皇子原神社は、宮崎県西諸県郡高原町にある神社。
ココ、実は、神武天皇誕生の地として日本神話ファンとしては鉄板のビジットスポット。
神社の後ろには「産婆石」があり、この付近で生まれたと。母の玉依姫命が神武天皇を出産した産屋の跡でもあり、、、もうコレだけでロマンがどこまでも広がります。
今回は、神武天皇誕生の地、皇子原神社の全貌を日本神話とあわせて現地レポします。
皇子原神社|神武天皇誕生の地!日本建国への道はココから始まった•••そんな神話ロマンに浸りまくって至福の時を過ごせる超絶スポット!
目次
皇子原神社に関連する日本神話
まずは、当サイトならでは。皇子原神社に関連する日本神話をご紹介。
皇子原神社は、神武天皇誕生の地とされてるのですが、実は、『日本書紀』や『古事記』にはそのことを伝える記述はありません。
参考として正史『日本書紀』から2つご紹介。
1つ目は、「狭野」と言う言葉が登場する『日本書紀』第十一段から。
まず彦五瀬命を生んだ。次に稲飯命。次に三毛入野命。次に狭野尊。または神日本磐余彦尊と言う。狭野というのは、年少の時の名である。後に天下を平定して八洲を治めた。そのため、名を加えて神日本磐余彦尊と言う。 (『日本書紀』第十一段〔一書1〕より一部抜粋)
ということで、
「次に狭野尊。狭野というのは、年少の時の名である。」とあり、幼少期は「狭野尊」と呼ばれていたことを伝えてます。なお、「狭野尊」はこの地の名である「狭野」からきているとされてます。
次に、
日本の建国神話である神武東征神話を伝える『日本書紀』巻三(神武紀)から冒頭の箇所をご紹介。
神日本磐余彦天皇は「彦火火出見」を諱とし、彦波激武鸕鷀草葺不合尊の4番目の子である。母は玉依姫で、海神の娘である。
彦火火出見は生まれついて聡明で、何事にも屈しない強い心を持っていた。十五歳で皇太子となり、さらに長じて、日向国の吾田邑の吾平津媛を娶って妃とし、手研耳命を生んだ (『日本書紀』巻三 神武紀より一部抜粋)
ということで、
「「彦火火出見」を諱とし」とあり、「諱」とは生前の名前で、崩御後はその名を忌むため使われます。つまり、神武天皇は生前は「彦火火出見」という名前だったとしてる訳です。
いずれにしても、『日本書紀』では、神武天皇がどこで生まれたとか細かいところは伝えてないんです。コレ、『古事記』も同様で。なので、神武天皇の誕生については、それこそ神話ロマンの一つとしてチェック。
皇子原神社の場所
皇子原神社は、宮崎県西諸県郡高原町にあります。
高原町は「神武の里」として、町をあげて神武推しを展開中。神話的にアツい町。個人的に激しく応援しております。
住所は、宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田3-251
奥霧島皇子原公園キャンプ場の敷地内。なんで、参拝がてらキャンプもできちゃったりしますぞ!
▲皇子原神社の駐車場は、皇子原公園駐車場です。無料で停められるので利用されてください。
▲皇子原公園駐車場からすぐの所に、皇子原神社の入口があります。ここから先に、神武天皇が誕生した聖地が、、、ドキドキが止まりません!
皇子原神社の創建経緯
第5代の孝昭天皇代(前475-前393)に、神武天皇誕生の霊跡として創建されました。
本来ここに社殿がありましたが、ココ、霧島連峰の麓にあるため、何度も火山噴火の災禍に見舞われてきた歴史あり。
第50代桓武天皇代、延暦7年(788年)高千穂霧島嶽が噴火。その後も何度も災禍に遭った記録あり。さらに、文暦元年(1234年)にも噴火発生、降ってきた熱石により社殿が焼失、、、
そんなこんなで、慶長15年(1610)に社殿を造営・還座し狭野神社とし、一方、皇子原神社は、狭野神社の元宮とされました。現在も、皇子原神社は、狭野神社の元宮&境外末社として位置付けられてます。
皇子原神社の境内
▲ 皇子原神社の最初の鳥居をくぐると、ゴツゴツした石の階段が続きます。スゴイ、、、神秘的!
▲ って、、、結構な石段で、、、ゼーハーゼーハー、、、
▲ 皇子原神社の2つ目の鳥居ビュー。奥に本殿というか祠というか、、とても静謐な空気が漂ってます。
皇子原神社の御祭神
御祭神:神武天皇(幼名:狭野尊)
正史『日本書紀』巻3では、「神日本磐余彦天皇は「彦火火出見」を諱とし、彦波激武鸕鷀草葺不合尊の4番目の子である。母は玉依姫で、海神の娘である。」と伝えてます。
- 父:彦波激武鸕鷀草葺不合尊
- 母:玉依姫
4番目の末っ子として誕生したってことですね。幼名として伝える「狭野尊」は、同じく『日本書紀』巻2の最後、第11段で伝えてる名前、いや神名です。
御祭神:神武天皇の詳しい人柄とか神格とかはコチラで!
▲ 皇子原神社の本殿の裏手にある「産婆石」!!!この辺りで誕生されたと伝えられてます。
まさに、、超絶聖地!!!
感動に胸の震えが止まりませぬ、、ちなみに、、ココ、母の玉依姫命が神武天皇を出産した産屋跡ともされてます。
さて、ココからです。
神話ロマンの時間。
周辺を散策しながら、幼き神武が、3人のお兄ちゃん達と遊び、学び、武芸に励む、そんな兄弟たちの様子を、父神である彦波激武鸕鷀草葺不合尊と母神である玉依姫が優しく見守ってる、、、、嗚呼、、コレ、神話ロマン。。
って、、
▲ん??? 社殿の後ろ、、、家が建ってる!そして人がいる??? コレって、、、、
▲コ、コレは、、、まさかの、、神武天皇の生家を模した皇子原の様子!??
とりあえず家の中に入ってみた。。
▲おおおおおおっ!ココで、幼き神武天皇が煮炊きをしていたと!???
▲こ、、コレが多分幼き神武天皇。。。具体的にしていただいて、、、ありがたいやらなんやら、、、
てか、
少なくとも神武天皇は4人兄弟だから!!!なんで2体しかないのだ!???他どこいった??
ロマンてのは、見えないものを見ようとする創造性の中で羽ばたくものであって、、、
って、ま、、、いいか。。
そのほかの見どころとしては、コチラ!
▲ 皇子原神社のすぐそばには、宮崎県指定史跡「高原町古墳」!!皇子原公園内に6基あり。
▲春は桜、秋は紅葉とヒガンバナがとてもキレイな場所。皇子原神社参拝と合わせて是非チェックされてください。
まとめ
皇子原神社
宮崎県西諸県郡高原町にある神社。
神社の後ろには「産婆石」があり、この付近で生まれたと。母の玉依姫命が神武天皇を出産した産屋の跡でもあり、、、もうコレだけでロマンがどこまでも広がります。
神武天皇誕生の地として日本神話ファンとしては鉄板のビジットスポット。
是非チェックされてください。コレ、間違いなく、ロマンです!
住所 | 宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田3-251 |
駐車場 | あり。皇子原公園駐車場を利用されてください。 |
トイレ | あり。同じく、皇子原公園駐車場のところに休憩所があります。その中に。 |
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