高千穂宮(宮の宇都)は、宮崎県 西諸県郡 高原町にある神話伝承地。
コチラ、神武天皇が幼少期に、父・鵜葺草葺不合命と共にお住みになった宮の跡地と伝えられてます。
現地は巨大なイチョウの木が立っていて秋には黄金色に輝くステキな場所。神話ファンとしては鉄板のビジットスポットであります。
今回は、そんな高千穂宮(宮の宇都)について、日本神話と合わせてご紹介します。
高千穂宮(宮の宇都)|神武天皇が幼少期に父・鵜葺草葺不合命と住んでいた宮跡!?高千穂宮跡は神話ロマンあふれるオススメスポット!
目次
高千穂宮(宮の宇都)に関連する日本神話
まずは、当サイトならでは。高千穂宮(宮の宇都)に関連する日本神話をご紹介。
「高千穂宮(宮の宇都)」は、現地では、神武天皇が幼少期に父・鵜葺草葺不合命と住んでいた宮とされてるのですが、、
一方、「高千穗宮」は、コレはコレで、彦火火出見尊(山幸彦)から神武天皇に至るまで三代の神が住んでいた宮とされており、場所は宮崎県西臼杵郡高千穂町や、西諸県郡の東霧島山など諸説あったりします。
なお、正史『日本書紀』には「高千穗宮」という言葉は登場せず、『古事記』に伝えます。
今回は、その中から、『古事記』中巻より冒頭部分、「高千穗宮」と神武天皇を伝えるシーンをご紹介。
「神倭 伊波礼毘古命」とその同母の兄「五瀬命」の二柱は、高千穗宮にあって相談し「どこの地にいたならば、天の下の政を治めることができるだろうか。やはり東方に行こうと思う。」と言った。さっそく日向より出発し、筑紫においでになった。 (『古事記』中巻 神武東征神話部分より抜粋)
ということで。
少し解説。
鵜葺草葺不合命(父)が玉依毘賣命(母)を娶って産んだのが4柱の男兄弟。長兄が五瀬命で、末っ子が神武天皇(神倭伊波禮毘古命)。コレ、『古事記』上巻の最後に伝える系譜です。
その上で、「神倭 伊波礼毘古命」とその同母の兄「五瀬命」の二柱は、高千穗宮にあって相談し言うには、」とあり、つまり神武と長兄の2者で「高千穗宮」で相談したと伝えてる訳です。コレ、いわゆる東征発議というやつで。
つまり、東征の決断をした場所が「高千穗宮」であり、その意味でめちゃくちゃ重要な場所なんです。高千穗宮無くして東征無し!
なので、『古事記』を根拠とするなら、『古事記』×神武天皇×高千穗宮とするなら、それは東征発議であり、オヤジと住んでた云々よりも、東征の決断をした場所としての重要性を激しくフィーチャーしたい!
高千穂宮(宮の宇都)の場所
高千穂宮(宮の宇都)は、宮崎県西諸県郡高原町にあります。
高原町は「神武の里」として、町をあげて神武推しを展開中。神話的にアツい町。個人的に激しく応援しております。
住所は、宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田7510
▲高千穂宮(宮の宇都)は集落の中、、、ものすごい集落な感じが出てます。。
▲コチラが高千穂宮(宮の宇都)の入り口!こ、こんなところに聖地が、、、ドキドキが止まりません!
立て看板にはこんな案内が!
高千穂宮(宮の宇都)
この地は宮の宇都又は権現とも言い、皇居のあったところで狭野尊(神武天皇)が幼少期に、父鵜葺草葺不合命と共にお住みになった跡と言い伝えられている。
とのことでありますが、、、
先ほど解説したとおり、『古事記』×神武天皇×高千穗宮で伝えるシーンは東征発議であり、オヤジと住んでた云々よりも、東征の決断をした場所としての重要性を激しく推させていただきます!
高千穂宮(宮の宇都)の様子
先ほどの看板のところから坂道を上がっていくと、、、広場みたいなところに出ます。
こ、ここが、、、
高千穂宮(宮の宇都)!
すげー!!!!!!!!!!
神武天皇が、父・鵜葺草葺不合命と住んでいた、いや、なんなら、母・玉依毘賣命も一緒だったはず!?
マジですか!?
イヤ、それよりもなによりも、東征の決断をした場所??高千穗宮無くして東征無し!!??
す、凄すぎる、、、そ、それがこんな、、、
こんな、、、
田舎に。。。 ←地元の皆様申し訳ございません。。。
いや、ココは、ロマンの翼を広げて、心眼で見る!神武天皇が、五瀬命がっ、、なんか見える気がする!??
いやー、、それにしても、美しいイチョウやー、、、
結局、ロマンよりもリアルなものに心奪われる、、、。
広場には石碑も立っておりまして、、、
神武天皇御降誕アリテ御幼時マシマセシ處ト傳ヘラレ モト天皇ヲ奉祀セル宇都神社鎮座セラレタリ
とのことで。
コレって、、、つまり、、もともと、神武天皇がいらっしゃった場所をお祀りする宇都神社があったってことですよね。。
いろんな意味で興味深い。。。
とにもかくにも、自分の創造性が問われる現場であることは間違いない。是非、当地で日本建国ロマンを感じられてくださいませ。
高千穂宮(宮の宇都)まとめ
高千穂宮(宮の宇都)
宮崎県 西諸県郡 高原町にある神話伝承地。
神武天皇が幼少期に、父・鵜葺草葺不合命と共にお住みになった宮の跡地と伝えられてます。
が、『古事記』×神武天皇×高千穗宮で伝えるシーンは東征発議であり、オヤジと住んでた云々よりも、東征の決断をした場所としての重要性を激しく推させていただきます!
現地は巨大なイチョウの木が立っていて秋には黄金色に輝くステキな場所。いずれにしても、神話ファンとしては鉄板のビジットスポットであります。
場所 | 〒889-4414 宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田7510 |
トイレ | なし |
駐車場 | なし |
なお、、本記事の写真は、当地で民宿所ゲストハウスながたを運営されてらっしゃるよっしーさんからいただきました。当地へお越しの際は是非ご利用されてください!
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