宮中に水田があることをご存じでしょうか?
そして、実は、
天皇が、自ら水田で稲を植え、育てていることを。
日本の首都、東京。そのど真ん中、千代田区で水田を営む、、、そんな奥ゆかしい事をするのは日本広しと言えど、天皇をおいておられません。
コレ、
古くは、天子が人民に先んじて、田を耕し春の訪れを知らせる「親耕」という伝統があり、もっというと、日本神話に起源があって。いうなれば、神の時代。
天皇的には超重要事項。趣味や道楽でやってるのではありません。
今回は、とんでもなく奥ゆかしい伝統と率先垂範の姿を、日本神話とあわせてたっぷりご紹介します。
皇居に水田が?!その場所は?天皇が自ら稲を育てる「親耕」を、日本神話から紐解いてみる
目次
皇居にある水田の場所
東京都千代田区にある皇居。
天皇がお住まいの「御所」、公的行事や政務の場としての「宮殿」、そして、宮内庁庁舎などがあり、宮内庁管理部分の敷地が約115万㎡、東京ドーム約25個分の大きさ。
この西側、
「宮中三殿」と呼ばれる超重要祭祀スポットの隣に、
なぜか生物学研究所があり、そのすぐそばに水田があります。
生物学研究所はコチラ↓
からの、、、
こ、ココ!!?
って、すぐ隣は「宮中三殿」!!コレ、宮中祭祀の中枢!!
広大な皇居です。東京ドーム25個分。
場所はもっとあったろうに、、、なぜか「宮中三殿」のすぐそばに生物学研究所。。。
ぱっと見は、
生物学研究の一環として、陛下は稲を、いや、稲だけじゃなくて他の作物も、生き物も育ててらっしゃるんだなと。(すぐ隣で祭祀やってるけど)
何か民間では成しえない新種の研究開発でもされてらっしゃるのかな、、と。(隣で祭祀してるけど)
でも、、、
違いますから!
んな訳あるか!
大事なのは研究所じゃない!いや、これはこれで昭和天皇が始められたことなので「大事じゃない」なんて言えないけど、でも、そこではなく、水田だ!天皇が水田を営まれるのは、古代からの伝統、いや、神代からの受け継がれてきた伝統を、ミッションを継承するためなんだ!
と、本エントリで振りかぶってご紹介したいのは、コレ。
趣味や道楽でやってるんじゃない、本当は、神の時代から、なんなら皇祖・天照大神から託されたミッションを継承してるからなんだ。そう言いたい。
てことで、以下、
天皇がなぜ千代田区で水田を営み、稲作してるのか?日本神話ロマンとあわせてご紹介です。
皇居の水田:理想の天子像 親耕による率先垂範
アレこれ述べる前に、まず、大前提としてチェックいただきたい概念が、
理想の天子像
コレ、日本神話が編纂された当時の、古代日本における重要概念。背景には、東アジアから輸入されてきた漢籍をはじめとする膨大な知識の体系があります。
中でも、
『礼記』(月令第六)の、次の一節はかなり有名な例。
この月(初春)や、天子乃ち元日を以って、穀を上帝に祈る。 乃ち元辰を擇びて、天子親ら耒耜を載せ、これを參保介の御の閒に措き、三公・九卿・諸侯・大夫を帥い、躬ら帝藉を耕す。 ー中略ー 善く丘・陵・阪・險・原・隰、土地の宜しき所、五穀の殖する所を相て、以って民を教道す。
是月(孟春)也、天子乃以 元日 祈 穀于上帝 。乃択 元辰 、天子親載 耒耜 、措 之于参保介之御間 、帥 三公・九卿・諸侯・大夫 、躬耕 帝籍 。(中略)善相 丘陵阪険原濕、土地所 宜、五穀所 殖、以教 導民 。 (『礼記』(月令第六)より一部抜粋)
ポイントは、
「天子親ら耒耜を載せ、(中略)躬ら帝藉を耕す。」の箇所。
コレ、つまり、初春の月に、
天子が人民に率先して
親ら耕す儀式を行ってた
ってこと。これを、
親耕
といいます。古代における理想の天子像。
これはつまり、
天下に、農耕のはじまりを告げる。つまり、時を告げる儀式
だってこと。激しく重要。
2点。
- 民に先駆けて自ら田んぼを耕す=率先垂範する理想の天子像であること
- 農耕の始まりを告げる=時を告げる=時間を司る=天子の専権事項であること
1つ目。
民に先駆けて自ら田んぼを耕す
コレ、まさに率先垂範。理想の上司像、いや、天子像。自ら率先して行うことで民に教示する。民はその姿を見てついていく。
超重要概念です。しっかりチェック。
2つ目。
農耕の始まりを告げる
率先垂範してる、あースゴイ、だけでなく、実は、この先んじて行うことで、春の到来を告げる役割を担ってるってこと。大きく言うと、それは時を告げるということで。
天子にだけできて、一般ピープルにできないこと。それが、
時を司る、時を握る
てこと。日本では、その象徴が「改元」。天皇が代わるごと、または、天皇が思い立つごと、改元が行われる。つまり時が変わる。これができるのは天皇しかおりません。
これまた、超重要事項ですのでしっかりチェック。
以上2点、
- 民に先駆けて自ら田んぼを耕す=率先垂範する理想の天子像であること
- 農耕の始まりを告げる=時を告げる=時間を司る=天子の専権事項であること
「理想の天子像」ということで。土台となる概念としてご理解ください。
ちなみに、天子の「親耕」に対して、皇后は「親蚕」。つまり、蚕を飼うこと。蚕(幼虫)の繭から糸をつむいで機織りをすること。こちらも受け継がれております。
そのうえで、、、以下、千代田区における天皇の稲作と日本神話との繋がりについて、ディープにご紹介します。
皇居の水田の起源:日本神話に根差す天皇の稲作と稲に見る日本神話的信仰や思想
ココからいよいよ本題。千代田区における、宮中の田んぼ、天皇の稲作と日本神話との繋がりについて解説。その前に、まず、
日本神話が伝える「稲」に対する思想、信仰
についてお届け。非常に重要視されてるんです。
まず、日本神話で、日本の美称として登場するのが
「豊葦原千五百秋瑞穂之地」
コレ、全11文字熟語の長~い言葉ですが、、意味内容は以下。
「葦原」には稲が生育。つまり、豊かな葦原=豊かな稲がみのる場所って事。
「千五百」とは稲の収穫がめちゃめちゃたくさん、そんな秋。秋=1年の収穫の時でもあるので、千五百とかけて、めっちゃ長い間、年という意味も。
「瑞穂」はみずみずしい稲穂、みずみずしく豊かな、という意味。
まとめると、
豊かな葦の茂る広大な原でめっちゃ大量になんなら永遠に豊かな稲穂が収穫できるみずみずしくすばらしい地、の意味。
まースゴイ。これでもかってくらい予祝感満載のワードで。
最初に登場するのは、『日本書紀』第四段〔一書1〕
天神が伊奘諾尊・伊奘冉尊に言った。「豊かな葦原の永久にたくさんの稲穂の実る地がある。」(原文:天神謂伊奘諾尊・伊奘冉尊曰、有豊葦原千五百秋瑞穂之地。) (『日本書紀』巻一(神代上)第四段〔一書1〕)
ということで。
至高なる存在、天神によって予祝された、豊かな秋の実りが約束された地、
それが日本なんですね。
もっとあります。
日本の建国神話である神武東征神話では、
「秋津洲」
という、こちらも日本の美称が登場。
東征を成就させた神武天皇が、国見をするシーンがあるのですが、ココで、「国状」をはるかに望み見て、、
「蜻蛉が交尾している形のようだ」(原文:猶如蜻蛉之臀呫焉)(『日本書紀』巻第三神武紀より)
「蜻蛉」=トンボであり、トンボと言えば、水田に飛んでいる秋の実りを象徴する虫。
トンボが交尾して飛ぶ=たくさんのトンボが連なり飛ぶ=豊かな稲の実りがある
という事で、ココにも
「稲」を通じた豊かな日本を称える、あるいは予祝する思想がある訳です。
神代で天神が予祝した「豊葦原千五百秋瑞穂之地」は、様々な神話伝承を経て、神武天皇の東征と建国により「秋津洲」として結実した。
とも言えて、稲に寄せた古代日本人の格別な想いを、その信仰をまずチェックされてください。
国家・国民安寧の土台となる食
その中心的位置づけとして、象徴として、「稲」が設定されていて、そうした思想が日本神話に反映されてるんです。激しくチェック。
日本神話に根差す新嘗祭 稲の起源
皇居の水田から、日本神話を通じて、わが国では「稲」が中心的位置づけとされてること、確認しました。そのうえで、以下、
その「稲」がどのようにもたらされたのか?
これをテーマに深堀り解説。
今の私たちにとってみれば、稲フツーですけど、そもそも、どっから来たの?から説明していかないと、、、その価値とか重要性は伝わらない!
ポイントは、
- 五穀、特に稲の起源(そもそも論)
- 「新嘗」の起源
- 稲が地上世界にもたらされた経緯
の3つ。それぞれの、神話的出どころ、根拠。
てことで、以下。
①五穀、特に稲の起源(そもそも論)
まずは、五穀、そして稲の誕生と人の食用としての位置づけを明確にした神話から。
『日本書紀』第五段〔一書11〕。経緯としては、高天原の統治者として勅任された天照大神。最初のお仕事として、地上世界にいる食の神「保食神」の様子を偵察しに月夜見尊を派遣するのですが、月夜見の勘違い?により保食神を打ち殺してしまい、怒った天照大神が昼と夜を分けた。代わりに、天熊人を再度派遣する、、、というところから。
この後に、天照大神は天熊人を遣わし、往って様子を看させた。この時、保食神はすでに死んでいた。ただ、その神の頭頂部は化して牛馬と成り、額の上に粟が、眉の上に蚕が、眼の中に稗が、腹の中に稲が、陰には麦と大豆、小豆が生じていた。天熊人はそれを全て取って持ち去り、天照大神に奉った。
時に天照大神は喜び、「この物は、この世に生を営む人民が食べて活きるべきものである。」と言って、粟・稗・麦・豆を陸田(畑)の種とし、稲を水田の種とした。またこれにより天邑君を定めた。そこでさっそくその稲の種を、天狹田と長田に始めて植えた。その秋には、垂れた稲穂が握り拳八つほどの長さにたわむほどの豊作であり、たいへん快い。 (『日本書紀』神代上第五段〔一書11〕より一部抜粋〕)
ということで。
「五穀」、特に「稲」の発生起源神話。なんなら、畑作と稲作の起源譚にもなってます。
ポイントは、
- 稲は、地上の食物神「保食神」の腹の中に生まれた
- 天照大神が、「稲」を人民の食用として定め、そして水田の種とした
- 天上で天照大神自ら種を植え、田んぼを営んだ(稲作開始した)ところ、秋には豊作になった
の3つ。
食の神のお腹に生じた稲。人民のお腹を満たすという象徴的な意味が込められてますよね。そして、天照大神が稲を人民の食用として定めたことも重要。保食神のお腹に生じていた段階では、ただのそういう植物が生えてた、くらいしかないんですが、天照大神が定める事で初めて、食用としての意味をもつようになった、ということです。そのうえで、天照大神がみずから種を植え田んぼを営んだと。まさに理想の天子像、率先垂範であります。
コレ、構図としては、
天上で天照大神がやってるから、地上世界でもやってる
といった形。ある意味、
天照大神が模範を示している
とも言えて。天子の「親耕」。この高天原での実践を引き継いでいるのが、宮中での稲作なんです。
スゴイでしょ?神代のお話ですよ。それをずーっと引き継いでいる。う~ん、尊すぎる!
次!
②日本神話で伝える「新嘗」の起源
稲ができた、稲作も開始した、秋に収穫もできた、さー次は、、、そう、お祭りだー! ということで、今度は「新嘗」を伝える神話であります。
根国へ追放された素戔嗚尊が、暇乞いをしに天上へ。その際、天地鳴動させ上っていったことで天照大神が「国を奪いにきたっ」と嫌疑をかける。その潔白証明として「誓約」の儀式を斎行。これにより潔白を証明。で、調子に乗った素戔嗚尊が大暴れ、、、
この後には、素戔嗚尊の行うことが、甚だ常軌を逸脱したものであった。何かといえば、天照大神は天狭田・長田を御田としていたが、その時、素戔嗚尊が春にはその御田のすでに種子を播いた上にさらに種子を播き、しかもその畔を壊しなどする。秋には、天斑駒を放ち、稲の実る田の中に伏せさせ、また天照大神が新嘗をする時を見計らっては、新造した宮(新嘗を行う殿舎)にこっそり糞を放ちかける。また天照大神がまさに神衣を織って斎服殿に居るのを看ると、天斑駒の皮を剥ぎ、その殿の甍を穿って投げ込んだ。 (『日本書紀』神代上第七段〔本伝〕より一部抜粋)
ということで。
ポイントは、
素戔嗚尊が攻撃をしたのは、天照大神が持っている権威の象徴、つまり、田んぼ、祭祀、機織り。
素戔嗚は、めくらめっぽう攻撃した訳ではありません。意図して狙って攻撃を仕掛けてる。
- 田んぼ・・・天子の権威の象徴
- 新嘗・・・天子が行う祭祀の象徴
- 斎服殿・・・皇后の権威の象徴
よーく考えて攻撃してる訳です。逆に言うと、これら、稲作、新嘗祭祀、機織は、権力者の象徴であって。この点をしっかりチェックされてください。
実際、これを引き継ぎ、
- 天皇は、稲作と新嘗のお祭りを、
- 皇后は、養蚕、機織りを
それぞれ担当している訳です。
ちなみに、、、本文、さらっとですが、天照大神が新嘗を行っていることを伝えてます。お祭り用に殿舎を新造してるんですよね。
であるからして、、、地上世界でも当然のように新嘗を行う訳です。
次!
③日本神話で伝える「稲」が地上世界にもたらされた経緯
稲ができた、稲作も開始した、秋に収穫もできた、お祭りをした。天上世界では一連のサイクルが確立したと。さー次は、、、そう、地上世界で再現、地上世界へ継承だー!
てことで、登場するのが『日本書紀』第九段。
天孫降臨の異伝版。ココでは、天照大神が自ら高天原で育てていた「斎庭の穂(聖なる田んぼで育った稲穂)」を授けるシーンがあります。該当箇所を絞ってお届け。
(天照大神は)勅して、「私が高天原に作る神聖な田の稲穂を、また我が御子に授けよう」と仰せられた。(『日本書紀』神代下第九段〔一書2〕より一部抜粋)
ということで。
この、「私が高天原に作る神聖な田の稲穂」というのが、
「斎庭の穂」
と呼ばれる、超神聖な稲穂。
コレを直々に授かった火瓊瓊杵尊が、天児屋命・太玉命と諸部神等とともに降臨。これにより、
地上世界に「稲」が、しかも、天照大神が自ら育てていた神聖な稲がもたらされた、
という流れになります。
さらに、もたらされた稲をもとに、その後、新嘗が行われたことも伝えてます。それが続く『日本書紀』第九段〔一書3〕。つながるつながる。
天降った火瓊瓊杵尊は、大山祇神の娘「鹿葦津姫」と結婚、鹿葦津姫は一夜で妊娠します。これにより不義の子を孕んだと嫌疑をかけられた鹿葦津姫は、火中出産によって嫌疑を晴らします。そこからの流れ。
またその時、神吾田鹿葦津姫は、占いによって定めた神聖な田を名付けて狭名田と言った。その田の稲で天甜酒を醸して嘗を催した。また渟浪田の稲をご飯に炊いて嘗を催した。 (『日本書紀』神代下第九段〔一書3〕)
ということで。
占いによって定めた特別な田んぼ(卜定田)を、「狭名田」と名付け、そこで収穫した稲を天甜酒に醸して嘗し、また渟浪田の稲を飯に炊いて嘗として催した。。。
火瓊瓊杵尊が天照大神から授かった斎庭の穂を、降臨後に植え、育て収穫した米で酒と飯をつくり、それによって嘗を行ったことを伝えてる訳です。
つまり、
天上の天照大神の意向を確実に体現し、成就した証しとして伝承化した内容
になってます。
てことで、ここで一度まとめると。
①そもそも論として、稲の発生起源は「保食神」の腹の中。それを天上に持ち帰り天照大神が意味づけ。人民が食し、人民を活かすものであると。
②そのうえで、種として植え、育ててみると、秋には豊かな実りを得た。自ら率先して、稲の育成方法を示す。
③さらに、新嘗は当然のこととして行い、これにより、植えて→育てて→実って→お祭りする、というサイクルが天上世界で確立。
④これを承けて、天孫降臨に際し、天照大神から「斎庭の穂」として火瓊瓊杵尊に授けられ、これが地上世界へもたらされる。
⑤最後に、地上世界でも新嘗が行われたことをもって、天上世界と同じサイクルが確立したことを伝える。
そんな流れ。
壮大、、、
すごい世界観、そして構想力。マジでぶっとびすぎでしょコレ。古代日本人の情熱と智恵の結晶。素晴らしいですよね。今、私たちがフツーに食べているお米には、そんな神話的背景があったって事。今まで以上にありがたくいただきます。
ということで、神代における新嘗の起源神話でした。それが、歴史の時代へ、そして現代へ受け継がれていること、是非チェック。
皇居に水田が?!天皇が自ら稲を育てる「親耕」を、日本神話から紐解いてみる まとめ
宮中の水田
日本の中心、東京。そのさらに中心である千代田区に広大な皇居があります。
この皇居の一画で、天皇が、自ら水田で稲を植え、育ててらっしゃいます。
日本の中心で水田を営む、、、そんな奥ゆかしい事をするのは日本広しと言えど、天皇をおいておられません。
古くは、天子が人民に先んじて、田を耕し春の訪れを知らせる「親耕」という伝統があり、もっというと、日本神話に起源があって。
とんでもなく奥ゆかしい伝統と率先垂範の姿を、天皇は自ら体現されてる訳ですね。
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