広島の神社は厳島神社だけじゃない!安芸国三社と田所明神と神武東征神話をめぐる安芸のディープなアレコレをまとめてみた

 

広島を訪れて、いろいろな神社を巡っていると、意外な所で繋がったりすることがあり、『日本書紀』や『古事記』といった日本の原点ともいうべき文献からは見えてこない、地元ならではの展開や発展に遭遇することがあります。

今回ご紹介する内容もその一つ。

個人的にも初めて知ることばかりで、広島、つまり「安芸国あきのくに」の新たな側面が見えたような気がして。ま、そうは言いつつ、あくまで当サイトとしては、日本神話という切り口から文献上の真偽もしっかり踏まえてお伝えしていきたいと思います。

以下、恒例の無駄に深堀りコーナー拡大版をお届けです。

 

広島の神社は厳島神社だけじゃない!安芸国三社と田所明神と神武東征神話をめぐる安芸のディープなあれこれをまとめてみた

最初に結論部分から。

古く、「安芸国三社」と呼ばれ、絶大な社勢を誇った神社(速谷神社・嚴島神社・多家神社)と、田所明神社はいろいろなところで繋がっています。

そして、それは、神武東征神話から始まる安芸の国づくりと深く関連しているのです。

 

以下、そもそも論から一つずつ。

広島=安芸国(古代、阿岐国とよばれていた)の初出は神武東征神話

日本神話的に、一番最初に広島が登場するのは神武東征神話です。

東征順風・戦闘準備

神武が東征の折、「埃宮えのみやに滞在した」とあり、これが一番最初。

『日本書紀』では「埃宮えのみや」と伝え、『古事記』では阿岐国(安芸国)の「多祁理宮たけりのみや」に7年間坐す、と伝えます。

ちなみに、「埃宮えのみやはココだ!」というのが、神社と顕彰碑として残されてたりします。

ポイントは、」の宮=「可愛」の宮である事。

この地の美しい景色を称えたのが「埃宮えのみや」という事でした。

 

さて、

『日本書紀』や『古事記』は滞在中のことを詳しくは伝えていません。

が!

つまり、ここからが地元ならではの、そして後代の大人の事情含めた応用展開。

上記、「多家神社(埃宮)」の御祭神は、主に2神。

神武天皇と安芸津彦命あきつひこのみこと

ポイントは、安芸津彦命あきつひこのみこと

このお方、地元では、神武一行を迎え、もてなし、道案内をしたお方として信仰されております。

そして、なんと!その末裔が現在も生きておられるのです!!!!!!!

す、しゅげー。。。(;゚Д゚)

神話の時代に登場する方の子孫が現在の世に生きてらっしゃる!!!

こんなミラクルあっていいのでしょうか?

 

田所さん=神話から続く安芸の国づくりの歴史

詳しくはコチラで取り上げましたが、

ポイントは以下。

田所明神社の宮司さんである「田所さん」は安芸津彦命あきつひこのみことを「祖神」として祭り、その末裔まつえいであるとしている!

スゴ。。。

 

『先代旧事本紀』『田所文書』と『ご本人談』を根拠にまとめると、

  • 田所さん家の祖神である「安芸津彦命あきつひこのみこと」は、神武東征で神武に協力したお方。というか神様。一行を迎え、道案内をしたと。
  • そして、安芸津彦命あきつひこのみことの5世代孫は「飽速玉命あきはやたまのみこと(速谷神社では飽速玉男命あきはやたまおのみこと)」。
  • 飽速玉命は、成務せいむ天皇の代に、安芸国造くにのみやつこを賜り、広く国土を開拓し、国造り・村造りに尽力した。
  • いわば、安芸国の開祖が飽速玉命あきはやたまのみことだという訳で。その子孫・末裔が田所氏である!

という立て付けになっとります。

 

ちなみに、

『先代旧事本紀』とは、『旧事紀くじき』『旧事本紀くじほんぎ』ともいい平安朝の書物。江戸時代までは、『日本書紀』『古事記』とならんで史書として位置づけられていました。が、江戸時代以降、偽書であることが明らかにされるという「いわく付きの書物」であります。

そして、国造についてはコチラ!成務天皇の事も触れてます。

話を戻して

3点。要は、

  • 田所さんは神武東征に協力した神様の末裔、
  • 阿岐国あきのくにを造った家であり、
  • 阿岐国あきのくに開祖の末裔でもある、

という事!

こんなスゴイ事が。。。あっていいのでしょうか。。。

ちなみに、

  • 田所氏は、成務天皇の時に「阿岐国造あきくにのみやつこ」を賜って以降、当官職を代々相続。
  • 現在の速谷神社や、広島市佐伯区の田所屋敷(跡)等に住んでいた。
  • 平安期には「安芸国三社」として絶大な社勢を誇った厳島神社、速谷神社、多家神社で、「永代勅使代」として神祭を担当。政務官とか神官とかを担った。
  • 同、平安期、府中に移り、以後国府の在庁官人として安芸国の政治を掌った。
  • 田所氏は姓を「佐伯さえき」のほか「三宅」「石井」とも称していたが、平安期の職名「田所」を本姓とした。

で、

「佐伯」性については、田所さん、佐伯さんともに主張がありつつも、

  • 現在の厳島神社創建は「佐伯鞍職さえきのくらもと」さん。現在も宮司さんは佐伯さえきさん。
  • 速谷神社の御祭神は、「飽速玉男命あきはやたまおのみこと」。田所さんの祖神。田所さんは速谷神社に住んでいた事もある。

と、まあ、

神武東征神話の埃宮えのみやを起点に、神話と歴史と、代々受け継がれる家系と、広島主要神社の祭祀とか宮司さんとかが、いろいろ関連してくという訳です。

 

さて、

その意味で、

広島を訪れたときに参拝すべきは厳島神社のみにあらず。

安芸国三社として、多家神社と速谷神社を。そして何より田所明神は絶対にチェックしていただきたいスポットであります。

そして

いずれも、由緒あるだけでなく、美しさも兼ね備える素晴らしい神社であります!是非!

 

まとめ

中央の、朝廷編纂の国史である『日本書紀』、そして私的歴史書である『古事記』。

日本神話はこうした書物に記載されている訳です。

表現の仕方はいろいろありますが、

良く言えば、中央の「日本神話」をもとに、各地域ではそれぞれの民間伝承や歴史を紡いできたという事であります。そこには、地域ならではの展開、何より代々受け継がれている家系とか神社で行われている祭祀があります。生の人間の歴史がある訳ですね。

悪く言えば、中央がすくいきれなかった、あるいは切り捨ててしまったものもあるはずで、そういう意味での価値や広がりがあるのだと思います。

原点、あるいは原典ともいうべき書物と神話理解は必要不可欠ですが、それで終わることなくこうして地元の皆さんとふれあいながら、地元ならではの生の神話とか歴史に触れる事も非常に重要なことだと思います。

是非、ご自身でも地域の神話とか、地元や郷土の歴史とかに今まで以上にふれていっていただければと。きっと今まで見た事のない世界や発見があるはずですよ♪

 

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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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