「日御碕神社」は、島根県出雲市大社町日御碕にある神社。
島根半島の西端に位置し、美しい夕日で有名な日御碕にあります。
上の宮「神の宮」と下の宮「日沈宮」の上下二社を総称して「日御碕神社」。桃山時代の面影を残す精巧な権現造りと朱色がとても美しい社殿です。
今回は、島根半島の西の端で、日没からの時間を守る霊験あらたかな神社をご紹介です。
日御碕神社|日の本の夜を守る神社!素盞鳴の奇魂と天照の和魂の御霊威により国家安泰・厄除け・縁結びなど幅広く霊験あらたかな件
日御碕神社への道
出雲大社、稲佐の浜から延びる「県道29号線」で、海岸沿いのぐねぐね道を行きます。
▲早朝の県道29号線。左は日本海、右は山。15分ほど走ると交差点と標識があります。
途中、筆投島などのちょっとした景勝地もあり。
筆投島
平安時代の画伯・巨勢金岡が、この島を描こうとしたものの、朝夕に色彩が変わる絶妙な風景をついに写すことができず筆を投げてしまったという言い伝えから。
巨勢金岡は、平安時代前期の宮廷画家。日本画における独自の様式を追求、深化させ、唐絵の影響を脱した大和絵の様式を確立させた功労者とされるお方です。
こ、こんなところに来て筆を投げてたんですね。流石でございます。
▲日御碕神社の入口。奥に駐車場がありますので、お車の場合は、そのまま左の道をまっすぐ進みましょう。
日御碕神社の境内
▲境内はさっぱりとした雰囲気で。その中で、朱色の社殿がコントラストになって印象的であります。
▲「和布刈神事」の屏風図。この地に生息する「ウミネコ」が、口にくわえた若芽を神社の欄干に落としたという故事にちなむ神事。毎年、旧暦1月5日に近くの権現島に鎮座する熊野神社で行なわれます。
尚、この地の特産品「日御碕ワカメ」は、この神事が終わってから刈り取るしきたりになってます。
創建経緯
冒頭でお伝えした通り、日御碕神社は、上の宮「神の宮」と下の宮「日沈宮」の上下二社の総称。
まず、上の宮「神の宮」について。年代的にはコチラが先です。
社伝曰はく、
出雲の国造りを終えた素盞嗚尊が、「吾の神魂はこの柏葉の止る所に住まん」と言って柏の葉を投げた。すると柏の葉は風に舞い、現在の神社背後の「隠ヶ丘」に止まった。これをうけ、素戔嗚尊の子とされる「天葺根命」が、この地を「素盞嗚尊の神魂の鎮まる地」としてお祭りした。ことが始まり。
その後、安寧天皇13年、勅命により現在地に遷座されとのこと。安寧天皇は第三代天皇であり、諸説ありますが、紀元前のお話。
ちなみに、素盞嗚尊をお祭りした「天葺根命」は『日本書紀』に登場。素盞嗚尊の5世孫とされてますが、社伝的には「子」としての位置づけ。なんと、現在の日御碕神社の宮司である「小野さん」の祖先であります。今は第98代目にあたるとか、、、
それって素戔嗚尊の子孫でもあるってこと??? スゴすぎる。。。
尚、日御碕神社の神紋である「三ツ柏」の由来はこのお話によるものだったりします。
次に、下の宮「日沈の宮」について。
社伝曰はく、
神代、「天葺根命」が、天照大御神より「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮りて天下の人民を恵まん。汝速やかに吾を祀れ」との御神託を受けたそうで、現在の経島に祀ったのが最初。
経島の上にあった松が突然光輝き、光とともに天照大御神が現れたとか、、、
この時点で、恐らく、2社体制で、現在の地に素盞嗚尊を祭る「神の宮」、そして経島に天照大御神を祭る「宮」があった形ですね。
そして、天平7年(735年)の勅により「伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん」と位置づけられ、その後、天暦 2 年(948年)村上天皇の命により現在の場所に遷されました。ただ、この天平7年の「勅」文献根拠は不明。
で、時代は下って、
徳川三代将軍「家光公」の時代、 現在の社殿である「神の宮」「日沈宮」が家光自らの命でつくられました。
幕府直轄工事として着工。7年かけて寛永21年(1644年)完成。以後、約400年ほどの歴史を持つ社殿であります。これはこれで、桃山時代の面影を残す精巧な権現造り。
昭和28年(1953年)には、社殿のすべてと境内の石造建築物も含め、国指定重要文化財となっております。
▲桜門。桃山時代の面影を残す精巧な権現造りであります。
日沈宮(下の宮)
ご祭神:天照大御神
ご利益 特に厄除け ほかに縁結び、夫婦円満、家運繁栄、交通安全、海上安全、殖産興業、安産など
「日沈宮」の名前の由来は、創建経緯によります。伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、コチラは「日の本の夜を守れ」 との勅命を受けた神社ということから。
日御碕自体が西向きなので、美しい夕日が眺められるわけで、そんな場所に立つ「日沈宮」はネーミングもバッチリですね。
シンプルな造りでとても清々しい風です。
神の宮(上の宮)
ご祭神:素盞嗚尊
ご利益 特に厄除け ほかに縁結び、夫婦円満、家運繁栄、交通安全、海上安全、殖産興業、安産など
上の宮の内部も、下の宮どうよう、とてもシンプルで清々しい風。
実は、コチラの方が下の宮より立地的に上にあります。
下の宮には素盞嗚のお姉さんである天照大御神が。立地的には逆転してる感じで。このあたりも、出雲と大和の相克が関連しているのでしょうか。
その他。
荒魂神社
摂社1社、末社18社
稲荷社
稲荷社からの眺め
御神砂の碑
古来から地鎮祭の鎮めものとして使われていた「砂」。
昭和40年、東京都狛江に住んでいた「堀田さん」という方が、地鎮祭用に神社の「砂」を戴いたそうです。その後、交通事故にあった重傷の方々に「砂」をつけたところ一命を取りとめ、医師もびっくりの短期間で全快したとのこと。。。
その後も、不思議な体験をする人が多く出現したため、なんと昭和49年に「御神砂の碑」が立てられた経緯。す、スゴすぎる。。。ちなみに、「砂のお守り」は社務所でゲットできます。
昭和天皇御歌記念碑
昭和57年に昭和天皇が国体ご出席にあわせ御親拝された時に詠まれた歌の碑です。
おまけ
木製のだるまの中におみくじが入ってます。
経島
旧社地。島の上に鳥居が見えます。経島の上にあった松が突然光輝き、光とともに天照大御神が現れたのが、かの地であります。
ちなみに、「経島」自体は面積約3000㎡の無人島。「ウミネコの繁殖地」として、国の天然記念物「経島ウミネコ繁殖地」に指定。毎年11月から冬にかけて数千羽のウミネコが飛来し、4月から5月にかけて産卵・孵化、7月頃に島を離れるとのこと。
まとめ
日御碕神社
島根県出雲市大社町日御碕にある神社。島根半島の西端に位置し、美しい夕日で有名な日御碕にあります。
神社は上の宮「神の宮」と下の宮「日沈宮」の上下二社からなり、両本社を総称して「日御碕神社」。桃山時代の面影を残す精巧な権現造りと朱色がとても印象的な美しい社殿です。
島根半島の西の端で、日没からの時間を守る霊験あらたかな神社、出雲大社ご参拝の際は是非足を延ばしてみてください。
近くの日御碕灯台もおススメです!
住所 | 島根県出雲市大社町日御碕455 |
アクセス | JR出雲市駅から約50分、出雲大社から約20分。車は、山陰道「宍道IC」から40km。約50分ほど。 |
駐車場 | 約20台ほど。神社の横にあります。 |
コチラで☟島根の神社をまとめております!
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
日本神話編纂の現場!奈良にカマン!
コメントを残す