「畝尾都多本神社」は、奈良県橿原市にある神社。
天香久山の西側、奈良文化財研究所の隣にひっそりと鎮座。
コチラ、全国的にも珍しく、井戸が御神体の神社で、「啼澤神社」(「哭沢神社」「泣沢神社」)といった別名アリ。
そして
この「啼澤の神」は、『日本書紀』の神代紀に伝えるめちゃんこ古い神様。その経緯は、伊奘諾尊、伊奘冉尊の神生み神話に由来します。
今回は、『日本書紀』で伝える伝承も含めて「畝尾都多本神社」の全貌を、その日本神話的スゴさと合わせてご紹介します。
畝尾都多本神社|最愛の人へ寄せる涙からうまれた愛の女神「啼沢女命」を祭る!畝尾都多本神社の全貌を日本神話的背景も含めてまとめてご紹介!
目次
畝尾都多本神社の日本神話的背景
まずは当サイトならでは、「畝尾都多本神社」の御祭神「啼沢女命」にまつわる日本神話をご紹介。
「畝尾都多本神社」の御祭神「啼沢女命」は、『日本書紀』の神名。『古事記』では「泣澤女神」と表記されます。いずれも、日本神話の「神生み」で登場する、非常に由緒のある神様。
今回は、正史『日本書紀』からご紹介。
背景を先に。
経緯としては、伊奘諾尊と伊奘冉尊による国生みにより「大八洲国」が誕生、そして「天下之主者」はじめ あらゆる神を、そして山川草木など あらゆるものを生む、という流れ。
この中で誕生するのが、火神「軻遇突智」。この火神の火によって、母である伊奘冉が焼死。愛する妻を失った伊奘諾尊の恨みと悲痛、そして流れ落ちた涙から誕生するのが「啼沢女命」であります。非常にドラマチックな場面であります。
その火神の軻遇突智が生まれるに至って、その母の伊奘冉尊は焦かれ、化去った。その時、伊奘諾尊は恨み「このたった一児と、私の愛する妻を引き換えてしまうとは。」と言った。そこで伊奘冉尊の頭の辺りを腹ばい、脚の辺りを腹ばいして、哭いて激しく涕を流した。その涕が落ちて神と成る。これが畝丘の樹下に居す神である。名を啼沢女命と言う。
至於火神軻遇突智之生也 其母伊奘冉尊 見焦而化去 于時 伊奘諾尊恨之曰 唯以一兒 替我愛之妹者乎 則匍匐頭邊 匍匐脚邊 而哭泣流涕焉 其涙墮而爲神 是即畝丘樹下所居之神 號啼澤女命矣(引用:『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 〔一書6〕より)
ということで。
そもそも、神代紀伝承において具体的な地名まで出して神を伝えるって結構珍しくて。伊奘諾、伊奘冉、住吉三神、大三輪などと並ぶくらいの破格の扱い。それだけ重要な位置付けだったってことです。ココ、激しくお伝えしたい。
「啼沢女命」誕生のポイントは2つ。
- 最愛の妻の焼死という非常に劇的なシーンであること
- その喪失の怒りや悲痛を激しい表現で伝えてる(恨む、腹這う、哭く)なかで誕生したこと
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神の力、神威は、誕生する元になるものや、誕生方法の激烈さによって決まります。
その意味で、「啼沢女命」は、非常に激烈なシーンで、しかも、喪失の悲痛が一番高まったところで流れ出る涙から誕生した神、ということで、非常に神威のある神様なんです。
なんていうか、、、
愛やね
最愛の人へよせる涙から生まれた愛の女神。それが「啼沢女命」
これは、
後ほど紹介しますが、桧隈女王が、夫の高市皇子の回復と延命を「哭澤の神」に祈ったのに亡くなってしまった、という歌にも表れています。
今でこそ、社殿はかなり残念な感じになってますが、日本神話的にはめちゃんこスゴイ。この神話的背景と御祭神の神威のスゴさ、しっかりチェックです。
畝尾都多本神社の場所
さて、「畝尾都多本神社」の御祭神「啼沢女命」の日本神話背景をチェックしたところで、ココからはリアルな現場をご紹介。
「畝尾都多本神社」は奈良県橿原市にあります。奈良県橿原市木之本町114。
▲こちら、神社周辺の様子。この道の奥左手に奈良文化財研究所。コミュニティバス「別所町」下車徒歩約10分くらいのところ。
位置的には、天香久山の西側。
このあたり、大和三山を結ぶ三角形の中にあって、例えば橿原神宮からの散策コースとして、藤原宮跡とかを回りながら来れたりします。
▲「畝尾都多本神社」の入口の様子。ほんと、ひっそりと鎮座。てか忘れられてる???
畝尾都多本神社の創建経緯
古く、延喜式内社の「畝尾都多本神社」と比定されており、同じく式内社の「畝尾坐健土安神社」がすぐそばにあり。こちらは土の神様。
歴史的な創建経緯は、実際の所不明。飛鳥時代には既にあったと推定されてます。社殿は明治時代に再建。
社名である「畝尾都多本神社」の、「畝」は、田んぼの「畝」。うねってるところ。「尾」は、先っぽ。
天香久山から小さな山裾がうねうねと連なってる先っぽのあたりにある都多本神社、という意味。
実際、地形を俯瞰してみると、たしかに、天香久山から小高い丘のような感じでうねうねと続いてる先っちょのところに鎮座。
さらに、
境内は全体が森林で、北方が一段低い地形になっており、古代の埴安池の一部もしくは水源地であったと考えられてます。
畝尾都多本神社の境内
今ではすっかり忘れ去られた感じで。、、うっそうとした鎮守の森感。。地元の方々がなんとか守っておられます。コチラの神社を見ておられるのが、天香山神社の宮司さん。
天香久山がすぐ近くなので、是非足を運んでみてくださいね。
▲コチラ、先ほどご紹介した、桧隈女王が詠んだ歌の歌碑。
哭澤の神社に神酒すゑ祷祈れども 我ご王は高日知らしぬ (『万葉集』巻第二-202)
訳:泣沢神社の女神に神酒を捧げて皇子の延命を祈ったのに、皇子はついに天を治めになってしまわれた(お亡くなりになられた)
『万葉集』巻第二-202の注に、
「右一首、類聚歌林に曰はく桧隈女王の泣沢女神を怨むる歌といへり。日本紀を案ふるに云はく、十年丙申(696)の秋七月辛丑の朔の庚戌、後皇子命薨りましぬといへり」と伝える歌。
これは、
「十年丙申」=持統天皇十年(696)、天武天皇の息子で政治の中心人物であった高市皇子が亡くなったのですが、その際、妃である桧隈女王が夫の回復と延命を願い、哭澤の神に祈ったのに叶わなかった、そのことを恨み悲しむ歌。
そもそもが、日本神話で伝える、
伊奘諾尊が、最愛の妻を亡くした悲痛の中で流した「涙」から生まれた神、ということで、
桧隈女王が詠んだ歌はそういう神話世界のことを踏まえての内容なんですよね。
神話と歴史とロマンが交差する奥ゆかしい世界がココに。奈良サイコー!
▲境内の奥の方。左手がメインの「啼沢女命」を祭る拝殿。奥には八幡宮として三柱が祭られてます。
▲こちら、拝殿の様子。うーむ、、、
畝尾都多本神社のご祭神
最愛の人を亡くした悲しみを寄せる神、大切な人の回復や延命を祈る神
全国でも珍しい、井戸を御神体としています。
▲こちら、拝殿裏の井戸の様子。囲われた区画の中に井戸が、、、今は上は蓋がしてあります。
そして、
もう一つの、境内の奥にある八幡宮も。
八幡宮
御祭神
- 気長足姫大神(神功皇后)
- 比売大神(天照大神の姫)
- 八幡大神(応神天皇)
こちらは、後代のものだと思われます。
他にも
お稲荷さん
こちらは不明
ということで、現場からは以上です。
先程もお伝えしましたが、すぐ近くに畝尾坐健土安神社がありますので、そちらも合わせて参拝されてください。
こちらは此方で、神武東征神話にちなむ土の神さまをお祭りされてます。
いや、ホント、、、奈良サイコーだな!神話ロマンがゴロゴロ転がってます。是非!
まとめ
畝尾都多本神社
「畝尾都多本神社」は、奈良県橿原市にある神社。
天香久山の西側、奈良文化財研究所の隣にひっそりと鎮座してます。
コチラ、
全国的にも珍しく、井戸が御神体の神社で、
「啼澤神社」(「哭沢神社」「泣沢神社」)といった別名アリ。
そして
この「啼澤の神」は、『日本書紀』の神代紀に伝えるめちゃんこ古い神様。
その経緯は、伊奘諾尊、伊奘冉尊の「神生み神話」に由来します。
「啼沢女命」は、非常に激烈なシーンで、しかも、喪失の悲痛が一番高まったところで流れ出る涙から誕生した神、ということで、非常に神威のある神様。
このことは、飛鳥時代、桧隈女王が、夫の高市皇子の延命を「哭澤の神」に祈ったのに亡くなってしまった、という歌にも表れていて、この時代、すでに、最愛の人を亡くす悲しみを寄せる神として、なんならそこから、延命を祈る神として大きな信仰を集めていたようです。
今でこそ、社殿はかなり残念な感じになってますが、日本神話的にはめちゃんこスゴイ。是非ご参拝されてください。
住所 | 奈良県橿原市木之本町114 |
アクセス | コミュニティバス「別所町」下車徒歩10分ほど |
駐車場 | なし |
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