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神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ
シリーズでお伝えしている神武東征神話。今回は2回目。
日本神話.comでは、天地開闢から橿原即位までを「日本神話」として定義。東征神話は、その中で最大のクライマックスを彩るアツく奥ゆかしい建国神話であります。
言うと、
これを知らずして、日本も神話も語れない!m9( ゚Д゚) ドーン!
ということで、2回目。今回は東征発議し旅立つまでの神話をお届けします。
東征発議と旅立ち|東征の動機とか意義とか建国の決意とかをアツく語った件
東征発議を読むにあたって
東征するにあたって、「彦火火出見=神武」は、兄達や子供、臣下を集め「発議」を行います。
いきなり出発しちゃうのではなく、しっかり企画提案・動機づけを行なう訳ですね。
自身の生い立ちとこれまでの経緯をふまえて
東征の意義と建国の決意をアツく語ります。
コチラ、実は「日本最古の演説」ながら、素晴らしい仕上がりになっております。現在のビジネスでも十分活用できる内容であり、非常に参考になると思います。
- 彦火火出見はどのようにして東征の意義を語ったのか?どのように動機づけを行ったのか?
ここから東征発議の意味を考えていきます。
今回も『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお伝え。
ちなみに、前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。
東征発議と旅立ち
「彦火火出見」が四十五歳になったとき、兄達や子供等に建国の決意を語った。
昔、我が天神の「高皇産霊尊」・「大日孁尊」は、この「豊葦原瑞穂の国」のすべてを我が天祖である「彦火瓊瓊杵尊」に授けた。
そこで我が天祖は、天の関をひらき、雲の路をおしわけ、日臣命らの先ばらいを駆りたてながらこの国へ来たり至った。
これは、遙か大昔のことであり、世界のはじめであって暗闇の状態であった。それゆえ諸事に暗く分からない事も多かったので、物事の道理を養い、西のはずれの地を治めることとした。
我が先祖と父は「霊妙な神」であって「物事の道理に精通した聖」であった。彼らは素晴らしい「政」により慶事を重ね、その徳を輝かせてきた。そして多くの歳月が経過した。
天祖が天から降ってからこのかた今日まで、179万2470有余年が過ぎたが、遠く遥かな地は、いまだ王の徳のもたらす恵みとその恩恵をうけていない。その結果、国には「君」が有り、村には「長」がいて、各自が支配地を分け、互いにしのぎを削って争う始末だ。
さて、一方で「塩土老翁」 からはこんな話を聞いた。『東に、美しい土地があって、青く美しい山が四方を囲んでいる。そこに「天磐船」に乗って天から飛び降った者がいる。』と。
私が思うに、かの地は豊葦原瑞穂の国の平定と統治の偉業を大きく広げ、王の徳を天下のすみずみまで届けるのにふさわしい場所に違いない。きっとそこが「世界の中心」[1]だろう。その天から飛び降った者は、「饒速日」[2]ではないだろうか。私はそこへ行き都としたい。
諸々の皇子は、
なるほど、建国の道理は明白です。我らも常々同じ想いを持っていました。さっそく実行すべきです。
と賛同した。この年は、太歳・甲寅[3]であった。
その年の冬、10月5日[4]に「彦火火出見」は、自ら諸皇子や水軍を率いて、東征へと出発した。
注釈
[1]原文「六合之中心」。「六合」とは、天地(上下)と四方(東西南北)をいいます。「世界の中心」の地で、ここに都を置く事を想定しています。
[2]神武天皇の東征に先だって大和に天降った神様。大和の地を支配する「長髄彦」の妹を娶り、子供をもうけていたことが東征神話の後半になって判明します。最終的には、「長髄彦」を見限り「彦火火出見」に帰順することになります。ちなみに、「長髄彦」は最強の敵として神武東征軍の前に立ちはだかり、大和の初戦である「孔舎衛坂の戦い」で東征軍を敗戦へ追い込みます。
[3] 「太歳」とは、木星の別称で、年を太歳干支で記したもの。年紀干支の初出。「甲寅 」とは、「甲」が干支の最初に、「寅」が十二支の最初に於かれている事をいいます。
[4]原文「丁巳(ひのとみ)が朔(ついたち)にあたる辛酉(かのととり)」
※写真は、橿原神宮で公開中の「神武天皇御東征絵巻」より。
原文
及年卌五歲、謂諸兄及子等曰
「昔我天神、高皇産靈尊・大日孁尊、舉此豐葦原瑞穗國而授我天祖彥火瓊々杵尊。於是火瓊々杵尊、闢天關披雲路、驅仙蹕以戻止。是時、運屬鴻荒、時鍾草昧、故蒙以養正、治此西偏。皇祖皇考、乃神乃聖、積慶重暉、多歷年所。自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。而遼邈之地、猶未霑於王澤、遂使邑有君・村有長・各自分疆用相凌躒。抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、靑山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」
諸皇子對曰「理實灼然、我亦恆以爲念。宜早行之。」是年也、太歲甲寅。
其年冬十月丁巳朔辛酉、天皇親帥諸皇子舟師東征。
『日本書紀』巻三 神武紀より
まとめ
東征発議と旅立ち
リーダーとして、兄達や子供ら、そして臣下たちに東征の意義と建国の決意を語るシーンは、東征神話の中でも非常に重要な位置づけです。
ポイントを整理すると以下の通り。
経緯 |
・遥か昔、神武の祖先である天神の「高皇産霊尊」・「大日孁尊」が、「豊葦原瑞穂の国」を神武の「天祖」である「彦火瓊瓊杵尊」に授けた。 ・神武の「天祖=彦火瓊瓊杵尊」は天孫降臨し、この国へ至り、西のはずれの地を治めることとした。 ・神武の先祖と父は素晴らしい「政」により慶事を重ね、その徳を輝かせてきた。そして、天孫降臨から今日まで、179万2470有余年が過ぎた。 |
現状認識 |
・遠く遥かな地は、いまだ王の徳のもたらす恵みとその恩恵をうけていない。その結果、争いが耐えない。→なんとかしなければならない。 |
目的 |
・「世界の中心」へ行き「都」としたい。 ・国の平定と統治の偉業を大きく広げ、王の徳を天下のすみずみまで届けたい(=人々が安心して豊かに暮らせる国をつくりたい)。 |
目標 (ゴール設定②) |
「世界の中心」=中州 |
と、
ま、後付け整理になるかもしれませんが、それでも、自らの出自とあわせて、これまでの経緯、現状認識、建国によるメリット(王の徳による民が受ける恩恵)を分かりやすく語っていますよね。
当時の理想的指導者が
「事を成す」必要性、必然性、適時性を丁寧に説明し、
問題を明確にして一丸となって事にあたる。
「日本最古の演説」ながら、そのレベルの高さにビックリです。1つの演説として、動機づけの方法としても非常に参考になると思います。
あと、
見逃せないのは、時間表現が初めて登場すること。本件、本シリーズ第一回目で触れました。
ココでは、
- 「彦火火出見」が四十五歳になったとき、兄達や子供等に建国の決意を語った。
- 天祖が天から降ってからこのかた今日まで、179万2470有余年が過ぎた。
- この年は、太歳・甲寅であった。
という伝承がみられます。
これら時間表現は、神代のあとを引き継ぐ神武紀の重要な特徴の一つ。
神代には時間概念がありません。
神代から神武紀へ、
「継起性で展開する世界」から「時間の世界」へ。
神武紀の最後は、橿原即位であり、以降、人の時代が続く展開になっています。
その意味で、神から人へ、時間概念の導入を通じてブリッジをかける役割を果たしていると言えます。この点はしっかり押さえておきましょう。
時間設定の詳細はコチラも参考にされてください。
以上、まとめると、
- 東征の発議にあたっては、自らの出自とあわせて、これまでの経緯、現状認識、建国によるメリット(王の徳による民が受ける恩恵)を分かりやすく語っています。
- 東征発議部分から時間表現が登場。これは、神武紀が、神代から人代へブリッジをかける役割を果たしていると言えます。
ということで、是非チェックされてください。
いやー、神武東征神話、深すぎです。どこまでも広がる神話ロマン。サイコーだ!
つづきはコチラ!
目次はコチラ!
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本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他
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