神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ
今回は6回目。
長兄「五瀬命」を失う神話をお届けします。
孔舎衛阪での敗戦後、東征軍は神策どおり海路を南下し紀伊半島を迂回するルートを進みます。
途上、「紀の川」河口付近の「山城水門」に到りますが、ここへきて長兄「五瀬命」の傷が甚だしく悪化。
五瀬は雄叫びをあげ、敵に復讐もできずに死ぬ無念を口にします。
そして、和歌山市竈山に到ったところでついに薨じられ、そのまま竈山に葬られます。
- なぜ長兄は死んだのか?そして「長兄の死」が東征に与えた影響はなにか?
この謎を探ることで、東征神話における「兄の死の意味」を考えます。
今回も『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお伝えします。ちなみに、前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。
東征ルート、場所の確認
ルートを確認します。
生駒山の「孔舎衛坂」での激戦により、長兄「五瀬命」は重傷を負いました。また、神策をめぐらし「日を背に戦うため」紀伊半島を大きく迂回しようとします。

紀伊半島迂回のため南下する途上、「紀の川」河口付近の「山城水門」に到ります。

が、ここへきて長兄の「五瀬命」の傷が甚だしく悪化。五瀬は雄叫びをあげ、敵に復讐もできずに死ぬ無念を口にします。そして、和歌山市竈山に到ったところでついに薨じられ、そのまま竈山に葬られます。
ここでの「長兄の死」は、単に「お兄さんが傷を受けて死んでしまった」だけではありません。
このときの神武の無念は深く、以後、東征の目的に「かたき討ち」が追加されることになります。
つまり、東征が「建国」と言う理想を追うだけでなく「報復」を目指すという新たな段階に入る訳で、その意味で、非常に重要なシーンなのです。
神武東征神話 語訳・注釈・原文
長兄「五瀬命」の死
5月8日[1]に、東征軍は茅淳の「山城水門[2]」 に到る。(またの名は「山井水門」)
この時、長兄「五瀬命」は、孔舎衛で受けた矢傷の痛みが甚だしく、そこで剣の柄に手をかけて雄誥をあげた。
なんといまいましいことだ!武勇に優れて[3]いながら、敵の手によって傷を負い、報復もせずに死ぬとは!
(当時の人[4]は、それでこの地を名付けて「雄水門」といった。)
さらに進軍し、紀国の竃山に到ったとき、ついに五瀬命は軍中にて薨じられた[5]。よって竃山[6]に葬った。
注釈
[1] 丙寅(ひのえとら)が朔(ついたち)にあたる癸酉(みすのとり)
[2]大阪府泉南市男里の、紀の川の河口付近。
[3] 原文「大丈夫(ますらお)」。りっぱな男。勇気のある強い男の意味。
[4] 「当時の世間の人」の意味。神武紀では事蹟にちなむ土地を名づける者とするのが通例です。
[5]天皇の兄という身分に即した表現で、「死」を言います。
[6]和歌山市和田に「竈山神社」があり、彦五瀬命の神霊を祀る神社として有名。本殿の背後には彦五瀬命の墓と伝える「竈山墓」(宮内庁治定墓)があります。
原文
五月丙寅朔癸酉、軍至茅淳山城水門。亦名山井水門。茅淳、此云智怒。時五瀬命矢瘡痛甚、乃撫劒而雄誥之曰撫劒、此云都盧耆能多伽彌屠利辭魔屢「慨哉、大丈夫慨哉、此云宇黎多棄伽夜被傷於虜手、將不報而死耶。」時人因號其處、曰雄水門。進到于紀伊國竈山、而五瀬命薨于軍、因葬竈山。
『日本書紀』巻三 神武紀より
まとめ
長兄「五瀬命」の死。
きっかけとなった孔舎衛の激戦と敗退。その原因は「情報不足と無自覚(≒おごり)」にありましたが、その代償を「兄の死」という形で払う事になりました。
神武の無念は非常に深く、以後、東征の目的に「かたき討ち」が追加されることになります。
古代では、「報復」を「義務」として定めていて、殺されたのが父であれば「不倶戴天」の敵として、相手が死ぬまで報復を止めません
五瀬命は長兄なので、弟の彦火火出見は「復の義務」を負う訳ですね。
これは「兵(武器)を反さず」という言葉で伝えられ、武器を執って仇を討ち果たすまでは止めてはならない、という意味。有名な「忠臣蔵」も同じ考え方です。
実際、東征の最終局面において「長髄彦」を攻撃する際には、この長兄の死を思い出し、断固とした決意をもとに「撃ちてし止まむ」と歌い、戦いに臨むところへつながっていきます。
つまり、ここでの「長兄の死」は「報復」を東征に組み込む意味を持つという事。
「建国」という理想追求だけでなく、「かたき討ち」といった新たな段階に入る訳で、非常に重要なのです。
また、東征神話はその意味で「日本最古の仇討ち」として位置づけられるという事ですね。
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本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他
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