多彩で豊かな日本神話の世界へようこそ!
正史『日本書紀』をもとに、
最新の学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。
今回は、『日本書紀』巻第一(神代上)第五段の一書の第1。
第四段から続く新時代。男女の性の営みによる「生みなす新時代」の第二章。その名は、神生み!!!
第五段は『日本書紀』神代の中でも、最も多い異伝併載の段。その数、なんと11!
今回は、その中から最初の異伝〔一書1〕を解説。
概要で全体像をつかみ、ポイント把握してから本文へ。最後に、解説をお届けしてまとめ。
現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄がここにあります。それでは行ってみましょう!
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第1「御寓之珍子」生み
目次
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書第1の概要
前回、『日本書紀』巻第一(神代上)第五段の本伝、からの続き。
下図、赤枠部分。第五段〔一書1〕。
上図を見てのとおり、
第五段は、『日本書紀』神代の中で、最も異伝が多い段。こんな伝承もある、あんな伝承もある、と計11パターン。
『日本書紀』最大の特徴である、一書の存在。本伝と一書の関係についてはコチラ↓をチェック。
- 本伝の内容をもとに多角的、多面的に展開する異伝、それが一書。
- 本伝があっての一書であり、一書あっての本伝というように、お互いにつながり合って、関連し合って、踏まえ合って、多様で豊かな日本神話世界を構築している。
でだ、
第五段は異伝である〔一書〕が11個もあるって話。
それもそのはず。
第五段は超重要テーマが目白押し。
特に、天下之主者生み、生と死の断絶、そして三貴神の誕生と分治など。。語り尽くせぬこの想い、身体中に感じて。
神々ならではのミステリアス・ワールド。一歩間違うと意味不明。
ま、でも、ご安心を。当サイトならではの分かりやすいガイドがあれば迷うことはございません!
ということでコチラ
全11もある異伝も、大別すれば2通り。整理しながら読み進めるのが〇。
- 本伝踏襲 差違化型・・・〔一書1~5〕
- 書6踏襲 差違化型・・・〔一書6~11〕
※踏襲・・・踏まえるってこと。前段の内容、枠組みを
※差違化・・・(踏まえながら)変えていくこと、違いを生んでいくこと。神話に新たな展開をもたらし、多彩で豊かな世界観を創出する仕組み。
で、今回解説する〔一書1〕は、本伝踏襲・差違化型の一番最初。そんな位置づけで。
そして、そのテーマは、
「生みなす新時代の第二章」
(第四段 国生み→第五段 神生み)
と、大きな大きな時代のうねりを感じて!
もっというと、天地開闢からの流れを!!!大きな経緯はコチラ。
大テーマ | 小テーマ | 内容 | 段 |
誕生の物語 | 道による化生 | 乾による純男神 | 第一段 |
乾と坤による男女対耦神 | 第二段 | ||
神世七代として一括化 | 第三段 | ||
男女の性の営みによる出産 | 国生み | 第四段 | |
神生み | 第五段 |
第一段から第五段までは大きく、「誕生」がテーマなんです。
この中で、
第五段は「生みなす新時代の第二章」、そのミッション、目指すところは「天下の主者生み」ってことで。
国土も生んだ、山川草木も生んだ、さーいよいよ天下の統治者を生もうぜ、という話。
ところが、
コレまでに(本伝で)誕生したのは、「過度にスゴすぎる子(尊)」&「過度に酷すぎる子(卑)」。。。極端に振れてしまった、、、親の責任として、子の持つ資質に応じた処遇を与えるものの、結局、統治者は誕生しない。。。
ってことでした。
今回の、第五段〔一書1〕は、こうした背景、枠組みを踏まえての神話が展開します。
本伝との流れを対応比較でチェック。
本伝 | 一書1 |
山川草木生み | ー |
協議 | ー |
諾冉の二神による神生み 尊:2神 卑:2神 処遇 あり |
伊奘諾単独による神生み 尊:2神 卑:1神 処遇 あり |
こう見てみると、
第五段〔一書1〕は、第五段〔本伝〕の神生みの部分を集中的に取り上げ、さらに差違化させてる(単独化&誕生神数を変化させてる)ってことがわかります。
ということで、
〔一書1〕は、本伝踏襲・差違化型の一番最初であり、そのテーマは「生みなす新時代の第二章」(第四段 国生み→第五段 神生み)、最終的に目指すところは「天下の主者生み」。本伝の神生みの部分を集中的に取り上げ、さらに差違化させてること、まずはチェックです。
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書1のポイント
位置付けやテーマ、概要が掴めたところで、以下ポイント解説。
■物語の概要
伊奘諾尊(陽神)単独による神生み。生もうとするのは「御寓之珍子」。伊奘諾尊が、左の手で白銅鏡を持つと「大日孁尊」を化出。右手に持つと「月弓尊」を化出。また、首を巡らせたその時に「素戔嗚尊」。
大日孁尊、月弓尊は、性質が明るく麗しいので天地を照らし治めさせます。一方の素戔嗚尊は、生まれつき残酷で害悪なことを好む。なので根国に下して治めさせます。
ポイント6つ。
- (本伝)「天下之主者」生み→(一書1)「御寓之珍子」生み
- (本伝)夫婦協議による生殖→(書1)は陽神単独による化出!生む方法の違いに注目せよ!
- 時代に逆行?だからこそ、生み方の違いには意味がある!
- まさに神業!鏡で霊威が実体化するミラクル化生!
- 左右の違いは国生み対応!?生まれ方の違いは尊卑の違い!
- 資質に応じた分治!素戔嗚尊の根国は地下にあり!
さらっと解説。
①(本伝)「天下之主者」生み→(一書1)「御寓之珍子」生み
本伝では、伊奘諾尊・伊奘冉尊の二神による「天下之主者」生みだったのが、〔一書1〕では、伊奘諾尊単独による「御寓之珍子」生みへ変化。
この「御寓之珍子」は、「天下を統治すべき尊貴な子」と訳出。
「寓」=「宇」=天下。「御」=御する、統治する。「珍」=珍しい、尊貴な。
つまり、
統治をミッションとして持つ子のことで。本伝以上にムキムキ感が上がってます。
「天下を統治すべき尊貴な子」て、、、コレは失敗は許されませんぞ、、だからか、今回は陽神単独で生むことになってる。。
ちなみに、神武東征神話では「八紘一宇(天下全体を一つの家とする)」という概念が登場しますが、この元ネタはコレ。繋がりをつけてある。壮大な前振り・わたりです。
次!
②(本伝)夫婦協議による生殖→(書1)は陽神単独による化出!生む方法の違いに注目せよ!
生むのは「天下を統治すべき尊貴な子」ですから。失敗は許されません。緊張感漂うこの局面。
だからこそ〔一書1〕では、単独で、しかも特別な方法で神生みを行います。以下、本伝との比較をチェック。
本伝 | 一書1 | |
主体 | 陽神+陰神 | 陽神 |
方法 | 協議と出産 | 化出 |
誕生した神 | 日神・月神、蛭子・素戔嗚尊 | 大日孁尊、月弓尊、素戔嗚尊 |
処遇 | あり | あり |
〔本伝〕が、伊奘諾尊、伊奘冉尊の「男女神の、生殖による神生み」であるのに対し、
〔一書1〕は、伊奘諾尊という「陽神単独の、化出による神生み」。
スゴイ明確に分けてありますよね。確かにコレ、すんごい大きな違いなんす。
生殖による神生みは、生まれてくる子について、その資質はコントロールできません。出産ってそういうもの。
偶然が大きく関与する世界。
実際、
両神の期待とは裏腹に、過度に素晴らしい子、過度に酷い子が生まれてしまってた。で、もともと生みたかった「天下之主者」は生まれない、、、という流れ(第五段本伝参照)
一方、
化出による神生みは、陽神単独によるもの。生まれてくる子は、化出させる陽神の霊威を踏襲。
ある意味、必然的な世界。
伊奘諾尊の霊威に裏打ちされた素晴らしい子が誕生(化出)する訳ですね。うん、全然ちがーう。
この、生殖と化出、協議と単独の違いに注目してチェックしていきましょう。
次!
③時代に逆行?だからこそ、生み方の違いには意味がある!
第一段の天地開闢から第三段までは、道由来の神々が、道が持つ働きによって化生する展開でした。
それが、第四段からは、男女神の結婚と出産によって国や神が誕生する展開へ。
大きな時代変化のただ中にあって、本来であれば、出産による神誕生であるべきなんですが、
- よほどのスゴイ神が化出させる場合
- よほどのスゴイ事件が発生した場合
- よほどのスゴイ儀式が行われる場合
この3つに限って、単独による神化成イベントが発生。
時代と逆行してるんだけど、、、
①の場合は、化出させる神自身の神威を根拠として。②の場合は、その事件の激烈さ・劇的さを根拠として。③の場合は、その儀式の神聖さを根拠として、それぞれ単独神化成。
要は、それだけ特別で重要だということを強調してる、ってことでチェック。
今回で言えば、①に該当。化出による神生みは、神世七代&陽神たる伊奘諾尊だからこその為せる芸。他の神にはまずできないと考えてOK。そして、生まれてくる子は、化出させる陽神の霊威を踏襲したスーパーミラクルゴッドである、ということになります。
次!
④まさに神業!鏡で霊威が実体化するミラクル化生!
第五段一書1では、伊奘諾尊が、単独で、神を誕生(化出)させるわけですが、その方法はまさに神業。
白銅鏡を手に持って化出させる。
つまり、
鏡が映す神像を、いわば自分の分身として化出させるんです!
スゲー!!!
神様ワールドでは、
尊貴な神が鏡に映ると、その姿には霊威がある、という話に。
なぜって鏡は(尊貴な)自分を映すわけだから、
で、鏡に映った姿が化出によって神になるんだと。どろどろんと出現するんだと。これが神業。
スゴイですよね。鏡が持つ神秘的なチカラ。伊勢神宮(斎鏡いつきのかがみ)を始め神社の多くが鏡を御神体とする理由もココにあります。激しくチェック。
次!
⑤左右の違いは国生み対応!?生まれ方の違いは尊卑の違い
左手に持った白銅鏡から「大日孁尊」を、
右手に持った白銅鏡からは「月弓尊」を、それぞれ化出する訳ですが、
この、化出する神をめぐる左右の違いは、
国生みをつたえる第四段〔本伝〕と対応しています。
「陽神左旋、陰神右旋」。
この柱巡りの、陽=左、陰=右、の対応関係。易をベースにした、尊と卑の関係が設定されてます。
「尊卑先後の序」は、どこまでも相対的なもの。
今回でいえば、
「大日孁尊」は、先に生まれ、日であり、あかるく麗しい
「月弓尊」は、後に生まれ、月であり、あかるく麗しさは日に次ぐ
この関係を、左と右にあてこめたってことですね。コレもしっかりチェック。
最後!
⑥資質に応じた分治!素戔嗚尊の根国は地下にあり!
資質に応じた分治。分治とは、分けて治めること。
統治する領域や場所を、分けて、分担して治めましょうと。
その分治する領域設定の根拠として、
生まれた子の資質が設定されてるんすね。
それぞれの子が持つ資質に応じた統治領域設定。振り分け。
区分 | 化出神 | 資質 | 処遇 |
尊 | 大日孁尊、月弓尊 | 明麗 | 照臨天地 |
卑 | 素戔嗚尊 | 好殘害 | 治根國 |
大日孁尊および月弓尊は、明るく麗しい、なので天地を照らし治めさせる。
素戔嗚尊は、残酷や害悪を好む、ゆえに根国に下して治める。
この中で、
素戔嗚尊が治める領域は「根国」。
ポイントは「下」に、つまり地下にあるってこと。
- 第五段本伝では、水平方向を前提とした「はるか僻遠にある国」。
- 第五段一書1では、垂直方向を前提とした地下にある国。
場所、位置関係が違うんすね。。。根国。
これはこれで深淵なテーマがあるのでコチラ↓で詳しく。
●必読→ 根の国/根之堅州国ってどんなところ?極遠の地、根の国を分かりやすくまとめ!
とにもかくにも、
資質に応じた分治であること、中でも、素戔嗚尊の根国は地下にあるってこと、チェックされてください。
まとめます。
- (本伝)「天下之主者」生み→(一書1)「御寓之珍子」生み
- (本伝)夫婦協議による生殖→(書1)は陽神単独による化出!生む方法の違いに注目せよ!
- 時代に逆行?それでもやっぱり、生み方の違いには意味がある!
- まさに神業!鏡で霊威が実体化するミラクル化生!
- 左右の違いは国生み対応!?生まれ方の違いは尊卑の違い!
- 資質に応じた分治!素戔嗚尊の根国は地下にあり!
以上6点をチェックした上で本文をどうぞ!
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 一書1の本文
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊が「私は天下を統治する優れて貴い子を生もうと思う。」と言い、左の手で白銅鏡を持つと、そこから化し出る神があった。これを大日孁尊と言う。右手に白銅鏡を持つと、また化し出る神があった。これを、月弓尊と言う。また首を廻らせて見たその瞬間に、化す神があった。これを、素戔嗚尊と言う。
先に化し出た大日孁尊および月弓尊は、ともに性質が明るく麗しかった。それゆえ、伊奘諾尊は両神に天地を照らし治めさせた。素戔嗚尊は、生まれつき残酷で害悪なことを好む性格であった。それで根国に下して治めさせた。
珍、ここでは「うづ」と言う。顧眄之間、ここでは「みるまさかりに(顧みるまさにその瞬間に)」と言う。
一書曰 伊奘諾尊曰 吾欲生御㝢之珍子 乃以左手持白銅鏡 則有化出之神 是謂大日孁尊 右手持白銅鏡 則有化出之神 是謂月弓尊 又廻首顧眄之間 則有化神 是謂素戔嗚尊 即大日孁尊月弓尊 並是質性明麗 故使照臨天地 素戔嗚尊 是性好殘害 故令下治根國 珍 此云于圖 顧眄之間 此云美屢摩沙可梨爾 (『日本書紀』巻一 第五段 一書1より)
『日本書紀』巻一 第五段 一書1 解説
第五段一書1は、前半と後半の2段構成。
- 前半:三神化出
- 後半:三神分治
それぞれ分けて詳細を解説。
前半解説
ある書はこう伝えている。伊奘諾尊が「私は天下を統治する優れて貴い子を生もうと思う。」と言い、左の手で白銅鏡を持つと、そこから化し出る神があった。これを大日孁尊と言う。右手に白銅鏡を持つと、また化し出る神があった。これを、月弓尊と言う。また首を廻らせて見たその瞬間に、化す神があった。これを、素戔嗚尊と言う。
①望んだとおりの子が生まれたが、、、の巻
本伝踏襲しつつ差違化展開の〔一書1〕。
本伝では当初目論んでいた「天下之主者」生みは失敗。
これに対し、
ココ〔一書1〕では目論み通り生むんだけど、、、コンプリートはしない。惜しい!
伊奘諾尊が意図して生もうとしたのは
「御㝢之珍子」。
「寓」=「宇」=天下。「御」=御する、統治する。「珍」=珍しい、尊貴な。
「宇を御する珍しい子」が直訳で、意訳すると「天下を統治すべき尊貴な子」。
この名前のポイントは、「御寓(=御宇)」。
コレ、例えば、「泊瀬朝倉宮御宇天皇(雄略天皇)代」などのように、万葉集では時代を表すタイトルに使われるのが「御宇」。一般的に「天の下治めたまふ」あるいは「天の下知らしめす」と訓みます。
その意味で、この「御㝢之珍子」は、
「天下統治」をミッション・使命として持つ名前だということです。第五段のテーマでもあります。
本伝と比較して整理するとこんな感じ。
本伝 | 一書1 | |
生もうとした子 | 天下之主者 | 御㝢之珍子 |
生まれた子と処遇 | 過度に尊(日神、月神)→天送 過度に卑(蛭子、スサノオ)→放棄、追放 |
過度に尊(大日孁尊、月弓尊)→照臨天地 過度に卑(意図せず素戔嗚尊)→下治根國 |
結果判定 | 失敗 | 半分成功半分失敗 |
ということで、、、
〔一書1〕の結果判定は、
半分成功半分失敗
と、非常にビミョー。
照臨すれど統治せず。コレどう?ビミョーでしょ?
天地を統治する尊貴な子
生みたかったんだけどな、、、
ですが、
この結果、実は、別の意味でめっちゃ重要だったりします。
それが「わたり」。第七段で登場する岩戸神話への「わたり」になってるって事。
天地を照臨する
コレ、つまり、天上と地上両方に影響を与える、ってこと。
天と地が繋がっていて、天と地の両方に照臨している、という前提があるからこそ、隠れると天も地も暗くなるという事態が発生するし、そのことをスムースに理解できるようになってます。
統治は、日本神話的には超重要テーマ。
なので、誰が、いつ、どのタイミングで、どのような経緯でもって、、、というのは慎重に設定されてます。この辺りは別エントリで詳しく。
とにもかくにも、
第五段一書1では、本伝を引き継ぎ、「御㝢之珍子」を生むことを望みながら、結局、天地を照臨する明麗な子が誕生した、統治者までは行き切らなかったってこと、是非チェック。
次!
②(一応)望みどおりの子が生まれた理由
結果的に半分だけど、一応望み通りの子が生まれた理由。それは主に2つ。
- 陽神単独であること
- 化出という生み方であること
ですよね。
神話的には、陽神は「陰神の間違いを正す存在」として位置づけられてます。
なので、陽神単独での神生みに基本的には間違いは無いのであります。(変な意味ではございません)
しかも、
鏡を使用した化出という独特な方法による神生みであるため、いよいよ間違いはございません。
本件、言うと、
生殖と化出の違い、ということです。
本伝が、伊奘諾尊、伊奘冉尊の「男女神の生殖による神生み」であるのに対し、
一書1は、伊奘諾尊という「陽神単独の、化出による神生み」。
やっぱデカい違いなんすよ。
※生殖がダメって言ってるんじゃないですよ。誤解しないでね。そんな話ではありません。
生殖による神生みは、
生まれてくる子について、その性質はコントロールできません。
出産ってそういうものですよね。親としての期待はあるけど。偶然が大きく関与する世界。
実際、
本伝では、両親の期待とは裏腹に、過度に素晴らしい子、過度に酷い子が生まれてしまう。もともと生みたかった天下之主者は生まれない、、、という流れ、でした。
一方、
化出による神生みは、
必然によるもの。正確に言うと意図によるもの。
生まれてくる子は、化出させる神の霊威を踏襲する訳です。
伊奘諾尊の霊威に裏打ちされた子が誕生する訳で、そらスゴイ神が誕生しますわな。
ということで、
神生みの方法の違い、超重要なのでしっかりチェック。
次!
③鏡で霊威が実体化するミラクル展開
(伊奘諾尊が)左の手で白銅鏡を持つと、そこから化し出る神があった。これを大日孁尊と言う。右手に白銅鏡を持つと、また化し出る神があった。これを、月弓尊と言う。
ということで、
伊奘諾尊が白銅鏡を手に持つと化出する神があった、
って、、、?
鏡を持つと神が生まれた、ってこと。なんだけど、、つまりどゆこと?
コレ、
まずは類例からご紹介。
いきなり飛びますが、
第九段〔書2〕。有名な天孫降臨の場面。
降臨する「吾児」に天照大神が鏡を授けるのですが、その一節がこちら。
この時、天照大神は手に持っていた宝鏡を天忍穂耳尊に授けて事向けを手向けた。「この宝鏡を見るとき、私を見るようにしなさい。床を同じくして同じ宮殿に住み、鏡をもって私をお祭りしなさい。
是時、天照大神、手持宝鏡、授天忍穂耳尊而祝之「吾児視此宝鏡、当猶視吾。可与同床共殿以為斎鏡。 (『日本書紀』第九段〔書2〕より)
と。
宝鏡に映るわが形像を、さながらそこに座す現身を視るように視なさい
ってことを申し伝えるわけですね。
鏡に映る姿は天照大神の神像そのものだと。
これを参考に解釈していくと、、、
鏡を持つ=鏡に自分の姿が映る、ってこと
そこから化出したってことだから、
つまり、
鏡に映った伊奘諾尊の神像から神が化出した、ってこと。
言い方変えると、
伊奘諾尊は、鏡に映った自身の神像から神を化出させた、ってことなんす。
自分の分身として化出させるの巻。
神業やね。
神様はこんなことができてしまう。
だからこそ、
生まれる子は、伊奘諾尊の霊威(「乾道独化」の「乾(天)」に由来)をしっかり受け継ぐ訳です。
なので
「照臨天地」に相応しい性質をもった子が、間違いもなく、生まれる。
これまでの解説を総括すると、
第五段のテーマは「天下の統治者をどう生むか?」。
統治者を誕生させたいんだけど、そもそも統治者は生むものではない、、、詳細は第五段本伝の解説参照。
なので、
本伝では統治者は誕生していないことになってます。
この本伝に対して
差違化をはかるのが一書。
本伝が生殖なので、コレとは別の方法、、、となると
やはり、男神単独、化生〔出〕方法採用は必然の流れ。
実際、ココ〔一書1〕では
偶然が入り込む男女出産方式ではなく、陽神単独化出方式を採用。
なおかつ、鏡を使用し陽神の霊威を継承する神を誕生させ、世界に照臨させる。そういう差違化。
照臨は、具体的な統治ではないのですが、
概念的には、天下天地は伊奘諾の子のもの、ってことになりますよね。
めっちゃ練られた構成になっとります。
次!
④左右の違いは国生み対応。生まれ方の違いは尊卑の違い
鏡から化出するにあたってはフツーにどんどん生んでいけば良い訳です。
でも、ここでは明確に左と右を使い分けてる。
左手に持った白銅鏡から「大日孁尊」を、
右手に持った白銅鏡からは「月弓尊」をそれぞれ化出。
つまり、
化出する神をめぐる左右の違いを通じて伝えたいことがあるってこと。
それは、
尊貴な神の中にも尊卑があるってこと。
コレ、
国生みをつたえる第四段〔本伝〕と対応。
「陽神左旋、陰神右旋」のこの柱巡りですよね。
易をベースにした尊と卑の関係が設定されてる訳です。これチェック。
- 尊:左手にもった白銅鏡から大日孁尊
- 卑:右手にもった白銅鏡から月弓尊
あくまで相対概念なので、月弓が卑しいということではありません。ご注意を。
⑤意図せず生まれてしまった絶対卑の神
また首を廻らせて見たその瞬間に、化す神があった。これを、素戔嗚尊と言う。
先ほどの、
大日孁尊、月弓尊の生み方との違いをチェック。
生もうとしてないんす。
首を廻らせたまさに、その時に化した。
生もうと意図してない雰囲気を、首を廻らせたというところに感じていただきたい。。
すでに当初の狙いに外れた結果を得て、
恐らく不審を募らせてたのではないか?そんなとき、ふっと振り返ったその瞬間、
いわば取り憑くように卑の側の神が化した訳。
ここで生まれた素戔嗚尊は、
だからこそ、先に生まれた尊貴な神に対して、卑なる存在。
この後に出てくる性質を加味すると、絶対的な卑として位置づけられてます。
生まれ方を通じて尊卑の違いを表現してる。コレチェック。続けて後半!
後半解説
先に化し出た大日孁尊および月弓尊は、ともに性質が明るく麗しかった。それゆえ、伊奘諾尊は両神に天地を照らし治めさせた。素戔嗚尊は、生まれつき残酷で害悪なことを好む性格であった。それで根国に下して治めさせた。
珍、ここでは「うづ」と言う。顧眄之間、ここでは「みるまさかりに(顧みるまさにその瞬間に)」と言う。
⑥子のもつ資質に応じた処遇
枠組みは第五段本伝を踏襲。
生みなす新時代は、親と子の関係発生の時代。親は子に対して責任を持つんです。それが処遇。
一覧にしてまとめてみる
区分 | 化出神 | 資質 | 処遇 |
尊 | 大日孁尊、月弓尊 | 明麗 | 照臨天地 |
卑 | 素戔嗚尊 | 好殘害 | 治根國 |
大日孁尊および月弓尊は、明るく麗しい、なので天地を照らし治めさせる。
素戔嗚尊は、残酷や害悪を好む、ゆえに根国に下して治める。
よくできてますよね。ロジック、枠組みがしっかり構築されてる。
⑦地下にある根国。本伝と決定的に違う位置関係
本伝と決定的に違う部分。
それが根国の位置。
- 本伝 :固当遠適之根国矣
- 一書1:下治根国
つまり、
- 本伝の根国は、水平方向の「遠」、すなわち僻遠の地にある
- 一書1の根国は、垂直方向の「下」、地下にある国(もちろん僻遠感あり)
という違い。コチラ↓も参考に。
●必読→ 根の国/根之堅州国ってどんなところ?極遠の地、根の国を分かりやすくまとめ!
大日靈尊と月弓尊とが照臨する天地。
これとは別の「下」ってことなので、ここで言う「根国」は地下以外にはありえない。
昼夜の別はあるにせよ、天地が光明の地上だとすれば、
根国は暗黒の地下に当たり、二神と素戔嗚尊とを、地上と地下とに対立的に対応させてますよね
上述したとおり、
素戔嗚尊、残念ながら意図せず、望みもしないのに化した子なので、処遇もまー酷い。
ということで
まとめます。
- 望んだとおりの子が生まれたが、、、の巻
- (一応)望みどおりの子が生まれた理由
- 鏡で霊威が実体化するミラクル展開
- 左右の違いは国生み対応。生まれ方の違いは尊卑の違い
- 意図せず生まれてしまった絶対卑の神
- 子のもつ資質に応じた処遇
- 地下にある根国。本伝と決定的に違う位置関係
全体を通して、本伝を引き継いでいるため、劇的に差違化でも結局の所、大筋不変。この絶妙なバランステイストを堪能あれ。
まとめ
『日本書紀』巻一 第五段 一書1
第四段から続く「生みなす新時代の第二章」。
第五段本伝では
伊奘諾尊、伊奘冉尊の二神による「天下之主者」生みだったのが、
一書1では、
伊奘諾尊単独による「御寓之珍子」生みへ変化。
「天下之主者」生み(本伝)→「御寓之珍子」生み(一書1)
さらに、
伊奘諾尊単独で三神を生み、処遇を決定する流れへ。
本伝の神生みの部分を取り上げ差違化。枠組み踏襲、中身変化の巻。
そんな第五段一書1。
一番のポイントは「化出」。
本伝が生殖による出産スタイルなので、生まれる子は偶然の産物。
それを、「生む」から「化す」に改めた上で、関連する物品や行為と、化した子の資質とを因果の関係のもとに結びつけたところに〔書一1〕の独自性があります。
偶然の結果としての「尊」「卑」の対立を、
因果の必然の関係にそれを転換したというのが〔一書1〕の実態であり、
そこに「尊卑先後之序」の、より徹底したあらわれをみることができる。
白銅鏡を持つ手の左右と日月との対応、
またその大日尊と月弓尊の天上と素戔嗚尊の地下との対応などを含め、
もはや〔書一〕全体が「尊卑先後之序」をもとに成りたつといっても過言ではありません。
日本ならではの創意工夫のスゴさ。
歴史書編纂チームがめっちゃ考えて考えて考え抜いた結果つくりだした神話世界。
その創意工夫の痕跡を追いかけていくことで日本のスゴさが見えてきます。
次は、いよいよ第五段〔一書2〜5〕卑の極まりと祭祀による鎮魂です!
続きはコチラ↓で!
神話を持って旅に出よう!
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佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ(S23)。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
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