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神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ
シリーズでお伝えしている神武東征神話。今回は3回目。
日本神話.comでは、天地開闢から橿原即位までを「日本神話」として定義中。東征神話は、その中で最大のクライマックスを彩る激しく奥ゆかしい建国神話であります。
言うと、
これを知らずして、日本も神話も語れない!m9( ゚Д゚) メーン!
ということで、3回目。今回は日向から岡山到着までの神話をお届けです。
東征順風・戦闘準備(日向~高嶋宮)|半年かけて岡山まで移動して3年じっくり準備した件
東征順風・戦闘準備を読むにあたって
日向の地を出発した神武一行は、現在の大分県は豊予海峡から、瀬戸内海を経て岡山へ進軍します。
途上、有能な臣下を得たり、饗宴を受けたり等、順風満帆の旅でした。そして岡山に到り「高嶋宮」を建て、3年の間、軍船の整備や兵糧の備蓄を行います。
このころは全てが順調で、建国の夢にあふれ進軍する「彦火火出見」の姿がイメージされます。
しかし、この順風満帆がゆえに過信につながり、後に大きな災厄を引き起こしてしまいますが、、、
今回も『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお伝えします。ちなみに、前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。
東征ルートと場所の確認
日向の地を出発した神武一行の進軍ルートは、豊予海峡→宇佐(大分)→遠賀川(福岡)→広島→岡山。図示すると以下の通り。

途上、後に大活躍する「椎根津彦」が臣下として加わったり、地方の首長(国造※)による饗宴を受けたり等、一切障害無し。
そして、岡山に到り「高嶋宮」を建て、3年滞在。この後に続く「大和入り=本番」準備のために、軍船の整備や兵糧の備蓄を実施します。
※国造についてはコチラを参照ください。
ま、このあたりは神話と歴史が入り混じるロマン発生地帯ということで。
順風・戦闘準備(日向~高嶋宮)
速吸之門[1] に到る。
この時、一人の漁師、小舟に乗ってやって来た。
彦火火出見はその者を招き、「お前は誰か」と問うた。その者が答えて、
私は国神 [2]です。名を『珍彦』と言います。湾曲した入江で魚を釣っています。天神の子が来ると聞き、それですぐにお迎えに参りました。
と言った。
彦火火出見は、「おまえは私を先導することができるのか?」と問うたところ、
先導いたします。
と答えた。
そこで彦火火出見は詔をくだし、その漁師に「椎の木の竿の先」を授けて執らせ、そして舟に引き入れ「海路の先導者」としたうえで、特別に「椎根津彦」という名前を下された。(これが「倭直部(やまとのあたいら) 」の始祖である。)
さらに進み、筑紫の国の菟狭(=宇佐) に到る。
その時、「菟狭の国造 [3]」の祖先がいた。名を「菟狭津彦」・「菟狭津媛」という。
その者達は、菟狭川のほとりに一柱騰宮を建て、彦火火出見に饗宴を奉りおもてなしをした。
そこで彦火火出見は詔をくだし、従臣の「天種子命」に「菟狭津媛」を妻として下された。(「天種子命」は中臣氏の遠祖である。)
12月27日[6]に、安芸の国に到る。「埃宮」に居住する。
「乙卯」の年、春3月6日[7]に、安芸の国から移動し、吉備の国に入る。
「行宮[8] 」を建て居住。これを「高嶋宮」と言う。3年の間、軍船を整備し、兵達の食糧を備蓄して、一挙に天下を平定しようとした。
注釈
[1]「門」は関門のことで、ここは海峡を言います。現在の豊予海峡(ほうよかいきょう)。大分県大分市の関崎と愛媛県伊方町佐多岬の間に挟まれる海峡で、海峡の両側の大分県及び愛媛県の旧国名である「豊後国」及び「伊予国」から1字ずつ取って豊予海峡と呼ばれています。豊後水道の中で水路が最も狭い部分で、海峡幅は約14km、最大水深は約195mとの事。
[2] その土地の土着の神。だからこそ、海路に詳しい者として東征軍の先導者の役割を担います。神話の時代はこのように、初めての土地を訪れる場合には道案内をする者が登場します。
[3]古い時代の地方小国家の君主の称号。
[4]丙戊(ひのえいぬ)が朔にあたる甲午(きのえうま)。
[5]福岡県遠賀郡遠賀川河口付近。
[6]丙辰(ひのえたつ)が朔にあたる壬午(みずのうま)。
[7]甲寅(きのえとら)が朔にあたる己未(つちのとひつじ)。
[8]旅の途中で宿る仮りの館。
※写真は橿原神宮で公開中の「神武天皇御東征絵巻」より
原文
至速吸之門、時有一漁人乘艇而至、天皇招之、因問曰「汝誰也。」對曰「臣是國神、名曰珍彥、釣魚於曲浦。聞天神子來、故卽奉迎。」又問之曰「汝能爲我導耶。」對曰「導之矣。」天皇、勅授漁人椎㰏末、令執而牽納於皇舟、以爲海導者。乃特賜名、爲椎根津彥椎、此云辭毗、此卽倭直部始祖也。
行至筑紫國菟狹。菟狹者地名也、此云宇佐。時有菟狹國造祖、號曰菟狹津彥・菟狹津媛、乃於菟狹川上、造一柱騰宮而奉饗焉。一柱騰宮、此云阿斯毗苔徒鞅餓離能宮。是時、勅以菟狹津媛、賜妻之於侍臣天種子命。天種子命、是中臣氏之遠祖也。
十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫國岡水門。
十有二月丙辰朔壬午、至安藝國、居于埃宮。
乙卯年春三月甲寅朔己未、徙入吉備國、起行館宮以居之、是曰高嶋宮。積三年間、脩舟檝、蓄兵食、將欲以一舉而平天下也。
『日本書紀』巻三 神武紀より
まとめ
順風・戦闘準備(日向~高嶋宮)
このころの東征軍は順風満帆の一言に尽きます。
軍船の先頭に立ち、海の潮風を胸いっぱいに吸い込みながら建国の夢へ突っ走る「彦火火出見」。
また、「珍彦→後の 椎根津彦」を臣下として加えたのも大きいです。
東征の後半で出てきますが、椎根津彦、結構活躍します。彼の活躍無くして東征は果たせなかったんじゃないか?というくらい。スゴイんです。
このお方の登場も、非常に作り込まれた設定になってます。
本文中、「入り江で魚を釣っていた」と。
これ、実は、「太公望」の設定と同じ!なわけです。
「太公望」とは、文王に用いられ、武王を助けて殷を滅ばしたという周代の斉の国の始祖。その登場のときも、「渭水の浜に釣り糸を垂れて、世を避けていた。。。」という設定あり。あ、中国古代のお話ね。
同じような設定で登場し、同じように王たる者を助けて事を成す、というように古代の英雄と重ねている雰囲気が感じられる訳です。
東征の中では、
武勇に秀で「武官」に相当する「道臣」に対して、
太公望と同じように智略を持って貢献する「文官」として「椎根津彦」を描いてたりします。
この対比構造も面白いポイント。
ここはしっかり覚えておいてください。
オススメ伝承地
神話を持って旅に出よう!
神武東征神話のもう一つの楽しみ方、それが伝承地を巡る旅です。以下いくつかご紹介!
広島の「埃宮」伝承地はコチラ!
多家神社の裏手に顕彰碑が建ってます。是非チェックされてください。
つづきはコチラ!
目次はコチラ!
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本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他
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