神武東征神話をもとに「東征ルート」を辿り、書紀文献とあわせて検証してみた件
どこまでもアツく奥ゆかしい日本建国神話である「神武東征神話」。でも、「それってホントにあったの?」「ウソでしょ!?」「実際どこよ?」的な興味と疑問にお答えするシリーズ。
なんと、嬉しいことに西日本を中心に「多分ココ的なところ」を集めたスポットがあるのです!
それが、顕彰碑とか伝承碑の皆さんm9( ゚Д゚) ドーン!
日本建国神話の舞台ですから、超パワースポットであります。その地その地が選ばれたのは理由があるからで、それらの謎とかを神話ロマンと合わせて探っていこうという、これまた激しく奥ゆかしい取組みが本シリーズであります!
今回は、盾津。
東大阪周辺は一旦これで終了。
「神武天皇聖蹟顕彰碑」のマニアックな詳細はコチラ↓でご確認いただくとして、
以下、実際に行ってみたので、どうなのよ?的なところをご紹介です。
盾津の概要
そもそものお話、「盾津で雄叫び」についてはコチラ↓でご確認ください。
要は、最初の戦闘で敗戦を喫したあと、草香江の津まで戻り、雄叫びをあげたというお話。
盾を立てて雄叫びしたので「盾津」。
シャレ??(;・∀・)
一般的には、敗戦後の停滞した士気を鼓舞するための雄叫び、という事なんですが、個人的にはこちら↓で書いた通り、
きっと、自責の念を含む、深くて悲しい雄叫びだったのではないかと思っております。
そんな「盾津」。ひと昔前は「盾津村」とか「盾津町」といった地名で残っていたのですが、近隣町村との合併により消滅。現在は、「盾津中学校」や「盾津交番」といった感じで残るだけとなっとります。
ですが!実はこのような神話的背景を持つ場所だという事です。
盾津顕彰碑への道順
「盾津顕彰碑」が建つ場所は、孔舎衙小学校の東。住宅地の中にぽつんと見捨てられたようにあります。
こちら170号線から孔舎衙小学校を北側角から見たところ。
生駒山の方へ入っていく細い道がありますので、ここを行きます。
孔舎衙小学校を右手に見ながら進みます。
ぎゃ、逆光。。。
で、これ。
ありました!
・・・てか、あるけどさ。。。
なんか、すんごい見捨てられた感満載なんすけど。。。
ゴミ。。。
捨てんなよー。
盾津顕彰碑
碑には
神武天皇戌午年三月皇軍ヲ率イテ青雲白肩津二至リ給ヒ翌四月孔舎衛坂二戦ハセラレ其ノ津二還リテ盾ヲ植テテ雄誥遊バサレシ二因リ地名ヲ盾津ト改メタリ聖蹟ハ此ノ地附近ナリト推セラル
と刻んでます。
そうですか。
それにしても、見捨てられ過ぎではありませんか?
もともとの「盾津村」とかからも離れてるし、、、「調査委員会」からも「丙!」って言われてるし。。。
と、いうことで参りましょう。
恒例の。。。
勝手に認定結果
委員会の皆様には大変恐縮ではございますが、
こちら、、、
とさせていただきます。
乙!
まとめ
盾津顕彰碑
「盾津」は、最初の戦闘で敗戦を喫したあと、草香江の津まで戻り、雄叫びをあげたというお話から。盾を立てて雄叫びしたので「盾津」。
孔舎衛坂の激戦の後なので、孔舎衛坂から近いところのはず。且つ、草香江の津=港の近くでもあるはず。本当にここかどうかは、やや怪しい感じが否めず。。。
でも、寂しそうに建ってるので、そっとしておきます。ゴミを捨てるのは止めましょうね。
場所:大阪府東大阪市日下町6丁目10
駐車場無し
トイレ無し
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