神武東征ルートを行く|孔舎衛坂激戦の地はどこ?!それは孔舎衛坂顕彰碑の地ではなくきっと暗峠の件

 

シリーズでお伝えしている神武東征神話。からの、スピンオフ的位置づけが本企画「神武東征神話にちなむ伝承地を巡るシリーズ」です。

今回ご紹介するのは、

東征神話における「孔舎衛坂の戦い」が実際にどこであったのか?を探る。

 「孔舎衛坂くさえさか激戦」とは、東征神話における超重要なイベント。物語としての大転換ポイントでもある。

大和最強の敵「長髄彦」が立ちはだかり激しい戦闘に。。結局、敗退し、長兄の「五瀬命」は重傷を負う。そして、ルートの大幅な変更を余儀なくされたのが、この戦いでした。

今回は、この 「孔舎衛坂くさえさか激戦」が実際にどこであったのか?諸説盛り込みながら検証してみる件、ご報告です。

 

神武東征ルートを行く|孔舎衛坂激戦の地はどこ?!それは孔舎衛坂顕彰碑の地ではなくきっと暗峠の件

孔舎衛坂の戦いまでの経緯

まず、経緯の確認。

『日本書紀』に伝える神武東征神話では、岡山の「高嶋宮」で3年準備、その後、大和入りして、「難波の碕」→「白肩の津」へ到ったとあり。

東征順風・戦闘準備

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難波碕から白肩の津へ

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建国のビジョンを胸に、入念な準備を行い、大船団を率いてやってきた大和の地。大阪湾から入り上陸、目指す建国の地(中洲なかつしま=世界の中心)は生駒山の向こう、、、ついにやってきたぞ・・・という局面。

孔舎衛坂激戦、敗退

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で、

まずは前提の参考として、、

当時の大阪(古代の大阪)は、現在とは全く異なる地形になってまして、現在の難波から生駒山まで、広大なラグーンが広がっていた模様。

→こちらでも詳し国土交通省近畿地方整備局 大阪湾データベースより。http://kouwan.pa.kkr.mlit.go.jp/kankyo-db/intro/detail/rekishi/detail_p07.aspx 「古代の大阪」などのキーワードで調べてみるといろいろ出てきますよ!

例として図示するとこんな感じ。参考として、現在の大阪環状線を黄色でプロットしてみました。 

孔舎衛周辺図▲こちら、5~6世紀前後のイメージ図

大船団を率いて大和入りした神武一行は、白肩の津=港から、陸路を進み中洲なかつしま(世界の中心地)へ向かいます。

ところが、目の前には「生駒山」が立ちふさがっている訳です。

生駒山は、奈良県生駒市と大阪府東大阪市との県境にある標高642mの山。

奈良県と境を接する生駒山は自然や歴史的文化財に恵まれ、気軽に楽しむことのできるハイキングコースが整備されています。これらのコースは、都市化の中で直接自然や文化財にふれ、森林浴やバードウォッチングなどに汗を流すことのできる格好の場所です。コースは生駒山から近鉄生駒駅、南生駒駅などに続いており、お好きなコースを組み合わせて楽しんでいただけます。 生駒市観光協会HPから引用

とのことで、、

近畿自動車道から阪神高速13号東大阪線へ入り「水走」で降りると、目の前に生駒山。

生駒山 (10)

写真では伝わりづらいですが、生駒山が垂直にそびえ立ち迫ってくる感じがあります。

生駒山 (5)

神武一行も、この迫ってくるような山容を前に、どうしてやろうかと考えていたと思います。

さて、

地図で見ると分かる通り、橿原へ行くためには生駒山を越える必要がありますが、その際のルートは2つです。

東征大和入りルート

1つは、山が切れるところを進むルート。これが、龍田(竜田)越えルート

もう一つは、山を越えて進むルート。これが、生駒越えルート

 

実際、神武一行はまず、龍田越えルートを目指します。

ところが、この龍田は大軍には狭すぎて通行できない事が判明。神武紀にはこのように表現しています。

夏4月9日に、東征軍は兵を整え、徒歩で龍田たつたに向かった。

しかし、その路は狭くて険しく、人が並んで行くことさえできなかった。そこで引き返し、改めて東へ胆駒山いこまやまを越えて中洲なかつしまに入ろうとした。 (引用:『日本書紀』巻三 神武紀より抜粋)

孔舎衛坂激戦、敗退

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ということで。

狭かったので引き返し、改めて東へ、今度は生駒山を越えて行こうとした次第。

ところが!!!

それを聞きつけた大和最大・最強の敵「長髄彦(ながすねひこ)」が立ちはだかり、「孔舎衛坂」で激戦となったという次第。

で、

その「孔舎衛坂」はココだ!というのを、冒頭にふれた「顕彰碑」が伝えているという訳です。

神武天皇聖蹟調査(昭和15年)による「聖蹟顕彰碑」まとめ|大人の事情満載だけど確かなものもきっとある件 (マニア限定)

02/01/2016

一方で、通説では暗峠くらがりとうげとされており、少なくとも2つの候補があるのです。

で、

実際にどうなのか確かめるべく、行ってみた。

探る前に、前提が2つあります。

孔舎衛坂くさえさか激戦のお話」と「神武天皇聖蹟顕彰碑」。概要は以下。

 1つめ。「孔舎衛坂激戦」

神武東征神話の大和入りにおいて、最初の戦闘が生駒山西側の「孔舎衛坂」で行われた事。これは、大和最大・最強の敵「長髄彦(ながすねひこ)との戦いで、「孔舎衛坂で激戦となった」と伝えています。

詳細はこちら↓でチェックください。語訳・本文と合わせてポイントをまとめています。

孔舎衛坂激戦、敗退

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2つめ。「神武天皇聖蹟顕彰碑」

昭和15年(1940年)に神武天皇即位2600年を紀念し「神武東征聖蹟調査事業」が行われた事。これにより、東征ルートの主要箇所に、その事蹟を讃える碑、「顕彰碑(けんしょうひ)」が建てられました。これを「神武天皇聖蹟〇〇顕彰碑(けんしょうひ)」と言います。「〇〇」には各スポットの名前が入ります。

「聖蹟顕彰碑」については、こちら↓をチェックください。

神武天皇聖蹟調査(昭和15年)による「聖蹟顕彰碑」まとめ|大人の事情満載だけど確かなものもきっとある件 (マニア限定)

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では、さっそく

  • 「孔舎衛坂の戦い」が実際にどこであったのか?

そのロマンを探っていきましょう。

 

孔舎衛坂顕彰碑の場所を探ってみる

まず、顕彰碑が建つ場所へ行ってみました。詳細はコチラ↓

神武天皇聖蹟 孔舎衛坂 顕彰碑|生駒山の奥深くにありすぎて坂どころではなかったので「無理認定」とさせていただいた件|神武東征ルートを行く

02/01/2016
孔舎衛坂 (76)

このエントリでも記載しましたが、結論、

「孔舎衛坂顕彰碑の場所で、戦闘無理!」

理由

  • 狭すぎ。孔舎衛坂の前に、龍田を目指したものの狭くて引き返した経緯あり。神武一行は大軍であり、進軍するにはここは狭すぎる。
  • 山の中すぎ。孔舎衛「坂」で戦闘になった訳です。ここは、もはや「坂」ではなく「山」。山の中で戦闘を行うのは無理がある。
  • 弓矢使えない。神武紀では神武の兄、「五瀬命(いつせのみこと)」が流れ矢に当たって負傷したと伝えています。が、ここは山の中。木が所狭しと生えまくっていて、弓矢とか使うのは無理がある。本当に流れ矢に当たったとしたそれはそれで敵に近寄られ過ぎか、運の悪い人。そんなお兄さんイヤダ。

ということで、、

「聖蹟調査委員会」の皆様には大変申し訳ございませんが、この地は無理認定とさせていただきました。

認定ここで戦闘無理

 

じゃ、どこなのよ?

という事ですが、それが、2つ目のルート、暗峠越えです。

 

暗峠の場所を探ってみる

孔舎衛坂 顕彰碑から、生駒山を南へ行った所に「暗峠(くらがりとうげ)」という生駒山を越えるルートがあります。

で、実際に行ってみた。

国道308号線が大阪側から奈良へ続いています。

暗峠 孔舎衛坂 (1)

まずは、箱殿交差点から生駒山方面へ向かいます。

箱殿東交差点を右斜めへ。

暗峠 孔舎衛坂 (39)

 

国道308号線を進みます。

暗峠 孔舎衛坂 (37)

 

近鉄線の線路を上にくぐった後から、いきなり細い道に入ります。

暗峠 孔舎衛坂 (36)

めっちゃ急な坂!!!

途中、、、

振り返るとこんな景色。

暗峠 孔舎衛坂 (30)

 

さらに山道ぽい所に入っていきます。

暗峠 孔舎衛坂 (17)

 

大事なのは、この地形と道幅。

308号線のすぐ右側は谷川になっていて、並行して走る感じ。

暗峠 孔舎衛坂 (24)

大軍が進むには十分な広さがあり。孔舎衛「坂」というからには、山奥に入る手前、住宅地が広がっているあたりで激戦が繰り広げられたのだと思います。

少なくとも、顕彰碑の場所よりは、ずっと戦闘の場所向き。

通説でも、この「暗峠」が孔舎衛坂激戦の地とされていて、実際に行ってみてもそれが頷けます。

ということで、

当サイトとしては、この地を「孔舎衛坂激戦の地」として認定させていただきます。

認定暗峠が孔舎衛坂激戦地

理由

  • 狭すぎない。神武の大軍が通る道の広さが必要で、実際に通れると感じさせる広さがある。
  • 山の中すぎない。孔舎衛「坂」で戦闘になった訳で、ここは「坂」。しかもすごい坂。
  • 弓矢使える。「五瀬命(いつせのみこと)」が流れ矢に当たってもおかしくない場所である。

 

ということで、現場からは以上です。

是非、ご自身でも一度、行ってみていただき、実際に検証してみていただければと思います。

神話をもとに、神話の地を探る旅。ロマンと神話の謎があふれる旅はオモシロさ保証付きですよ♪

 

まとめ

孔舎衛坂激戦の地はどこだ?!

聖蹟顕彰碑が建つ場所は、戦闘には不向きの場所。各種条件を踏まえると無理スジ感満載。なので、無理認定とします。

一方で、暗峠ルートは、広さや地形等から各種条件が整っているため、きっとこの地が「孔舎衛坂」だと思われます。

是非、ご自身でも検証しに行ってみてください。神話をもとに、神話の地を探る旅。ロマンと神話の謎があふれる旅は最高です。

 

場所:大阪側から308号線で暗峠へ向かう途中

 

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2 件のコメント

  • こんにちは 初めまして
    最近、以前は全く気にも掛けなかった古代の日本に興味を持ち出し
    関連する神話や昔話をぼちぼちと読み出していた所です。

    自分がなぜ今この地に居るのかという理由を探るうちに
    昔の日本人がどのようにして日本という国を作ったのかという原点
    を知りたくなってきました。たまたま、こちらのHPを目にする機会が
    ありましたので、お便りしています。

    こちらの実証主義的な所がとても気に入っています。私も神話は全く
    嘘の作り話ではなく、何らかのモデルや基になった話があると思います。
    そういう意味では多少の誇張はあったにしても実際にそれが本当に
    可能なのかどうか確かめてみる事が大事ですね。

    孔舎衛坂の件は、私も暗峠の方が正解ではないかと思います。
    当時は東大阪一帯は海だったと聞いています。また奈良には滋賀のように
    琵琶湖のような湖があり、おそらく生駒の山を越える事ができたら湖を
    船で渡る計画だったのではないでしょうか?と、このように古代の地形を
    推理するのもまた、神話を読み解く楽しみではないかと思います。

    これからの更新を楽しみにしております。
    それでは

    • korokkeさん
      初めまして。さるたひこです。
      当記事を読んでいただきありがとうございます。
      私も、日本神話をもとにkorokkeさんと同じく、昔の日本人がどのように思考し想像(創造)し国をつくっていったのか探っているところです。
      実証主義的なところ、お褒めいただきとても嬉しいです。そうなんです、神話と現実世界がつながってるなんて、とてもワクワクしますよね。
      しばらく更新ができてないのですが、水事業も落ち着きそうなので、来月くらいから再度本格的に更新開始しようと思ってます。
      今後ともどうぞよろしくお願いします。

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    日本神話研究の第一人者である佛教大学名誉教授の榎本先生の監修もいただいているので情報の確かさは保証付き!文献に即して忠実に読み解きます。
    豊かで多彩な日本神話の世界へ。是非一度、足を踏み入れてみてください。
    参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他