道臣命(日臣命)とは?天忍日命の子孫で大伴氏の祖!神武東征神話で武官として活躍した道臣命を分かりやすくまとめ!

 

道臣命みちのおみのみこと日臣命ひのおみのみこと)とはどんな人物だったのか?

正史『日本書紀にほんしょき』をもとに、最新の文献学的学術成果も取り入れながら、道臣命みちのおみのみこと日臣命ひのおみのみこと)の人物像をディープに解説します。

 

本記事の独自性

  • 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
  • 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
  • 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです

 

道臣命(日臣命)とは?天忍日命の子孫で大伴氏の祖!神武東征神話で武官として活躍した道臣命を分かりやすくまとめ!

道臣命(日臣命)とは?

まずは、道臣命みちのおみのみこと日臣命ひのおみのみこと)とは?という、根本のところをサラッと解説。

道臣命みちのおみのみこととは、日本の建国神話「神武東征神話じんむとうせいしんわ」で、東征とうせいの軍隊である久米部くめべを率いて活躍した武将。

天忍日命あまのおしひのみことの子孫として、もともとは「日臣命ひのおみのみこと」という名前でしたが、神武じんむ天皇東征とうせいに同行し、武将として数々の功績をあげる。なかでも、八咫烏やたがらすの先導により久米部くめべを率いて菟田うだ(宇陀)への道を拓いたことで、神武じんむ天皇から「道臣命みちのおみのみこと」という名前を賜ります。

また、神武じんむ天皇即位そくいの翌年、東征とうせい論功行賞ろんこうこうしょうとして築坂邑つきさかのむら(現在の橿原市かしはらし鳥屋町とりやちょう辺り)に宅地を賜る。天皇のすぐそばに住み、宮都の警護にもあたったことで、その後、道臣命みちのおみのみことの子孫である大伴おおとも氏は朝廷の軍事を管掌するようになります。

その他、概要をまとめると以下の通り。

誕生年 不明
不明(説には、刺田比古神とも)
不明
元の名 日臣命
出身 日向?(天忍日命からずっと天孫に随行?)
主な活躍 ・八咫烏の導きによる熊野越え
・兄猾誅殺
・丹生川上儀式での顕斎で斎主を務める
忍坂邑おさかむら掃討作戦
住んだ場所 築坂邑
没年 不明
子孫 大伴氏

 

道臣命(日臣命)の活躍を伝える神武東征神話

続けて、道臣命みちのおみのみことが何に、どこに登場するのか?基本的なところをチェック。

道臣命みちのおみのみことの活躍を伝えるのは、『日本書紀にほんしょき』と『古事記こじき』。いずれも冒頭部分で日本神話にほんしんわを伝える日本最古の書物、歴史書です。神の時代からそのまま建国神話に流れ込むので、いろいろ神イベントが発生。

今回のエントリでは、日本の正史である『日本書紀にほんしょき』をもとにお届け。理由は、正史であること、多くの事蹟伝承じせきでんしょうが『日本書紀にほんしょき』をもとにしてること、『古事記こじき』はかなり端折られていて、しかも最後は歌を歌って終わり、、的な感じでどうなのよ?状態だからです。

日本書紀にほんしょき』、具体的には日本書紀にほんしょき』巻三をもとに道臣命みちのおみのみことを深堀りすることで、道臣命みちのおみのみことの全貌が見えてくることは間違いない!安心して読み進めてください。

ということで、道臣命みちのおみのみこととはどんな人物だったのか?以下6つのポイントをまとめます。

  1. モノスゴイ血筋と天孫降臨てんそんこうりんの再現
  2. 忠実で勇猛な道の開拓者・先導者
  3. 荒々しい武将すぎてバラバラにしてしまう
  4. 斎主いわいぬしも務められる流石な武将
  5. 歌も歌えるステキな武将
  6. 秘術も使えるマジカルな武将

尚、日本書紀にほんしょき』巻三、「神武東征神話じんむとうせいしんわ」の概要はコチラでまとめてますのでチェックされてください。

 

道臣命(日臣命)とはどんな人物だったのか?モノスゴイ血筋と天孫降臨の再現

まずチェックすべきは、道臣命みちのおみのみことの血筋。

一言で言うと、

天神あまつかみの直系。天忍日命あまのおしひのみことの子孫。

日本書紀にほんしょき』巻三(神武紀じんむきでは、道臣命みちのおみのみことに関連する最初の伝承は「東征発議とうせいほつぎ」。神武じんむ天皇が語るなかで、以下のように伝えてます。

昔、我が天神あまつかみである高皇産霊尊たかみむすひのみこと大日孁尊おおひるめのみことは、この豊葦原瑞穂とよあしはらのみずほの国のすべてを我が天祖である彦火瓊瓊杵尊ひこほのににぎのみことさずけた。 そこで火瓊々杵尊は、天のせきをひらき、雲の路をおしわけ、日臣命ひのおみのみことらの先ばらいを駆りたてながらこの国へ来たり至った。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

東征発議と旅立ち

この、「火瓊々杵尊は、天のせきをひらき、雲の路をおしわけ、日臣命ひのおみのみことらの先ばらいを駆りたてながらこの国へ来たり至った。」というところ、コレ、まさに天孫降臨てんそんこうりんのことで。

この日臣命ひのおみのみこと」が、道臣命みちのおみのみことのご先祖様って事になってるんです。

彦火瓊瓊杵尊ひこほのににぎのみことが地上に降臨こうりんするにあたって、先ばらいを務めるのが「仙蹕せんぴつ」。「蹕」はさきばらいの意。「仙蹕せんぴつ」とは、行幸ぎょうこうの行列。天子てんし車駕しゃがの列のこと。日臣命ひのおみのみことらがこの行列の先頭に立って導いたんですね。

実際に、『日本書紀にほんしょき』巻二の第九段〔一書4〕、天孫降臨てんそんこうりんのシーンをチェック。ここでは、次のように伝えてます。

高皇産霊神たかみむすびのかみが瓊々杵尊を天降らせた時)天忍日命あまのおしひのみことは、来目部くめべの祖先神の天槵津大来目あめくしつおおくめをひきいて、背に天磐靫あまのいわゆき(矢を入れる容器)を負い、腕に稜威高鞆いつのたかとも(弓を射るとき左手首に着けるもの)を着け、手に天梔弓あまのはじゆみ(山漆で造った弓)と天羽羽矢あまのははや(大蛇をもたおす強力な矢)をもち、八目鳴鏑やつめのなりかぶらの矢をそえ持ち、また頭槌剣かぶつちのつるぎを帯びて天孫の先導をされた。(『日本書紀』巻二 第九段〔一書4〕より一部抜粋)

天忍日命あまのおしひのみことが、天槵津大来目あめくしつおおくめを率いて、きらびやかに武装し天孫てんそんの先導を行ったと伝えてます。

つまり、、

日本書紀にほんしょき』巻二・第九段〔一書4〕天孫降臨てんそんこうりんのシーンで伝える「天忍日命あまのおしひのみこと」が、『日本書紀にほんしょき』巻三(神武じんむ紀)東征発議とうせいほつぎで語られた「日臣命ひのおみのみこと」ということ。天忍日命あまのおしひのみこと」=「日臣命ひのおみのみこと」。

日本神話にほんしんわでは詳しくは伝えてませんが、おそらく、瓊々杵尊ににぎのみこと降臨こうりんを先導した天忍日命あまのおしひのみことは、その後も天孫てんそんに付き従っていたと推測され、、その後、時は流れ、瓊々杵尊ににぎのみこと→彦火火出見ほほでみ尊→鸕鷀草葺不合尊うがやふきあえずのみこと神武じんむ天皇と系譜が受け継がれていく間ずっと、天忍日命あまのおしひのみことの子孫も付き従ってたんじゃないかと、、推定されます。

神武東征神話1

そのうえで、いよいよ神武じんむ天皇が東征とうせいするときに道臣命みちのおみのみこととして登場し、活躍するという流れ。実際は、後ほど解説しますが、「日臣命ひのおみのみこと」として初登場。あれ??同じ名前じゃない??

ってことで、そうなんです。(東征発議とうせいほつぎで伝える)ご先祖様「日臣命ひのおみのみこと」と同じ名前になってるんです。

と、ココで、道臣命みちのおみのみこと解説とはズレますが、重要なところなので突っ込んで解説。

東征発議とうせいほつぎで伝える)ご先祖様「日臣命ひのおみのみこと」と、東征神話とうせいしんわで活躍する道臣命みちのおみのみことのもともとの名前「日臣命ひのおみのみこと」が同じになってるのは、なんでか? というと、、、

天忍日命あまのおしひのみこと日臣命ひのおみのみこと)」が瓊々杵尊ににぎのみこと降臨こうりんを先導したように、その子孫である「道臣みちのおみ日臣命ひのおみのみこと)」が神武東征じんむとうせいを先導して大活躍し勝利をもたらす。そういう構造が埋め込まれてる、ってこと。

日本神話にほんしんわ的解釈論でいうと、つまり、神話を歴史につなげる正当化をはかった、ということなんです。

語りだすと止まらなくなるのですが、、大きく言うと、歴史記述のなかに神代じんだい伝承を引き継ぐ内容をいれることで、神代じんだい伝承が、つまり神話が歴史の中に組み込まれるようになった、てことなんです。神話だったのが、後付けで神話じゃなくなる。。。((;゚Д゚))))ガクブル

日臣命ひのおみのみこと」という同じ名前も、そういった壮大な仕掛けの中で使われてるんです。

ちなみに、、、天孫降臨てんそんこうりんで伝える「天槵津大来目あめくしつおおくめ」も、同じく東征とうせいの軍隊「大来目おおくめ」の祖先として位置付けられており、これも「日臣命ひのおみのみこと」と同じ意味あいで使われてます。「天槵津大来目あめくしつおおくめ」も瓊々杵尊ににぎのみこと降臨こうりんを先導、その子孫である「大来目おおくめ」も神武東征じんむとうせいを先導する。

こうした細工は、言い方をかえると、東征とうせい神話的伏線であり、

神代じんだいを起点に考えると、東征とうせい神話を通じて、天孫降臨てんそんこうりんで活躍した天神あまつかみの子孫が、神武じんむの先導をすることで天孫降臨てんそんこうりんを再現、回収するという仕掛け。

この場面を起点に考えると、これから展開する天孫降臨てんそんこうりんの再現を予兆する伏線であり、東征とうせい神話を通じて回収されていく訳です。

壮大。。。

ということで、いずれにせよ、まずココでは、

道臣命みちのおみのみこと」の血筋は、天神あまつかみの直系。「天忍日命あまのおしひのみこと(日臣命)」の子孫であること。そして、それは天孫降臨てんそんこうりんにさかのぼる、ってこと、しっかりチェックされてください。

次!

道臣命(日臣命)とはどんな人物だったのか? 忠実で勇猛な道の開拓者・先導者

続いて、道臣命みちのおみのみこと初登場のシーンをご紹介。

登場するのは、神武東征神話じんむとうせいしんわの中盤。頭八咫烏やたがらすの導きと熊野越えのシーン。最初なので、「日臣命ひのおみのみこと」として登場です。

東征一行は中洲なかつしまに向かおうとした。しかし、山中は険しく、進むべき道もなかった。進退窮まり、踏みわたるべきところも分からない。

そのような状況の時、ある夜、彦火火出見ほほでみは夢をみた。その中で、天照大神が現れ、「私が、今から八咫烏やたがらすを遣わそう。それを道案内とするがよい。」と教えた。

果たして、八咫烏やたがらすが空から飛んできて舞い降りた。彦火火出見ほほでみは感嘆の声をあげ「この烏の飛来は、めでたい夢のとおりだ。なんと偉大なことよ、輝かしいことよ。我が皇祖の天照大神が、東征の大業を成し遂げようと助けてくれたのだ。」と言った。

そこで、臣下の大伴氏の遠祖「日臣命ひのおみのみこと」が、久米部を率いて、大軍の将として、山を踏みわけ道を通しながら、烏の飛び行く先を尋ね、仰ぎ見ながら追っていった。そうしてついに、菟田うだ下県しもつあがたにたどり着いた。道を穿うがちながら進んだので、その場所を名付けて菟田の穿邑うがちのむらという。(穿邑は、ここでは「うかちのむら」という。)

この時、火火出見ほほでみは勅して日臣命ひのおみのみことを褒め称えて言った。「お前は、忠実で勇猛な臣下だ。その上、よく先導の功を立てた。この功績をもとに、お前の名を改めて『道臣みちのおみ』とする。」 『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

ということで、

臣下の大伴氏の遠祖「日臣命ひのおみのみこと」が、久米部を率いて、大軍の将として、山を踏みわけ道を通しながら、烏の飛び行く先を尋ね、仰ぎ見ながら追っていった。」てところが「道臣命みちのおみのみこと」初登場の箇所。

ポイント3つ。

  1. もともとの名前は「日臣命ひのおみのみこと」であること
  2. 大軍の将として、東征とうせいの軍隊である久米部くめべを率いていたこと
  3. 山を踏みわけ道を通していった、つまり、神武じんむ天皇=天孫てんそんを先導したこと(天孫降臨てんそんこうりんの再現)

特に、

3つ目のポイントは、先ほど解説した、神代じんだいとのつながり、東征とうせい神話的伏線回収の内容です。

さらに、

火火出見ほほでみは勅して日臣命ひのおみのみことを褒め称えて言った。「お前は、忠実で勇猛な臣下だ。その上、よく先導の功を立てた。この功績をもとに、お前の名を改めて『道臣みちのおみ』とする。」」とあり、

  1. 忠実で勇猛な臣下であること
  2. 先導の功を立てたことにより「道臣命みちのおみのみこと」という名前を賜った

ことが分かります。

熊野の山 (9)

熊野くまの上空から。奥深く険しい山々、、、「道を穿うがちながら進んだので」とあり、「穿うがつ」=(穴を)あける。掘る。つきぬく。ってことなんで、相当な感じだったと推測されます。コレ、神話ロマン。

ということで、まとめます。

  1. もともとの名前は「日臣命ひのおみのみこと」であること
  2. 大軍の将として、東征とうせいの軍隊である久米部くめべを率いていたこと
  3. 山を踏みわけ道を通していった、つまり、神武じんむ天皇=天孫てんそんを先導したこと(天孫降臨てんそんこうりんの再現)
  4. 忠実で勇猛な臣下であること
  5. 先導の功を立てたことにより「道臣命みちのおみのみこと」という名前を賜った

以上の5つ。しっかりチェック。

次!

道臣命(日臣命)とはどんな人物だったのか? 荒々しい武将すぎて敵をバラバラにしてしまう

続けて、道臣命みちのおみのみこと活躍シリーズその2.荒々しいにも程がある、をお届け。

菟田うだ穿邑うがちのむら(現在の、宇陀うだ宇賀志うかし周辺)に出てきた神武じんむ一行を待ち構えていたのは、地元の勢力である兄猾えうかし弟猾おとうかしブラザーズ。このうち、兄は反抗、弟は恭順、対照的な反応を見せる。

兄の兄猾えうかしは、からくり仕掛けの圧殺機をしかけて神武じんむ天皇を殺そうとするのですが、我らが道臣命みちのおみのみことがそこで大活躍。以下。

彦火火出見はただちに道臣命みちのおみのみことを遣わし、その反逆の様子をうかがわせた。

道臣命みちのおみのみことは、兄猾えうかしには確かに害意を抱いていることを詳しく察知し、激怒して責めなじり「卑しい敵め!うぬが造った宮に、うぬが自分で入ってみろ!」と荒々しい声で言った。さらに剣の柄に手をかけ、弓を強く引きしぼって追い立て、兄猾えうかしを建物に入らせた。

兄猾えうかしは、天によって罰を受けるのと同じようにどうにも言い訳ができなくなり、ついに自ら中に入りからくり機を踏み、押しつぶされて死んだのである。それから道臣命みちのおみのみこと兄猾えうかしの屍を引きずり出してバラバラに斬った。流れ出る血はくるぶしまで達した。それゆえ、その地を名づけて「菟田血原うだのちはら」という。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

ということで、

激怒して責めなじり「卑しい敵め!うぬが造った宮に、うぬが自分で入ってみろ!」と荒々しい声で言った。」とあり、『日本書紀にほんしょき』原文では「大怒誥嘖之」。大いに怒る、「誥」は上から下に申し渡す、「嘖」は怒り責める。これでもか!と怒り表現連発です。。道臣命みちのおみのみことこわー(||゚Д゚)

「卑しい敵め!うぬが造った宮に、うぬが自分で入ってみろ!」と荒々しい声で言った、って。。。相当な剣幕だったんじゃないかと。。その激しい勢いに押され、自分で仕掛けた圧殺機に入って死ぬ兄猾えうかし。。

スゴイのは、「道臣命みちのおみのみこと兄猾えうかしの屍を引きずり出してバラバラに斬った」とあり、ぐちゃっと潰れた兄猾えうかしの死体を引きずり出してバラバラに切り刻んだ我らが道臣命みちのおみのみこと、やっぱりこわすぎる、、(||゚Д゚)

ポイント2つ。

  1. 敵に対して激怒して責めなじる荒々しい道臣命みちのおみのみことであること
  2. 死体をバラバラに切り刻むなど徹底的にやっつけてしまう道臣命みちのおみのみことであること

以上、道臣命みちのおみのみことの人物像としてチェックです。

次!

道臣命(日臣命)とはどんな人物だったのか? 斎主も務められる流石な武将

荒々しい武将として描かれる道臣命みちのおみのみことですが、ココからは、こんなこともできるぞシリーズをお届け。

まずは、斎主いわいぬしも務められる道臣命みちのおみのみことです。

宇陀うだ攻略のあと、国見くにみの丘を中心とする強大な敵勢力(八十梟帥やそたける)を討伐するのですが、その際、天神あまつかみパワーを加護につける神武じんむ天皇。そのために、『顕斎うつしいわい』という祭祀を行うのですが、ココで我らが道臣命みちのおみのみことが活躍。

その時、彦火火出見ほほでみ道臣命みちのおみのみことに勅して言った。「これから『高皇産霊尊たかみむすびのみこと』を祭神として、私自身が『顕斎うつしいはひ』 を執り行う。お前を斎主として、『厳媛いつひめ』の名を授ける。そして、祭りに置く埴瓮はにへを『厳瓮いつへ』と名付け、また火を『嚴香來雷いつのかぐつち』と名付け、水を『嚴罔象女いつのみつはのめ』、食べものを『厳稲魂女いつのうかのめ』、薪を『厳山雷いつのやまつち』、草を『厳野椎いつのつち』と名付けよう。」 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

ということで、

顕斎うつしいわい』自体は、高皇産霊尊たかみむすびのみこと降臨こうりんさせ顕現した「斎神」とし、道臣命みちのおみのみことを「斎主いわいぬし」とし奉斎させる儀式のこと。

想定としては、祭壇に降臨こうりんした高皇産霊尊たかみむすびのみことと祭器、それを斎主いわいぬしとして奉斎する道臣命みちのおみのみこと、という構図。

顕斎

という感じだったと想定されます。なぜ厳媛いつひめの名をさずけているか?含め、詳細はコチラで↓

我らが道臣命みちのおみのみことは、斎主いわいぬしとして奉斎するお役目を果たされます。斎主いわいぬしが中心になって儀式を行うわけで、祭祀の主宰、最高位のお役目であります。

もちろん、これは、天孫降臨てんそんこうりんの先導に対応して、神武東征じんむとうせいの先導をつとめ、これにより「よく先導の功を立てた。この功績をもとに、お前の名を改めて『道臣みちのおみ』とする。」と名を賜った功績から。まさにぴったりの役回り。

ということでまとめると、

荒々しさだけじゃない。重要な祭祀の斎主いわいぬしも務められる流石な道臣命みちのおみのみことということでチェックです。

次!

道臣命(日臣命)とはどんな人物だったのか? 歌も歌えるステキな武将

続けて、道臣命みちのおみのみことこんなこともできるぞシリーズその2.歌も歌える、をお届け。踊れたか、、までは知りません。。

天神あまつかみパワーをゲットして国見くにみの丘を中心とする強大な敵(八十梟帥やそたける)を撃破した神武じんむ天皇。ですが、残党が山奥に逃げ込んでしまう。。そこで登場するのがまたまた我らが道臣命みちのおみのみこと忍坂おさか掃討作戦を決行します。

そこで、彦火火出見ほほでみは振り返って道臣命に命じた。「お前は「大来目部おおくめら」を率いて、忍坂邑おさかむらに大きなむろを造り、盛大に饗宴を催し、賊どもをおびき寄せて討ち取れ。」

道臣命はこの密命を承り、忍坂に地面に穴ぐらを掘ってむろとし、大来目部の勇猛な兵を選び、賊のあいだに紛れこませた。そして、密かに手筈を定め命じた。「酒宴が盛りをすぎたあと、私が立ち上がって歌を歌おう。お前たちは私の歌う声を聞いたと同時に、一斉に賊どもを刺し殺せ。」

いよいよ皆が座り酒杯をめぐらせた。賊はこちらにひそかな計略があることも知らず、心にまかせて酔いしれた。その時、道臣命が立ち上がって歌った。

忍坂おさかの 大室屋おほむろやに 人さはに 入りりとも 人さはに 来入り居りとも みつみつし 来目くめの子らが 頭槌くぶつつい 石椎いしつつち 撃ちてし止まむ
(忍坂の大きな室屋むろやに、人が大勢いても、人が大勢入っていようとも、勇猛な来目くめの者たちが、 頭槌くぶつちの太刀、石槌いしつつの太刀を持って(敵を)撃たずに止むものか)

その時、こちらの兵士はこの歌を聞き、一斉に頭槌くぶつちの剣を抜き、一気に賊を斬り殺した。賊の中に生き残る者は一人もいなかった。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

『日本書紀』神武紀

ということで、

忍坂邑おさかむらに大きなむろを造り、盛大に饗宴を催し、賊どもをおびき寄せ、酒でベロベロにしたところを討ち取った訳ですね。「賊の中に生き残る者は一人もいなかった。」とあり、あたりはおびただしい死体と血の海だったと思われます。

この忍坂おさか掃討作戦は、構図的には、神武じんむ天皇がプロデュースした内容をもとに実行する忠実な道臣命みちのおみのみこと、というもの。

その中でも、「大来目部の勇猛な兵を選び、賊のあいだに紛れこませた。そして、密かに手筈を定め命じた。「酒宴が盛りをすぎたあと、私が立ち上がって歌を歌おう。お前たちは私の歌う声を聞いたと同時に、一斉に賊どもを刺し殺せ。」」とあるように、道臣命みちのおみのみことがみずから考えた作戦がキラリと光ります。リーダーの命令をそのまま実行するのではなく、自ら思考し、作戦の成功確度を上げてるわけです。このあたりが、道臣命みちのおみのみことらしいところと言えます。

さらに、

忍坂おさかの 大室屋おほむろやに 人さはに 入りりとも 人さはに 来入り居りとも みつみつし 来目くめの子らが 頭槌くぶつつい 石椎いしつつち 撃ちてし止まむ」とあり、道臣命みちのおみのみこと、歌も歌えたようです。しかもこの歌、実は忍坂おさか掃討作戦の前に、神武じんむ天皇が歌を歌うのですが、その内容が踏まえられてる。一番最後の、「撃ちてし止まむ」という言葉がまさにそれ。

直前の神武じんむ天皇の御歌は、「神風の 伊勢の海の 大石にや い這ひ廻る 細螺しだたみの 吾子よ 細螺しだたみの い這ひ廻り 撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ」とあり、同じ言葉が使われてますよね。このあたりも流石です。詳しくはコチラで↓

『日本書紀』神武紀

まとめます。

  1. リーダーの命令をそのまま実行するのではなく、自ら思考し、作戦の成功確度を上げる工夫を入れてる流石な道臣命みちのおみのみこと
  2. 神武じんむ天皇の歌った歌を踏まえて歌を歌える機転の利く流石な道臣命みちのおみのみこと

以上2点、しっかりチェック。

次!

道臣命(日臣命)とはどんな人物だったのか? 秘術も使えるマジカルな武将

最後に、道臣命みちのおみのみことこんなこともできるぞシリーズその3.秘術も使えるマジカル道臣命みちのおみのみこと、をお届け。

国見くにみの丘の残党も討伐し、その後も、兄磯城えしき長髄彦ながすねひこをやっつけ大和平定を成し遂げた神武じんむ天皇。ついに、天皇として即位そくいし、日本建国を果たします。その日、道臣命みちのおみのみことは秘術を承る。以下。

初めて、天皇が天日嗣あまつひつぎの大業を草創した日、大伴氏の遠祖である道臣命みちのおみのみことは、大来目部おほくめらを率いて秘策を承り、諷歌そえうた倒語さかしまごとを巧みに用いて災いや邪気を全て払った。倒語さかしまごとが用いることは、ここに初めて起こったのである。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

『日本書紀』 巻第三(神武紀)

ということで、

大伴氏の遠祖である道臣命みちのおみのみことは、大来目部おほくめらを率いて秘策を承り、諷歌そえうた倒語さかしまごとを巧みに用いて災いや邪気を全て払った。」とあり。

諷歌そえうた」は、物事を直接に歌わずに、他のことに喩えて歌う歌。「諷」は、添える、なぞらえるの意味。

倒語さかしまごと」は、敵に悟られないように言い換えて、あるいは逆に用いる言葉。暗号みたいなものです。

いずれも、建国と即位そくいに合わせ、災いや邪気を全て払うための秘術として使われてます。マジカルマジカル道臣命みちのおみのみこと

まとめます。

災いや邪気を払うための秘術、「諷歌そえうた」「倒語さかしまごと」を駆使するマジカルな道臣命みちのおみのみこと

ということでチェック。

次!

おまけ:道臣命のその後

神武東征じんむとうせいにおいて多大なる功績をあげた我らが道臣命みちのおみのみこと。建国の翌年、神武じんむ天皇より直々に褒賞をいただいておられます。

2年(紀元前659年)春2月2日、神武天皇は臣下の功績を評定して褒賞を行った。道臣命には、宅地を与え築坂邑つきさかのむらに居所を与えられて、ことに寵愛ちょうあいされた。また大来目おおくめには、畝傍山うねびやまより西の川辺の地に居所を与えられた。今、来目邑くめむらというのは、これがその由縁である。 (『日本書紀』巻三(神武紀)より一部抜粋)

『日本書紀』 巻第三(神武紀)

ということで、

東征とうせいで功績のあった者に対して褒章を与える、論功行賞ろんこうこうしょう。本文「いさおしを定めたまものを行う(定功行賞)」。

我らが道臣命みちのおみのみことは、その筆頭。「宅地を与え築坂邑つきさかのむらに居所を与えられて、ことに寵愛ちょうあいされた」とあり、「築坂邑つきさかのむら」は現在の橿原市かしはらし鳥屋町とりやちょう辺りとされてます。畝傍山うねびやまの南エリア。

補足として、道臣命みちのおみのみことが率いた東征とうせい軍たる大来米おおくめの皆さんにも「畝傍山うねびやまより西の川辺の地に居所を与えられた」と。これ、橿原市かしはらし久米町くめちょう辺り。畝傍山うねびやまの西に高取川たかとりかわがありますが、その東岸。

ポイントは、天皇のすぐそばで警護のお役目をいただいたってことで。それだけ信頼・信用が厚かったことが分かりますよね。

そして、これをもとに、道臣命みちのおみのみことの子孫である大伴おおとも氏は、朝廷の軍事を管掌するようになります。ちなみに、歌でも有名な大伴家持おおとものやかもちも、歌も歌える道臣命みちのおみのみことの血筋をひいていたからかもしれませんね。

 

まとめ

道臣命(日臣命)とは?

日本書紀にほんしょき』巻三をもとに道臣命みちのおみのみことをディープに解説してきましたが、いかがでしたでしょうか?

改めて、ポイントを列挙すると以下の通り。

  1. 道臣命みちのおみのみことの血筋は、天神あまつかみの直系。天忍日命あまのおしひのみことの子孫であること。そして、それは天孫降臨てんそんこうりんにさかのぼる。
  2. もともとの名前は「日臣命ひのおみのみこと」である。
  3. 大軍の将として、東征とうせいの軍隊である久米部くめべを率いていた。
  4. 山を踏みわけ道を通していった、つまり、神武じんむ天皇=天孫てんそんを先導した(天孫降臨てんそんこうりんの再現)。
  5. 敵に対して激怒して責めなじる荒々しい道臣命みちのおみのみことである。
  6. 死体をバラバラに切り刻むなど徹底的にやっつけてしまう道臣命みちのおみのみことである。
  7. 重要な祭祀の斎主いわいぬしも務められるステキな道臣命みちのおみのみこと
  8. リーダーの命令をそのまま実行するのではなく、自ら思考し、作戦の成功確度を上げる工夫を入れてる流石な道臣命みちのおみのみこと
  9. 神武じんむ天皇の歌った歌を踏まえて歌を歌える機転の利く流石な道臣命みちのおみのみこと
  10. 災いや邪気を払うための秘術、「諷歌そえうた」「倒語さかしまごと」を駆使するマジカルな道臣命みちのおみのみこと

ということで、

たしかにこう見てくると、なかなかスゴイ武将であります。築坂邑つきさかのむらに居所を与えられて、ことに寵愛ちょうあいされたのも納得です。

 

道臣命をお祀りする神社がこちら!

● 住吉大伴神社

〒616-8006 京都府京都市右京区龍安寺住吉町1

 

● 刺田比古神社

〒640-8139 和歌山県和歌山市片岡町2丁目9

 

● 伴林氏神社

〒583-0007 大阪府藤井寺市林3丁目6−30

 

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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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