「神武天皇御湯浴場跡」は、宮崎県児湯郡新富町にあります。
ココ、神武天皇が東征の際にお風呂入ってリフレッシュした?!地として、日本神話ファン的には鉄板のロマンスポット。
天下を統治するに相応しい地「中洲」を目指し旅立った神武天皇が、とりあえずお風呂に入って、、、って、もう、、この落差だけでロマンがどこまでも広がります。
今回は、そんな、いざ東征、とりあえず風呂でリフレッシュ!?の地、「神武天皇御湯浴場跡」の全貌を日本神話とあわせてご紹介します。
神武天皇御湯浴場跡|神武天皇が東征の際にお風呂入ってリフレッシュ!?湯之宮神社境内にある伝説の風呂場でロマンに浸る、、
目次
神武天皇御湯浴場跡に関連する日本神話
まずは、当サイトならでは。神武天皇御湯浴場跡に関連する日本神話をご紹介。
神武天皇御湯浴場跡は、神武天皇がお風呂に入った地とされてるのですが、実は、『日本書紀』や『古事記』にはそのことを伝える記述はありません。
参考として、『日本書紀』巻三(神武紀)から東征発議と旅立ちの箇所を抜粋してみます。
「さて、一方で塩土老翁 からはこんな話を聞いた。『東に、美しい土地があって、青く美しい山が四方を囲んでいる。そこに天磐船に乗って飛びその地に降りた者がいる。』と。 私が思うに、かの地は豊葦原瑞穂の国の平定と統治の偉業を大きく広げ、王の徳を天下のすみずみまで届けるのにふさわしい場所に違いない。きっとそこが天地四方の中心だろう。そこに飛んで降りた者とは「饒速日」という者ではないだろうか。私はそこへ行き都としたい。」
諸々の皇子は、「なるほど、建国の道理は明白です。我らも常々同じ想いを持っていました。さっそく実行すべきです。」と賛同した。この年は、太歳・甲寅(紀元前667年)であった。
その年の冬10月5日に、彦火火出見は、自ら諸皇子や水軍を率いて、東へ進発した。 (『日本書紀』巻三 神武紀より一部抜粋)
ということで、
『日本書紀』では、「自ら諸皇子や水軍を率いて、東へ進発した。」と伝えるのみで、お風呂に入った入らなかったというのは伝えてないんですね。
ですが、地元的に「ココがそうだ!」というならそうだということで、兎にも角にも神話ロマンを探しに現場へレッツゴーであります!
神武天皇御湯浴場跡の場所
「神武天皇御湯浴場跡」は、宮崎県児湯郡新富町ににあります。
住所は、〒889-1406 宮崎県児湯郡新富町新田18633−2
児湯郡(こゆぐん)という郡について。
幼児の湯と書いて、児湯。
「児湯」というこの珍しい地名は、日本神話に登場するコノハナサクヤヒメが、我が子の産湯にこの地の水を使ったという逸話に由来してます。
神武天皇御湯浴場跡の様子
神武天皇御湯浴場跡まとめ
神武天皇御湯浴場跡
宮崎県児湯郡新富町。神武天皇が東征の際にお風呂入ってリフレッシュした?!地として、日本神話ファン的には鉄板のロマンスポット。
天下を統治するに相応しい地「中洲」を目指し旅立った神武天皇が、とりあえずお風呂に入って、、、って、もう、、この落差だけでロマンがどこまでも広がります。
日本神話ファン的には鉄板のビジットスポット。激しくオススメです!
住所 | 宮崎県児湯郡新富町新田18633−2 |
駐車場 | あり |
トイレ | なし |
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