古事記はいつ編纂されて完成した?和銅5年(712)正月28日、たった4ヶ月で完成したと伝える『古事記』編纂経緯を分かりやすく解説!

古事記はいつ編纂されて完成した?

 

『古事記』はいつ編纂されて完成したのか?について解説します。

『古事記』が編纂されたのは、和銅5年(712)正月28日。一方、元明天皇が太安萬侶に下詔したのが和銅4年(711)9月18日なので、たった4ヶ月ちょっとで完成したことになります。

今回は、そんな編纂経緯について、『古事記』序文をもとに分りやすく解説していきます。

 

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古事記はいつ編纂されて完成した?和銅5年(712)正月28日に、たった4ヶ月で完成したと伝える『古事記』編纂経緯を分かりやすく解説!

古事記はいつ編纂された? 編纂経緯を伝える『古事記』序文

『古事記』はいつ編纂されたのか? これを直接伝えるのは、『古事記』の「序」です。『古事記』の序文にあたる箇所で、『古事記』上巻「本文」の直前にあります。太安萬侶おおのやすまろが、元明天皇に言上した上表文としての形式。

ここで、太安萬侶おおのやすまろが『古事記』の編纂経緯を伝えてる箇所があります。

大きく2箇所あり、

1つ目は、天武天皇代。天武天皇が、帝紀・旧辞を解読し口誦こうしょう(声に出して言う)させたと伝えます(『日本書紀』をもとに、天武10年(681)と想定されてます)。しかし、この誦習事業は、その後5年ちょっとで天武天皇が崩御し、未完成となりました。

2つ目は、元明天皇代。元明天皇が、太安萬侶に下詔したのが、和銅4年(711)9月18日と伝え、完成したのが和銅5年(712)正月28日。たった4ヶ月ちょっとで完成したことになります。

つまり、天武天皇によって始められた誦習事業(推定、天武10年(681)が、5年ちょっとで頓挫、その後、元明天皇の代になって、わずか4ヶ月で完成した(和銅5年(712)正月28日)と伝えてる訳です。

二段階プロセスを経て完成した『古事記』。以下、その現場を詳しくご紹介します。

 

古事記はいつ編纂された? 天武天皇による編纂指令

まずは、第一段階の天武天皇による編纂指令から。

『古事記』序文では、以下のように伝えてます。

そこで、(天武)天皇は仰せられましたのは「朕が聞くところでは、『諸家(諸氏族)が持つ帝紀ていきみかどの系譜)および本辞ほんじ(神話や縁起などの伝承)は、もはや真実と違っており、多くは嘘偽りを加えられている』と聞いた。今日の時点で、そのあやまりを改めなかったら、何年も経たぬうちに、その本旨はきっと滅びるだろう。この帝紀・旧辞は国家組織の根本であり、天皇政治の基礎である。そこで、帝紀を撰録し、旧辞を詳しく調べて、偽りを削り真実を定めて後の世に伝えようと思う。」

たまたま、舎人がいました。姓(氏)は稗田ひえだ、名は阿礼あれ、年は28。人となりは聡明で、ひと目見れば口で暗唱し、耳に聞けば記憶した。音訓も瞬間に判断して話し言葉に直し意味の分かる言葉で読み上げられることができました。

そこで、阿礼に勅して、歴代天皇の皇位継承の次第及び古代からの伝承を読み慣わされました。しかしながら、ときは移り世はかわり(天武天皇崩御により)、未だその事業は行われませんでした。

於是天皇詔之「朕聞、諸家之所賷帝紀及本辭、既違正實、多加虛僞。當今之時不改其失、未經幾年其旨欲滅。斯乃、邦家之經緯、王化之鴻基焉。故惟、撰錄帝紀、討覈舊辭、削僞定實、欲流後葉。」時有舍人、姓稗田、名阿禮、年是廿八、爲人聰明、度目誦口、拂耳勒心。卽、勅語阿禮、令誦習帝皇日繼及先代舊辭。然、運移世異、未行其事矣。 (引用:『古事記』序文より一部抜粋)

『古事記』序

ということで。

稗田阿礼に誦み習わせたというのは、帝紀・旧辞を解読し口誦こうしょう(声に出して言う)させたということ。その目的は、天武天皇自ら撰録した定本、本来の歴史、正しい歴史ともいうべき帝紀・旧辞を、声に出して読める本にして後世に伝えるためでした。

『古事記』では、天武天皇が「阿礼に勅して、歴代天皇の皇位継承の次第及び古代からの伝承を読み慣わされました」とする年月を伝えてません。なので『日本書紀』から推定する形になります。

ところが、、、『日本書紀』では、稗田阿礼に誦み習わせたという記述はなく、歴史書編纂の命令を伝えてるだけなので、推定として天武10年(681)とされてる次第。

一方、阿礼への下命が天武10年(681)とすると、天武天皇崩御まで5年ちょっと。「しかしながら、ときは移り世はかわり(天武天皇崩御により)、未だその事業は行われませんでした」とあるように、結局、誦習事業は未完成となった訳です。

 

古事記はいつ編纂された? 元明天皇による編纂指令

次に、第2段階。元明天皇による編纂指令から。

『古事記』序文では、以下のように伝えてます。

そこで、旧辞の誤り違っているのを惜しまれ、先紀の誤りが錯綜しているのを正そうとされて、和同4年9月18日に、臣・安万侶に詔し、「稗田の阿礼が誦んでいる勅語みことのりの旧辞を撰録して献上せよ」と仰されたので、謹んで、詔旨のまにまに細かに採り拾いました。 〜中略〜 

全て、記述した内容は、天地の開闢より始めて小治田おはるたのみやの御世(推古天皇)で終わります。そこで、天御中主神あめのみなかぬしのかみから日子波限建鵜草葺不合尊ひこなぎさたけうがやふきあえずのみことより前を上巻かみつまきとし、神倭伊波礼毘古天皇かむやまといわれびこすめらみことから品陀(応神天皇)の御世より前を中巻なかつまきとし、大雀おおさざきの皇帝(仁徳天皇)から小治田の大宮(推古天皇)より前を下巻しもつまきとし、あわせて三巻を収録し、謹んで献上いたしますと、臣・安万侶、誠惶誠恐かしこみかしこみも頓々首々のみまをす。

和銅五年(712年)正月二十八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶

於焉、惜舊辭之誤忤、正先紀之謬錯、以和銅四年九月十八日、詔臣安萬侶、撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者、謹隨詔旨、子細採摭。 〜中略〜 

大抵所記者、自天地開闢始、以訖于小治田御世。故、天御中主神以下、日子波限建鵜草葺不合尊以前、爲上卷、神倭伊波禮毘古天皇以下、品陀御世以前、爲中卷、大雀皇帝以下、小治田大宮以前、爲下卷、幷錄三卷、謹以獻上。臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。

和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶 (引用:『古事記』序文より一部抜粋)

『古事記』序

ということで。

和同4年9月18日に、臣・安万侶に詔し、「稗田の阿礼が誦んでいる勅語みことのりの旧辞を撰録して献上せよ」と仰されたので」とあり、元明天皇が太安萬侶に撰録を下詔したことを伝えてます。

さらに、『古事記』序文の末尾に、「和銅五年(712年)正月二十八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶」と、献上した日付が記載されてます。これをもって『古事記』完成の日付としている訳です。

天武天皇代に開始され、誦習された下敷きがあったとはいえ、、

  • 元明天皇による再始動命令:和銅4年(711)9月18日
  • 献上された日付:和銅5年(712)正月28日

ということで、たった4ヶ月ちょっとで完成したことになる訳です

『古事記』上・中・下巻のボリュームなどを踏まえると、ほんまかいな!?とツッコミを入れざるを得ないのですが、、

実際は、『日本書紀』がベースにあったからであり、『日本書紀』をもとに、天皇家の歴史書として、国内の豪族氏族に配慮しながらそれらを神々の体系に組み込みながら一つの物語として編み出したのが『古事記』の実際だったりします。そして、『古事記』自体の編纂目的は、皇太子教育のテキストとして活用するため。これはこれで、皇位継承の歴史が絡む話なので別エントリで詳しくお届けします。

 

古事記はいつ編纂された? まとめ

『古事記』はいつ編纂されたのか?

『古事記』編纂経緯を伝えるのは、『古事記』の「序」。『古事記』の序文にあたる箇所で、『古事記』上巻「本文」の直前にあります。太安萬侶おおのやすまろが、元明天皇に言上した上表文としての形式。

ここで、太安萬侶おおのやすまろが『古事記』の編纂経緯を伝えてる箇所があります。

大きく2箇所あり、

1つ目は、天武天皇代。天武天皇が、帝紀・旧辞を解読し口誦こうしょう(声に出して言う)させたと伝えます(『日本書紀』をもとに、天武10年(681)と想定されてます)。しかし、この誦習事業は、その後5年ちょっとで天武天皇が崩御し、未完成となりました。

2つ目は、元明天皇代。元明天皇が、太安萬侶に下詔したのが、和銅4年(711)9月18日と伝え、完成したのが和銅5年(712)正月28日。たった4ヶ月ちょっとで完成したことになります。

つまり、天武天皇によって始められた誦習事業(推定、天武10年(681)が、5年ちょっとで頓挫、その後、元明天皇の代になって、わずか4ヶ月で完成した(和銅5年(712)正月28日)と伝えてる訳です。

 

『古事記』序文の分かりやすい解説はコチラで!

『古事記』序

 

この記事を監修した人

榎本福寿教授 佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。

 

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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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