竈山神社は、和歌山市和田にある神社。
神武東征神話に登場する、神武の長兄「五瀬命」薨去の地とされ、御祭神に「五瀬命」を祭ります。
神武東征神話では物語の重要な転換点となる地。激しく重要な神社であります。
訪れた日はちょうど雨が降っていて、まさに東征神話の状況そのもの。長兄を亡くした神武こと「彦火火出見」の悲しみと報復を誓ったときのおどろおどろしい空気が感じられました。
今回は、東征神話における重要な転換点である竈山神社をご紹介します。
竈山神社|神武の長兄「五瀬命」薨去の地!「理想」を追う東征に「報復」が追加された超重要スポット!!
目次
日本神話における竈山の位置づけ
冒頭で触れましたが、この地は日本神話の中でも、「神武東征神話」で登場する地。
物語全体の中でも、特に重要な「転換の地」であります。
一言で言うと、
「建国」と言う理想の追求に、「報復」というかたき討ちが追加された地。
詳しくはこちらで。
この竈山の前、大阪は生駒山の「孔舎衛坂」での激戦により、長兄「五瀬命」は重傷を負いました。また、神策をめぐらし「日を背に戦うため」紀伊半島を大きく迂回するルートを行きます。この経緯の中で登場するのが竈山。
紀伊半島迂回のため南下する途上、「紀の川」河口付近の「山城水門」に到ります。が、ここへきて長兄の「五瀬命」の傷が甚だしく悪化。五瀬は雄叫びをあげ、敵に復讐もできずに死ぬ無念を口にします。そして、和歌山市竈山に到ったところでついに薨じられ、そのまま竈山に葬られるという流れ。
ここでの「長兄の死」は、単に「お兄さんが傷を受けて死んでしまった」だけではありません。このときの神武の無念は深く、以後、東征の目的に「かたき討ち」が追加されることになる訳です。
これは、東征神話後半の、長髄彦との最終決戦における御歌でも出てきます。
コチラで。
と、まあ、非常に悲しみに満ちた地であり、復讐というおどろおどろしい感情を持つ地だという事ですね。
さて、そんな背景を把握したうえで、リアルな現場をチェックしていきましょう。
竈山神社の場所
和歌山市和田。和歌山市内であり、中心部から車で10~15分ほどの所。
電車では、わかやま電鉄貴志川線の「竃山駅」から南へ500mくらいの所にあります。
東征神話的には、当社単体で理解するのではなく、直前の「雄叫びをあげた地」と合わせてチェックされてください。⇒「神武天皇聖蹟男水門顕彰碑|神武の長兄「五瀬命」が傷の痛みと悔しさのあまり雄叫びをあげた地で、あの頃と同じように雨に濡れてみた件」
おなじ和歌山市内にある水門吹上神社境内にある顕彰碑。鉄板の神話スポットであります。
雄たけびをあげて、薨去する流れ。
竈山神社の創建経緯
竈山神社自体のHPは無く、和歌山県神社庁HPに伝えております。
御祭神の彦五瀬命は、第一代神武天皇の皇兄に坐し、大和平定の途中、孔舎衙坂で長髄彦の軍と戦い、流れ矢に当たり給いて戦傷、雄水門に至りて遂に崩御遊ばされ、竈山の地に葬られ給う。
今の社地は即ちその遺跡で、延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡、竈山神社」と記され、古くから官幣に与る皇室御崇敬の大社であり、天正年間まで社領8町8段を有したと伝えられている。
往古は社殿も宏大にして現地か東南山麓に鎮座し給うたが、戦乱の世を経て社頭衰微し、徳川氏の入国後、社殿を再興した。
明治18年、官幣中社に列せられ、大正4年、官幣大社に昇格、昭和13年には国費及び崇敬者の献資を以って社殿を造営し、境内を拡張して現在に至っている。
寛政6(1794)年冬、国学者 本居宣長はこの社に詣でて「をたけびの かみよのみこゑ おもほへて あらしはげしき かまやまのまつ」と詠んだが、竈山の岩根に鎮ります神霊は、日本の国の行手を永久に譲り給い、導き給うことと拝し奉る。(和歌山県神社庁説明文より引用)
とのことで、
ポイントは、
- 神武東征神話において、長兄「五瀬命」が亡くなった遺跡として位置づけ。
- 具体的に、いつ、と言うのは不明。ただ、延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡、竈山神社」と記されており、古くから重要な神社として位置づけられていたようです。
- 社領も、天正年間まで8町8段あったとか。。。コレ、かなりデカイ!
社領について、
1町の単位は、条里制とか太閤検地とかいろいろあるのですが、あくまで目安として、
- 1町 = 3 000坪
- 8町 = 24,000坪
24,000坪って、、、良く分からないので、
東京ドーム14,168坪(46755㎡)と比較すると、、、ほぼ2つ分!!!
とんでもない広さの社領を有していた訳ですね。
ところが、天正13年、羽柴秀吉の紀州攻めにより神宝や古文書などが焼失、8町8段も没収に、、。
慶長5年(1600年)浅野幸長が入国し再建、寛文9年(1669年)徳川頼宣によって社殿が再建。ただし、寺社奉行直支配の神社で、氏子さんも社領も無い状態だったとか。。
明治に入り、官幣中社に列せられ、大正4年、官幣大社に昇格、昭和13年には国費及び崇敬者の献資で社殿を造営、境内を拡張して現在に至っております。良かった良かった。。。
国費投入で社殿造営、これは昭和15年の神武天皇即位2600年記念を祝う準備として実施されたのでしょう。詳しくはコチラで⇒「神武天皇聖蹟調査(昭和15年)による「聖蹟顕彰碑」まとめ|大人の事情満載だけど確かなものもきっとある件 (マニア限定)」
竈山神社の境内
▲参拝した日は雨。後ほど触れますが、東征神話の場面とぴったり合ってる感じで、神武の悲しみと恨みが漂っていました。。。←気分的なものです。
▲入口鳥居前に立つ特徴的なコマ犬。雨に濡れて哭いているようです・・・ ←これも気分的なものです。
鳥居をくぐると、、、
▲生い茂る木々が続く参道。神聖な雰囲気を醸し出してますね。
▲ここからいよいよ本殿敷地内へ入ります。
奥ゆかしい雰囲気です。美しさも兼ね備えた素晴らしい社殿ですよね。
本殿の裏に、五瀬命の陵があります。神話とリアルが交錯する地、このドキドキ感がたまりません!
竈山神社の御祭神
- 五瀬命
神武天皇のお兄さん。神武天皇自体は4人兄弟の末っ子。五瀬命自体はあまり目立った活躍はしませんが、長兄として神武の東征発議からずっと支えてきたに違いないのであります。
- 左脇殿のご祭神:神日本磐余彦命 御毛入沼命 稲飯命
- 右脇殿のご祭神:高倉下命 可美眞手命 天日方竒日方命 天種子命 天富命 道臣命 大久米命 椎根津彦命 頭八咫烏命
いずれも、東征神話に関連する登場人物というか神様をお祀りしております。特に、左側、「神日本磐余彦命」、この方こそ神武天皇であります。
▲本殿。この裏手にある古墳が宮内庁により五瀬命の墓に治定されています。
境内社3社
青葉神社
ということで、神社境内は、本殿とお墓を中心とした構成で、非常にシンプルな作り。今でこそ、参拝者も少なく寂れた感じが否めませんが、神話展開において非常に重要なスポットなのであります。
まとめ
竈山神社
神武の長兄「五瀬命」薨去の地とされ、御祭神に「五瀬命」を祭ります。
ココ、神武東征神話において物語の重要な転換点となる地。それは、建国と言う理想の追求に、報復というかたき討ちが追加された地、という事。
訪れた日はちょうど雨が降っていて、まさに東征神話の状況そのものでした。
長兄を亡くした神武こと彦火火出見の悲しみと報復を誓ったときのおどろおどろしい空気が感じながら参拝されるのが良いと思います。
場所 |
住所:和歌山市和田438番地 |
駐車場 | あり 神社入口鳥居の前 |
トイレ | あり 本殿入口右手 |
例祭日 | 10月13日 |
当社神事 | 紀元節祭(2月11日) 春季祭(4月13日) 雄誥祭(5月8日) 夏越大祓式輪くぐり神事(6月30日) 夏季祭(7月13日) 万世太平祭(8月15日) 師走大祓式(12月31日) |
こちらの記事もどうぞ。オススメ関連エントリー
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
コメントを残す