Contents
「新嘗祭」は、毎年11月23日「勤労感謝の日」に行われる秋のお祭り。
天皇による宮中行事を筆頭に、全国の神社でも行われてます。
その年に収穫された新穀(特に稲)を天照大神はじめ天神地祇にお供えし、五穀豊穣を感謝するとともに、天皇自らもこれを食べる「共食」の儀式。
その起源は、日本神話にあり、天上で行われていることを地上でも再現する、という形で伝えられてます。背景には、稲に対する古代日本人の格別なる信仰や思想があります。
今回は、そんな「新嘗祭」について、当サイトならではの日本神話との繋がりを中心に分かりやすくご紹介します。
新嘗祭とは?五穀豊穣を感謝し神と共食する「新嘗祭」。その起源は日本神話にあり!
新嘗祭とは?
まずは「新嘗祭」の言葉の意味をチェック。
ポイントは、
「嘗」
という漢字。
「嘗」とは「 あじわう、舌でなめ味わう」というのが原義、
天子や諸侯が、祖先の霊に、新穀を供え祭る秋の儀礼、という意味も(『礼記』王制より)。
つまり、
その年に収穫された新穀で作った酒や飯を「御饌」として祖神に供え、五穀豊穣に感謝するとともに、自ら食する(嘗める=あじわう、舌でなめ味わう)秋のお祭りのことを、「嘗」という訳です。
新穀を酒と飯で嘗めることから、新嘗。そのお祭りなので、新嘗祭。
ちなみに、宮中行事としての新嘗祭は、それを行う天皇としては大嘗祭からスタートしてる感覚。
必読:大嘗祭(だいじょうさい)とは?天皇一代につき一度だけ斎行!日本神話に根ざす大嘗祭の全貌を徹底解説!
あくまで天皇の立場にたつと、
まず、新たな天皇として即位した年に「新嘗祭」改め「大嘗祭」を斎行。この中核的儀式である
「大嘗宮の儀(悠紀殿供饌の儀、主基殿供饌の儀)」を行い、「親供・直会の儀」を通じて皇祖・天照大神と「共食」。これにより、天皇として天照大神と繋がりを持つ訳で。
必読:大嘗宮の儀【悠紀殿供饌の儀(ゆきでんきょうせんのぎ)・主基殿供饌の儀(すきでんきょうせんのぎ)】とは?|神に奉る・いただく( 薦・享)がセットの共食!天照大神と繋がる大嘗祭の中心儀式
この繋がりをもとに、翌年以降、毎年「新嘗祭」を斎行する流れ。
あのときいただいた繋がりをもとに、今年も五穀豊穣に感謝、今年もありがとうございます、的な雰囲気。
新嘗祭、そんな視点から見てみるのもアリ。
ということで。「嘗」をポイントとして「新嘗祭」の言葉の意味をチェックです。
新嘗祭の内容
ココからは、新嘗祭の内容をご紹介。
新嘗祭は、宮中三殿で行われます。
主に、
- 「鎮魂祭」・・・霊強化
- 「新嘗祭賢所・皇霊殿・神殿の儀」・・・準備
- 「神嘉殿の儀」・・・共食
の3つの儀式で構成。
まず、新嘗祭の前日に、
綾綺殿で鎮魂祭が行われ、新嘗祭に臨む天皇の霊を強化するといった儀式が斎行。
次に、新嘗祭の当日に、
昼間に準備して、夜からメインである「神嘉殿の儀」を斎行する段取り。
まず、
「新嘗祭賢所・皇霊殿・神殿の儀」。要は「準備」の儀式。
宮中三殿で、新嘗祭始めますの奉告。
宮中三殿には、皇祖天照大神はじめ天神地祇、歴代天皇の御霊がお祭りされてますので、そういった関係各位にまず奉告するわけです。
具体的には、
天皇ではなく、「掌典職」が神饌と幣帛をお供えして、代拝を行う流れ。
これが終わると、
新嘗祭の舞台である神嘉殿の準備。
「掌典長」以下の皆さんにより、神嘉殿内の母屋に「神座」「御座」「寝座」が設置されます。
コレで準備完了。
ちなみに、ここで置かれた「神座」「御座」「寝座」のマップを確認。
大嘗祭の復元図ですが、基本的には同じ構造なので理解しやすいと思います。

- 神座…黄端の短畳(たんじょう)。
- 御座…白端の半畳。
- 寝座…薄い畳を重ねて敷き、南に坂枕を置き、羽二重袷仕立ての「御衾」が掛けられる。その端には女儀用の櫛、檜扇、沓などが置かれる。過去においては、寝座が「第一の神座」とされておりました。
参考:真床追衾・真床覆衾(まとこおふふすま)とは?天孫の証明品!大嘗祭でも使用?される真床追衾の日本神話的起源をまとめてご紹介!
ポイントは、
神座の向き
神座は、天照大神が坐す場。なので、伊勢神宮の方向を向いてます。これポイント!
上記図は平安時代の復元図。平安時代は京都に都があったので、伊勢方面は南東。神座・御座は南東向きに設置されてるんです。
一方、現代は東京。なので、南西向きになってます。
神座と御座は互いに向かい合うようになっており、ここで神との共食が行われます。
この位置づけ、しっかりチェックされてください。
そして、
いよいよ
「神嘉殿の儀」
コレ、
- 「夕御饌の儀」18時~20時
- 「朝御饌の儀」23時~1時
という儀式名、時間帯で、二部構成。
それぞれ、同じ内容を行うことになってます。
大嘗祭と同じ枠組み。
大嘗祭の場合は、
という儀式名になります。
必読:大嘗宮の儀【悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀】とは?|神に奉る・いただく( 薦・享)がセットの共食!天照大神と繋がる大嘗祭の中心儀式
で、
まずは、
「神嘉殿の儀」の「夕御饌の儀」
18時開始。
まず、侍従が「剣璽」を、東宮侍従が「壺切御剣」を奉安します。
※奉安とは、丁重にお持ちして指定の場所に置くこと。安らかに、丁寧に、奉る。
そして、
皇太子が斎戒沐浴し、東宮便殿で祭服に着替え、神嘉殿にはいって御座につきます。
その後、
天皇も斎戒沐浴し、綾綺殿で白の御祭服に着替え、神嘉殿に渡御。この時、松明の明かりが照らし、神楽歌が奏でられます。幻想的なる雰囲気。
次に、神嘉殿内の母屋で神座の前の御座に正座
いよいよ、「御親供・御直会の儀」、つまり神との共食が始まります。
御親供・御直会の儀
御親供
- 御手水の後、竹箸で柏葉の皿に神饌を移して、神前にお供えします。
- 拝礼して、自ら皇祖天照大神、天神地祇、皇霊に御告文を奏上します。
御直会
- 神前にお供えしたものと同じ米飯、粟飯、白酒、黒酒などを天皇が食します。
この、
神にお供え・自ら食す「共食」が、新嘗祭の核心。神と一緒に新穀をいただく形式になってます。
ちなみに、神饌はこんな感じ。
お米 | 蒸御飯、御粥、粟御飯、粟御粥、新米醸造の白酒、黒酒 |
鮮魚 | 鯛、鮑、鮭、烏賊 |
干物 | 干鯛、鰹、蒸鮑、干鱈 |
煮付 | 袷、海藻 |
吸物 | 鮑、海松 |
果物 | 干柿、栗、生栗干 |
まーすごい。
「御親供・御直会の儀」が終わると
陪膳采女によって神饌が下げられ、御手水の後、退出する流れ。
以上で、
「神嘉殿の儀」の「夕御饌の儀」が終了。
この後、
23時から「朝御饌の儀」が斎行。
ご紹介した「夕御饌の儀」と同じ所作を行います。コレも、大嘗祭で、と同じ形式ですね。
以上の内容、是非チェックされてください。
新嘗祭の起源

ココからは、新嘗祭の起源をご紹介。
新嘗祭は、7世紀末、飛鳥時代に原型がかたちづくられます。
この時代のメインプレーヤーは「天武天皇」。
古代史最大の内乱となった「壬申の乱」に勝利したことで、絶対的なパワーを握った経緯あり。
必読:飛鳥浄御原宮|日本神話編纂のふるさと!歴史書の編纂というビッグプロジェクトがスタートした超重要スポット
天武天皇によって
天皇を中心とした中央集権国家づくりが強力に推し進められます。
その中で、
即位儀礼整備、律令整備、歴史書編纂
という、3つの国家プロジェクトが始動、進行。
天皇即位や統治の正統性を示すために、
さまざまな形でその根拠を埋め込み、リンクを張り、設定していくわけです。
先ほどからちょいちょい登場する「大嘗祭」とあわせて、こうした背景のなかで「新嘗祭」も儀式として整備されていった訳ですね。
早速、その現場をチェック
天武天皇代における新嘗祭
①天武天皇二年(673年)12月
大嘗に侍奉る中臣・忌部及び神官、播磨・丹波二国の郡司らに賜禄ふ。(『日本書紀』天武天皇二年・大嘗初見)
②同五年(676年)9月
神官奏して曰さく「新嘗の為に国郡を卜はしむ。斎忌は尾張国の山田郡、次は丹波国の訶沙郡、並に卜に食へり」とまうす。(十一月朔日、新嘗の事を以て、告朔せず)
と、
ポイントは、
「大嘗」と「新嘗」は区別されてたようですが、内容は(今と比べると)未分化
って事。
天武天皇二年(673年)は、天武天皇が飛鳥浄御原宮で即位した年。
なので、①の12月条では「大嘗」という言葉が使われてます。一方で、その3年後、②の同五年(676年)9月条では「新嘗」になってます。
また、「大嘗」でも2つの国が選ばれてるし、「新嘗」でも占いをして「斎忌」「次」を選んでます。このあたりは未分化な感じですよね。
続いて、
天武天皇の奥さんである持統天皇代のことをご紹介。新嘗祭を国家行事として形づくった女性であります。

持統天皇代における大嘗祭
持統天皇の功績は、法律による規定化。
「令(浄御原令)」に明文化・規定化し、国家行事として位置づけた訳です。
それがコチラ。
凡そ大嘗は、世毎に一年、国司(悠紀・主基両国)事行へ。以外は、年毎に所司(神祇官および祭りに預かる諸司)事行へ。(神祇令大嘗条)
ポイントは、
- 大嘗と新嘗を分離。大嘗は、天皇の代毎に一年とし、悠紀・主基両国の国司が神饌を奉る担当。それ以外の年は、(新嘗祭として)神祇官等が担当。
ということで、
天武天皇代に原型としてつくられ、運用レベルだった儀礼を、法律で規定し国家の仕組みとして落とし込んでいった経緯。スゴ… (゚A゚;)ゴクリ
今でこそ、「新嘗祭」というと秋のお祭り、といった感じでのほほんとしますが、その起源は、中央集権国家づくりという背景があったってこと、チェックです。
だから天皇がいまでも斎行されてる訳です。
そして、、、
当サイトとして、もっと重要なのが、日本神話との繋がり。
新嘗祭を行う理由を、歴史書編纂プロジェクトの中で、神話と紐づけているところ、激しくチェック。
先ほどご紹介したとおり、
即位儀礼、律令整備、歴史書編纂
この3つのプロジェクトを関連させながら、天皇中心の国家体制を構築していった訳です。
天皇が中心ですから。天皇がこの国を統治する正統性を示すために、儀礼、法律、歴史書と、重要なポイントをしっかり押さえながら繋がりをつけてる。
壮大です。ホント、その構想力、発想がスゴい。
ということで、次はいよいよ新嘗祭の拠り所となる日本神話をご紹介。
新嘗祭の根拠となる日本神話
ここからは新嘗祭に関連する日本神話を解説。正史『日本書紀』をもとにお届け。
歴史書なのに日本神話が登場するオモシロさについてはコチラで。
参考:『日本書紀』と『古事記』の違いに見る「日本神話」の豊かさとか奥ゆかしさとか
改めて、
「新嘗祭」のポイントは、
稲
いや、むしろ、
神話が稲だから、新嘗祭も稲。
という方が正しくて。
もっというと、
古代日本人が「稲」に対して持っていた並々ならぬ信仰や想いがあったから稲、てことであります。
まずはその内容を理解。そのうえで新嘗祭の拠り所神話を解説していきます。
日本神話に根差す新嘗祭 稲に見る日本神話的信仰や思想
「新嘗祭」理解のための土台となる思想、信仰。
日本神話で、
日本の美称として登場するのが「豊葦原千五百秋瑞穂之地」。
全11文字熟語の長~い言葉ですが、、意味内容は以下。
「葦原」には稲が生育。つまり、豊かな葦原=豊かな稲がみのる場所って事。
「千五百」とは稲の収穫がめちゃめちゃたくさん、そんな秋。秋=1年の収穫の時でもあるので、千五百とかけて、めっちゃ長い間、年という意味も。
「瑞穂」はみずみずしい稲穂、みずみずしく豊かな、という意味。
まとめると、
豊かな葦の茂る広大な原でめっちゃ大量になんなら永遠に豊かな稲穂が収穫できるみずみずしくすばらしい地、の意味。
まースゴイ。これでもかってくらい予祝感満載のワードで。
最初に登場するのは、『日本書紀』第四段〔一書1〕
天神が伊奘諾尊・伊奘冉尊に言った。「豊かな葦原の永久にたくさんの稲穂の実る地がある。」(原文:天神謂伊奘諾尊・伊奘冉尊曰、有豊葦原千五百秋瑞穂之地。) (『日本書紀』巻一(神代上)第四段〔一書1〕)
と。
至高なる存在、天神によって予祝された、豊かな秋の実りが約束された地、
それが日本なんですね。

もっとあります。
日本の建国神話である神武東征神話では、
「秋津洲」という、こちらも日本の美称が登場。
必読:論功行賞と国見|エピローグ!論功行賞を行い、国見をして五穀豊饒の国「秋津洲(あきづしま)」を望み見た件|分かる!神武東征神話 No.26
東征を成就させた神武天皇が、国見をするシーンがあるのですが、ココで、「国状」をはるかに望みみて
「蜻蛉が交尾している形のようだ」(原文:猶如蜻蛉之臀呫焉)
と伝えます。
「蜻蛉」=トンボであり、トンボと言えば、水田に飛んでいる秋の実りを象徴する虫ですよね。
トンボが交尾して飛ぶ=たくさんのトンボが連なり飛ぶ=豊かな稲の実りがある
という事で、
ココにも「稲」を通じた豊かな日本を称える、あるいは予祝する思想がある訳です。
神代で天神が予祝した「豊葦原千五百秋瑞穂之地」は、神武天皇の東征と建国によって「秋津洲」として結実した。とも言えて、
稲に寄せた古代日本人の格別な想いを、その信仰をまずチェックされてください。
国家・国民安寧の土台となる食
その中心的位置づけとして、象徴として、「稲」が設定されていて、そうした伝統を、新嘗祭は引き継いでるんです。
そんな背景を元に以下、新嘗祭に関連する日本神話をチェック。
ポイントは、
- 五穀、特に稲の起源(そもそも論)
- 「新嘗」の起源
- 稲が地上世界にもたらされた経緯
- 大嘗祭の起源とされる祭り
それぞれの「神話的出どころ、根拠」です。

日本神話に根差す新嘗祭 稲の起源
神話ですから。今の私たちにとってみれば、稲フツーですけど、
そもそも、どっから来たの?から説明していかないと、、、その価値とか重要性は伝わらない。
てことで、以下。
五穀、そして稲の誕生と人の食用としての位置づけを明確にした神話がコチラ。『日本書紀』第五段〔一書11〕から。
経緯として、
天照大神が天熊人を地上に派遣。天熊人が地上にいる食物神「保食神」に生じていた五穀を持ち帰り奉ると、天照大神は人民の食として定め、五穀の種子とします。
また天邑君(村長)定め、稲種を天狹田・長田に殖えたところ、秋に豊作になります。ココに起源アリ!
この後に(←月夜見尊が保食神を打ち殺してしまい、怒った天照大神が昼と夜を分けた神話あり)、天照大神は天熊人を遣わし、往って様子を看させた。この時、保食神はすでに死んでいた。ただ、その神の頭頂部は化して牛馬と成り、額の上に粟が、眉の上に蚕が、眼の中に稗が、腹の中に稲が、陰には麦と大豆、小豆が生じていた。天熊人はそれを全て取って持ち去り、天照大神に奉った。
時に天照大神は喜び、「この物は、この世に生を営む人民が食べて活きるべきものである。」と言って、粟・稗・麦・豆を陸田(畑)の種とし、稲を水田の種とした。またこれにより天邑君を定めた。そこでさっそくその稲の種を、天狹田と長田に始めて植えた。その秋には、垂れた稲穂が握り拳八つほどの長さにたわむほどの豊作であり、たいへん快い。 (『日本書紀』神代上第五段〔一書11〕より一部抜粋〕)
と。
これが、「五穀」、特に「稲」の発生起源で。なんなら、畑作と稲作の起源譚にもなってます。
つまり、
- 稲は、地上の食物神「保食神」の腹の中に生まれた
- 天照大神が、稲を人民の食用としての位置づけを定め、そして水田の種とした
- 天上で天照大神自ら種を植え、田んぼを営んだところ、秋には豊作になった
と。
これが「稲」、そして「稲作」の起源であります。
構図としては、
天上で天照大神がやってるから、地上世界でもやってる、といった形で。
ある意味、天照大神が模範を示しているとも言えて。これは、現代の天皇の「親耕」、つまり、宮中で田んぼを営むお仕事にもつながってくる訳です。
うーん、、、尊すぎるっ!
次!
日本神話で伝える「新嘗」の起源
稲ができた、稲作も開始した、秋に収穫もできた、さー次は、、、そう、お祭りだー!
ということで、今度は「新嘗」を伝える神話であります。
根国へ追放された素戔嗚尊が、暇乞いをしに天上へ。その際、天地鳴動させ上っていったことで天照大神が「国を奪いにきたっ」と嫌疑をかける。その潔白証明として「誓約」の儀式を斎行。これにより潔白を証明。で、調子に乗った素戔嗚尊が大暴れ、、、
この後には、素戔嗚尊の行うことが、甚だ常軌を逸脱したものであった。何かといえば、天照大神は天狭田・長田を御田としていたが、その時、素戔嗚尊が春にはその御田のすでに種子を播いた上にさらに種子を播き、しかもその畔を壊しなどする。秋には、天斑駒を放ち、稲の実る田の中に伏せさせ、また天照大神が新嘗をする時を見計らっては、新造した宮(新嘗を行う殿舎)にこっそり糞を放ちかける。また天照大神がまさに神衣を織って斎服殿に居るのを看ると、天斑駒の皮を剥ぎ、その殿の甍を穿って投げ込んだ。 (『日本書紀』神代上第七段〔本伝〕より一部抜粋)
と。
ココでは、天照大神が新嘗を行っていることを伝えてますよね。なんならお祭り用に殿舎を新造。つまり、神話的には当然のように新嘗が開始されてる次第。
であるからして、、、地上世界でも当然のように新嘗を行う訳ですね。
次!
日本神話で伝える「稲」が地上世界にもたらされた経緯
稲ができた、稲作も開始した、秋に収穫もできた、お祭りをした。天上世界では一連のサイクルが確立したと。
さー次は、、、そう、地上世界で再現、地上世界へ継承だー!
てことで、登場するのが『日本書紀』第九段。天孫降臨の異伝版。ココでは、天照大神が自ら高天原で育てていた「斎庭の穂(聖なる田んぼで育った稲穂)」を授けるシーンがあります。該当箇所を絞ってお届け。
(天照大神は)勅して、「私が高天原に作る神聖な田の稲穂を、また我が御子に授けよう」と仰せられた。(『日本書紀』神代下第九段〔一書2〕より一部抜粋)
と。
「斎庭の穂」を授かった火瓊瓊杵尊が、天児屋命・太玉命と諸部神等とともに降臨。これにより、地上世界に「稲」が、しかも、天照大神が自ら育てていた神聖な稲がもたらされた、という訳ですね。
で、
もたらされた稲をもとに、その後、新嘗が行われたことも伝えてます。それが続く『日本書紀』第九段〔一書3〕。つながるつながる。
経緯は以下。天降った火瓊瓊杵尊は、大山祇神の娘「鹿葦津姫」と結婚、鹿葦津姫は一夜で妊娠します。これにより不義の子を孕んだと嫌疑をかけられた鹿葦津姫は、火中出産によって嫌疑を晴らします。そこからの流れ。
またその時、神吾田鹿葦津姫は占いによって定めた神聖な田を名付けて狭名田と言った。その田の稲で天甜酒を醸して嘗を催した。また渟浪田の稲をご飯に炊いて嘗を催した。 (『日本書紀』神代下第九段〔一書3〕)
と。
占いによって定めた特別な田んぼ(卜定田)を「狭名田」と名付け、そこで収穫した稲を天甜酒に醸して嘗し、また渟浪田の稲を飯に炊いて嘗として催した。。。
ここでは、冒頭部分でご紹介したとおり、
新嘗を姫が行う=女性がおこなう形で伝えています。
物語における意味としては、
火瓊瓊杵尊が天照大神から授かった斎庭の穂を、降臨後に植え、育て収穫した米で酒と飯をつくり、それによって嘗を行ったことを伝えてる。
つまり、
天上の天照大神の意向を確実に体現し、成就した証しとして伝承化した内容になってます。
てことで、ここで一度まとめると。
①そもそも論として、稲の発生起源は「保食神」の腹の中。それを天上に持ち帰り天照大神が意味づけ。人民が食し、人民を活かすものであると。
②そのうえで、種として植え、育ててみると、秋には豊かな実りを得た。自ら率先して、稲の育成方法を示す。
③さらに、新嘗は当然のこととして行い、これにより、植えて→育てて→実って→お祭りする、というサイクルが天上世界で確立。
④これを承けて、天孫降臨に際し、天照大神から「斎庭の穂」として火瓊瓊杵尊に授けられ、これが地上世界へもたらされる。
⑤最後に、地上世界でも新嘗が行われたことをもって、天上世界と同じサイクルが確立したことを伝える。
そんな流れ。
壮大、、、
すごい世界観、そして構想力。マジでぶっとびすぎでしょコレ。古代日本人の情熱と智恵の結晶。素晴らしいですよね。今、私たちがフツーに食べているお米には、そんな神話的背景があったって事。今まで以上にありがたくいただきます。
ということで、神代における新嘗の起源神話でした。それが、歴史の時代へ、そして現代へ受け継がれていること、是非チェック。
まとめ
「新嘗祭」は、毎年11月23日「勤労感謝の日」に行われる秋のお祭り。
天皇による宮中行事を筆頭に、全国の神社でも行われてます。
その年に収穫された新穀(特に稲)を天照大神はじめ天神地祇にお供えし、五穀豊穣を感謝するとともに、天皇自らもこれを食べる「共食」の儀式。
その起源は、日本神話にあり、天上で行われていることを地上でも再現する、という形で伝えられてます。背景には、稲に対する古代日本人の格別なる信仰や思想があります。
今年の新嘗祭は、ぜひ、そんな壮大なロマンをもってチェックされてください。
参考文献
訓讀註釋儀式践祚大嘗祭儀(皇學館大学神道研究所編、思文閣出版)、日本古代即位儀礼史の研究(加茂正典、思文閣出版)、大嘗祭の研究(皇學館大学神道研究所編、皇學館大学出版部)、大禮と朝儀 付有職故実に関する講話(出雲路通次郎、臨川書店)、日本の祭祀(祭祀学会編、星野輝興先生遺著刊行会)、平安朝儀式書成立史の研究(所功、国書刊行会)、復刻版 卽位禮と大嘗祭(三浦周行、神社新報社)、律令制祭祀論考(菊地康明編、塙書房)、古代祭祀の史的研究(岡田精司、塙書房)、古代伝承と宮廷祭祀(松前健、塙書房)、続大嘗祭の研究(皇學館大学神道研究所編、皇學館大学出版部)、古事記研究(大嘗祭の構造)(西郷信綱、未来社)、記紀神話と王権の祭り(水林彪、岩波書店)
コメントを残す