神武天皇聖蹟菟田穿邑顕彰碑|地元農家さんの敷地内?山を穿ってたどり着いた村は榛原街道(166号)から離れてしまった件

 

どこまでもアツく奥ゆかしい日本建国神話である「神武東征神話」。でも、「それってホントにあったの?」「ウソでしょ!?」「実際どこよ?」的な興味と疑問にお答えするシリーズ。

なんと、嬉しいことに西日本を中心に「多分ココ的なところ」を集めたスポットがあるのです!

それが、顕彰碑けんしょうひとか伝承碑でんしょうひの皆さんm9( ゚Д゚) ドーン!

日本建国神話の舞台ですから、超パワースポットであります。その地その地が選ばれたのは理由があるからで、それらの謎とかを神話ロマンと合わせて探っていこうという、これまた激しく奥ゆかしい取組みが本シリーズであります!

今回は、

菟田うだ 穿邑うがちのむら

ここは、頭八咫烏の導きをもとに、山を穿うがって=穴をあけ道を通してたどり着いた場所。

穿うがつ」。。

あまり使わない言葉ですよね。「穿邑うがちのむら」は、そんなドリル感をビシビシ感じるスポット。

 「神武天皇 聖蹟 顕彰碑」のマニアックな詳細はコチラ↓でご確認いただくとして

以下、実際に行ってみたので、どうなのよ?的なところをご紹介です。

 

聖蹟菟田穿邑顕彰碑|地元農家さんの敷地内?山を穿ってたどり着いた村は榛原街道(166号)から離れてしまった件

 菟田穿邑顕彰碑の神話的背景

詳しくはこちら↓で確認ください。

ポイントは

  • 天照大神が派遣した頭八咫烏の導きでたどり着いた場所であること
  • 将軍「日臣ひのおみ」が烏の後を追い、山を穿うがち、道を通してたどり着いた場所であること

の2点。

特に、頭八咫烏は神聖な鳥ですから道を間違えるなんてことはあり得ず、合理的かつ安全な道を案内したのだと思われます。一方で、人力で山を穿ち、つまりトンネルのようなものを掘る感じで道を通してきたわけで、できる限り最短コースが望ましいですよね。敵と戦う前に消耗してはお話になりません。

以上の事をふまえると、大泊から最短コースでたどり着く「穿邑」は、果たしてココなのか?!という疑問がぬぐえず。。。

ツッコミどころを豊富にもつ顕彰碑であります。

 

菟田穿邑顕彰碑への道

場所はこちら。菟田野宇賀志。

榛原街道から横道に入った先にあります。

穿邑顕彰碑 (7)

▲こちら榛原街道(166号線)。南から北へむかう方向。

 

穿邑顕彰碑 (6)

▲横道に入るところあります。青蓮寺の標識が建っているので、この道を入っていきます。

 

穿邑顕彰碑 (8)

▲奥へ進みます。右は廃校。。。

これ、道を進んでいくと、北上してきたけど、右斜め後ろに下がる感じです。

ちなみに、この顕彰碑の場所のさらに奥に、古事記が伝える「大殿おどの」伝承地があり、血原橋もあり、要はこの一帯が、兄猾・弟猾の支配領域だった感じですかね。

まっすぐ行けばいいのに、わざわざこの辺りへ攻め込んできたというのがどうにも分からない。。。

ま、後ろからやられてはたまらないということかもしれませんが。。。頭八咫烏としては、そうなってはマズイのでヤッとけという事なのかもしれません。。

穿邑顕彰碑 (9)

▲超がつくほどの田舎道。のんびり行きましょう。って、おや?あの棒は・・・

 

穿邑顕彰碑 (11)

▲でたー!!「穿邑うがちのむら」伝承地記念碑!!!

 

ということで、車を降りて、、、

穿邑顕彰碑 (12)

▲徒歩で登っていきます。

 

穿邑顕彰碑 (15)

▲この辺の田畑は全てこうやって防御ネットが。地元の方によると、イノシシ対策だそうです。ホントすごいんだって!

 

穿邑顕彰碑 (18)

▲小高い丘の上って感じで、見晴らしが素敵です!

 

穿邑顕彰碑 (19)

▲なるほどなるほど

 

穿邑顕彰碑 (20)

▲地元の民家さんの敷地内と思わせるところです。

 

穿邑顕彰碑 (22)

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

 

菟田穿邑顕彰碑

 穿邑顕彰碑 (24)

穿邑顕彰碑 (27)

神武天皇戊午年頭八咫烏ノ郷導ニ依リ道臣命ヲ皇軍ノ将トシテ菟田穿邑ニ至リ給ヘリ聖蹟ハ此ノ地方ナルベシ

ということで。

と、言っても、、、この辺りはホント何もなくて。。。

穿邑顕彰碑 (34)

穿うがってきたということは、なにかい?あのあたりを穿ってきたってことかい・・・?

 

勝手に認定結果

と、いうことで、物語の展開、場所等を踏まえて、、、

委員会他関係者の皆様、

こちら、

穿邑神武東征認定

とさせていただきます。

ご確認の程、何卒よろしくお願い申しあげます。

 

まとめ

菟田穿邑顕彰碑

八咫烏の導きでたどり着いた場所、それが「穿邑うがちのむら

神聖な鳥が連れてきたにしては、ややメインストリームから離れすぎてる感否めず。

ほんとにココなの?というツッコミどころ満載なスポットです。

この辺りは、兄猾誅殺にちなむ伝承地も残っているので、ここ1か所だけでなく他のスポットも含めて全体的に把握するようにしましょう。兄猾・弟猾の本拠地です。

 

菟田穿邑顕彰碑

奈良県宇陀市菟田野宇賀志221

榛原街道(166号線)を青蓮寺へ向かう道に入った先にあります。

トイレ:無し

駐車場:1台分くらい?あり

 

その他のスポットはコチラで!

 

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3件のコメント

はじめまして。宇賀神社の氏子という者です。宇賀志をご訪問いただきありがとうございます。
顕彰碑が榛原街道から横道にそれている件ですが、現在の国道166号線は、榛原街道の新道をつないだルートになっています。特に、東吉野村と旧菟田野町の境界で分水嶺でもある佐倉峠は、難工事のうえに開削された峠で、元の曲がりくねった旧道は途中で消えてしまっています。佐倉峠を南に急こう配で下ると東吉野村鷲家という集落があります。そこから、北北東の方角に、宇賀神社に向かってほぼ真っすぐに向かう古道があります。鷲家からは文殊という集落を抜けて宇賀志の里に通じており、鷲家文殊道と呼ぶ方もおられます。
勝手な推測ですが、南から宇賀志に進むには、この古道を利用したと思われます。文殊峠を抜けて宇賀神社に着き、そのまま里道なりに北北西に進むと顕彰碑の場所に達します。メインストリートからそれてはいないように私には思えます。
素人の判断ですので、お時間のある時にご検討いただければ幸いです。
なお、東吉野村から宇陀に入る方法は、青蓮寺よりももっと東側から回り込む経路もあります。宇陀に正面から入るのではなく、ものすごい高低差の地形を文字通り穿ちながら進むのですが、実地検証したことはありません。

宇賀神社の氏子さん
投稿ありがとうございます!
現在の国道166号線が新道をつないだルートだと初めて知りました。
そうするとご指摘の通り、鷲家から宇賀神社に向かうルートが濃厚になってきますね。ロマンがどこまでも広がります!
一方で、顕彰碑自体が設置当時のいろんな背景を含むものなので、設置場所についても、それこそ当時のいろんなアレコレがあったものと推測されます。なので、顕彰碑を基準として考えるべきかどうか、という論点もあったりして、、このあたりは大変悩ましい部分でもあります。
地元の方ならではの情報をいただき感謝です。ありがとうございます。
さるたひこ

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参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)他
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