長兄「五瀬命」の死|「ますらお」なのに復讐できず無念すぎたので、東征に復讐を追加した件|分かる!神武東征神話No.6

神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ

今回は6回目。

長兄「五瀬命いつせのみこと」を失う神話をお届けします。

孔舎衛阪くさえさかでの敗戦後、東征軍は神策しんさくどおり海路を南下し紀伊半島を迂回するルートを進みます。

途上、「紀の川」河口付近の「山城水門やまきのみなと」に到りますが、ここへきて長兄「五瀬命いつせのみこと」の傷が甚だしく悪化。

五瀬は雄叫びをあげ、敵に復讐もできずに死ぬ無念を口にします。

そして、和歌山市竈山かまやまに到ったところでついに薨じられ、そのまま竈山に葬られます。

  • なぜ長兄は死んだのか?そして「長兄の死」が東征に与えた影響はなにか?

この謎を探ることで、東征神話における「兄の死の意味」を考えます。
今回も『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお伝えします。ちなみに、前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。

孔舎衛坂激戦、敗退|スネの長い関西人に初戦敗退。神策めぐらし紀伊半島を迂回することにした件|分かる!神武東征神話No.5

2016.01.22

 

東征ルート、場所の確認

ルートを確認します。

生駒山の「孔舎衛坂くさえさか」での激戦により、長兄「五瀬命いつせのみこと」は重傷を負いました。また、神策をめぐらし「日を背に戦うため」紀伊半島を大きく迂回しようとします。

竈山

紀伊半島迂回のため南下する途上、「紀の川」河口付近の「山城水門やまきのみなと」に到ります。

山城水門 (1)

が、ここへきて長兄の「五瀬命」の傷が甚だしく悪化。五瀬は雄叫びをあげ、敵に復讐もできずに死ぬ無念を口にします。そして、和歌山市竈山かまやまに到ったところでついに薨じられ、そのまま竈山に葬られます。

ここでの「長兄の死」は、単に「お兄さんが傷を受けて死んでしまった」だけではありません。

このときの神武の無念は深く、以後、東征の目的に「かたき討ち」が追加されることになります。

つまり、東征が「建国」と言う理想を追うだけでなく「報復」を目指すという新たな段階に入る訳で、その意味で、非常に重要なシーンなのです。

 

神武東征神話 語訳・注釈・原文

長兄「五瀬命」の死

5月8日[1]に、東征軍は茅淳ちぬの「山城水門やまきのみなと[2]」 に到る。(またの名は「山井水門やまいのみなと」)

この時、長兄「五瀬命いつせのみこと」は、孔舎衛で受けた矢傷の痛みが甚だしく、そこで剣の柄に手をかけて雄誥おたけびをあげた。

なんといまいましいことだ!武勇に優れて[3]いながら、敵の手によって傷を負い、報復もせずに死ぬとは!

(当時の人[4]は、それでこの地を名付けて「雄水門おのみなと」といった。)

さらに進軍し、紀国きのくに竃山かまやまに到ったとき、ついに五瀬命いつせのみことは軍中にて薨じられた[5]。よって竃山[6]に葬った。

 

注釈

[1] 丙寅(ひのえとら)が朔(ついたち)にあたる癸酉(みすのとり)

[2]大阪府泉南市男里の、紀の川の河口付近。

[3] 原文「大丈夫(ますらお)」。りっぱな男。勇気のある強い男の意味。

[4] 「当時の世間の人」の意味。神武紀では事蹟にちなむ土地を名づける者とするのが通例です。

[5]天皇の兄という身分に即した表現で、「死」を言います。

[6]和歌山市和田に「竈山神社」があり、彦五瀬命の神霊を祀る神社として有名。本殿の背後には彦五瀬命の墓と伝える「竈山墓」(宮内庁治定墓)があります。

 

原文

五月丙寅朔癸酉、軍至茅淳山城水門。亦名山井水門。茅淳、此云智怒。時五瀬命矢瘡痛甚、乃撫劒而雄誥之曰撫劒、此云都盧耆能多伽彌屠利辭魔屢「慨哉、大丈夫慨哉、此云宇黎多棄伽夜被傷於虜手、將不報而死耶。」時人因號其處、曰雄水門。進到于紀伊國竈山、而五瀬命薨于軍、因葬竈山。

『日本書紀』巻三 神武紀より

 

まとめ

長兄「五瀬命」の死。

きっかけとなった孔舎衛の激戦と敗退。その原因は「情報不足と無自覚(≒おごり)」にありましたが、その代償を「兄の死」という形で払う事になりました。

神武の無念は非常に深く、以後、東征の目的に「かたき討ち」が追加されることになります。

古代では、「報復」を「義務」として定めていて、殺されたのが父であれば「不倶戴天ふぐたいてん」の敵として、相手が死ぬまで報復を止めません

五瀬命は長兄なので、弟の彦火火出見ひこほほでみは「復の義務」を負う訳ですね。

これは「兵(武器)をかえさず」という言葉で伝えられ、武器を執って仇を討ち果たすまでは止めてはならない、という意味。有名な「忠臣蔵」も同じ考え方です。

実際、東征の最終局面において「長髄彦ながすねびこ」を攻撃する際には、この長兄の死を思い出し、断固とした決意をもとに「撃ちてし止まむ」と歌い、戦いに臨むところへつながっていきます。

つまり、ここでの「長兄の死」は「報復」を東征に組み込む意味を持つという事。

「建国」という理想追求だけでなく、「かたき討ち」といった新たな段階に入る訳で、非常に重要なのです。

また、東征神話はその意味で「日本最古の仇討ち」として位置づけられるという事ですね。

 

続きはこちらから!

熊野灘海難と兄の喪失|なぜ!?兄達は暴風雨の中で歎き恨み逝ってしまった件|分かる!神武東征神話No.7

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さるたひこ

こんにちは、さるたひこです!読んでいただきありがとうございます。「日本神話をこよなく愛するナビゲーター」として日本神話関連情報、題して「日本神話がおもしろい!」を発信していきます。どうぞよろしくお願いします。ちなみに、ネーミングは、天孫降臨の折、瓊瓊杵尊を道案内した国津神「猿田彦命」にあやからせていただいてます。ただ、神様の名前をそのまま使うのは畏れ多いので「さるたびこ」の「び」を「ひ」に変えております。