「龍田大社」は、奈良県生駒郡三郷町にある神社。風の神を祭る神社として知られます。
「風の神」。
なかなかお目にかかれないレアな感じ。曰はく「万物の根源である「気」を守護し、あらゆるご利益が期待できる神社」との事。
スゴイです(゚A゚;)ゴクリ 、、、それにしても、なぜこの生駒に風なのか?特異な存在だけに気になります。
今回は、そんな自称レア&スーパー御利益を持つ龍田大社を、古代ディープなマメ知識と合わせてご紹介です。
龍田大社|風の神様を祭る龍田大社は「気」を守護し、運気アップから病気平癒など幅広く御利益がある件
目次
龍田大社の御祭神に関わる日本神話
まずは、当サイトならでは。龍田大社の御祭神に関連する日本神話をご紹介。
背景をチェックして現地をチェックです。
御祭神は、
- 天御柱大神・・・別名「志那都比古神」
- 国御柱大神・・・別名「志那都比売神」
なんですが、、、
実は、『日本書紀』や『古事記』等の文献を辿っても「天御柱大神」や「国御柱大神」という名前は見当たらない。。。かろうじて「比古神」「比売神」は祝詞に出てくるのですが。。。コチラは後ほど。
日本神話に登場するのは、神社的別名である「志那都比古神」。コチラ『古事記』の、国生みの後に続く「神生み」で登場。
大八嶋国に必要な神を生む。それは、将来的には「瑞穂の国」になっていくために必要な神として生んでいく流れなわけで、以下。
次に風の神、名は志那都比古神を生み、次に木の神、名は久久能智神を生み、次に山の神、名は大山津見神を生み、次に野の神、名は鹿屋野比売神を生んだ。亦の名は野椎神という。
原文: 次生風神・名志那都比古神此神名以音、次生木神・名久久能智神此神名以音、次生山神・名大山上津見神、次生野神・名鹿屋野比賣神、亦名謂野椎神。自志那都比古神至野椎、幷四神。 (『古事記』上つ巻より一部抜粋)
ということで、
コチラ、実は、『古事記』神生みならではの、壮大なストーリーらしきものがある中での誕生になっております。
最初の風神「志那都比古神」は、大八嶋国を生んだ後だからこそ何もない状態、きっと生まれたての神々と朝霧が立ちこめてるだけの状態で、それを吹き払った気息が化して神となったイメージ。そのための風。
そして、木の神は、風神の存在を揺らぎによってそれと知らせるもの。さらに、山の神は、山林、豊かに木々の繁る山だから、国土が豊かに成長しているさまを表象。
最後に、野の神は、山・野・原という大地を構成する3つの場の中間地帯。このあと、葦原中国の葦原が生まれることを予定する。そしてきっとそこには人間の姿も・・・
ということで、コチラ、原始日本誕生の壮大なストーリーであります。風の神については、この壮大なイメージをまずチェック。
龍田大社の場所
御祭神に関する日本神話がチェックできたところで、ココからはリアルな現場を確認。
龍田大社は、奈良県生駒郡にあります。
JR大和路線「三郷」駅より徒歩5分。小高い丘というか山の上。
大坂から奈良へ。南北両側を山に挟まれ、現在は25号線と大和川が通ってます。
奈良の入口であり大和平野に入るところ、小高い山の上に風の神様が鎮座されてる訳ですね。
▲コチラ、龍田大社の入口の様子。入口の鳥居前は広い駐車場になってマス。無料なので直接GO!
電車の場合は、JR関西本線の大和路線「三郷駅」から徒歩5~10分ほど。
▲官幣大社なんですね。威容を感じる鳥居の風。奥からかすかに風が・・・?
龍田大社の創建経緯
社伝曰はく、第10代・崇神天皇の時代。国内に凶作や疫病が流行し騒然としているなか、天皇の夢に「大神」が現れ、
吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて・・・
と、神託を授けたとのこと。その通りにお社を造営すると、作物は豊作、疫病は退散した。。。
かなり神ってますが、創建の経緯です。
ちなみに、、、公的文献で風の神の初見は、第40代の天武天皇4年。
4月10日に、「風神を龍田の立野に祠らしむ」『日本書紀』と伝えており、これが初登場。
以後、ほぼ毎年、持統天皇の御代までこの祭りの記録があります。なお、『神祇令(養老令)』第六には、孟夏(4月)と孟秋(7月)に「風神の祭」を行う事を定めてたりもして。
『延喜式』はこれを引き継いで、祭りを10月と7月の各4日に行うと定め、朝廷より5位以上を差遣し、国司も次官以上一人が専任担当していました。「風神の祭」、結構大々的に行われていた重要なお祭りだったということですね。
その祝詞に「比古神」「比売神」が登場します。そして、「比古神」「比売神」に「幣帛」と共に、諸種の供物を献じ、
天の下公民の作る物を、悪しき風、荒き水に相はせたまはず、皇神の成し幸はへたまはば。
と祈っていました。
風や水の害が起こらないように祈る祭りが「風神の祭」という訳。
なので、文献や歴史の時代に入って「比古神」から「比売神」が誕生した。そして、いつのころから、「天御柱大神」「国御柱大神」と呼ばれるようになった感じかと想定されます。
龍田大社境内の様子
▲鳥居をくぐると、まっすぐに続く参道。そして、奥に拝殿、本殿が見えます。
▲手水舎。コチラは龍田大社だけに龍神さん。
そして、さらに進むと拝殿があります。
▲拝殿から本殿を望みます。とっても綺麗な風。お祭りともなるとココで神楽などの舞踊が奉納されるのでしょう。
龍田大社の御祭神
- 天御柱大神・・・別名「志那都比古神」
- 国御柱大神・・・別名「志那都比売神」
御利益:
ご神名の「御柱」とは「天地万物の中心の柱」とされ、別名の「志那」とは「息長(長寿)」を意味し、「気息の長く遠く吹き亘る」とされます。つまりは天地宇宙の万物生成の中心となる「気」をお守護りくださる、幅広いお力のある神様です。 (神社説明文より)
との事。すばらしい。。。天地宇宙の万物生成の中心となるのが「気」であり、それを加護する神として幅広く展開しているわけですね。
▲拝殿の脇のところから本殿を。。。って、見えにくいですね。すみません。
龍田大社その他のアレコレ
▲神社として、陰陽五行の思想を打ちだされております。これもその一環ですね。
その他、末社のみなさん。
白龍神社
御祭神:白龍
御利益:神結びの神、浄難災難除け、安産祈願
江戸末期に、神社境内に白蛇として出現。明治後期に一夜にして姿が消え、明治41年にふたたび白龍として登場。これを吉報としてお迎えしお祭りされたそうです。
▲白龍様はお水が大好き。お水をたっぷりかけていただければ幸いです。
龍田恵美須神社
御祭神:恵美須神
御利益:商売繁盛、福徳開運、家庭円満
寛永元年(1243年)摂津の西宮戎神社から御分霊をいただき祭祀。一度廃れて、昭和62年に再度、同神社から御分霊をいただき祭祀。「龍田恵美須さん」として親しまれております。
三宝稲荷神社
御祭神:稲荷神
御利益:商売繁盛
創建経緯不明。昔から「三方稲荷さん」として商売を営む皆さんの信仰篤い神社。
おまけ:龍田は神武東征神話で登場する重要なスポット
実は、ここ「龍田」の地は、日本神話的には神武東征神話と関連があり、私さるたひこは神話目的で訪れた次第。
詳しくはこちら↓で。
神武が大和入りのために最初に目指した地が「竜田」。コレ、現在の「龍田」。結局、ここに至る生駒山の狭く険しい道によって通れないことが判明し引き返すことになるのですが。。。
▲コチラ、神武東征神話を地図に落とし込んだルート図。大阪平野と奈良盆地を隔てる生駒山。そして、生駒山が途中で切れるところ、平地で繋がる細い道が竜田の地であります。
このあたり、神話ロマンが重なってドキドキする感じがします。
まとめ
龍田大社
奈良県生駒郡三郷町立野にある神社。
社伝曰はく、ご祭神は「天御柱大神(別名:志那都比古神)」「国御柱大神(別名:志那都比売神)」。
ご神名の「御柱」は「天地万物の中心の柱」。転じて、天地宇宙の万物生成の中心となる「気」をお守護りくださる、幅広いお力のある神様です。
一方で、古代文献上の根拠が見当たらない謎の神様でもあって、日本神話的には「風の神=志那都比古神」。こちら、神産み神話で登場します。
境内は、小高い丘というか山の上にあって、のんびりとした風が漂っていて心地よいです。空間の広がりがそう感じさせるのかも。
その他、商売繁盛系として3つの神社もお祭りしてますので、こちらも是非チェックされてください。
住所 |
〒636-0822 奈良県生駒郡三郷町立野南1丁目29−1 JR大和路線「三郷」駅より徒歩5分。小高い丘というか山の上。 |
電話 | 0745-73-1138(午前9時〜午後5時) |
駐車場 | あり |
HP | 龍田大社のHPはコチラです。 |
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