熊野灘海難と兄の喪失|なぜ!?兄達は暴風雨の中で歎き恨み逝ってしまった件|分かる!神武東征神話No.7

神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ

今回は7回目。

熊野灘くまのなだで暴風雨に遭い兄達を喪失した神話をお届けします。

 

長兄「五瀬命いつせのみこと」を竈山かまやまの地に葬り、東征を続ける神武一行。

紀伊半島をぐるっと回り、「神邑みわのむら」に到ります。

ここで天磐盾あまのいわたてに登り、ただならぬ気配を察知。軍を引いて注意深く進みますが、暴風雨に遭遇。このなかで兄達2名を亡くします。

  • 天磐盾あまのいわたてに登ったあと、なぜ軍を引いたのか?
  • なぜ「突然」暴風雨に遭遇したのか?

これらの「謎」を探ることで、「兄喪失の意味」を考えます。

今回も『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお伝えします。ちなみに、前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。

長兄「五瀬命」の死|「ますらお」なのに復讐できず無念すぎたので、東征に復讐を追加した件|分かる!神武東征神話No.6

2016.01.23

 

神武東征ルート、場所の確認

長兄「五瀬命いつせのみこと」を竈山かまやまの地に葬った後は紀伊半島をぐるっと回る迂回コースを進みます。図示するとこんな感じです。

紀伊半島

名草邑なぐさむらでは、地方の族長で女性の「名草戸畔なぐさとべ」を討伐します。

当時、地方にはこのような女性の族長が跋扈していて、東征軍に帰順しなかったため誅伐を加えたという訳。

その後、紀伊半島をぐるっと回るルートですが、「神武紀」においては詳細の記載はありません。

名草の次はいきなり「狭野さの」に到り、ここを越えて「神邑みわのむら」に到着します。

ここで「彦火火出見ひこほほでみ」は、東征神話上の重要な位置づけである「天磐盾あまのいわたて」に登ります。

眼下に広がる熊野灘をはるかに仰ぎ見て、ただならぬ気配を察知。

これは、暴風雨の前兆か?はたまた。。。

以後、軍を引いて注意深く進軍。しかし、その先で暴風雨に遭い、兄達二人を失います。

ここで伝える「軍を引く」という表現は、孔舎衛敗戦直後の「軍を引いて引き返した」と同じで、東征神話においては、これら2か所にしかでてきません。

東征=前に進むが大前提であり、「引く」とか「撤退」は逆方向の動きとして「本来はあり得ない」訳。

そう考えると、その「コトの重大性」が理解できると思います。

本来ありえない行動を取る必要があったのは、この地が「特別な意味」を持っていたという事であり、だからこそ兄達がいなくなってしまうところに繋がります。

そういった背景をもとに読み進めましょう。

 

熊野灘海難と兄の喪失|なぜ!?兄達は暴風雨の中で歎き恨み逝ってしまった件

海難と兄達の喪失

6月23日[1]、東征軍は「名草邑なぐさむら[2]」 に到った。そこで「名草戸畔なぐさとべ[3]」 という女の首領に誅伐ちゅうばつを加える。

ついに 狭野さの[4]を越えて熊野の「神邑みわのむら[5]」 に至る。そして「天磐盾あまのいわたて[6]」に登る。そのとき、前方にあるただならぬ気配を察知、そこで軍を引いて徐々に進む。

ところが海中で、突然暴風に遭い[7] 、一行の舟は木の葉のように揺れ漂った。

その時、次兄の「稲飯命いなひのみこと」 が、

ああ、私の祖先は天神で、母は海神である[8]。それなのにどうして私を陸で苦しめ[9] 、また海でも苦しめるのか。

と嘆いた。言い終ると、剣を抜き荒れ狂う海に身を投じて「鋤持神さいもちのかみ[10]」 となった。

3兄の「三毛入野命みけいりののみこと」 もまた、

我が母と姨とは共に海神[11] である。それなのにどうして波濤を立てて溺らせるのか。

と恨み言を言い、波の先を踏んで常世とこよの国に往ってしまった。

 

注釈

[1]乙未(きのとひつじ)が朔(ついたち)にあたる丁巳(ひのとみ)

[2]和歌山市西南の「名草山」付近。名草山は標高229m。飛鳥の三輪山に似て、まろやかにやさしい山容です。この山が、鏡のように波静かな「和歌の浦」の水面にゆったりと影を落としている景色はオススメです。万葉集にも「名草山 言にしありけり 我が恋の 千重の一重も 慰めなくに(一二一三)」と歌われる名所です。

[3]女性の地方首領。女賊。地方にはこのような女性の族長が跋扈しており、東征軍に帰順しない事があったため誅伐を加えたという事です。この後の熊野では丹敷戸畔(にしきとべ)、大和では新城戸畔(にいきとべ)が登場し、同様に討ち果たします。

[4]神宮市佐野。万葉集に歌あり。「若しくも 零り來る雨か 神が崎 狭野のわたりに 家もあらなくに(二六五)」に「神の先狭野」とあるように、次の熊野の神邑と一体的な土地。

[5]新宮市新宮のあたり。「神邑」を「みわのむら」と訓読みするのが通例。この土地に「熊野速玉神社」があり、「神霊の宿る地」と言う意味が強いスポットです。

[6]新宮市神倉山。この地に、「神倉神社」があり、切り立った崖に建っています。その頂上からは熊野灘が遠望できます。

[7]海の遭難は海神の仕業です。「日本武尊(やまとたけるのみこと)」が相模から上総(かずさ)に渡る海上で、海神により遭難したという類例もあります。

[8] 神武紀の冒頭で語られる、神武の生い立ちから。神武兄弟は天照のひひひ孫にあたり、海神の子孫でもある、という設定からです。

[9]先の孔舎衙で長髄彦と戦って敗北退却したことを指します。

[10] 「鋤」は、剣又は鋤(すき)で、「鮫(サメ)」の歯を鋤に見立て、この神を「鮫」とする説があります。

[11]母が豊玉姫で、姨がその妹の玉依姫で、共に海神の娘。ここは二人を指して海神といっています。

 

原文

六月乙未朔丁巳、軍至名草邑、則誅名草戸畔者。

遂越狹野而到熊野神邑、且登天磐盾、仍引軍漸進。

海中卒遇暴風、皇舟漂蕩、

時稻飯命乃歎曰「嗟乎、吾祖則天神、母則海神。如何厄我於陸、復厄我於海乎。」言訖、乃拔劒入海、化爲鋤持神。

三毛入野命、亦恨之曰「我母及姨並是海神。何爲起波瀾、以灌溺乎。」則蹈浪秀而往乎常世鄕矣。

『日本書紀』巻三 神武紀より

 

まとめ

海難と兄達の喪失

原文では「天磐盾に登り、軍を引いて少しずつ進んだ」と伝えます。

登ったあとに「軍を引いた」ということは、天磐盾で「何かを察知した」という事。

それは、「敗戦時に軍を引いた」のと同じくらい危機的な、または危険を感じさせるものだったのです。

それが何なのか?を読み解く事が重要で、ここから兄喪失の理由が見えてきます。

神邑の近隣に有馬村があります。

ここは神代に登場する「伊弉冉尊いざなみのみこと(♀)」を埋葬した場所。

『日本書紀』の神代巻では、「有馬村ありまむら」に伊弉冊を埋葬し、その御魂を鎮めるための祭祀を行った事を伝えてます。

現に、熊野市有馬村の海浜には「花窟はなのいわや神社」があり、伊弉冉いざなみ(=黄泉の国、死の穢れを象徴する神)や死神の霊気や祟りなどを鎮めるための「祭祀」が行われています。

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このことから、神話世界においては、この地が「伊弉冊=黄泉(死)の国にいる神」を鎮め、祭る地として位置づけられていたことが分かります。

これは、この地がいわゆる「異界」と接する場所として、重要な位置づけをもっていたという事であり、それは「死」とつながるきな臭さを持っています。

だからこそ、暴風雨に遭遇し兄二人を喪失するところにつながるわけです。

「突然」暴風雨に遭遇した理由も、こうした場所の設定背景から理解することができます。

彦火火出見ひこほほでみ(神武)」は「天照大神」の子孫。天照は「伊弉諾尊いざなきのみこと♂」が生んだ神です。

つまり、神武は伊弉諾いざなきの系統にあり、黄泉=死の国の伊弉冉尊いざなみとは対立する訳です。

そんな「伊弉諾いざなきの末裔」である神武が足を踏み入れてきたことで、ここに鎮まっていた「荒ぶる神」が東征一行に襲い掛かったという事。暴風雨はその象徴ですね。

それゆえ、唐突とも言えるようなタイミングで、兄達は突然いなくなってしまう。

この地は、人知の及ばぬ危険な場所、その中で守られていると思っていたのに荒ぶる神が襲いかかってきた、荒れ狂う海と暴風雨のなかで、そのショックは大きく、彼らは歎き、恨み、いなくなってしまうのです。

神武の歎きや悲しみは記載されていないですが、想像に難くありません。

身内を失う事、協力者がいなくなる事というのは、誰にとっても辛い事ですよね。

このシーンは、単に暴風雨に遭って何だか知らないけど兄達が逝ってしまったという事ではなく、上記のような背景や想像力をもって読み解くとぐっと深みが出てきます。

 

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さるたひこ

こんにちは、さるたひこです!読んでいただきありがとうございます。「日本神話をこよなく愛するナビゲーター」として日本神話関連情報、題して「日本神話がおもしろい!」を発信していきます。どうぞよろしくお願いします。ちなみに、ネーミングは、天孫降臨の折、瓊瓊杵尊を道案内した国津神「猿田彦命」にあやからせていただいてます。ただ、神様の名前をそのまま使うのは畏れ多いので「さるたびこ」の「び」を「ひ」に変えております。