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神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ
今回は21回目。
長髄彦誅殺により、東征神話における最大の山場を乗り越えた神武こと「彦火火出見」。
残る課題は「建国・即位」へむけた「準備」です。
大きく4つ。
- 中洲(=大和平野)平定
- 東征の事蹟にちなむ地名起源設定
- 宮殿造営
- 天皇にふさわしい嫁をもらう事
全3回に渡ってお届けしております。
前回、中洲平定と事蹟伝承をお届けましたので、今回は、3項目目、宮殿造営をピックアップ!
橿原宮殿造営|東征開始から6年が経過した今、天照から始まる神々の系譜や政治を踏まえ素晴らしい国をつくろうとした件
前回の内容はコチラで確認ください。
即位に先立って造営命令。
宮殿を経営みて、恭みて宝位に臨み、元元を鎮むべし。
- 「経営む」とは、宮殿建設とその後の国家運営を念頭に置いた言葉。
- 「天皇として即位すること」を「宝位に臨む」と表現。「宝位=皇位」のこと。
- 「元元」とは、「人民」のこと。「鎮める」ということで、「安心して暮らせる国をつくり治めよう」という訳です。
この壮大な建国ビジョン、スゴイですよね。ビリビリきます。
この命令をくだしたとき、東征開始から6年が経過していました。
6年ですよ。6年。
6年前、みなさんは何をされてたでしょうか?
1つの事を、壮大なビジョンを、6年もの歳月と様々な苦難を経てようやく実現しようというタイミング。
このときの彦火火出見の心中やいかに?ここ最高の神話ロマンだと思います。
そして、本文中、最大のポイントは以下。
上にあっては天神がこの国を授けた徳に答え、下にあっては皇孫が正義を養育した心をおしひろめる。そして全世界を合わせて一つにし、都を開き、天下をおおって一家とするのだ。
- 「天神」とは、ここでは、天照大神並びに高皇産霊尊の2神のことです。
- 「この国を授けた徳」というのは、上記2神が、天孫降臨した瓊瓊杵尊に、地上つまりこの国を治めさせたことを言います。
- 「皇孫が正義を養育した心をおしひろめる」というのは、皇孫=瓊瓊杵尊の目指した「正しきを養うという御心を弘める」と言う意味。
そして、世界を一つにして素晴らしい政治によって天下をおおい、一つの家族として安心して暮らせる国をつくろう、と宣言した訳です。
つまり、彦火火出見は天照大神から始まる神々の系譜や政治を踏まえて「素晴らしい国」をつくろうとした、という事であり、その為の宮殿である、と伝えているのです。
ちなみに、宣言最後の「天下をおおって一家とするのだ。」という言葉、原文では「掩八紘而爲宇(八紘をおおいて宇となす) 」と表現しています。
これ、簡単に言うと「八紘一宇(世界を1つの家、家族とする)」。戦前の使われ方はさておき、そもそもの原点はココにあることは要チェックです。本件別エントリで語ります。
さて、上記ポイントを踏まえて以下、本文を読み進めていきましょう。
神武東征神話本文

3月7日[1]、彦火火出見は命令を下した。
私が自ら東征を開始してからここに六年の月日が経過した。
天神[2]の神威により、凶暴な賊どもは誅殺された。遠く辺境の地はいまだ静まらず、人を惑わす妖怪はなお勢いが強いが、中洲の地[3]は少しも騒乱がない。
今、まさしく、天皇の都を造営し大きく広げ、大壮[4]に則るべきだ。
ただ、今は世がこの屯蒙[5]に属し、民心は粗朴である。彼らは穴に住み[6]、未開の風習が常である。
そもそも、聖人[7]が制度を定めれば、義は必ず時勢に合うものである[8]。いやしくも民に利益を与える事があれば、聖人による宮殿の造営[9]を妨げるものはなにもない。今こそ、山林を伐り開き、宮殿を造営し、謹んで皇位に即し、人民を治めなければならない。
上にあっては天神がこの国を授けた徳に答え、下にあっては皇孫が正義を養育した心をおしひろめる。そして全世界を合わせて一つにし、都を開き、天下をおおって一家とするのだ。なんと素晴らしいことではないか。
はるか見渡せば、あの畝傍山の東南の橿原の地は、思うに国の奥深くにある安住の地であろう[10]。ここに都を定めよう。
この月に、さっそく役人に命じて宮殿の造営を開始した。
注釈
[1]辛酉(かのとり)が朔の丁卯(ひのとう)。
[2]原文「皇天」、『後漢書』巻九・献帝紀に「頼皇天之霊」とあり、大いなる天、あるいは、天帝をいう。ここでは天照大神を指す
[3]東征の当初から目指してきた理想の地で、天下統治を行う中心の地をいう
[4] 『周易』下経の卦の名。『文選』巻六・魏都賦に「搴大壮」とあり、その李善の注に「大壮は易の卦の名なり。易に曰く『上古は穴居して野処(やしょ)す。後世に聖人之(これ)を易(か)うるに宮室を以てす。棟を上にし、宇を下にし、以て風雨を御示(ふせ)ぐ』蓋し、諸(これ)を大壮に取る。壮観と謂うなり」とある。この中の文をもとに以下の文を構成している
[5] 『周易』の序卦伝(じょかでん)に「屯(ちゅん)」は物の始めて生ずるなり。物生じては、必ず蒙(もう)、故に之れを受くるに蒙を以てす。蒙は(中略)物のおさなきなり」とあり、これによる
[6] 『礼記』礼運に「昔は先王に未だ宮室有らず。冬は即ち営窟(えいくつ)に居り、夏は即ち檜素に居る」とあり、冬は穴に住み、夏は樹の上に住むことをいう
[7] 原文「大人(たいじん)」。中国古代の理想である聖人をいう
[8] 『周易』随の卦に「咎無く、天下時に随(したが)う。時に随(したが)うの義、大なるかな」とある
[9]原文「聖造」。聖人が製造することで、神武天皇による宮殿の造営をいう
[10] 原文「墺区(おうく)」。『文選』巻一・西都賦「天地の墺区」による。そのなかに「説文に曰く、隩は四方の土、安居すべきものなり」とあり、奥深く安住に適した地をいう。「中洲」の中心地にあたる
原文
三月辛酉朔丁卯、下令曰
「自我東征、於茲六年矣。頼以皇天之威、凶徒就戮。雖邊土未淸餘妖尚梗、而中洲之地無復風塵。誠宜恢廓皇都、規摹大壯。而今運屬屯蒙、民心朴素、巣棲穴住、習俗惟常。夫大人立制、義必隨時、苟有利民、何妨聖造。且當披拂山林、經營宮室、而恭臨寶位、以鎭元元。上則答乾靈授國之德、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而爲宇、不亦可乎。觀夫畝傍山東南橿原地者、蓋國之墺區乎、可治之。」
是月、卽命有司、經始帝宅。
『日本書紀』巻三 神武紀より
まとめ
橿原宮殿造営
再度おさらいを。背景を理解しないと全体の理解が進みにくいので。そもそも論いきます。
まず、
- 天照大神→おしほみみ①→瓊瓊杵尊②→山幸彦③→ふきあえず④→彦火火出見⑤
の順番。ということで、彦火火出見は天照大神の第5世代直系子孫。まずこれチェック。
詳しくはこちらで。
でだ、
- 瓊瓊杵尊の子が山幸彦
- そして、山幸彦の名前は「彦火火出見尊」
という設定をベースに、
自らを「彦火火出見(ひこほほでみ)」と名乗り、「瓊瓊杵尊の子」として自らを位置づけた。これもチェック。
でだ、
- 瓊瓊杵尊は、天孫として初めて地上に降臨し西偏を統治した神様。神武からすると、ご先祖様以上に聖人的位置づけのお方。
- 瓊瓊杵尊は、西偏とは言え、初めて地上の統治、政治を行ったお方。
その政治は、聖人の政治であり、彦火火出見にとって模範であり、見本という訳です。
でだ、
- そもそも、この国を瓊瓊杵尊に授け、統治させたのは、天照大神はじめ天神の徳の成せるワザ。
その奥ゆかしい徳に答える事は、直系子孫として当然の事。というロジック。
こうして見てくると、以下の事が言えるわけです。
- 天照大神の直系子孫(=天孫)である彦火火出見が、
- 瓊瓊杵尊の子として「彦火火出見」という名を自ら名乗り、
- 天照大神はじめ天神がこの国を瓊瓊杵尊に授けた「徳」に対して、瓊瓊杵尊と同じように答えるとともに、
- 瓊瓊杵尊の目指した正しきを養うという御心を弘めることを、自らの政治の理想とした。
- そして、皇統の正統な後継者としての自覚に立ち、その精神を体現する政治の実現を目指した。
というのが、この造営宣言の背景にある考え方なのです。極めてロジカルで、どこまでも奥ゆかしい内容となっております。
そのうえで、選ばれた地が「橿原」だったという訳。
はるか見渡せば、あの畝傍山の東南の橿原の地は、思うに国の奥深くにある安住の地であろう。
「安住の地」と伝えているところに、
- これまでの戦闘や苦難や試練が踏まえられいること
- 人民が安心して暮らせる国をつくりたいという想い
が感じられて、心にぐっとくるのです。ほんと、どこまで奥ゆかしい神話なんだ。。。
と、いうことで、「建国・即位準備」の4項目。
- 中洲(=大和平野)平定
- 東征の事蹟にちなむ地名起源設定
- 宮殿造営
- 天皇にふさわしい嫁をもらう事
のうち、3項目を達成。続きまして、天皇にふさわしい嫁探しだ!
続きはこちらで!
本シリーズの目次はコチラ!
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本記事監修:(一社)日本神話協会理事長、佛教大学名誉教授 榎本福寿氏
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)、他
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