神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑|長髄彦との決戦の地はどこ?碑は立てど磐余から30キロ。。。実際問題よく分からない件

神武東征神話をもとに「東征ルート」を辿り、書紀文献とあわせて検証してみた件

どこまでもアツく奥ゆかしい日本建国神話である「神武東征神話」。でも、「それってホントにあったの?」「ウソでしょ!?」「実際どこよ?」的な興味と疑問にお答えするシリーズ。

なんと、嬉しいことに西日本を中心に「多分ココ的なところ」を集めたスポットがあるのです!

それが、顕彰碑けんしょうひとか伝承碑でんしょうひの皆さんm9( ゚Д゚) ドーン!

日本建国神話の舞台ですから、超パワースポットであります。その地その地が選ばれたのは理由があるからで、それらの謎とかを神話ロマンと合わせて探っていこうという、これまた激しく奥ゆかしい取組みが本シリーズであります!

今回は、奈良鵄邑とびむら

ここは、大和最大最強の敵、長髄彦ながすねびことの最終決戦の折、金色に輝くとびが飛来したというスーパー重要スポット

 「神武天皇 聖蹟 顕彰碑」のマニアックな詳細はコチラ↓でご確認いただくとして、

以下、実際に行ってみたので、どうなのよ?的なところをご紹介です。

 

聖蹟鵄邑顕彰碑|長髄彦との決戦の地はどこ?碑は立てど磐余から30キロ。。。実際問題よく分からない件

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鵄邑にまつわる神話的背景

「鵄邑(とびむら)」にまつわる神話はコチラ↓で確認ください。

『日本書紀』神武紀

ポイントは、

  • いよいよ長髄彦軍を攻撃するも、なかなか勝利を得られず苦戦が続いていた。。。その時!
  • 忽然たちまちに、天くら氷雨ひさめふる」なか、「金色のあやしきとび」が飛来し神武の弓の先に止まる。
  • 金鵄きんしの「光り曄煜かがやき、流電いなびかりの如し」という威力に、長髄彦の兵卒はみな目がくらみ、戦闘不能の状態に陥る。

長髄彦との最終決戦のこう着状態を「金鵄飛来」によって打破したわけです。

 

別エントリでも触れましたが、

「金鵄の瑞(みつ)」は、言わば「天が、彦火火出見の聖徳に応えて示したスーパーなしるし」

  • 直接的には、長髄彦軍の目をくらませ、ひるませたこと。
  • 間接的には、彦火火出見の「聖徳の証明」、そして「戦闘の勝利のサイン」となったこと。

とんでもなく重要なシーンであり、スポットという事です。

ということで、そんな神話ロマンに想いをはせながら目指しましょう。

 

鵄邑顕彰碑への道

奈良県生駒市上町の「西村橋東詰交差点」から少し南のところにあります。

 

奈良交通バス「出垣内(でがいと)」バス停を目指します。

金鵄顕彰碑 (7)

バス停降りてすぐのところに細い入口があります。

 

金鵄顕彰碑 (6)

▲南方向へ。左に壁が少し切れているところがありますが、ここが入口。。。

 

金鵄顕彰碑 (8) 金鵄顕彰碑 (11)

▲あったー!!!親切に、看板付きであります。

 

金鵄顕彰碑 (9) 金鵄顕彰碑 (12)

登っていくと。。。

金鵄顕彰碑 (14)

キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!

 

金鵄顕彰碑 (18) 金鵄顕彰碑 (20)

碑には

神武天皇戊午年十二月皇軍ヲ率ヰテ長髄彦ノ軍ヲ御討伐アラセラレタリ時ニ金鵄ヲ得サセ給ヒシニ因リ時人其ノ邑ヲ鵄邑ト號セリ聖蹟ハ此ノ地方ナルヘシ

とのこと。

 

金鵄顕彰碑 (23)

▲周囲は、こんな感じで。。。良く分からない。。。一応、小高い丘の上に立っとります。

 

って、これだけでは終われないので、場所について少し触れておきます。

 

最終決戦の場所の確認

最終決戦ということで、今までのおさらいも含めて俯瞰を。

視点としては、以下の目線。「孔舎衛坂の激戦」で敗退し、今回、再度、宇陀榛原方面から大和平野入りを果たします。

中洲=大和平野

大きな違いは、進軍する方向。

  • 西から東へ=昇る太陽へ向かって矢を向ける
  • 東から西へ=太陽を背に、その力を背後に受けて矢を向ける

神策の神髄であります。

中洲=大和平野2

大和平野=中洲(ちゅうしゅう)=世界の中心=東征で目指した約束の地

で、やっぱり気になるのが、大和最大最強の敵、長髄彦はどこにいたのか?

という話。

だって、それによって、最終決戦の場所も変わるはずで。。。

 

ですが、書紀には詳しい支配地域等の記載がありません。

  • (当初)東大阪から山越えルートで大和へ入ろうとしたのを聞きつけて、立ちはだかり、孔舎衛坂で戦いになった。
  • (神策後)東征軍は長髄彦の軍を攻撃したが、なかなか勝利を得ることができない。

といった記載があるのみ。その上で、

  • 東征軍が金鶏の「瑞(みつ)」を得るに及んで、時の人は、この地を「鶏邑(とびむら)」と名付ける。今、「鳥見(とみ)」というのは、それが訛ったものである。

と伝えるだけ。。。。

で、ここらへんの地名、「とみ」という名称は見当たらず。。。

 

ココ、ホントか?

 

って、いずれにしても、上記内容から、長髄彦がいた地域は、

少なくとも、「孔舎衛坂」より東側であり、「磐余(いはれ)」より西側の一帯と推測されます。

中洲=大和平野3

最終決戦の前が、奈良県桜井市の「磐余(いはれ)」だったので、

磐余から、鵄邑顕彰碑までは、結構距離があって、
どんだけ奥へ進んだんだよ・・・とツッコミどころ満載な感じが出てくるのです。

 

そんな感じで立ってる「鵄邑顕彰碑」。

どうなんでしょうか?

 

いうことで、

 

行きましょう。恒例の。。。

 

勝手に認定結果

委員会の皆様には大変恐縮ではございますが、

こちら、

金鵄飛来

とさせていただきます。

御査収の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

だって、離れすぎてて分かんないんだもん。マジで。

 

まとめ

鵄邑聖蹟顕彰碑

鵄邑は、長髄彦との最終決戦の折、金色に輝くとびが飛来した場所。

これは「天が、彦火火出見の聖徳に応えて示したスーパーなしるし」。

  • 直接的には、長髄彦軍の目を眩ませ、ひるませたこと。
  • 間接的には、彦火火出見の聖徳の証明並びに、この戦闘の勝利のサインとなったこと。

とんでもなく重要なシーンであり、スポットという事です。これにより苦戦続きの戦闘が一気に打開される流れ。

碑が建つ場所は、直前の戦闘地である奈良県桜井市磐余から30キロ以上も離れているため、にわかには信じがたい。。。汗

長髄彦の支配地域とも関係することなので、そのあたりの神話ロマンも含めて訪れると良いと思います。

 

鵄邑顕彰碑

奈良県生駒市上町の「西村橋東詰交差点」から少し南のところにあります。奈良交通バス「出垣内(でがいと)」バス停を目指しましょう。

バス停降りてすぐのところに細い入口があります。

トイレ無し

駐車場無し

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5件のコメント

さるたひこさん、はじめまして。奈良県生駒市の山上と言います。神話の記事、大変興味深く読ませていただきました。私は日本人でありながら神武神話の事をあまりに知らなさすぎると恥ずかしく思い、一方で身近な土地が出てきて、興奮して面白くて、記事をむさぼる様に読みました。金鶏の、とび、とみ、という地名がない、と書かれていましたが、地元民にはわかります。存在します。富雄(とみお)です。金鶏の尾と解釈できないでしょうか?長髄彦の支配地域の北側にあたります。長髄彦の軍勢を支配地域の北の端まで追い詰め、ここで最後の必死の抵抗にあい苦戦した、と解釈できないでしょうか?富雄は地元民の知る人ぞ知る、負のマイナスパワースポットです。富雄の防空壕でぐぐれば、心霊スポットとして出てくると思います。防空壕の横に小さな滝があり、戦後に新興宗教の教祖が修行したと言われる場所です。この心霊スポットは矢田山自然公園?にあり、奈良から暗峠への街道沿いの小さな丘の裏手にあります。長髄彦の終焉の地を地元民は負のマイナスパワースポットとして記憶している、とは思えないでしょうか?長々と駄文失礼しました。本当に面白い記事を読ませていただき、ありがとうございました。

>山上さん
はじめまして。さるたひこと申します。
エントリいただきまして本当にありがとうございます。ご連絡おそくなってすみません。
山上さんから教えていただいた地元の知る人ぞ知るスポットなど、とても興味深く、勉強になりました。個人的にはそういうの大好きです!
さて、いただいた内容について、以下、回答申し上げます。

まず、「鵄邑(とびむら)」については、岩波書店発行『日本書紀 上』の頭注3においては、以下のように説明されています。
「奈良県生駒郡生駒町の北部から奈良市の西端部(旧富雄町)にわたる地域。
この地は、続日本紀、和銅7年11月条に「登美郷」として現れ、以後、平安・鎌倉・室町・江戸の各時代を通じて「鳥見庄」または「鳥見谷」の名を伝え、その地内を貫流する富雄川も、もと「富河」または「鳥見川」と呼ばれていた。」
要は、岩波においても、長髄彦との最終決戦の地については「よう分からんけど、たぶんこのあたり」と説明してるのが実際の所で。これは、書紀本文においても「鵄邑(とびのむら)、訛して鳥見(とみ)と云ふ」という「邑落(村里)」について言及しているだけなので、どうにもこうにもよく分からないという事のようです。学界的にも決戦場は依然として不明です。ですが、これはつまり神話ロマンがふくらむところだと思いますし、あれこれ想像したくなりますよね。
そのなかで、「金鶏の尾と解釈できないか」とのご意見をいただきました。ありがとうございます。まず確認したいのは、ここでは「金鶏(きんけい)」ではなく「金鵄(きんし)」、金色のトビです。ここ大事なので是非チェックされてください。
で、上記岩波での説明にも関連しますが、このあたりは、奈良時代の和銅以降、鳥見庄、鳥見谷の名を江戸時代まで変えていないことが分かりますし、富雄川も「もと富河、鳥見川」とのことで、つまり、ご推案の「富雄」の名称は比較的新しいもの、明治以降かと思われます。なので、おそらく「トミ」+「オ(ヲ)=尾」という地名起源はなかなか成立しづらいかなと思う次第です。一方で、マイナスパワーを引き寄せる雰囲気や、その土地が持つなにかしらのパワーみたいなものは個人的にはあると信じてるタイプなので、それはそれでアリなのではないでしょうか。
長々と書き連ねましたが以上となります。今後ともどうぞよろしくお願いします。

ご回答ありがとうございます。鶏ではなく鵄、大事ですね(笑)本当に私の知らない事だらけです。確かに、すぐ北側に登美ヶ丘という高級住宅街があります。大阪市内から地下鉄が伸び、今後発展しそうな地域です。あまり開発が進まない事を個人的に祈ります。
さるたひこさんの記事を頼りに、和歌山の熊野に行ってきました。神倉神社、度肝を抜かれました。社殿裏の巨石が転がり落ちてくるんじゃ、と気が気ではありませんでした。時間的に神倉神社が日没直前、花窟神社が夜、そして大泊海水浴場で夜を明かしました。ライトアップされた花窟神社はそれは荘厳な雰囲気で、信仰心のない私も心を打たれました。夜にも関わらず一心不乱に祈る人、般若心経を唱える人。神仏習合なんですね(笑)現地に行かれたさるたひこさんは気づいたと思いますが、花窟神社と大泊の間に、鬼ヶ城という世界遺産がありました。夜明けとともに行きましたが、こちらも度肝を抜かれました。大泊から鬼ヶ城の絶壁を抜けると花窟神社のそばに出ました。坂上田村麻呂が多我丸という海賊を討伐した伝説があるそうです。まさに海賊が出そうな雰囲気でした。神武天皇も大泊に上陸する際、鬼ヶ城は怖かったと思います。

さるたひこさん、はじめまして。
地元、奈良の住人でやまねと申します。
昨年末あたりから天皇陵巡りやら神武東征関連巡りをしてまして、
このサイトも随分と参考にさせていただいています。
地元と言ってもこういう視点で見直してみると知らないことだらけ。
というのが実感でして、ここもしょっちゅう前を通る割には
聖蹟碑があること自体知りませんでしたし。

このあたり確かに「とみ」を関する地名がやたらでてきます。
富雄川もそうですし、登美ヶ丘、鳥見通り、鳥見小学校etc
これも和銅時代からの流れと。。

今日は少しだけ時間があったので立ち寄ってきました。
天忍穂耳神社もすぐ近くなのでそちらも。
ここ駐車場やトイレはありませんがバス停の反対側北側の
交差点に大きなコンビニができましたので、利用できると思います。

ナガスネヒコはトミノナガスネヒコともいい、
このあたりを拠点としていたという説もあるようですから、
大和平野を制圧した最後の総仕上げとして、
ナガスネヒコ勢力を一掃したということなのでしょうね。
と考えないと、30キロも北上する意味もなさそうですし。

話は変わりますが、この夏、名草邑顕彰碑まで出かけた時のこと。
他の方のサイトで田んぼの軒から比較的ましなアプローチルートが
あるようなので探してみたら、竹藪を荒らされるのを恐れたのか
地主さんが物理的に柵を作って入れないようにされてました。

また、消防学校は現在(撤去)工事中のため進入不可のため、
このサイトで紹介されていたとんでもルートしか入ることができません。
この時は夏の盛りということもあり諦めました。。
他の顕彰碑もそうなんですが、なぜかじめじめした山の中が多い
イメージです。

地元には学研登美ヶ丘線の北生駒駅近くの丘が金鵄の降り立った場所だ。
などという説があったり、戦前の近鉄線の路線図では富雄駅ではなく
鵄邑駅という表記が残っているようです。

神武東征巡りもまだ新宮方面や岡山、九州と宇陀を
残しているのでまだまだかかるんですが、今後とも参考にさせていただきます。

>やまね 様
はじめまして。さるたひこと申します。
エントリいただきましてありがとうございます!
東征神話関連巡りで当サイトをご参考にいただいている事、心より感謝申し上げます。
やまね様ご指摘の通り、この辺りは「とみ」を彷彿とさせる地名がいくつもあり、かなりの「ロマン広がるスポット」かと思います。
是非ご自身の神話解釈を広げていっていただければ幸いです。今後、神話講座等を開催していこうと思っております。その時にも是非、ご参加いただきいろいろ教えていただければと思います。
名草邑顕彰碑の件も、ご指摘通りです。ホント、なんでわざわざこんな所に???と疑問ばかりが広がる、それはそれで「ロマン広がるスポット」になっているかと思います。
当サイトとしても今後、東征神話のみならず、他の神話も最新の学術成果をもとに情報を発信してまいります。引き続き日本神話.comをどうぞよろしくお願い申し上げます。

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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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