「猪目洞窟」は、出雲市猪目町にある洞窟。
ココ、「黄泉の穴」として伝えられ、「夢で猪目洞窟を見た者は必ず死ぬ」といわれている、めちゃんこ恐ろしいスポット((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
そんな「ちょ…マジ?」な場所、わざわざ行かなくてもいいだろう、という話はありますが、日本神話関連スポットのため当サイトとしては突撃せねばならぬのですm9( ゚Д゚) ドーン!
今回は、そんな「死」に関連するミステリアスな洞窟「猪目洞窟」をご紹介します。
猪目洞窟|夢で猪目洞窟を見た者は必ず死ぬ!?出雲国風土記に「黄泉の穴」と伝える洞窟は確かに闇に吸い込まれそうな恐怖を感じるミステリースポットだった
目次
猪目洞窟への道
「猪目洞窟」へは、出雲大社から車で20分ほど。山を越えて日本海側に出る感じです。
出雲大社本殿と神楽殿の間に道があります。この道の先、ぐねぐねの山道を越えていきます。右手が八雲山。
しばらく進むと、山道。
どこまでも続くグネグネ道。かろうじて車のすれ違いができる感じの細道であります。
途中二つに分かれるところがあるので、こちらを右へ。
ここから下り坂になり、しばらく進むと出雲市の猪目町に入っていきます。
猪目町自体は、人口100人にも満たない小さな町。十六島湾の海に面していて、入り江に「猪目海水浴場」があります。
海に出たら左手へ。
猪目洞窟は県道23号線沿いにあり、標識が立っております。
▲左手は、絶壁。右手は海。「猪目洞窟」の標識あり! 手前に洞窟へ降りていく小道があります。
県道から「猪目洞窟」を見下ろすとこんな感じ。
小道を降りていきましょう。
船着場の一部になっていて、船とか網とかゴミとかいろんなモノが、、、写真左手が「猪目洞窟」です。
猪目洞窟
『出雲国風土記』に伝えられております。
宇賀郷 の条
訳:「磯から西方に窟戸(洞窟)あり。高さ・広さはそれぞれ六尺ほど。窟の中に穴あり。人は入ることができない。奥行きの深さは不明。夢でこの磯の窟のあたりに行くと、必ず死ぬ。ゆえに土地の人は古くから今に至るまで、黄泉の坂・黄泉の穴と名付けている。」
原文「自礒、西方有窟戸。高・廣各六尺許。窟内在穴。人不得入。不知深浅也。夢至此礒之邊者必死。故俗人、自古至今、號黄泉之坂・黄泉之穴也。」
出雲郡条:【二】 出雲郡の郷より
ここから、「夢で猪目洞窟を見た者は必ず死ぬ」と、なぜならココは「黄泉の穴」だから、ということで、。。
『出雲国風土記』は、出雲国の風土記。
風土記とは、奈良時代、地方の国ごとに文化風土や地勢等を記録し、天皇に献上させた「報告書」。その出雲国バージョンです。
和銅6年(713年)元明天皇が編纂が命じ、天平5年(733年)に編纂完成、聖武天皇に奏上されたといわれております。
ちなみに、『古事記』編纂が和銅5年(712年)、『日本書紀』が養老4年(720年)とされてます。なので、編纂でたどると、『古事記』(712年)→『日本書紀』‘(720年)→『出雲国風土記』(733年)という流れ。
何が言いたいかというと、
先ほど語訳と原文でご紹介した『出雲国風土記』に「黄泉の坂」という言葉がでていて、これは『古事記』や『日本書紀』にも登場する「黄泉津平坂」と同じとみていいってこと。
例えば、
『日本書紀』神代紀の(第五段・一書第六)では、有名な、「黄泉の国へ行ってきた神話」が登場。死んだ伊奘冉尊を追って、伊奘諾尊が黄泉の国へ行く神話。
ざっくり言うと、
- 死んだ伊奘冉尊(♀)は、やってきた伊奘諾尊(♂)に「私の姿を見ないで」と言いますが、伊奘諾は見てしまう。
- すると伊奘冉の体は膿でただれ蛆がわいていた。なんてこった。ビックリした伊奘諾は逃げ帰ろうとする。
- ところが、見られたことに怒った?伊奘冉は手下を繰り出し伊奘諾を追いかける。
- そして、黄泉平坂という「この世界と黄泉(死)の世界の境界の地」で、伊奘諾は岩で境界を封じ、今生の別れを言い渡す。
- すると伊奘冉は岩の向こう側から「お前の世界の民を日に千人殺してやる」と呪いをかけた。それに対して伊奘諾は「それなら、こちらは日に千五百人生もう」と言い渡す。てか言い返す。
といった神話。
島根では「出雲には出雲神話がある」「日本神話ではなく(あくまで)出雲神話」といった雰囲気を感じます。
それは、荒神谷遺跡等に代表されるように、この地域には大和に匹敵する強大な勢力・文化圏があったと言われてる事もあるかと。此の地にはこの地の神話や信仰があったはずで。
それを、大和政権の神話=日本神話の中に、いかに取り込んでいくか非常に大きな課題であったはず。
ま、そのなかで、『出雲国風土記』の中で地元の人が「黄泉の坂」と呼んでいる、という記述は、「死の世界」=「黄泉(国)」、「死の世界へ至る道」=「黄泉の坂」といった「共通の概念や言葉」をもっていたと言える訳ですね。大和と出雲の別はあれど、死に関する概念や言葉は同じ、的な。
古代人が「死」について、「猪目洞窟」のような洞穴や、地下、地底といった場所、そしてそこに広がる闇といったイメージを共有していたというのは非常に興味深くおもしろいなと思います。
そんな背景をもとに、さっそく恐るべき「猪目洞窟」の中をご紹介です。
▲小さな祠があって、その奥が斜めに穴があいて中へ続きます。「猪目洞窟」は幅30m、奥行きは30mで、奥へ行くにつれ天井が低くなって、、、
ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ ブルブル!
ちょ、マジ???この暗闇。マジで怖いんですけど。。。
自分、無理っす。この先は、ご自身でどうぞ。涙。
▲「猪目洞窟」の中から外を見たpic。日の光をこれほどありがたいと思ったことは無い、、、なんて。
あー、助かった。。。ε=( ̄。 ̄;)フゥ
この洞窟遺跡は、1948(昭和23)年に、漁船の船置場として利用するため入口の堆積土を取り除いた時に発見されたものです。
凝灰岩の絶壁にできたこの洞窟は、東に向かって開口しており、幅約30m、奥行き30mあります。
この遺跡は、縄文時代中期の土器片も少量採集されていますが、弥生時代以降、古墳時代後期まで(2,300~1,400年前)の埋葬と生活の遺跡といえます。
埋葬の遺跡としては、人骨が13体以上見つかっており、特に注目されるものとしては、南海産のゴホウラ製貝輪をはめた弥生時代の人骨や、舟材を使った木棺墓に葬られた古墳時代の人骨、稲籾入りの須恵器を副葬した人骨などがあります。
生活の遺跡としては、各種木製品、土器、骨角器などの道具や、食料の残滓と思われる貝類、獣骨、鳥骨、木の実など、また多量の灰などがあります。発見当時、大社考古学会により調査が行われた関係から、出土品は現在、大社町の史跡猪目洞窟遺物包含層出土品収蔵庫で保管されています。
2008(平成20)年3月 出雲市・出雲市教育委員会
とのことで、さっき入った穴には人骨もあったんかい!!!
一応、
国指定史跡 1957(昭和32)年7月27日指定「猪目洞窟遺物包含層」、県指定文化財 1974(昭和49)年12月27日指定「猪目洞窟遺跡出土遺物」として登録されております。
どんなに指定されようと、個人的にはもう二度と中には入りたくない。。。(((( ゚д゚))))ガクブル
「猪目洞窟」周辺の様子
船着き場、、、 上を通る道路が県道23号線です。
▲朝日の様子。美しい。。。 って、足元には変なムシがうぞうぞ動いていて気持ちわるーー!!
上を見上げてみる。
恵比須神社
▲県道に戻り、洞窟の反対側に入口があります。こじんまりとした神社が建っておりました。
猪目海水浴場
▲美しい風景です。キャンプをされてる方が何組かいらっしゃいました。静かな波で子供連れにはもってこいのスポットであります。
まとめ
猪目洞窟
「猪目洞窟」は出雲市猪目町にある洞窟で、「黄泉の穴」として伝えられ、「夢で猪目洞窟を見た者は必ず死ぬ」といわれている恐ろしいスポット。実際怖かった。。。
「死」に関連するミステリアスな「猪目洞窟」。神話好きが高じた方、そういう系が好きな方、是非チェックしていただければと思います。
あと、大社町の「史跡猪目洞窟遺物包含層出土品収蔵庫」も要チェック。コチラには猪目洞窟から発掘された遺物が保管されており、なんと1700年前とされる女性の全身白骨も保存されております。キャー!
住所:島根県出雲市猪目町1338
出雲大社から車で約20分ほど。
一畑バス【鵜鷺線】「出雲大社連絡所」~「猪目本町」下車(約25分)、徒歩5分ほど。
駐車場無し
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