神話の事績伝承に由来!土の神様をお祭りする由緒ある神社です
住所 | 〒634-0029 奈良県橿原市下八釣町136 |
駐車場 | あり。無料。神社の前が駐車場になってます。 |
畝尾都多本神社
高市皇子の妃である桧隈女王が夫の回復と延命を願い祈った「哭澤の神」を祭ります。哭澤神は、日本神話で伝える、伊奘諾尊が、最愛の妻を亡くした悲痛の中で流した「涙」から生まれた神であります。
必読:畝尾都多本神社|最愛の人へ寄せる涙から生まれた愛の女神「啼沢女命」を祭る!畝尾都多本神社の全貌を日本神話的背景も含めてまとめてご紹介!
住所 | 〒634-0025 奈良県橿原市木之本町114 |
駐車場 | なし。すぐ近くにある畝尾坐健安神社の駐車場、または、奈良文化財研究所の駐車場をご利用ください。 |
伊弉諾神社、伊弉冊神社
天香久山の山中にある神社。伊弉冊神社と2つでセットの社です。
伊弉諾神社
伊弉冊神社
香久山登山道&埴土伝承地&国見の丘
天香久山の散策コースの中間付近にあります。ポイントは、埴土伝承地であること、国見の場所であること。超重要スポットです。
▲香久山登山道の入口になってます。ここを登っていくと10分くらいで天香久山山頂へ。国常立神社があります。
▲建国神話で大きな力を発揮した埴土の伝承地。超絶パワースポット!
▲国見の丘にもなってます。古代の人々が国見をした際に見たであろう景色。万葉ロマンをこれでもかと感じるスポットです。
月の誕生石
花崗岩の巨石。高さ3.5m、幅6.5m、奥行3.5mあり。円形の黒色斑点が月が使った産湯の跡として、小さな斑点は月の足跡として伝えられています。
天香山神社のご神体も巨大な磐座、天岩戸神社も同じく磐座。天香久山は巨石信仰の一大スポットでもあったようです。
奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室
藤原宮の全貌のほか、学術的出土品などが復元展示されてます。入館料、駐車料、いずれも無料です。
必読→ 藤原京資料室|藤原京の巨大なジオラマ!リアルな藤原京を堪能できる橿原屈指のおススメスポット!
住所 | 〒634-0025 奈良県橿原市木之本町94−1 |
電話番号 | 0744-24-1122 |
駐車場 | あり。無料。 |
開館時間 | 9:00~16:30 |
休館日 | 年末年始および展示替え期間中 |
天香久山オススメ散策コース
ココからは、天香久山のオススメ散策コースをご紹介。
香久山周辺の案内図は以下の通り。
いろいろ回るべきスポットはあるのですが、当サイトとしてオススメなのは、天香山神社を起点とした散策コース。
理由は、
- 天香山神社は天香久山の中心的神社であり、神話の時代から続く超重要スポット。絶対に外すことはできません。
- 車が停められる駐車場があるから。
天香山神社を起点とした散策コースは以下の通り。
出発:天香山神社→ 天香久山登山→ 天香久山山頂・国常立神社→ 下り道→ 伊弉冊神社→ 伊弉諾神社→ 天岩戸神社→ 民家を抜けて再び登り→ 埴土伝承地・国見の丘→ 天香山神社
全体として1時間~1時間半程度のコースです。
コース上の道はこんな感じです。スニーカーでも十分歩ける感じです。
そして、
もう一つご紹介しておきたいのが、畝尾坐健土安神社周辺の散策。
香久山からも歩いて行けますので、体力や時間に余裕があれば是非。健土安神社のところには車も停められますので、都多本神社と一緒に回りましょう。
天香久山へのアクセス
最後に、
天香久山へは、どうやっていけばいいの?
というところをご紹介。
電車の場合 | 近鉄大阪線「耳成駅」下車(特急、急行停車駅の「大和八木」駅で乗り換え) JR「香久山駅」下車 徒歩20分ほど |
車の場合 | 大和高田バイパス「四条ランプ」から10分ほど 京奈和自動車道「橿原北IC」から20分ほど |
ということで、
本記事では、電車の場合をご紹介。
天香久山の最寄り駅は近鉄大阪線の「耳成駅」です。
▲普通しか停まらないローカルステーションなので、大和八木か桜井で乗り換えが必要。
▲耳成駅から南へまっすぐ。分かりやすい道なので迷うことはありません。
▲奈良のローカルな雰囲気。のんびりと歩いて行きましょう。
▲「出合」交差点。右手奥にある台湾料理屋さん、結構おいしいのでオススメです。私さるたひこは刀削麺が大好物です。
JR線の踏切です。ココを越えればもうすぐソコです。両側に広がる万葉ロマンの田園地帯をのんびりウォーキング。
右手に見えるのが畝傍山。
右手後ろには、耳成山。
このあたり一帯が、大和三山に囲まれた聖地であることを実感します。サイコーだ!
そして、、見えてきました!天香久山です!美しー!!!
角にコンビニのある交差点を左手へ。しばらく進むと右手に入る道があります。
真正面に見えるのが天香久山。神話ロマンの聖地です!
民家を抜けると、、、、
天香山神社の入口です!ここまで徒歩で20~30分ほど。神社で休憩して、天香久山散策コースをお楽しみください。
天香久山のその他のアレコレ
天香久山に関するお知らせ事項をご紹介。地元ならではの内容を。
まずご紹介したいのが、天香久山地区で行われているお米作りの神事!
お田植え神事
必読→:お田植え祭|天香久山の御田植神事!お田植え祭当日の様子を詳しくレポ!
抜穂神事
必読→:抜穂祭|天香久山の抜穂神事!抜穂祭当日の様子を詳しくレポ!
まとめ
天香久山は、奈良県橿原市にある山。
近くにある畝傍山、耳成山と合わせた「大和三山」の一つで、のびやかで美しい山容は古来より多くの歌人を魅了してきました。
標高は152.4m、大和三山の中では2番目の高さです。
天香久山の歴史は、神話を起源としながら、藤原京の前後を頂点とする栄枯盛衰の物語でもあり。万葉ロマンとは、つまり、日本の原点、日本の心をめぐるロマンなんです。
周辺には、神の山「天香久山」ならではの、日本神話に起源をもつ超絶神社が多くあります。また、散策コースも整備されてます。
奈良にお越しの際は、是非訪れていただければと思います。
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