『古事記』を中心に登場する神様をご紹介します。今回は「伊耶那岐神と伊耶那美神」です。
『古事記』では「伊耶那岐神と伊耶那美神」、『日本書紀』では「伊奘諾尊や伊奘冉尊」等として登場。
名義
伊耶那岐の神・・・媾合に誘いあう男性
「伊耶那」は「誘ふ」の語幹。
「岐」は男性を表す語。
伊耶那美の神・・・媾合に誘いあう女性
「伊耶那」は「誘ふ」の語幹。
「美」は女性を表す語。
活動
「伊耶那岐神と伊耶那美神」
多彩。
国土神として成り、「伊耶那岐神と伊耶那美神」の男女対偶神として1代と数え、神世七代の最終第七代。
ココでは、男女媾合による生産豊穣の表象として登場。
誕生後、国の修理・固成の段がはじまり、敬称が「神」から「命」に変わります。
これは、「別天つ神」の「命もちて(仰せで)言依さし(ご委任)」を受けたから。
ポイントは、伊耶那岐・伊耶那美より上位の神、命令を下す神=天神(別天神)が存在するということ。
あくまで、伊耶那岐・伊耶那美は、天神の命令に従って活動を展開するわけですね。ココはチェックしておきましょう。
以後、「伊耶那岐命」「伊耶那美命」として、「命」敬称で活動を展開。
二神は、浮漂する国土の修理・固成のために結婚し、国生みと神生みの大事業をなします。
日本神話的に最重要な神神とも言えますので、今回は特別に、『古事記』が伊耶那岐、伊耶那美の両神をどう伝えているのか、その物語に即して解説していきます。
物語展開をもとに、2神のキャラや行動をチェックです。
伊耶那岐、伊耶那美の神話は、大きく3つに分かれます。
- 国生み
- 黄泉訪問
- 3貴子誕生
以下、順番に見ていきましょう。
①国生み神話
国生みには、柱めぐりや唱和といった儀礼的な行為が伴います。
天神による「この漂っている国を修理め固め成せ」という命、つまりミッションに従って、天から「淤能碁呂島」に降ったあと、
- 「身体問答」
- 「天の御柱」めぐり
- 互いに称えあう「唱和」
の3つを行ないます。
ところが、③の唱和に際し、伊耶那美(♀)が先に「あなにやし、愛をとこを」(なんと素敵なお方でしょう)と称えてしまいます。
これに続いて伊耶那岐(♂)も「あなにやし、愛をとめを」(なんとカワイイ娘だろう)と称えます。
こうして生んだ子には、障害があり、それゆえ流し棄てたり、子とは認めなかったりします。
つまり、
- 「身体問答」
- 「天の御柱」めぐり
- 互いに称えあう「唱和」→女が先唱(間違い)
- 障害のある子を生む
という流れ。女先唱という「原因」に対して、障害のある子を生むという「結果」。
オモシロいのは、伊耶那岐も伊耶那美もなぜこうした結果になったのか、分かっていないこと。
なので、原因を知ろうと、天に昇り天神の指示を求めます。すると、天神は占いにより「伊耶那美の先唱が原因だから、もう一度言い直しなさい」と教えてくれるのです。
2神は、淤能碁呂島に再び降り、天神の教えどおり改めて「天の御柱」を巡ったあと、伊耶那岐(♂)が先唱し、伊耶那美(♀)が後和し、結婚すると、今度は無事に国が次々に生まれることになります。最後に、「大倭豊秋津島」(本州)が誕生。
ポイントをまとめると、
- 結婚は、伊耶那岐(男神)優先として描かれていること。
- 男神優先という暗黙の「決まり」に背けば、災いを被ること。
- 精神の全き結合(唱和)があり、そのうえで肉体の結合(結婚)に至るという流れであること。
この3つは押さえておきましょう。
②黄泉国訪問神話
国生みを終えたあとは、神生みが続きます。
そして、「火の神」を生んだことが原因で、伊耶那美(♀)は死んでしまいます。
この死後の伊耶那美を、伊耶那岐(♂)は「黄泉国」に訪ね、「国作りがまだ終わっていないから還らなければならない。」と告げます。
そこで伊耶那美は「しばらく見てはならない」と禁忌(見るなの禁・タブー)を課しますが、伊耶那岐が待ちかねて火を灯して見ると、腐乱した伊耶那美の屍体があります。
畏れてその場から逃走する伊耶那岐を追って、雷神や「千五百の黄泉軍」、果ては伊耶那美自身が追いかけていきます。
「黄泉平坂」まで逃げて来たところで、伊耶那岐は「千引の石」(千人で引くほどの大岩)でその坂を塞ぎ、離縁を宣告。
これに対して、伊耶那美が「愛しき我がなせの命、如此せば、汝が国の人草、1日に千頭絞り殺さむ」と言い放つと、伊耶那岐は「愛しき我がなに妹の命、汝れ然せば、吾、1日に千五百の産屋を立てむ」と告げます。
この伊耶那美を「黄泉津大神」と言います。
ポイントは以下。
- 死をめぐっては「合意」無し。一方的。国生みとは対照的であること。
- まず「肉体の別離(=伊耶那美の死)」があり、そのあと「精神的な別離(=黄泉国で離縁)」に至ること。どちらもやはり、合意など成立する余地無し。
- 黄泉国で、伊耶那美は伊耶那岐の灯した火(=光)を忌避。つまり、死の世界は暗黒の世界であること。
- 黄泉国の伊耶那美は「黄泉津大神」という名で、人の死を司る死神として位置づけられていること。
- 伊耶那美の表象するのが死。伊耶那岐が表象するのが生。生と死、正と負というように、それぞれ対立する世界を表象。
以上、5つのポイントもチェックされてください。
③3貴子誕生神話
伊耶那岐は黄泉国から帰還し、死に穢れた身体を清め洗います。そのなかで、生まれた子供たちがこの世界を引き継ぐ流れ。
最も重い穢れを付着させたからこそ、最も厳格、徹底して除去しなければならない。
この徹底的清浄化を経て「3貴子」が誕生するという訳です。
伊耶那岐が左目を洗うと「天照大御神」が、右眼を洗うと「月読命」が誕生します。
左が上位。これは、左大臣の方が右大臣より上位、といった内容と同じ。
このあと、鼻を洗う際に「須佐之男命」が誕生します。
左右の目の下に鼻が位置するように、最も下位の位置づけ。
伊耶那岐は、「御頸の珠」を天照大御神に賜い「汝が命は、高天原を知らせ」と命じ、高天原の統治者に就けます。
コチラでも解説したとおり、⇒「高天の原|広大な「天の原」という天空から一段と高い領域。神神の行為によって、世界を統治する至尊神の君臨する場所として位置づけています。」
「高天原」と「葦原中国」、地上はつながっているので、従って、天照大御神が地上世界にも君臨するという形になります。
これとは対照的に、伊耶那岐は須佐之男命に「汝が命は、海原を知らせ」と命じます。
高天原と海原では、天と地以上の懸隔があります。
そこで須佐之男命は、伊耶那岐の命を拒絶。啼き続けるのです。
その結果、山はことごとく枯れ、海や河は干上がり、悪神が満ちてあらゆる妖が一斉に発生するという大変な事態に陥ります。
伊耶那岐が須佐之男命に理由を問うと「僕は、妣の国、根の堅州国に罷むと欲ふ。故、哭く。」と答えます。
つまり、須佐之男命は、世界を死滅に陥れ、「妣(亡き母を言います。ここは、伊耶那美を指します)」を求める、つまり死神に参じたいと口にするのです。
伊耶那岐は激怒し、須佐之男命をこの世界から追放します。
伊耶那岐の篤い信任をうけ、高天原を統治してこの世界に君臨する天照大御神とはまさに対照的。
天照大御神は伊耶那岐を、須佐之男命は伊耶那美を引き継ぐ展開を予定していたということです。
尚、その後、須佐之男命は、天照大御神の猜疑や対立、そして和解などを経て、さらに大国主神の国造り、天孫の降臨などに繋がっていきます。
ポイントをまとめます。
- 死という最も重い穢れを付着させた伊耶那岐は、徹底して穢れを除去。その過程で「3貴子」が誕生すること。
- 伊耶那岐は、天照大御神に高天原を、須佐乃男命に海原をそれぞれ統治するよう任命。
- 須佐之男命は、世界を死滅に陥れ、死神(=母・伊耶那美)に参じたいと口にすること。
- 光・生を表象する伊耶那岐は天照大御神に、闇・死を表象する伊耶那美は須佐之男命にそれぞれ引き継がれていく展開であること。
以上4つを是非。
こうしてみてくると、この世界のすべてが伊耶那岐と伊耶那美の2神に始まると言っても過言ではなく、しかも生と死が象徴するように対立する2つの項が関係を構成しているのです。
男と女、善と悪、正と誤、明と暗、光と闇、これらの対立関係が天神と国神、支配と被支配の政治的・社会的な構造まで形づくっていきます。
以下、それぞれの神ごとにまとめ。
伊耶那岐命
浮漂する国土の修理・固成のために結婚し、国生みと神生みの大事業を成す。
妻の死後、黄泉国を訪れるが、死の汚穢を恐れて脱出し、「黄泉つひら坂」で、妻と絶縁。
その後、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊をし、二十三神を成し、最後に天照大御神、月読命、建速須佐之男命の三貴子を生み、これに高天の原、夜の食国、海原の分治を委任。
のち、須佐之男命を天界から追放し「淡海の多賀」に鎮座。
国土創生の主人公であり、人間の始祖で、かつ、生を掌り、巨人的天父的神格をもち、三貴子分治の司令者であり、反王権者追放の裁定者であります。
ちなみに、伊耶那岐の事績について、『古事記』も『日本書紀』も大きく違うところはありません。
が、
最後の鎮座地が異なっています。
『古事記』は、「淡海の多賀」
『日本書紀』は、「幽宮を淡路の洲に構りて」という伝承と、「日の少宮に留り宅みましき」という伝承があります。
本件別稿で詳しく解説します。
伊耶那美命
浮漂する国土の修理・固成のために結婚し、国生みと神生みの大事業を成す。
伊耶那岐命との「神生み」の途中で、火神を生んで陰部を焼かれ、その苦痛の中から
金山毘古神、金山毘売神、波邇夜須毘古、波邇夜須比売、弥都波能売神、和久産巣日神を生む。
ちなみに、生んだ神名が重要で。
火神の徳は、大地を刺激して冶金(金山)や土器の調製(波邇夜須)を発達させます。
水神の徳は、鎮火はもとより大地の灌漑をなし、糞尿は肥料として農業生産(和久産巣)を高めることを表します。
つまり、これらはすべて母なる大地の神、伊耶那美命の神徳によるもの。という事。
そして、死後、
出雲の国(島根県)と伯伎国(鳥取県)との境にあり「比婆の山」に葬られます。
細かいところで、神は神社に「祭られ」ますが、この神は「葬る」とされ、独特です。
これは、「母なる大地の神」として塚山に眠ると考えられたため。
また、『日本書紀』神代紀上では、紀伊国(三重県南部)の熊野の有馬村に葬ったとあります。
詳しくはコチラで。
⇒「花窟神社|黄泉の国=死を司る伊奘冉尊を祭る!高さ45mの圧倒的な巨岩が必要な理由を日本神話的背景から全部まとめてご紹介!」
ポイントは、ここでの祭り=農業生産の神として祭ることを意味していること。
つまり、伊耶那美命は生産豊穣の神であるという事です。これもチェック。
もう一つの側面が、
死後、「黄泉国」で人間の死を掌る「黄泉つ大神」として位置づけられるという事。
人間の生を掌る伊耶那岐命との離縁は、生と死の起源説話でもあります。
逃亡する夫・伊耶那岐命を追って、妻・伊耶那美命は「黄泉つひら坂」(黄泉国と現し国との境界の坂)で追いつきます。
ここから「道敷の大神といふ」とありますが、実は、「黄泉国への一本道を占く(占領している)大神」の意であり、「黄泉つ大神」と同じ神格と考えられます。
鎮座については、伊耶那岐と合わせて別稿で詳しく。
まとめると、
母なる大地の神であり、生産豊穣の神。一方で、「黄泉国」で人間の死を掌る「黄泉つ大神」としても位置づけられています。
始祖とする氏族
無し
登場箇所
『日本書紀』神代上: 伊奘諾尊、伊奘冉尊
『古事記』上: 伊耶那岐神(→命)、伊耶那美神(→命)
参考文献:新潮日本古典集成 『古事記』より 一部分かりやすく現代風修正
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