神武東征神話をもとに「東征ルート」を辿り、書紀文献とあわせて検証してみた件
目次
どこまでもアツく奥ゆかしい日本建国神話である「神武東征神話」。でも、「それってホントにあったの?」「ウソでしょ!?」「実際どこよ?」的な興味と疑問にお答えするシリーズ。
なんと、嬉しいことに西日本を中心に「多分ココ的なところ」を集めたスポットがあるのです!
それが、顕彰碑とか伝承碑の皆さんm9( ゚Д゚) ドーン!
日本建国神話の舞台ですから、超パワースポットであります。その地その地が選ばれたのは理由があるからで、それらの謎とかを神話ロマンと合わせて探っていこうという、これまた激しく奥ゆかしい取組みが本シリーズであります!
今回は、和歌山「名草邑」。
ここは、神武こと「彦火火出見」が「名草戸畔」を討伐した場所。
「名草戸畔」とは、地方に跋扈していた女性の族長。東征軍に帰順しなかったので誅伐を加えたというお話です。
実際行ってみたのですが、なかなか見つからず、えらい目に遭いましたが、なんとか発見。
今回はその一部始終をご紹介します。
神武天皇聖蹟名草邑顕彰碑|発見ほぼ無理!どこから登って良いかわからない小山の上にひっそりと建っていた件
名草邑にまつわる神話的背景
冒頭でも触れましたが、この地は、神武こと「彦火火出見」が「名草戸畔なぐさとべ」を討伐した場所。
神武東征神話におけるこの地の詳細はこちらで!
経緯としては、東大阪の孔舎衛坂で敗戦し、紀伊半島をぐるっと迂回するルート上で遭遇した敵という訳で。
直前には長兄の「五瀬命」を亡くしたり、復讐を誓ったりと、感情的に大きく揺さぶられる出来事がありました。
そんな中で遭遇した地方の女族長、帰順しないので、サクッと誅伐。次へ進みます。誅伐したとしか書いてないので、位置づけが結構軽い感じですね。構ってられない感をビシビシ感じる「名草戸畔」であります。
聖蹟名草邑顕彰碑が建つ場所
そんな背景を持つ名草邑。実はとんでもないところにあります。
「神武天皇 聖蹟顕彰碑」のマニアックな詳細はコチラ↓でご確認いただくとして、
名草邑顕彰碑自体は、和歌山市の広原というところ、田畑が広がる田園風景の中、ひょっこりとある小山の上。
▲あちらが目指す小山。和歌山県消防学校の裏手です。
▲こちら、消防学校の裏手からの入口というか、細い道。あとで判明するのですが、こちらからの登りはほぼ無理なので、別の道を選びましょう。
▲こ、こんなところを・・・???
▲??? ほんとか? ほんとなのかー??? そして雨。。。ずぶぬれになりながら登るところを探します。。。
▲小山といいながら、、、森っぽい感じで。。。もう、方向も良く分からない感じに。。。
▲ああ、ちょっと開けてきた感じ???や、やっとか・・・
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
って、めちゃめちゃ荒れ放題。。。自分もずぶ濡れ・・・傷だらけ。。。
神武天皇戊午年六月皇軍ヲ率ヰテ名草邑ニ至ラセラレ名草戸畔ヲ誅シ給ヘリ聖蹟ハ此ノ地方ナリト推セラル
との事です。
なるほど。そうですか。。。
▲このあたりに女族長が。。。?? それにしてもずぶ濡れ。。。
と、いうことで参りましょう。
恒例の。。。
勝手に認定結果
委員会の皆様には大変恐縮ではございますが、
こちら、
と、させていただきます。いや、ほんと、ひどいよ、この顕彰碑までの道。向かわれる方は、心して向かわれたし。
まとめ
聖蹟名草邑顕彰碑
ここは、神武こと「彦火火出見」が「名草戸畔」を討伐した場所。
「名草戸畔」とは、地方に跋扈していた女性の族長。東征軍に帰順しなかったので誅伐を加えたというお話です。
実際行ってみたのですが、なかなか見つからず、、、、荒れ放題もいいとこで、雨の中、自分もずぶ濡れ、石碑もずぶ濡れということで、えらい目に遭いましたがなんとか発見できました。
行かれる方は、是非お気をつけて。ロープとか、手袋とかが必要です。
住所:和歌山県和歌山市広原
和歌山電鉄竃山駅下車 徒歩30分
駐車場無し
トイレ無し
神武東征神話におけるこの地の詳細はこちらで!
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