玉津嶋神社は、風光明媚な神のおわす処、美しい和歌の浦に鎮座する神社です。
住所は、和歌山県和歌山市和歌浦。古来より和歌の守護神として和歌上達の信仰を集めます。
と、まー、ワカワカしてます全体的に。立地的にも御利益的にも。
確かにこの辺り、和歌の浦はとても美しい景勝地として有名で、神社もこじんまりとして参拝したのが早朝だったこともあり、朝日に照らされてとても美しかったです。全体を包み込む「美」の空気。
今回はそんな和歌な感じの美しい神社をご紹介です。
玉津嶋神社|和歌三神の社!「和歌の守護神」として古来より和歌の上達御利益で篤い信仰を集めていた神社は朝日に照らされ美しく輝いていた件
目次
玉津嶋神社の位置
和歌の浦のすぐそば。
「和歌の浦」は和歌山市の南西部に位置する景勝地。国の名勝指定あり。
[map addr=”〒641-0025 和歌山県和歌山市和歌浦中3丁目4−26” zoom=”14″]和歌公園へ続く一帯が「和歌の浦」であります。
▲海側へ通じる151号線上から。ちょうど朝日が昇ってくる時間帯でした。左側に玉津嶋神社駐車場への入口があります。
▲こちら、駐車場。右側に車を停める一角が。左側が神社です。
玉津嶋神社の創建経緯
玉津島社の創立は、上古の時代(=大化の改新までの時代)。結構昔。
社伝には「玉津島の神は『上つ世』から鎮まり坐る」とあるそうで。
「玉津島」という言葉が初めて登場するのは奈良時代。
神亀元年(724)の聖武天皇の玉津島行幸から。『続日本記』では、この地の美しい景観を末長く守り御霊を祀るよう聖武天皇が詔勅を発したと記されてます。
で、この行幸に随行した歌人・山部赤人らの歌が『万葉集』に収められいて、「玉津島」は「和歌の浦」と共に万葉の歌枕として憧れの地になったという次第。
和歌関係はこの時から。
古代・中世の社殿については明らかではありませんが、江戸時代初め紀州を統治した浅野幸長により社殿が再建されたそうです。浅野さんは和歌の神様としての信仰を篤くよせられたとのこと。
ちなみに、現在の社殿は、1992年(平成4年)の修復によるものです。
玉津嶋神社の御祭神
- 稚日女尊
- 息長足姫尊
- 衣通姫尊
- 明光浦霊
※稚日女尊は、伊奘諾・伊奘冉尊の子であり、天照大御神の「妹神」。
※息長足姫尊は「神功皇后」。皇后が海外出兵した際、玉津島の神(稚日女尊)が非常な霊威をあらわしたことで皇后は篤く崇拝されたとか。後に皇后自身も合祀。
※衣通姫尊は第19代允恭天皇の后で、和歌の道に秀でた絶世の美女。。。第58代光孝天皇の夢枕に衣通姫が現れて和歌の浦の歌を詠まれたことがきっかけで合祀。以来、衣通姫尊は「和歌三神」の一神として広く崇められてきました。
※明光浦霊は聖武天皇により合祀。聖武天皇が背後の奠供山に登られ、海の眺望に感動し「明光浦」と名付けられたそうです。そして玉津島社に「明光浦霊」を祀り、この美しい景色が荒れることのないよう末永く守れと命じたところから。
と、
こんな感じで、御祭神の経緯をざざっと見ると、古くから神様がおわす地として崇められてきた背景と美しい景観から、歌に詠まれ篤い信仰を集めてきたことが分かります。
特に、和歌の神・衣通姫尊が祀られたことが重要。これを機に、都から玉津島詣が行われ、天皇御宸筆和歌などの奉納がなされてきた訳です。
▲ちょうど4月末は桜の季節でした。とっても美しく咲いてました。
▲山部赤人の万葉歌碑。
▲金高稲荷社
▲和歌山市指定文化財。仁井田好古撰文碑。
▲天然記念物!!!!!根上り松(鶴松) この根っこ、スゴイです!
そして、背後の奠供山への道がコチラ!本殿を正面に右奥にあります。
▲この先が奠供山に登る入口です。
詳しくはこちらで!
と、玉津嶋神社、こじんまりとした社殿ながら、その中身というか、御祭神の背景にはとても奥ゆかしい歴史があって、美しい和歌の浦とリンクしてとても素敵な感じでした。
まとめ
玉津嶋神社
風光明媚な神のおわす処、美しい和歌の浦に鎮座する神社です。
住所は、和歌山県和歌山市和歌浦。古来より和歌の守護神として和歌上達の信仰を集めます。
御祭神の合祀経緯を踏まえると、確かに、ワカワカしてる理由もうなずけます。奥ゆかしさと合わせて。
神社もこじんまりとして参拝したのが早朝だったこともあり、朝日に照らされてとても美しかったです。全体を包み込む「美」の空気を是非感じていただければと思います。
[map addr=”〒641-0025 和歌山県和歌山市和歌浦中3丁目4−26”]〒641-0025 和歌山県和歌山市和歌浦中3丁目4−26
駐車場あり
トイレあり
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