神武東征神話をもとに「東征ルート」を辿り、書紀文献とあわせて検証するシリーズ
本企画は、
シリーズでお伝えしている神武東征神話、その物語をもとに、
神話からリアルへ、各地の伝承地を巡って「実際のところどうなのよ?」的なところを検証する、極めて奥ゆかしくマニアックな内容であります。
今回は、福岡県にある「神武天皇聖跡崗水門顕彰碑」。
コチラ、日向を出発した神武天皇一行が、宇佐を経て立ち寄った場所。ですが、『日本書紀』では「到った」としか伝えておらず、なんのために、そして何をしていたのかは良くわからないロマンスポット。
今回は、そんな謎に包まれた神話ロマンスポットを顕彰する「神武天皇聖跡崗水門顕彰碑」をご紹介します。
神武天皇聖蹟崗水門顕彰碑|情勢偵察&宗像はじめ在地豪族が敵対・寝返りしないことを見極めていたに違いない件
目次
神武天皇聖跡崗水門顕彰碑にまつわる神話的背景
まずは、「神武天皇聖跡崗水門顕彰碑」にまつわる日本神話的背景を。
ちなみに、顕彰碑についてはコチラでまとめてますので合わせてチェック!
からの、、、
『日本書紀』巻三「神武紀」から神話の現場は以下。
さらに進み、筑紫の国の菟狭に到る。〜中略〜
11月9日に、筑紫の国の岡水門 に到る。
12月27日に、安芸の国に到る。埃宮に居住する。
行至筑紫國菟狹。〜中略〜 十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫國岡水門。十有二月丙辰朔壬午、至安藝國、居于埃宮。 (引用:『日本書紀』巻三「神武紀」より)
※原文中の「天皇」という言葉は、即位前であるため、生前の名前であり東征の権威付けを狙った名前「彦火火出見」に変換。
ということで、
ココで伝える「岡水門」が、現在の福岡県遠賀郡遠賀川河口付近とされてる次第。
ただ、、、「11月9日に、筑紫の国の岡水門 に到る。」としか伝えておらず、、何なら、何のために寄ったのか?何してたのか?については謎。いわゆる、神話ロマン発生地帯であります。
でも、ご安心ください。当サイトならではの、文献とか歴史とかに則ったロマン解説をお届け。
まず、ポイントとなるのは、
- なぜ筑紫国の「岡水門」なのか?
- しかも、、11月9日の到着日から、12月27日に安芸国に至るまでの1か月半、、、何してた??
の2点。
コレについて、まずは位置関係を整理すると見えてきます。
遠賀郡。その西には宗像郡が接していて、さらに西、博多には大宰府があり、歴史の時代でありますが九州を統括する拠点がありました。
さらに、、筑前国風土記逸文には「筑紫国に到れば、先づ哿襲宮に参謁るを例とす。」と伝える香椎廟(現・香椎宮)があり、『古事記』ではこの宮で神功皇后が神懸りして新羅征討の託宣を得たことを伝えてます。
で、これらの神話、歴史の文献をつなげて考えると、、、
神武はここでの1か月半の多くを、この地の情勢を偵察させ、宗像はじめ在地の豪族たちが敵対、寝返りしないことを見極めていた、、と推測される訳です。
そのうえで、九州を掌中に収めてから瀬戸内海へ航路をとった、、というのが東征的シナリオ。
そのための岡水門。そのための拠点として位置づけられてるってことでチェック。
前後の詳しい解説についてはコチラでも是非。
神武天皇聖跡崗水門顕彰碑への道
「神武天皇聖跡崗水門顕彰碑」の日本神話的背景をチェックしたところで、ココからは実際のリアルな現場をご紹介。
場所は、福岡県遠賀郡遠賀川河口付近。
古代、遠賀川河口付近は「岡の津」と呼ばれ、奥の深い広大な湾を形成していたそうで、、、豊津や宇佐とあわせて「三大軍港」の一つだった模様。平安時代中期からは、「芦屋津(港)」として記録に残ってます。
▲現在の遠賀川河口付近の様子。長年の土砂の堆積と干拓により、当時の面影は無いですが、、。ココに神武の軍船が停泊していたんじゃないか!??ロマンは広がる!
▲「神武天皇聖跡崗水門顕彰碑」へ続く道。顕彰碑は、この先の神武天皇社の境内にあります。
神武天皇社|神武天皇が立ち寄った岡水門伝承地!空襲による焼失以後、岡湊神社に合祀中。境内に立つ神武天皇聖蹟顕彰碑と合わせてチェックしたい神話ロマンスポット!
神武天皇聖跡崗水門顕彰碑
住宅地の細い道の奥に神武天皇社あり。背後は、航空自衛隊 芦屋基地だったりします。
▲コチラ、神武天皇社の入り口の様子。広い駐車場があります。
そして、、、
神武天皇社を正面に見て左手に、、、
コチラ!!!
おおおおおおおおおおおおおお!!!聖跡崗水門顕彰碑あったどー!!!!!
聖跡崗水門顕彰碑!なんだか南国にあるみたい!??
後ろに回ってみよ、、
「神武天皇申寅年十一月舟帥ヲ率ヰテ筑紫國崗水門ニ至リ給ヘリ聖蹟ハ此ノ地附近ナルベシ」とのことで。
これが、「11月9日に、筑紫の国の岡水門 に到る。(十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫國岡水門)」の箇所であります!!!
ただ、、、
『日本書紀』原文では「岡水門」であり「崗水門」ではない、、、なぜ岡に山をつけた???
背後の空き地、、、
と、いうことで参りましょう。
恒例の。。。
勝手に認定結果
委員会の皆様には大変恐縮ではございますが、
こちら、
と、させていただきます。
1か月半の多くを、この地の情勢を偵察させ、宗像はじめ在地の豪族たちが敵対、寝返りしないことを見極め、そのうえで、九州を掌中に収めてから瀬戸内海へ航路をとった、、そのための岡水門。そのための拠点として位置づけられてるから!
御査収の程何卒よろしくお願い申しあげます。
神武天皇聖跡崗水門顕彰碑 まとめ
福岡県にある「神武天皇聖跡崗水門顕彰碑」。
コチラ、日向を出発した神武天皇一行が、宇佐を経て立ち寄った場所。ですが、『日本書紀』では「到った」としか伝えておらず、なんのために、そして何をしていたのかは良くわからないロマンスポット。
ただ、
神話、歴史の文献をつなげて考えると、、、神武は岡水門を拠点とし、約1か月半、この地の情勢を偵察させ、宗像はじめ在地の豪族たちが敵対、寝返りしないことを見極めていた、、そのうえで、九州を掌中に収めてから瀬戸内海へ航路をとった、、というのが東征的シナリオであります。
是非、ご自身のロマンふくめて検証されてくださいませ。神話ロマンを探る旅、サイコーです!
神武天皇社についてはコチラで!
神武天皇社|神武天皇が立ち寄った岡水門伝承地!空襲による焼失以後、岡湊神社に合祀中。境内に立つ神武天皇聖蹟顕彰碑と合わせてチェックしたい神話ロマンスポット!
神武天皇聖跡崗水門顕彰碑
住所 | 〒807-0112 福岡県遠賀郡芦屋町正門町14 |
駐車場 | 神武天皇社の駐車場有 |
トイレ | なし |
その他のスポットはコチラで!
コチラの伝承地の神話解説はコチラで!
日本の建国神話はコチラでチェック!
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
コメントを残す