神武紀|東征順風。臣下を得て戦闘準備|半年かけて岡山まで移動。3年じっくり準備した件 分かる!神武東征神話No.3

東征順風・戦闘準備

 

多彩で豊かな日本神話にほんしんわの世界へようこそ!

正史『日本書紀にほんしょき』をもとに、
最新の文献学的学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。

今回は、神武東征じんむとうせい神話を分かりやすく解説するシリーズ3回目。

テーマは、

東征順風とうせいじゅんぷう。臣下を得て戦闘準備

日向ひむかの地を出発した神武じんむ一行は、現在の大分おおいた県、豊予海峡ほうよかいきょうから、瀬戸内海せとないかいを経て岡山おかやまへ進軍します。

東征は実際、どんな旅だったのか?

そんなロマンを探る事で、「東征順風、臣下を得て戦闘準備」が伝える意味を読み解きます。

今回も、概要で全体像をつかみ、ポイント把握してから本文へ。最後に、解説をお届けしてまとめ。

現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄がここにあります。それでは行ってみましょう!

 

神武紀|東征順風。臣下を得て戦闘準備|半年かけて岡山まで移動。3年じっくり準備した件

神武紀|東征順風。臣下を得て戦闘準備の概要

今回も日本書紀にほんしょき』巻三「神武紀じんむきをもとにお届け。ちなみに、前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。

東征発議と旅立ち

神武紀|東征発議と旅立ち|東征の動機とか意義とか建国の決意とかをアツく語った件 神武東征神話No.2

01/20/2016

で、

日向ひむかの地を出発した神武じんむ一行は、現在の大分おおいた県、豊予海峡ほうよかいきょうから、宇佐うさ福岡ふくおか広島ひろしまを経て瀬戸内せとうちを東へ。途上、有能な臣下を得たり、饗宴きょうえんを受けたり等、順風満帆じゅんぷうまんぱんの旅。そして岡山おかやまに到り「高嶋宮たかしまのみや」を建て、3年の間、軍船の整備や兵糧の備蓄を行います。

このころは全てが順調で、建国の夢にあふれ進軍する「彦火火出見ほほでみ」の姿が浮かびます。しかし、この順風満帆じゅんぷうまんぱんがゆえに過信につながり、後に大きな災厄を引き起こしてしまう、、、

って、このあたりも練りに練られた神話構成になってます。アゲるものがあるからサゲるものがある。落ちるからこそ学びがある。

 

東征ルートと場所の確認

日向ひむかの地を出発した神武じんむ一行の進軍ルートは、豊予海峡ほうよかいきょう宇佐うさ大分おおいた)→遠賀川おんががわ福岡ふくおか)→広島ひろしま岡山おかやま。図示すると以下の通り。

神武東征ルート

途上、

後に大活躍する「珍彦うづひこ椎根津彦しいねつひこ)」が臣下として加わったり、地方の首長(国造くにのみやつこ)による饗宴きょうえんを受けたり等、一切障害無し。みんなウェルカム。

そして、福岡ふくおか広島ひろしまを経て岡山おかやまに到り、「高嶋宮たかしまのみや」を建て3年滞在。この後に続く「大和やまと入り=本番」準備のために、軍船の整備や兵糧の備蓄を実施します。

 

神武紀|東征順風。臣下を得て戦闘準備

速吸之門はやすいなのとに到る。

この時、一人の漁人つりびとが小舟に乗ってやって来た。火火出見ほほでみはその者を招き、「お前は誰か」と問うた。その者が答えて、「私は国神くにつかみです。名を『珍彦うづひこ』と言います。湾曲した入江で魚を釣っています。天神子あまつかみこが来ると聞き、それですぐにお迎えに参りました。」と言った。火火出見ほほでみが「おまえは私を先導することができるのか?」と問うたところ、「先導いたします。」と答えた。そこで彦火火出見ほほでみは詔をくだし、その漁師に「椎の木の竿の先」を授けて執らせ、そして舟に引き入れ「海路の先導者」としたうえで、特別に「椎根津彦しいねつひこ」という名前を下された。(これが「倭直部(やまとのあたいら) 」の始祖である。)

さらに進み、筑紫の国の菟狭うさに到る。

その時、菟狭の国造くにのみやつこの祖先がいた。名を「菟狭津彦うさつひこ」「菟狭津媛うさつひめ」という。その者達は、菟狭川のほとりに一柱騰宮あしひとつあがりのみやを建て、彦火火出見ひこほほでみに饗宴を奉りおもてなしをした。そこで彦火火出見ほほでみみことのりをくだし、従臣の「天種子命あまのたねこのみこと」に「菟狭津媛」を妻として下された。(「天種子命」は中臣氏の遠祖である。)

11月9日に、筑紫の国の岡水門おかのみなと に到る。

12月27日に、安芸の国に到る。埃宮えのみやに居住する。

乙卯きのとうの年(紀元前666年)、春3月6日に、安芸の国から移動し、吉備の国に入る。行宮かりのたちを建て居住。これを「高嶋宮たかしまのみや」と言う。3年の間、軍船を整備し、兵達の食糧を備蓄して、一挙に天下を平定しようとした。

至速吸之門、時有一漁人乘艇而至、天皇招之、因問曰「汝誰也。」對曰「臣是國神、名曰珍彥、釣魚於曲浦。聞天神子來、故卽奉迎。」又問之曰「汝能爲我導耶。」對曰「導之矣。」天皇、勅授漁人椎㰏末、令執而牽納於皇舟、以爲海導者。乃特賜名、爲椎根津彥椎、此云辭毗、此卽倭直部始祖也。

行至筑紫國菟狹。菟狹者地名也、此云宇佐。時有菟狹國造祖、號曰菟狹津彥・菟狹津媛、乃於菟狹川上、造一柱騰宮而奉饗焉。一柱騰宮、此云阿斯毗苔徒鞅餓離能宮。是時、勅以菟狹津媛、賜妻之於侍臣天種子命。天種子命、是中臣氏之遠祖也。

十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫國岡水門。

十有二月丙辰朔壬午、至安藝國、居于埃宮。

乙卯年春三月甲寅朔己未、徙入吉備國、起行館宮以居之、是曰高嶋宮。積三年間、脩舟檝、蓄兵食、將欲以一舉而平天下也。 (引用:『日本書紀』巻三 神武紀より)
※原文中の「天皇」という言葉は、即位前であるため、生前の名前であり東征の権威付けを狙った名前「彦火火出見」に変換。

▲橿原神宮で公開中の「神武天皇御一代記御絵巻」から。

 

神武紀|東征順風。臣下を得て戦闘準備 解説

建国の夢にあふれ進軍する「彦火火出見ほほでみ」こと神武。瀬戸内海の海風を胸いっぱい吸い込み世界の中心を目指す、、、そんなロマンに想いを致しながら、、、

以下詳細解説。

神武東征ルート
  • 速吸之門はやすいなのとに到る。
  • 至速吸之門

→現在の豊予ほうよ海峡。

豊予海峡

豊予ほうよ海峡は、大分おおいた大分市おおいたし関崎せきざき愛媛えひめ伊方町いかたちょう佐田岬さだみさきの間に挟まれる海峡。

海峡の両側、大分おおいた県と愛媛えひめ県の旧国名である「豊後国ぶんごのくに」及び「伊予国いよのくに」から1字ずつ取って豊予ほうよ海峡。最も狭い部分で海峡幅は約14km、最大水深は約195m。

ちょっと語ると、、

豊予ほうよ海峡の海底はとても複雑で。。佐田岬さだみさき佐賀関さがのせきを結ぶ線上には、馬の背のような尾根(海底山脈)が走ってて、水深60mから100mの浅い瀬が連なってる。

しかも、、この瀬の南北に、「海釜かいふ」と呼ばれる、すり鉢状に深く落ちくぼんだところがあり、瀬戸内海せとないかい太平洋たいへいようの豊かな海流が混ざり合ってスゴイ海流を引き起こしてます。このダイナミックな動きが、海峡幅約14kmという超狭いところで発生してるから、そら速くもなるわ。

豊予ほうよ海峡、現在では、関アジ・関サバで有名ですよね。

で、改めて、

速吸之門はやすいなのと」の「門」は関門かんもんのことで、海峡。日本神話的には、「速吸はやすいの門」は潮の流れが急な難所として位置づけられてます。

コチラ、実は神代じんだいにすでに登場。伊奘諾尊いざなきのみこと禊祓みそぎはらえのシーン。

この穢れを濯ぎ払おうと思い、すぐに粟門あわのと速吸名門はやすいなとを見に行った。しかしこの二つの海峡は潮の流れが非常に速かった。(『日本書紀』第五段〔一書10〕より抜粋)

『日本書紀』第五段

『日本書紀』巻第一(神代上)第五段〔一書10〕 黄泉との完全なる断絶

01/11/2021

黄泉よみけがれを濯ごうと速吸名門はやすいなとに行ったけど、潮の流れが速すぎて洗えませんでした・・・の巻。

どうやら神の時代から、超速だったらしい。。。

そして、この設定がこの後登場する「珍彦うづひこ」の出迎えにつながっていきます。

次!

  • この時、一人の漁人つりびとが小舟に乗ってやって来た。火火出見ほほでみはその者を招き、「お前は誰か」と問うた。その者が答えて言うには、「私は国神くにつかみです。名を『珍彦うづひこ』と言います。湾曲した入江で魚を釣っています。天神子あまつかみこが来ると聞き、それですぐにお迎えに参りました」火火出見ほほでみが「おまえは私のために先導することができるか?」と問うたところ、「先導いたします」と答えた。そこで彦火火出見ほほでみは勅して、その漁師に「椎の木の竿の先」を授け、そして舟に引き入れ「海路の先導者」とした。そして、特別に「椎根津彦しいねつひこ」という名前を下された。(椎はここでは「しひ」と言う。)これは「倭直やまとのあたいら」の始祖である。
  • 時有一漁人乘艇而至。天皇招之、因問曰「汝誰也。」對曰「臣是國神、名曰珍彥、釣魚於曲浦。聞天神子來、故卽奉迎。」又問之曰「汝能爲我導耶。」對曰「導之矣。」天皇、勅授漁人椎㰏末、令執而牽納於皇舟、以爲海導者。乃特賜名、爲椎根津彥 椎此云辭毗、此卽倭直部始祖也。

→漁人(釣り人)、つまり「珍彦うづひこ」は、神武じんむ東征とうせいを聞き出迎えたと言い、神武じんむを先導することを申し出る。そこで天皇は珍彦うづひこを海路の先導者として「椎根津彦しいねつひこ」の名を与えます。

まず、

なぜ釣りなのか?

が、かなり重要で。単に、航海の途上だったから、という訳ではありません。

実は、この、

釣り人である珍彦うづひことの出会いは、古代中国ちゅうごくの「しゅう」建国における功臣「太公望たいこうぼう( 名は呂尚りょしょう)」の、文王ぶんおうとの出会いがベースになってるんです。

太公望たいこうぼう文王ぶんおうとの出会い、コレ、めっちゃ有名なお話ですよね。

渭水いすいの浜に釣糸を垂れて世を避けていた太公望たいこうぼう。ところが、文王ぶんおうとの出会いによって、文王ぶんおうに用いられ、武王ぶおうを助けていんを滅ぼす、、、訳ですが、この出会い方と同じ設定。珍彦うづひこ太公望たいこうぼうも同じく、釣りをしている時に出会いがある。

要は、

太公望たいこうぼうの出会いと同じような場面設定は、珍彦うづひこを智略をもって東征とうせいに貢献する側近として位置づけるための伏線、ってこと。

もっと言うと、

珍彦うづひこ」=太公望たいこうぼう、てことは、神武じんむ文王ぶんおう、てことも狙いとしてある訳で。文王ぶんおうと言えば、有能な人材を登用し、徳治を実践した古代の理想的な王、聖人とされている訳で、それを神武じんむに重ねようとしてる、とも言えますよね。

このあたりも、非常に練りに練られた神話構成になってます。しっかりチェック。

ちなみに、武勇に秀で東征とうせいを導くのが道臣みちのおみ。こちらも、対称的に描かれてます。

道臣と椎根津彦|神武東征を支えた有能な臣下たちをご紹介します

01/18/2016

でだ、

「私は国神くにつかみです。名を『珍彦うづひこ』と言います。湾曲した入江で魚を釣っています。天神子あまつかみこが来ると聞き、それですぐにお迎えに参りました」とあります。

ココで言う「国神くにつかみ」とは、その土地の土着の神のことで、だからこそ、海路に詳しい者として東征とうせい軍の先導者の役割を担う。神話の時代はこのように、初めての土地を訪れる場合には道案内をする者が登場する訳です。

ポイントは、「天神子あまつかみこ」という言葉。

コレ、原文では「天神子」となってますが、実は、東征とうせい神話の中では、神武じんむにだけ設定されてる特別な言葉なんです。

明確に使い分けが分かるのは、東征とうせい神話のクライマックス、長髄彦ながすねひことの最終決戦。その最後のところ。

『日本書紀』神武紀

長髄彦最終決戦|分からんちんども とっちめちん!手前勝手な理屈ばかりで道理無しのスネ長男をイテこました件|分かる!神武東征神話 No.16

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ココでは、東征とうせいより遥か昔、大和やまとの地に天から飛び降りた饒速日命にぎはやひのみことのことは、「天神之子」と表記。「之」という言葉が入るか入らないかだけの違いで、、

  • 天神子あまつかみこ」は、天照大神あまてらすおおかみの直系の子孫
  • 天神あまつかみの子」は高天原たかあまのはらに多くいる天神あまつかみの子孫

同じ「天神あまつかみ」の「子」なのですが、「天神子あまつかみこ」と「天神あまつかみの子」は全然違うものとして。本文でも明確に使い分けられてること含めてしっかりチェック。

天神子あまつかみこ」は、それだけ尊い、ということが言いたい。なので、知れ渡る訳です。

これは、前回のエントリで解説したとおり、

東征発議とうせいほつぎの中で、饒速日にぎはやひ天降あまくだりについて、神武じんむ塩土老翁しおつちのおじから聞いたとありましたが、これと同様に「天神あまつかみ東征とうせい」も「珍彦うづひこ椎根津彦しいねつひこ)」は聞いていたことになる訳です。天神あまつかみクラスの動静は、下々の国神くにつかみの皆さんには知れ渡るようで、、、

こうした背景があるからこそ、「天神子あまつかみこが来ると聞き、それですぐにお迎えに参りました」といった発言になってる。もっと言うと、潮の流れが急な難所「速吸はやすいの門」にさしかかったところで「珍彦うづひこ椎根津彦しいねつひこ)」が登場したのも、危険を察知して出迎えた、国神くにつかみとしての当然の対応、という話になってくるのです。

ま、よく言えば「珍彦うづひこ椎根津彦しいねつひこ)」流石、太公望たいこうぼうと重ねられてるだけのことはある、空気読めるナイスガイ、ということなんですが、一方では、天神あまつかみ国神くにつかみの絶対的なヒエラルキーみたいなものも感じられて、、、このあとの宇佐うさもそうですが、天神子あまつかみこが来るわけですから、当然盛大にお出迎えするし、しなきゃいけないし、、、みたいな側面もあったりします。

次!

  • さらに進み、筑紫の国の菟狭うさ に到る。菟狭うさは地名である。ここでは宇佐「うさ」という) この時、菟狭の国造くにのみやつこの祖先がいた。名を「菟狭津彦うさつひこ」・「菟狭津媛うさつひめ」という。その者達は、菟狭川のほとりに一柱騰宮あしひとつあがりのみやを建て、彦火火出見ひこほほでみに饗宴を奉りおもてなしをした。(一柱騰宮は、ここでは「あしひとつあがりのみや」という) そこで彦火火出見ほほでみみことのりをくだし、「菟狭津媛」を従臣の「天種子命あまのたねこのみこと」に賜り妻として娶らせた。天種子命は中臣氏の遠祖である。
  • 行至筑紫國菟狹。菟狹者地名也、此云宇佐。時有菟狹國造祖、號曰菟狹津彥・菟狹津媛、乃於菟狹川上、造一柱騰宮而奉饗焉。一柱騰宮、此云阿斯毗苔徒鞅餓離能宮。是時、勅以菟狹津媛、賜妻之於侍臣天種子命。天種子命、是中臣氏之遠祖也。

神武じんむ一行は、筑紫つくしの国の菟狭うさ に至ります。現在の大分おおいた宇佐市うさしとされてます。

なぜ宇佐うさなのか?

根拠となるのは『日本書紀にほんしょき』第六段〔一書3〕。

日神の生んだ三女神みはしらのひめかみは、葦原中国あしはらのなかつくに宇佐嶋うさのしまくだしてらせた。今、海の北の道中みちなかに在って、名を道主貴みちぬしのむちと言う。 (『日本書紀』第六段〔一書3〕より抜粋)

と伝えており、宇佐うさは、海北道うみきたみちなかにあり、主宰神しゅさいじんの所在地として位置づけられてるんです。つまり、九州きゅうしゅうの一大拠点。

なので、ここで登場してるし、「菟狭津彦うさつひこひめ」が支配し饗応して迎える訳です。

でだ、

菟狭の国造くにのみやつこの祖先がいた。名を「菟狭津彦うさつひこ」・「菟狭津媛うさつひめ」という。」とあります。

国造くにのみやつこ」とは、古代の地方小国家の君主の称号。

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その祖先である、「菟狭津彦うさつひこ」「菟狭津媛うさつひめ」がいたと。

コレ、実は彦姫ひこひめ制」と呼ばれる古代の共同統治者のことで、「ヒコ」は政治、「ヒメ」は祭祀さいしをそれぞれ司ります。

話が飛びますが、邪馬台国やまたいこく卑弥呼ひみこも似たところで。『魏志倭人伝ぎしわじんでん』では、邪馬台国やまたいこくでは女性の卑弥呼ひみこが王に共立されて呪術的(祭祀的さいしてき)支配を行い、男弟が卑弥呼ひみこを補佐して政治を執行していたと伝えてます。

話を戻して、

菟狭川のほとりに一柱騰宮あしひとつあがりのみやを建て、彦火火出見ひこほほでみに饗宴を奉りおもてなしをした。」とあり、この「一柱騰宮あしひとつあがりのみや」は、一時の饗応用に建てた特殊な構造の殿舎でんしゃ。一本の柱で支えられていたから「一柱あしひとつ」??

少々細かいですが、「菟狭川のほとり」について。コレ、原文「於菟狹川上」、上を「ほとり」と読みます。この「ほとり」は、東征とうせい神話中盤での「丹生川上祭祀にゅうかわかみさいし」につながる内容なのでチェックしておいてください。

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で、この饗応対応は、服属の意味が強い内容になってます。それこれも「天神子あまつかみこ」という設定があるからこそ。

そのうえで、、

神武じんむが、ヒメ(菟狹津媛うさつひめ)を近従の臣である天種子命あまのたねこのみことにめあわせる訳ですが、この天種子命あまのたねこのみこと、実は、天岩戸神事あめのいわとしんじに活躍した「天児屋根命あまのこやねのみこと」と同じ中臣なかとみ氏の遠祖とおつおやなんです。

ココでは、祭祀さいしを司る女性首長を、祭祀さいしの氏族である中臣なかとみ氏に与えるという神武じんむ的な「はからい」としてチェックです。地味に激しく重要。

次!

  • 11月9日に、筑紫つくしの国の「岡水門おかのみなと」 に到る。
  • 十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫國岡水門。

筑紫国つくしのくにの「岡水門おかのみなと」に至ります。

丙戌朔甲午=日付を干支かんしで示す方式によるもの。月の「ついたち」にあたる干支かんし丙戊ひのえいぬ)を基準として、甲午きのえうまが、何番目、つまり何日目にあたるか、で日付を設定。ここでは9番目にあたるので、9日ということになります。

岡水門おかのみなと」は、福岡ふくおか遠賀おんがぐん遠賀川おんががわ河口付近とされてます。

なぜ筑紫国つくしのくにの「岡水門おかのみなと」なのか?

しかも、、11月9日の到着日から、12月27日に安芸国あきのくにに至るまでの1か月半、、、何してた??

まず、

位置的に、遠賀おんがぐんの西には宗像むなかたぐんが接していて、さらに西、博多はかたには大宰府だざいふがあり、歴史の時代でありますが九州きゅうしゅうを統括する拠点がありました。

さらに、、筑前国風土記ちくぜんのくにふどき逸文いつぶんには「筑紫国つくしのくにに到れば、先づ哿襲宮かしひのみや参謁まゐるを例とす。」と伝える香椎廟かしいびょう(現・香椎宮かしいぐう)があり、『古事記こじき』ではこのみや神功皇后じんぐうこうごうが神懸りして新羅征討しらぎせいとう託宣たくせんを得たことを伝えてます。

これらの神話、歴史の文献をつなげて考えると、、、

神武じんむはここでの1か月半の多くを、この地の情勢を偵察させ、宗像むなかたはじめ在地の豪族ごうぞくたちが敵対、寝返りしないことを見極めていた、、と推測される訳です。そのうえで、九州きゅうしゅうを掌中に収めてから瀬戸内海せとないかいへ航路をとった、、というのが東征とうせい的シナリオ。

そのための岡水門おかのみなと。そのための拠点として位置づけられてるってことでチェック。

次!

  • 12月27日に、安芸の国に到る。「埃宮えのみや」に居住する。
  • 十有二月丙辰朔壬午、至安藝國、居于埃宮。

安芸あき、つまり今の広島ひろしま県に移動。

埃宮えのみや」は、広島ひろしま安芸郡あきぐん府中町ふちゅうちょう付近とされてます。

この地が登場してるのは、もちろん、大和やまとへ航行する順路として。安芸あきは古代より一大海運拠点でありました。

次!

  • 乙卯きのとうの年(紀元前666年)、春3月6日に、安芸の国から移動し、吉備の国に入る。行宮かりのたちを建て居住。これを「高嶋宮たかしまのみや」と言う。3年の間、軍船を整備し、兵達の食糧を備蓄して、一挙に天下を平定しようとした。
  • 乙卯年春三月甲寅朔己未、徙入吉備國、起行館宮以居之、是曰高嶋宮。積三年間、脩舟檝、蓄兵食、將欲以一舉而平天下也。 

広島ひろしまから吉備きび、つまり岡山おかやま県に移動。

天下平定に向けた基地を建設。「行宮かりのたちを建て(起行館宮)」とは、神武じんむ東征とうせいの途中に、一時しのぎ的な仮の宿ではなく、天子てんし行幸ぎょうこうの宿舎に類する館を建てたことを言います。

用例は以下。

いずくんぞ梁岷りょうびん(山名)に陟方ちょくほう(天子の巡狩)の館、行宮あんぐう(天子の仮御所)もといありしを聞かんや(左思さし呉都賦ごとふ(『文選もんぜん』)
意訳: 蜀の地に天子が巡狩・行幸したという事実は聞いたことがない

とあり、行宮あんぐうとは天子てんし仮御所かりごしょとして位置づけられてることが分かります。一時的なものでないのがポイント。

ここに3年居住し、軍船・食糧を整え、兵士を訓練するための基地とした訳です。天下平定をにらんだ、周到な計画によるものです。

3年ですよ、、3年。結構長い時間ですよね。。私、3年前なにをしてたっけ。。。?

 

まとめ

順風・戦闘準備(日向ひむか高嶋宮たかしまのみや

このころの東征とうせい軍は順風満帆じゅんぷうまんぱんの一言に尽きます。

軍船の先頭に立ち、海の潮風を胸いっぱいに吸い込みながら建国の夢へ突っ走る「彦火火出見ひこほほでみ」。

また、珍彦うづひこ→後の 椎根津彦しいねつひこ」を臣下として加えたのも大きいです。

東征とうせいの後半で出てきますが、椎根津彦しいねつひこ、結構活躍します。彼の活躍無くして東征とうせいは果たせなかったんじゃないか?というくらい。スゴイんです。

このお方の登場も、非常に作り込まれた設定になってます。

太公望たいこうぼうと同じような設定で登場し、同じように王たる者を助けて事を成す、というように古代の英雄と重ねている訳です。

東征とうせいの中では、

  • 武勇に秀で「武官ぶかん」に相当する「道臣みちのおみ
  • 太公望たいこうぼうと同じように智略を持って貢献する「文官ぶんかん」としての「椎根津彦しいねつひこ

この対比構造も面白いポイント。

吉備きび高嶋宮たかしまのみやに3年居住し、軍船・食糧を整え、兵士を訓練するなど、天下平定をにらんで周到な準備を行ってます。

しかし、独力で天下を平定できると過信したことが、後に仇となり手痛い敗戦につながっていくのですが、、、

 

神話を持って旅に出よう!

神武東征じんむとうせい神話のもう一つの楽しみ方、それが伝承地を巡る旅です。以下いくつかご紹介!

椎根津彦神社しいねつひこじんじゃ

 

宇佐うさ上陸の伝承地(柁鼻神社かじばなじんじゃ

 

菟狭津彦うさつひこ菟狭津媛うさつひめに饗宴を受けた伝承地(宇佐神宮うさじんぐう

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安芸あきの「埃宮えのみや」伝承地(多家神社たけじんじゃ

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つづきはコチラ!いよいよ大和やまとに進軍!

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本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他

 

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白熱講義 追加開催決定! 日本神話は『日本書紀』がまず編纂され、『古事記』がそれを取り込んで成り立っている!? この実態と驚きの真相を、通説や常識とは全く違う世界を、本講座では徹底的に検証します。10/29, 11/26, 12/24の全3回、途中参加でも大丈夫!激しくオススメです!


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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他