多彩で豊かな日本神話の世界へようこそ!
日本最古の書『古事記』をもとに、
最新の文献学的学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。
今回は、『古事記』上巻から、
伊邪那岐命の復讐と神の誕生
『古事記』版神生み。その最後、火之夜芸速男神が生まれたことで、みほとを炙かれ病んだ伊邪那美命が、神避るところから。
嘆き悲しんだ伊邪那岐命の涙から1柱の神が、復讐のため迦具土神を斬断、ほとばしった血から8柱の神、迦具土神の屍体から8柱の神が、それぞれ誕生します。
ポイントは、
火之夜芸速男神の誕生以降、非常に激烈なシーンが続くこと。人間さながらの激情発露、そこから神威の強い神々が誕生します。
今回も、概要で全体像をつかみ、ポイント把握してから本文へ。最後に、解説をお届けしてまとめ。
現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄がここにあります。それでは行ってみましょう!
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
『古事記』神生み②原文と現代語訳|伊邪那岐命の復讐と神の誕生
目次
『古事記』神生み② の読み解きポイント
『古事記』上巻から。経緯としては、
国生みから続く、伊耶那美命と伊耶那美命による神生み。次々に誕生する神々、、、しかし最後に誕生した火神により伊邪那美命が焼かれ病に伏せる。そのまま神避ってしまうことで神生みは中断してしまう。。。
↑経緯しっかり確認。
で、本文に入る前に、まずは押さえておきたいポイント、概要をチェック。
全部で3つ。
- さながら人間??いや、それ以上?イザナキ一家のドロ沼がスゴイ。。。
- 『古事記』的伏線?激しいシーンで誕生した神が、国譲りを迫るネゴシエーターに
- 伊邪那美は死すべくして死んだ?生と死にカタをつけるべく生み出された壮大なストーリー
ということで、
以下、順に解説。
①さながら人間?いや、それ以上??イザナキ一家のドロ沼がスゴイ。。
今回ご紹介する神話では、さながら人間のような激情を発露する伊耶那岐命が登場。
コレ、冷静に考えると、結構な革命で。。
経緯としては、、
天地開闢から、造化三神はじめ次々に誕生する神は、自然発生的な、自動詞的「成りまし」だったのですが、、、神世七代の最後の世代、伊耶那岐命と伊耶那美命になってから、おかしくなってくる。、いつの間にか、結婚して、交合して、子を生む、、って、ちょっとオマ。。。
コレって実は、ものすごい大転換。「生まれる」的自動詞から「生む」的他動詞への革命。シンカです。
で、シンカは進み、ついに、、、さながら人間のように激しい情動を持ち、それによって様々な行為をするようになる。。妻を、親を殺すことになった我が子を恨み、復讐として斬段する、悲しみの涙を流す、、
コレ、、昼ドラ以上のドロ沼神様劇場。。イザナキ家に生まれなくて本当に良かったと心から思います。
生まれる(成りまし)→生む→激情獲得、という神シンカ発生中、そんな視点から本文をチェックです。
次!
②『古事記』的伏線?激しいシーンで誕生した神が、国譲りを迫るネゴシエーターに
前回の解説では、神の誕生方法には3つあるとお伝えしました。
今回は、その中で「激しいシーンからは神威の強い神が生まれる」パターンです。
- 愛する伊邪那美命を喪った悲しみの涙から神が生まれる、
- 我が子の首を斬段し、ほとばしった血から神が生まれる、、
- バラバラにされた迦具土神の死体から神が生まれる、、、
と、まースゴイ。実際にイメージしてみて。。コレ、かなりグロいシーン。。
いずれも、ココから非常に神威の強い神が誕生するのですが、特に、今後の神話展開上チェックしておきたいのは、建御雷之男神。
後に、大国主に国譲りを迫るネゴシエーターとして再登場。
大国主と交渉する訳ですから、相当な神威が無いと無理。そこで、この激烈なシーンでの誕生が設定されてる。国譲りに向けた伏線と回収。大きな構想をもとにつくられてることしっかりチェック。
次!
③伊邪那美は死すべくして死んだのです?生と死にカタをつけるべく生み出された壮大なストーリー
突然の伊邪那美命の神避りによって中断する神生み。これによって、古事記神話は新たな展開に突入。
このあと、
伊邪那岐命による黄泉国への往来譚、からの、生と死の決着につながっていきます。
生と死の決着。
コレ、神話的要請ともいうべきもので。死の起源譚。伊邪那美の死は神話展開上必要なものとして、ある意味、予定されてたとも言える位置づけになってる。
このシーンだけで解釈するのではなく、神話全体の中でチェックです。
まとめます。
- さながら人間??昼ドラ以上に激情&ドロ沼のイザナキ一家の物語。。。
- 『古事記』的伏線??伊邪那美系はやっぱり出雲の匂いがする!?
- 伊邪那美は死すべくして死んだのです?生と死にカタをつけるべく生み出された壮大なストーリー
以上3つ。チェックしたうえで現場をどうぞ!
『古事記』神生み② の原文と現代語訳
ゆえに、伊邪那岐命は詔して「愛しき我が妻の命よ、一人の子に代えようと思っただろうか(いや思ってはいない)」と言い、そのまま(伊邪那美命の)枕の方に腹ばいになり、足の方に腹ばいになって哭いた。この時、涙に成った神は、香山の畝尾の木の本に坐す、泣沢女神である。ゆえに、その神避った伊邪那美神は、出雲国と伯伎国とのさかいの比婆山に葬った。
ここに伊邪那岐命は、腰に帯びていた十拳剣を拔いて、その子、迦具土神の頚を斬った。その御刀の先についた血が、神聖な石の群れにほとばしりついて成った神の名は、石拆神。次に根拆神。次に石筒之男神。次に、御刀の本についた血もまた、ほとばしりついて成った神の名は、甕速日神、次に樋速日神、次に建御雷之男神。またの名は、建布都神。またの名は豊布都神。次に、御刀の手上柄に集まった血が手の指の間から漏れでて成った神の名は、闇淤加美神。次に、闇御津羽神。(上の件の石拆神より以下、闇御津羽神まで、并せて八神は、御刀に因りて生った神ぞ。)
また、殺された迦具土神の頭に成った神の名は、正鹿山津見神。次に、胸に成った神の名は、淤縢山津見神。次に、腹に成った神の名は、奧山津見神。次に、陰に成った神の名は、闇山津見神。次に、左の手に成った神の名は、志芸山津見神。次に、右の手に成った神の名は、羽山津見神。次に、左の足に成った神の名は、原山津見神。次に、右の足に成った神の名は、戸山津見神。(上の件の正鹿山津見神より戸山津見神まで、并せて八神ぞ。)ゆえに、火神を斬った刀の名は、天之尾羽張といい、またの名は伊都之尾羽張という。
※音指定の「注」は、訳出を分かりやすくするため割愛。
故爾伊邪那岐命詔之「愛我那邇妹命乎(那邇二字以音、下效此)」謂「易子之一木乎」乃匍匐御枕方、匍匐御足方而哭時、於御淚所成神、坐香山之畝尾木本、名泣澤女神。故、其所神避之伊邪那美神者、葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也。
於是伊邪那岐命、拔所御佩之十拳劒、斬其子迦具土神之頸。爾著其御刀前之血、走就湯津石村、所成神名、石拆神、次根拆神、次石筒之男神。三神次著御刀本血亦、走就湯津石村、所成神名、甕速日神、次樋速日神、次建御雷之男神、亦名建布都神(布都二字以音、下效此)、亦名豐布都神。三神次集御刀之手上血、自手俣漏出、所成神名(訓漏云久伎)、闇淤加美神(淤以下三字以音、下效此)、次闇御津羽神。上件自石拆神以下、闇御津羽神以前、幷八神者、因御刀所生之神者也。
所殺迦具土神之於頭所成神名、正鹿山上津見神。次於胸所成神名、淤縢山津見神(淤縢二字以音)。次於腹所成神名、奧山上津見神。次於陰所成神名、闇山津見神。次於左手所成神名、志藝山津見神(志藝二字以音)。次於右手所成神名、羽山津見神。次於左足所成神名、原山津見神。次於右足所成神名、戸山津見神。自正鹿山津見神至戸山津見神、幷八神。故、所斬之刀名、謂天之尾羽張、亦名謂伊都之尾羽張。(伊都二字以音)。 (『古事記』上巻より抜粋)
『古事記』神生み② の解説
『古事記』伊邪那岐命の復讐と神の誕生、いかがでしたでしょうか?
愛する人(神)を失った伊邪那岐命の悲しみと復讐を中心に展開。非常に激しいシーンです。腹這いになって哭く、復讐のために我が子(神)をバラバラに切り刻む、など、、人間に負けず劣らずの激烈ドラマ展開。。。
ポイントはまさにココで。
日本神話全体の流れの中で、今回の「伊邪那岐命の復讐と神の誕生」の位置付け、意味としては、神が感情をもつようになった、ってことであり、これにより、多様なストーリー展開への道が開かれることになります。ココ、結構重要。
ちなみに、、
今回も、ちょいちょい『日本書紀』と比較することで、重視しているポイント、伝えたいことを深堀りします。
「伊邪那岐命の復讐と神の誕生」と同じ流れを持つのは、『日本書紀』第五段〔一書6〕。
そっくりや。。。是非チェック。
ということで、早速以下、詳細解説。
最後に、まとめとして、
『日本書紀』との比較を通じてのお話をお届け。
『日本書紀』第五段〔一書6〕から、該当箇所が以下。
その時、伊奘諾尊は恨み「このたった一児と、私の愛する妻を引き換えてしまうとは。」と言った。(原文:于時 伊奘諾尊恨之曰 唯以一兒 替我愛之妹者乎) ※『日本書紀』第五段〔一書6〕より一部抜粋
ということで。
伊奘諾尊が、、、妻を殺した我が子を恨んでいる。。。
ポイント2つ。
- 日本神話史上初!神が感情を持ち始めた!って瞬間だ
- 新登場!人間モデル神。実はしっかりプロセスを踏んでの登場でした
『古事記』と重なる部分が多いので、あわせてチェック。
①日本神話史上初!神が感情を持ち始めた瞬間だ
『日本書紀』の方は非常に明確で、「伊奘諾尊は恨み」と伝えてます。神が恨む、、、((((;゚Д゚))))ガクブル
日本神話全体の中で、この感情表現が登場した意味はかなりデカくて。
以後、感情をきっかけにした神話展開が発生、これまでの流れとは違った、想定外のイベントが発生していくようになります。それにより、神話全体に複雑さとか、多様性が与えられるようになる。ココがポイント。
『古事記』は少し見えづらいですが、「愛しき我が妻の命よ」以後の反語表現や、その後に腹這いになって哭くというのも、同じ感情表現として。
経緯を再度チェック。この重要感が分かりやすくなります。
『古事記』では、天地開闢から、造化三神はじめ次々に誕生する神は、自然発生的な、自動詞的「成りまし」だったのですが、伊耶那岐命と伊耶那美命になってから、結婚して、交合して、子を生む、、って、実はものすごい大転換を経てきてる。「生まれる」的自動詞から「生む」的他動詞への革命。シンカですよね。
で、
シンカは進み、ついに、、、ココで、さながら人間のように激しい情動を持ち、それによって様々な行為をするようになる神の誕生。。妻を、親を殺すことになった我が子を恨み、復讐として斬段する、悲しみの涙を流す、、
生まれる(成りまし)→生む→激情獲得、という神シンカ発生中
今までは、それこそ、成りまして隠れるとか、よく分からないくらい尊貴な神々で、だからこそ、神話的には大きなドラマ展開は生まれようがなかった訳です。尊貴なんで、例えば、道に外れるとか、突然怒り出すとか、そんなことはあり得ない。。てことは、神話という物語においても大きな展開が発生せず、淡々と進んできました。
ところが!
神が激情を獲得したことで、びっくりするような展開が可能になった訳です。それまでの、尊貴な神々ではあり得なかった展開、イベントがゾクゾク発生。コレにより、多様な展開が可能となり、日本神話がさらにオモシロく、奥深いものになってくる訳です。
いわば、多様な展開エンジンを獲得した瞬間であって、その意味で、このシーンは非常に重要なんです。ココ、しっかりチェック。
2つ目。
②人間モデル神の誕生は、実はしっかりプロセスを踏んでの登場でした
感情を持ち始めた神、人間臭い神様。いわば「人間モデル神」ともいうべき存在で。何度言っても違和感バリバリですが、、
ただ、日本神話的には、神がそうだから人間がそう、って事でチェック。神先人後。この順番はお間違えなく。詳しくはコチラ↓で。
ポイントは、この「人間モデル神」、実は突然登場するわけじゃないってこと。しっかりプロセス、段階を踏んでの登場だったりするんです。
で、その段階とは、、
伊耶那岐命と伊耶那美命が夫婦になった経緯、過程。
先立つ国生み、実は、結婚という過程、プロセス自体が、人間になぞらえてる。ってことなんです。ココがポイント。
国生みで、儀礼上の人間モデル夫婦を演じたうえで、神生みを経て、ココで開花&炸裂。
って、こうしてみてみると、納得感はありますよね。物語として破綻してない。
この箇所から突然、人間になったよ、クララが立ったよ、ではなく段階を踏んでる訳で。素晴らしい神話構造になってます。ほんとよく考えてある。段階的に人間モデル神へ移行してきたってこと、こちらもしっかりチェックです。
次!
- ゆえに、その神避った伊邪那美神は、出雲国と伯伎国とのさかいの比婆山に葬った。
- 故、其所神避之伊邪那美神者、葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也。
→火神を生んだことで神避った伊邪那美神を「出雲国と伯伎国とのさかいの比婆山に葬った」と伝えます。
「出雲国」は現在の島根県、「伯伎国」は鳥取県、「比婆山」は広島県の北東部にあり、比婆山連峰として一部は島根県境上にあります。標高1200mほど。山頂には比婆山久米神社あり。
なぜこの場所に伊耶那美命が葬られるのかは不明。比婆山と黄泉の国との関係も不明ですが、この後の、黄泉の国往来譚の最後に、「故に、其のいわゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂という。」とあり、どうやら、黄泉と出雲を関係づけようとしてる感じはありそうです。
次!
- ここに伊邪那岐命は、腰に帯びていた十拳剣を拔いて、その子、迦具土神の頚を斬った。その御刀の先についた血が、神聖な石の群れにほとばしりついて成った神の名は、石拆神。次に根拆神。次に石筒之男神。次に御刀の本についた血もまた、ほとばしりついて成った神の名は、甕速日神、次に樋速日神、次に建御雷之男神。またの名は、建布都神。またの名は豊布都神。次に、御刀の手上柄に集まった血が手の指の間から漏れでて成った神の名は、闇淤加美神。次に、闇御津羽神。
- (上の件の石拆神より以下、闇御津羽神まで、并せて八神は、御刀に因りて生った神ぞ。)
- 於是伊邪那岐命、拔所御佩之十拳劒、斬其子迦具土神之頸。爾著其御刀前之血、走就湯津石村、所成神名、石拆神、次根拆神、次石筒之男神。三神次著御刀本血亦、走就湯津石村、所成神名、甕速日神、次樋速日神、次建御雷之男神、亦名建布都神布都二字以音、下效此、亦名豐布都神。三神次集御刀之手上血、自手俣漏出、所成神名訓漏云久伎、闇淤加美神淤以下三字以音、下效此、次闇御津羽神。
- 上件自石拆神以下、闇御津羽神以前、幷八神者、因御刀所生之神者也。
→伊邪那岐命が十拳剣を拔いて、迦具土神の、まずは首を斬って誕生する神々、、、我が子の首を斬る、、、壮絶なシーン。。
N | 成った場所 | 成った神 |
1 | 御刀の先についた血が、神聖な石の群れにほとばしりついて | 石拆神。 次に根拆神。 次に石筒之男神。 |
2 | 御刀の本についた血もまた、ほとばしりついて | 甕速日神、 次に樋速日神、 次に建御雷之男神(亦の名は建布都神、豊布都神。 |
3 | 御刀の手上柄に集まった血が手の指の間から漏れでて | 闇淤加美神。 次に闇御津羽神。 |
「上の件の石拆神より以下、闇御津羽神まで、并せて八神は、御刀に因りて生った神ぞ。」とあり、伊耶那岐命の御刀によって成った神としてカテゴリ化。
ポイントは、非常に激しいシーンで神が誕生すること。それを根拠とした神威設定です。
- 母親殺しをしてしまうほどの強力な「火神」の血
- 伊耶那岐命の激しい悲痛が背景にあり
- 血がほとばしるという非常に勢いのある状態から生まれた神
なんか、、、スゲー強そうですよね。
非常に神威の強い神。特に、今後の神話展開上チェックしておきたいのは、建御雷之男神。
コチラ、後に、大国主に国譲りを迫るネゴシエーターとして再登場。
大国主と交渉する訳ですから、相当な神威が無いと無理。そこで、この激烈なシーンでの誕生が選ばれてます。国譲りに向けた伏線と回収。大きな構想をもとにつくられてることしっかりチェック。
ちなみに、、、
『日本書紀』でも同様に、「激越爲神」という表現で。つまり、血がほとばしって飛び散って神と為る。と伝え、
- 刃から滴る血 五百箇磐石(経津主神の祖)
- 鐔から滴る血がほとばしって→ 甕速日神、熯速日神(武甕槌神の祖)
- 剣先から滴る血がほとばしって→ 磐裂神、根裂神、磐筒男命
- 柄から滴る血がほとばしって→ 闇龗、闇山祇、闇罔象
まー激しいなかで、非常に神威の強い神の誕生を伝えてます。
『日本書紀』の場合は、經津主神、武甕槌神の二神が、国譲りや葦原中国平定で活躍する重要神として位置づけ。いずれも、その神威は「激しい誕生プロセス」にあったってこと。激しくチェックです。
次!
- また、殺された迦具土神の頭に成った神の名は、正鹿山津見神。次に、胸に成った神の名は、淤縢山津見神。次に、腹に成った神の名は、奧山津見神。次に、陰に成った神の名は、闇山津見神。次に、左の手に成った神の名は、志芸山津見神。次に、右の手に成った神の名は、羽山津見神。次に、左の足に成った神の名は、原山津見神。次に、右の足に成った神の名は、戸山津見神。(上の件の正鹿山津見神より戸山津見神まで、并せて八神ぞ。)
- 所殺迦具土神之於頭所成神名、正鹿山上津見神。次於胸所成神名、淤縢山津見神。淤縢二字以音。次於腹所成神名、奧山上津見神。次於陰所成神名、闇山津見神。次於左手所成神名、志藝山津見神。志藝二字以音。次於右手所成神名、羽山津見神。次於左足所成神名、原山津見神。次於右足所成神名、戸山津見神。自正鹿山津見神至戸山津見神、幷八神。
→今度は、殺された迦具土神のに成った神様です。
「八」は、「多数」あるいは「聖数」を表します。本シーンでは特に、バリエーションが多い=神威が強い、重要な神である、といった意味で表現されてます。
なお、すでに神生みで「大山津見神」が生まれていますが、「八」の意味と同様に、山神という非常に神威が強く大いなる存在であるがゆえにバリエーションが増える、ということで整理されてください。
一覧整理は以下の通り。
N | 成った場所 | 成った神 |
1 | 頭 | 正鹿山津見神 |
2 | 胸 | 淤縢山津見神 |
3 | 腹 | 奧山津見神 |
4 | 陰 | 闇山津見神 |
5 | 左の手 | 志芸山津見神 |
6 | 右の手 | 羽山津見神 |
7 | 左の足 | 原山津見神 |
8 | 右の足 | 戸山津見神 |
火の神から山の神が成る、ということで、火山の表象?
各神名の名義は不明ですが、体の部位と関わりがありそうな雰囲気。。頭に正鹿、胸に淤縢、腹に奧、陰に闇、左手に志藝、右手に羽、左足に原、右足に戸の山の神、、、ということで、一説には、これは巨人が横たわった姿を山に擬えてる、、なんて説もあり。。。ほんまかいな。。胸・腹・陰が山の奥まった部分であり、両手両足は山裾の部分を表している??
いずれにしても、「大山津見神」を筆頭として、激しいシーンでバリエーション展開してしまうほど非常に神威が強く大いなる存在の山神。だからこそ、後段で、天孫「天津日高日子番能迩迩藝能命」が降臨した最初に結婚するのが山神の娘「神阿多都比賣(木花之佐久夜毘賣)」という展開につながっていく訳です。日本神話の展開上、非常に重要な位置づけになっていることはしっかりチェック。
次!
- 火神を斬った刀の名は、天之尾羽張といい、亦の名は伊都之尾羽張という。
- 故、所斬之刀名、謂天之尾羽張、亦名謂伊都之尾羽張。伊都二字以音。
→十拳剣が、火神を斬り、激しいシーンを経て、神化した。。。
ポイントは、葦原中国平定神話で「伊都之尾羽張」が再登場。「伊都之」は勢威の盛んなこと。
「思金神及また諸神が「天安河の河上の天の石屋に坐す、名は伊都之尾羽張神、是神を派遣するのがよいでしょう。若亦此の神でなければ、其の神の子、建御雷之男神、此の神を遣はすのがよいでしょう。」ということで、「伊都之尾羽張」が建御雷之男神の親として位置づけられてます。
つまり、、、
このひとつ前、「御刀の本についた血もまた、ほとばしりついて」誕生した「建御雷之男神」の親が、実は、火神を斬り激しいシーンを経て神化した「伊都之尾羽張」という刀だったということで。
何度も申し上げますが、『古事記』的に、大国主との交渉役としての神威の強さを、ココで設定してる次第。国譲りに向けた伏線と回収。大きな構想をもとにつくられてること、改めてチェックです。
『古事記』神生み まとめ
『古事記』神生み②
伊邪那岐命の復讐と神の誕生、いかがでしたでしょうか?
伊邪那美命の神避りを嘆き悲しんだ伊邪那岐命の涙から1柱の神が、復讐のため迦具土神を斬断、ほとばしった血から8柱の神、迦具土神の屍体から8柱の神が、それぞれ誕生してました。
火之夜芸速男神の誕生以降、非常に激烈なシーンが続きます。人間さながらの激情発露、そこから神威の強い神々が誕生する。
日本神話全体のなかで、このシーンのポイントは、
さながら人間のように激しい情動を持ち、それによって様々な行為をするようになる神が誕生した、ってこと。
生まれる(成りまし)→生む→激情獲得、という神シンカ発生
神が激情を獲得したことで、ビックリするような展開が可能になりました。日本神話的には、いわば、多様な展開エンジンを獲得した瞬間であり、その意味で、このシーンは非常に重要です。ココ、しっかりチェック。
そして、こうした人間モデル神の誕生は、実は、しっかりプロセスを踏んで登場してます。
先立つ、国生み、伊耶那岐命と伊耶那美命が夫婦になった経緯から人間になぞらえてる。儀礼上の人間モデル夫婦を演じたうえで、神生みを経て、ココで人間モデル神が開花&炸裂。
段階を踏んで展開している訳で。素晴らしい神話構造になってます。一つひとつに創意工夫を盛り込んでつくられている日本神話の世界。多彩で豊かな世界観は古代日本人の智恵の結晶なんだと思います。
続きはコチラ!いよいよ黄泉国へ!
神話を持って旅に出よう!!!
日本神話のもう一つの楽しみ方、それが伝承地を巡る旅です。以下いくつかご紹介!
● 比婆山神社 『古事記』で伝える伊耶那美命の埋葬地!
● 比婆山御陵 頂上付近の巨石が伊耶那美命の御陵!?
『日本書紀』で伝える伊奘冉尊の埋葬地!
● 花窟神社|黄泉の国=死を司る伊奘冉尊を祭る!高さ45mの圧倒的な巨岩!
佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
ついでに日本の建国神話もチェック!
日本神話編纂の現場!奈良にカマン!
→さながら人間のような激情を発露する伊耶那岐命。
まずは、言葉の詳細を。
「愛しき我が妻よ、一人の子に代えようと思っただろうか(いや思ってはいない)」とあります。ココから3点。
①「愛しき」、原文は「愛」。いとしい、の意。夫婦や親子間の親愛の情を表現。
用例としては、『万葉集』防人の歌に、「天地の いづれの神を 祈らばか 愛し母に また言問はむ(20巻・4392)」とあり、いとしい母によせる想いを歌ってます。
②「我が妹」、原文は「我那邇妹」。「那邇妹」は「なにも」と読ませます。伊邪那岐命が伊邪那美命に対して使う親愛の情を込めた表現。逆に、伊邪那美命が伊邪那岐命に対して使うのは、「我那勢命」。「那勢命」は「なせのみこと」です。黄泉の国往来譚で登場。
他用例としては、履中天皇条に「鳥往来ふ羽田の汝妹は、羽狭に葬り立往ちぬ。」とあり、訓注に「汝妹、此をば儺邇毛(なにも)と云ふ」とありますが、これは読み方として。
③「子の一つ柱」、原文は「子之一木」。「このひとつけ」と読ませます。
古代、「木」を「け」と訓んだようで。「御木」(景行紀)、「真木柱」「松の木」(万葉集)などの例あり。さらに、『古事記』では、人民のことを「青人草」としており、これに対して、神のことは木に喩えて「木」という字を使っている? ただし、神の助数詞は「柱」なので、「木」を同じように扱って良いかは別の話。不明な箇所でもあります、、
以上まとめると、
「愛しき我が妻の命よ、一人の子に代えようと思っただろうか(いや思ってはいない)」は、伊邪那岐命から伊邪那美命へ、親愛の情を込めた特別な表現であり、伊邪那美命の喪失と反語表現も相まって、悲痛さも感じさせる内容になってる。。
続けて。。
「そのまま(伊邪那美命の)枕の方に腹ばいになり、足の方に腹ばいになって哭いた。」とあります。突然の伊邪那岐腹這いアクション、、、
って、コレ実は、古代における喪とか殯の葬送儀礼がベースになってます。
例えば、『古事記』の景行天皇条。倭建命の崩に参じた后や御子らが「陵(墓)をつくり、腹這いになって廻り哭いて歌った(原文:作 御陵、即匍匐廻 其地之那豆岐田 而哭為歌)。」とあり、腹這い&哭く葬送儀礼を伝えます。
古代、こういう風俗があり、それこそ儀礼として行ってるわけですが、大事なのは、それにより表現される内容。それは、、
喪失の悲痛
でります。しかもコレ、大げさであればあるほど手厚いとされる価値観・文化。
なので、今回、伊邪那岐命が、枕元のみならず!足元でも腹這い!!そして哭いた!!!とあるのは、それだけ手厚い葬送儀礼だったと、それだけ深い喪失の悲しみだったと、いった意味になるんです。
しかも、「泣く」レベルではなく「哭く」。慟哭。声をあげて激しく嘆き泣く。腹ばいになって、涙をぼろぼろ流して声をあげて激しく泣く、ってこと。ある意味、人間以上に激しい。。 ん? それが神か。
最後、
「この時、涙に成った神は、香山の畝尾の木の本に坐す、泣沢女神である。」とあります。
突然ですが、いきなり、登場。「香山の畝尾の木の本に坐す、泣沢女神」。沢に流れる水のように音を立てて泣く神、といった意味。喪失の悲痛、その涙より生まれた神です。
古代、葬送の際には「泣女」という、大声で泣き叫ぶ女性がいたこと、その風習からの神名と考えられます。
で、
この「畝丘」こそ、現在の奈良県橿原市!天香具山のすぐ近くの場所なんです!神話とリアルが交錯する超絶ロマン発生地帯。詳細コチラ!
ここ一帯は、神武東征神話でも登場する激しく重要な場所。神話ファンとしては鉄板でチェックすべきスポットであります。
なお、「啼沢女命(泣沢女神)」は、日本神話が編纂されていた藤原京の歴史にも登場する重要な神。コチラも合わせてチェックされてください。