多彩で豊かな日本神話の世界へようこそ!
正史『日本書紀』をもとに、
最新の文献学的学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。
今回は、
神武東征神話を分かりやすく解説するシリーズ13回目。
テーマは、
国見丘の戦いと忍坂掃討作戦
丹生川上祭祀で賊虜の平伏を、つづく顕斎で高皇産霊尊の加護を祈願した「彦火火出見」こと神武。いよいよ敵の殲滅へ乗り出します。
絶望的とも思われた状況、屈強な敵たちをどのように打破したのか?
そんなロマンを探る事で、「国見丘の戦いと忍坂掃討作戦」が伝える意味を読み解きます。
今回も、概要で全体像をつかみ、ポイント把握してから本文へ。最後に、解説をお届けしてまとめ。
現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄がここにあります。それでは行ってみましょう!
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
神武紀|国見丘の戦いと忍坂掃討作戦|敵軍撃破!残党掃討!すごいぞスーパー彦火火出見!そのパワーほんと流石な件
目次
国見丘の戦いと忍坂掃討作戦の概要
今回も『日本書紀』巻三「神武紀」をもとにお届け。ちなみに、前回の内容、これまでの経緯はコチラ↓をご確認ください。
丹生川上祭祀で賊虜の平伏を、つづく顕斎で高皇産霊尊の加護を祈願した神武。満を持して敵殲滅へ乗り出します。
殲滅にあたっては、大きく2段階で進行。
- まずは、国見丘を中心とした八十梟帥を殲滅
- その後、磐余にいる兄磯城らを殲滅
高倉山に登って判明した絶望的状況を、2段階でクリアしていった訳です。
今回の神話は、その中でも、ステップ①、国見丘の八十梟帥殲滅のお話。
「八十梟帥」というのは、「八十=たくさんいる」「梟帥=屈強な敵戦士」という意味で、国見丘を中心として「男坂」「女坂」にひしめいた敵たちのこと。以下、「八十梟帥」と表記していきますが、そういう名前の敵がいたってことではないので注意。
ちなみに、国見丘の八十梟帥は、男坂の男軍、女坂の女軍とセット。男軍は主力部隊、女軍はサブ部隊のこと。
男坂(男軍)、女坂(女軍)については、高倉山に登った時の記述1回しかありません。その後、国見丘で殲滅し忍坂掃討作戦、という流れなので、意味合い的には、国見丘を中心とする八十梟帥(男坂、女坂まで幅広く展開していた)といった感じ。
その上で、いよいよ討伐実行。
既に、丹生川上での儀式によって、敵の墨坂パワーは削いであります↓
この攻撃に際して、神武は「必克(必勝)」を期して臨み、兵士の戦意を高めるべく「御謡」をつくり歌いかけます。兵士達を鼓舞し思いのまま動かす名将として描かれてる。
そして、めでたく八十梟帥を撃破するのですが、残党が山のなかへ逃げ込む。。山の中にまぎれてしまった奴らも残らず駆逐する必要があり。。。どうするか?
てことで登場するのが、忍坂での掃討作戦。コレも、神武の「密旨」によるもの。つまり神武プロデュースによって解決した、という位置づけになってます。
場所とルートの確認
「国見丘」で打ち破る。そして、散り散りになった残党どもを誘い出すため「忍坂」で盛大な饗宴を催す。宴もたけなわに襲って駆逐する流れ。誘って潰す。。人界ならではの策謀が渦巻く展開。。(;゚Д゚)
だって、天神(高皇産霊神)パワーをゲットしたスーパー彦火火出見。向かうところ敵無しといった感じで。流石でござる。
国見丘の戦いと忍坂掃討作戦 現代語訳と原文
冬、10月1日に、彦火火出見は、その厳瓮に盛った神饌を口にし、兵を整えて出陣した。
まず、敵の主力部隊を国見丘で撃ち、これを破り斬った。この戦いでは、彦火火出見は必ず勝つという志を持っていた。そこで御謡を詠んだ。
[ 神風の 伊勢の海の 大石にや い這ひ廻る 細螺の 吾子よ 細螺の い這ひ廻り 撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ ] (神風が吹く伊勢の海の大石に這いまわる細螺の如き吾が兵士よ、細螺のように国見丘を這いまわって、徹底的に(敵を)撃ちのめしてやれ。)
歌の意は、国見丘を大石に喩えたのである。
その後でも、打ち破った八十梟帥の残党がなお多数いて、情勢は予断を許さない。
そこで、彦火火出見は振り返って道臣命に命じた。「お前は「大来目部」を率いて、忍坂邑に大きな室を造り、盛大に饗宴を催し、賊どもをおびき寄せて討ち取れ。」
道臣命はこの密命を承り、忍坂に地面に穴ぐらを掘って室とし、大来目部の勇猛な兵を選び、賊のあいだに紛れこませた。そして、密かに手筈を定め命じた。「酒宴が盛りをすぎたあと、私が立ち上がって歌を歌おう。お前たちは私の歌う声を聞いたと同時に、一斉に賊どもを刺し殺せ。」
いよいよ皆が座り酒杯をめぐらせた。賊はこちらにひそかな計略があることも知らず、心にまかせて酔いしれた。その時、道臣命が立ち上がって歌った。
[ 忍坂の 大室屋に 人多に 入り居りとも 人多に 来入り居りとも みつみつし 来目の子らが 頭槌い 石椎い持ち 撃ちてし止まむ ] (忍坂の大きな室屋に、人が大勢いても、人が大勢入っていようとも、勇猛な来目の者たちが、 頭槌の太刀、石槌の太刀を持って(敵を)撃たずに止むものか)その時、こちらの兵士はこの歌を聞き、一斉に頭槌の剣を抜き、一気に賊を斬り殺した。賊の中に生き残る者は一人もいなかった。東征の軍は大いに喜び、天を仰いで笑った。そこでこのように歌った。
[ 今はよ 今はよ ああしやを 今だにも 吾子よ 今だにも 吾子よ ] (今はもう、今はもう、あっはっは、今だけでも 吾が子たちよ(戦士たちよ) 今だけでも 吾が子たちよ(戦士たちよ))
来目部の者たちが歌った後に大笑いするのは、これがその由縁である。また歌う。
[ 蝦夷を 一人百な人 人は言へども 手向かひもせず ] (蝦夷を一人が百人にあたる猛者と人は言うが、(来目部の戦士の前には)手向かいもしないぞ)これらの歌はみな、すべて密命を受けて歌ったもので、勝手に歌ったものではない。
時に彦火火出見が「戦いに勝っても驕ることのないのが、良将の行いである。今や強力な賊は滅びたが、乱れ悪をなす者どもはなお数十の群れをなしてその動向は計り知れない。どうして一つのところにいつまでも留まり、変化する事態を制する手立てを講じずにいようか」と言い、陣営を別の場所に設けた。
冬十月癸巳朔、天皇嘗其嚴瓮之粮、勒兵而出。先擊八十梟帥於國見丘、破斬之。是役也、天皇志存必克、乃爲御謠之曰、「伽牟伽筮能 伊齊能于瀰能 於費異之珥夜 異波臂茂等倍屢 之多儾瀰能 之多儾瀰能 阿誤豫 阿誤豫 之多太瀰能 異波比茂等倍離 于智弖之夜莽務 于智弖之夜莽務」謠意、以大石喩其國見丘也。
既而餘黨猶繁、其情難測、乃顧勅道臣命「汝、宜帥大來目部、作大室於忍坂邑、盛設宴饗、誘虜而取之。」道臣命、於是奉密旨、掘窨於忍坂而選我猛卒、與虜雜居、陰期之曰「酒酣之後、吾則起歌。汝等聞吾歌聲、則一時刺虜。」已而坐定酒行、虜不知我之有陰謀、任情徑醉。時道臣命、乃起而歌之曰、
於佐箇廼 於朋務露夜珥 比苔瑳破而 異離烏利苔毛 比苔瑳破而 枳伊離烏利苔毛 瀰都瀰都志 倶梅能固邏餓 勾騖都都伊 異志都々伊毛智 于智弖之夜莽務
時、我卒聞歌、倶拔其頭椎劒、一時殺虜、虜無復噍類者。皇軍大悅、仰天而咲、因歌之曰、
伊莽波豫 伊莽波豫 阿阿時夜塢 伊莽儾而毛 阿誤豫 伊莽儾而毛 阿誤豫
今、來目部歌而後大哂、是其緣也。又歌之曰、
愛瀰詩烏 毗儾利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒
此皆承密旨而歌之、非敢自專者也。時天皇曰「戰勝而無驕者、良將之行也。今魁賊已滅、而同惡者、匈々十數群、其情不可知。如何久居一處、無以制變。」乃徙營於別處。 (『日本書紀』巻三 神武紀より抜粋)※原文中の「天皇」という言葉は、即位前であるため、生前の名前であり東征の権威付けを狙った名前「彦火火出見」に変換。
国見丘の戦いと忍坂掃討作戦 解説
これまでの雰囲気がガラリと変化。祭祀によって神の加護・助力を得た神武に向かうところ敵なしといった感じで、彼の成長に頼もしさすら感じる今日この頃、って私は何様なんでしょうか?? そんなロマンに想いを致しつつ、、
以下詳細解説。
- 冬、10月1日に、彦火火出見は、その厳瓮に盛った神饌を口にし、兵を整えて出陣した。
- 冬十月癸巳朔、天皇嘗其嚴瓮之粮、勒兵而出。
→冬、十月の癸巳が朔、つまり10月1日のこと。
前回解説の続き。高皇産霊神が降臨した「顕斎」、その祭壇には「粮」が盛られた「厳瓮」。
「その厳瓮に盛った神饌を口にし(嘗其嚴瓮之粮)」とあります。ポイントは「嘗」の字。2点チェック。
- 「嘗」は嘗めること。味わうこと。高皇産霊尊の加護パワーを厳瓮に盛った「粮」を通じてゲットした
- 新嘗祭の起源的な位置づけも??10月1日なのも、宮廷の冬の祭りである新嘗祭を意識した??
1つ目。
①「嘗」は嘗めること。味わうこと。高皇産霊尊の加護パワーを厳瓮に盛った「粮」を通じてゲットした
高皇産霊神が降臨し祭りをした「顕斎」、祭壇にあった「厳瓮」には神饌である「粮」が盛られてました。それを「嘗」、つまり嘗める(味わう)ことで、高皇産霊尊の加護パワーをゲットした訳です。
構図的には、「顕斎」により高皇産霊尊と神武(皇孫)は「斎」を通じた強固な関係(相互に祭り・祭られる関係)が出来上がったんですが、その具体的な加護パワーは神饌を口にすることでゲットした、ってこと。コレ、めっちゃ重要なのでしっかりチェック。
2つ目。
②新嘗祭の起源的な位置づけも??10月1日なのも、宮廷の冬の祭りである新嘗祭を意識した??
「嘗」という漢字が神話的に重要なのは、やはり新嘗祭、もっというと大嘗祭との関連があるから。
いずれも、「嘗」を通じて神と共食する特別な儀式。つまり、ここで「嘗」が使われてるのは、天皇が行う特別な儀礼の起源伝承として位置づけようとしたから、とも考えられる訳です。日付が冬10月1日なのもきっと、宮廷の冬の祭「新嘗祭」の神事を意識したようなしてないような。。。コレ神話と歴史が交錯するロマン地帯。
いずれにしても、
高皇産霊神の加護パワーを、神饌を嘗めることでゲットし、そのうえで「兵を整えて出陣した。」という次第。みなぎる宇宙パワーー-!!!!!!!!!
次!
- まず、敵の主力部隊を国見丘で撃ち、これを破り斬った。この戦いでは、彦火火出見は必ず勝つという志を持っていた。そこで御謡を詠んだ。
- 先擊八十梟帥於國見丘、破斬之。是役也、天皇志存必克、乃爲御謠之曰、
→攻撃し、見事に破り斬る。屈強な敵戦士たちをちぎっては投げちぎっては投げ、、、
9月5日に、「菟田の高倉山の頂きに登り、辺り一帯をはるかに望み見た」時に憎悪した状況から雰囲気一変。軍卒が増えた訳でもない、特別な戦術を用いた訳でもない。単に祈願と祭祀を行っただけなのに、この変わりようたるや、、、要は気持ちやね。イケると思えばイケるんです ←雑か、、、
東征神話的には、コレ以降、連戦連勝。敗戦や兄の喪失など試練が続いていた状態からの「大きな転換点」として位置づけられます。確変無双状態突入!これはコレでしっかりチェック。
また、「彦火火出見は必ず勝つという志を持っていた。そこで御謡を詠んだ。」というのも注目。
「必克」という言葉が使われており、神武の並々ならぬ決意が伝わってきます。そして、兵士の戦意を高めるべく「御謡」をつくり歌いかける。コレも、兵士達を鼓舞し思いのまま動かす名将としての行動。言い方を変えると、神武を名将として位置づけるための仕掛けとも言えますね。
次!
- 神風の 伊勢の海の 大石にや い這ひ廻る 細螺の 吾子よ 細螺の い這ひ廻り 撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ
神風が吹く伊勢の海の大石に這いまわる細螺の如き吾が兵士よ、細螺のように国見丘を這いまわって、徹底的に(敵を)撃ちのめしてやれ。 - 伽牟伽筮能 伊齊能于瀰能 於費異之珥夜 異波臂茂等倍屢 之多儾瀰能 之多儾瀰能 阿誤豫 阿誤豫 之多太瀰能 異波比茂等倍離 于智弖之夜莽務 于智弖之夜莽務
→海辺の岩に無数にくっついてる巻貝のように、国見丘をびっしりと取り巻く東征軍の兵士たちが、強敵に執拗にまとわりついて攻撃する、撃ち平らげるまで徹底して攻めるのだと、総大将自ら鼓舞する歌。まさに進軍ラッパ高らかに。。。
日本の軍歌がここから始まるといっても良くて、「御謡を詠む」はそれくらいの位置づけ。
「神風の 伊勢の海の」について、「神風の」は伊勢にかかる枕詞。「伊勢の海の」とあり、恐らく、熊野荒坂津=伊勢国との境の港を踏まえての事と思われます。
「吾子よ」とあり、東征の兵士たちに親しく呼びかけてます。この効果は抜群。兵士たちはきっと鼓舞されたことでしょう。
「撃ちてし止まむ」撃ってこそ止めよう=撃たずには決して止めない、という強い決意を表現。それが繰り返しによってさらに強調されてます。
「神風」や「撃ちてし止まむ」は、太平洋戦争時に政治利用され別の意味合いになってしまった感アリ、、、ですが、そもそもの意味はココにあって、ま、確かに利用されやすい言葉だなとは思いますが、、、そのイメージを引きずってしまっている事、それにより過剰反応を生んでしまってる感じなのはいかがなものかと。本来は、名将として兵士たちを鼓舞する、固い決意を高らかに歌い上げてる訳で。今こそ、本来神話が伝えるメッセージを再解釈すべきなのではないかと思います。リーダーとしての在り方をここから学びたい。
次!
- 歌の意は、国見丘を大石に喩えたのである。
- 謠意、以大石喩其國見丘也。
とのことです。
次!
- その後でも、打ち破った八十梟帥の残党がなお多数いて、情勢は予断を許さない。そこで、彦火火出見は振り返って道臣命に命じた。「お前は「大来目部」を率いて、忍坂邑に大きな室を造り、盛大に饗宴を催し、賊どもをおびき寄せて討ち取れ。」
- 既而餘黨猶繁、其情難測、乃顧勅道臣命「汝、宜帥大來目部、作大室於忍坂邑、盛設宴饗、誘虜而取之。」
→残党が多数。どうやら山の中に逃げ込んだ模様。
「打ち破った八十梟帥の残党がなお多数いて(餘黨猶繁)」とあります。「餘黨」の、「餘」は「余った」、「黨」は光が当たらず「暗い」こと。「暗い」から派生して、暗い場所で結成され、外からはよく分からない怪しい「やから」「集団」のこと。これらが繁ってる、多数いたという意味。
「大来目部」は、東征の屈強な軍隊のこと。道臣命が指揮。「忍坂邑に大きな室を造り、盛大に饗宴を催し、賊どもをおびき寄せて討ち取れ。」とあり、忍坂邑に大きな室=部屋のような空間をつくれと、おびき寄せてヤッちまいなと仰せです。
ポイント2つ。
- 掃討作戦は神武プロデュース。あくまで神武が構想した中で敵の殲滅が実現する形になってる
- 「忍坂」は平地と山間のちょうど間に位置する場所。山の敵は山で決着をつける必要があった
1つ目。
①掃討作戦は神武プロデュース。あくまで神武が構想した中で敵の殲滅が実現する形になってる
御謡を詠み兵士を鼓舞する、固い決意を高らかに歌い上げる名将神武。今回の残党狩り、掃討作戦ももちろん神武プロデュース。なんせ高皇産霊神の加護を得てるわけなので、百発百中、確変中であります。
そして、コレは最後に「良将」にみずからを重ねた一節に繋がっていく仕掛けになってます。ポイントはココで。神武の「良将」への変容を、神話展開の中に仕込んでるってこと。ココ非常に重要なのでしっかりチェック。
2つ目。
②「忍坂」は平地と山間のちょうど間に位置する場所。山の敵は山で決着をつける必要があったから。
忍坂の場所。コレめっちゃ重要。
宇陀榛原から166号線を下っていくと、この忍坂より西は平野(大和平野・奈良盆地)になる訳で、その意味で、この忍坂は平地と山間のちょうど間に位置する場所として位置づけられます。
国見丘の八十梟帥はじめ、これまで登場した敵は山の敵。なので、山で決着をつける必要があった。なので、その境界である忍坂で饗宴を催し残党を集め一挙に殲滅した、という次第。ほんと、現地は坂になってるので、巨大な室も作りやすかったのではなかろうか、、、
▲忍坂周辺、宇陀方面を望む。この辺りに巨大な室をつくって残党を掃討した、、、って、コレ神話ロマン。
でだ、
担当は、もちろん道臣命。武力の象徴。
山の敵、武力による殲滅
テーマ的に親和性の高いものが選ばれてます。一方、この後の兄磯城殲滅の主体は椎根津彦。コレは智略による討伐。
平地の敵、智略による殲滅
対比構造が非常にしっかり組まれているのが分かりますよね。二人の重臣、道臣命は武将として、椎根津彦は智将として、その特質をいよいよ鮮明にする訳です。このあたりの設定もしっかりチェック。
次!
- 道臣命はこの密命を承り、忍坂に地面に穴ぐらを掘って室とし、大来目部の勇猛な兵を選び、賊のあいだに紛れこませた。そして、密かに手筈を定め命じた。「酒宴が盛りをすぎたあと、私が立ち上がって歌を歌おう。お前たちは私の歌う声を聞いたと同時に、一斉に賊どもを刺し殺せ。」
- 道臣命、於是奉密旨、掘窨於忍坂而選我猛卒、與虜雜居、陰期之曰「酒酣之後、吾則起歌。汝等聞吾歌聲、則一時刺虜。」
→自軍の中でも特に屈強な兵士をひそかに紛れ込ませる。忍坂につくった巨大な室で宴会をひらいて残党をおびき寄せ、酒でベロベロになったところで、道臣命の歌きっかけで一気に刺し殺す、、なんて恐ろしい作戦なんだ!
「道臣命はこの密命を承り(道臣命、於是奉密旨)」とあります。神武の発した「忍坂邑に大きな室を造り、盛大に饗宴を催し、賊どもをおびき寄せて討ち取れ。」を「密旨」と位置づけ、これをもとに行動する、臣下が具体化していく。神武プロデュースの枠の中で実行してるのがポイント。
次!
- いよいよ皆が座り酒杯をめぐらせた。賊はこちらにひそかな計略があることも知らず、心にまかせて酔いしれた。その時、道臣命が立ち上がって歌った。
- 已而坐定酒行、虜不知我之有陰謀、任情徑醉。時道臣命、乃起而歌之曰、
→果たして残党どもが集まってくる。。きっとものすごい大宴会だったのでしょう。山にまぎれこんだ残党が、おや?あんなところで宴会やってるぞ、、って分かるくらいの。
そして、大来目部の勇猛な兵士たちもまぎれて座りどんちゃん騒ぎ。酒が注がれ酔いしれる。。それでもきっと、道臣命はじめ大来目部の兵士たちは密かに様子をうかがっていたのだと思います。目をチラッと合わせながら今か今かと、、、緊張感あふれる局面。非常にコントラストが効いてます。
次!
- 忍坂の 大室屋に 人多に 入り居りとも 人多に 来入り居りとも みつみつし 来目の子らが 頭槌い 石椎い持ち 撃ちてし止まむ
(忍坂の大きな室屋に、人が大勢いても、人が大勢入っていようとも、勇猛な来目の者たちが、 頭槌の太刀、石槌の太刀を持って(敵を)撃たずに止むものか) - 於佐箇廼 於朋務露夜珥 比苔瑳破而 異離烏利苔毛 比苔瑳破而 枳伊離烏利苔毛 瀰都瀰都志 倶梅能固邏餓 勾騖都都伊 異志都々伊毛智 于智弖之夜莽務
→襲う合図キタ――(゚∀゚)――!!
「みつみつし 来目の子らが 頭槌い 石椎い持ち 撃ちてし止まむ」とあります。
「みつみつし」とは、久米部の枕詞。強い勢いを表します。「来目の子らが」とあり、久米部の者たちに親しみを込めて呼びかけてます。これも、先の神武の御謡で「吾子よ」と呼びかけたことを踏まえて。
「頭槌い 石椎い持ち 撃ちてし止まむ」とあり、「頭槌い」の「頭槌」は、柄頭が槌状に膨らんだ剣のこと。「石椎」は柄頭が石でできた剣(?)。「い」は強調の助詞。
で、実は、ココでも神代とのつながりが設定されてます。
『日本書紀』神代紀第九段〔一書4〕、天孫降臨から。
「(高皇産霊神が瓊々杵尊を天降らせた時)天忍日命は、来目部の祖先神の天槵津大来目をひきいて、背に天磐靫(矢を入れる容器)を負い、腕に稜威高鞆(弓を射るとき左手首に着けるもの)を着け、手に天梔弓(山漆で造った弓)と天羽羽矢(大蛇をもたおす強力な矢)をもち、八目鳴鏑の矢をそえ持ち、また頭槌剣を帯びて天孫の先導をされた。(『日本書紀』神代紀第九段〔一書4〕より一部抜粋)」
天孫降臨では、天忍日命が天槵津大来目をひきいてきらびやかに武装し天孫の先導を行います。
で、ここで先導役を務める「天忍日命」が道臣の祖神であり、また、「天槵津大来目」が来目部の祖神である、という設定。「また頭槌剣を帯びて天孫の先導をされた。」と伝える通り、その子孫である久米部も「頭槌」を武器として使ってるってことなんですね。
大きく言うと、
「天忍日命」「天槵津大来目」両者が瓊々杵尊の降臨を先導したように、その子孫である「道臣」と「大来目」が神武(皇孫)の東征を先導して勝利をもたらす構造になってる。
言い方を変えると、神代神話を歴史につなげる正当化をはかったということで、壮大な仕掛けの中で登場してるってことチェック。ホントよくできてる、、、震えが止まらない。。
次!
- その時、こちらの兵士はこの歌を聞き、一斉に頭槌の剣を抜き、一気に賊を斬り殺した。賊の中に生き残る者は一人もいなかった。東征の軍は大いに喜び、天を仰いで笑った。そこでこのように歌った。
- 時、我卒聞歌、倶拔其頭椎劒、一時殺虜、虜無復噍類者。皇軍大悅、仰天而咲、因歌之曰、
→道臣命の歌を合図に一気に斬りかかる大久米部の屈強な兵士たち。酔いつぶれて為すすべなく斬り殺されていく残党ども、夜の闇、たき火に照らし出される血だらけの頭槌剣。。。
次!
- 今はよ 今はよ ああしやを 今だにも 吾子よ 今だにも 吾子よ
(今はもう、今はもう、あっはっは、今だけでも 吾が子たちよ(戦士たちよ) 今だけでも 吾が子たちよ(戦士たちよ)) - 伊莽波豫 伊莽波豫 阿阿時夜塢 伊莽儾而毛 阿誤豫 伊莽儾而毛 阿誤豫
→めっちゃ笑ってる、なんなら相手を嘲笑しての歌。
「ああしやを」は、あざ笑う感じであっはっはと笑うイメージ。参考として『古事記』では、兄宇迦斯を殺した時の歌に「ああしやごしや、こは、嘲咲ぞ」とあります。
次!
- 今、来目部の者たちが歌った後に大笑いするのは、これがその由縁である。また歌う。
- 今、來目部歌而後大哂、是其緣也。又歌之曰、
→とのことです。起源伝承として、今に伝わる由来、由縁をココに設定しようとする企て。つまり、物語が実際にあったことを保証しようとしてます。
次!
- 蝦夷を 一人百な人 人は言へども 手向かひもせず
(蝦夷を一人が百人にあたる猛者と人は言うが、(来目部の戦士の前には)手向かいもしないぞ) - 愛瀰詩烏 毗儾利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒
→「蝦夷」とは、大和朝廷の支配下に入っていない人々を指す賊称。歴史の時代になって、東国の未開の人々を指すようになりました。
ココでは、まだ歴史の時代ではないので、東国の蝦夷ということではなく、大和の地にいた敵集団の賊称として使ってるのではないかと。。
百人力の猛者にも負けない超強えええ俺たち、、的な意味合いです。
次!
- これらの歌はみな、すべて密命を受けて歌ったもので、勝手に歌ったものではない。
- 此皆承密旨而歌之、非敢自專者也。
→あくまで神武の「密旨」をうけての歌だと強調。
「勝手に(專)」とあり、「専」=専断すること、勝手に行うことの意味。そうじゃないよと。
再度経緯確認。高倉山に登って絶望的状況を憎悪した神武。ここまでかと思われた状況を、神武自ら天神と交信し突破方法を授かった。さらに、天香山まで土を取りにいって祭祀を行って、御謡を読んで、、、と、神武主導でかなり頑張ってきた経緯あり。
そのうえで、今こうして敵をすべて殲滅できた、それを久米部の皆さんが高らかに歌い上げてる訳です。歌を単体で見ると、相手を嘲笑したり、俺たちtueee!的な内容なのですが、そこには背景が、プロセスがある訳で。
あくまでそれを踏まえたうえで、今回の場合は、そこに神武の「密旨」、神武プロデュースがあって、その神武に対して、また神話伝承として後代の読み手に対しても、俺たち調子に乗って勝手にやってる訳じゃないんだと、むしろ、吾らがリーダー神武もうれしそうじゃないかと、やってやりましたぜ、でも勝手にやってる訳じゃないぜ、そんな意味合いでこの表現がある。
そう考えると、よく考えられてるし、自分たちが盛り上がる部分と周囲がそれをどう見るかまで見据えて組まれてるのが分かりますよね。メタ視点、入ってます。
次!
- 時に彦火火出見が「戦いに勝っても驕ることのないのが、良将の行いである。今や強力な賊は滅びたが、乱れ悪をなす者どもはなお数十の群れをなしてその動向は計り知れない。どうして一つのところにいつまでも留まり、変化する事態を制する手立てを講じずにいようか」と言い、陣営を別の場所に設けた。
- 時天皇曰「戰勝而無驕者、良將之行也。今魁賊已滅、而同惡者、匈々十數群、其情不可知。如何久居一處、無以制變。」乃徙營於別處。
→そして、極めつけ。驕る事のない神武。素晴らしいリーダーです。
コレ、掃討作戦を道臣命に命じたところからの締めくくり。「良将」にみずからを重ねた一節であります。
- 神饌を嘗めて加護パワーゲット
- 必克の決意を御謡で歌いあげ兵士を鼓舞→ 国見丘で見事に勝利
- プロデューサーとして掃討作戦を命じる →見事成功、臣下が活躍
- からの、驕ることなく変化する事態に備える、行動する
と、、、
物語の枠組みとしては、神武の「良将」への変容が神話展開の中に仕込まれてるってこと。めっちゃ重要です。
まとめ
国見丘の戦いと忍坂掃討作戦
高皇産霊神が降臨した「顕斎」、その祭壇にあった「厳瓮」に盛られていた神饌「粮」を嘗める、味わうことで、高皇産霊尊の加護パワーをゲット。そのうえで出陣します。
構図的には、
「顕斎」により、高皇産霊尊と神武(皇孫)は「斎」を通じた強固な関係(相互に祭り・祭られる関係)が出来上がった訳です。さらに、その具体的な加護パワーは神饌を口にすることでゲットした。コレ、めっちゃ重要なのでしっかりチェック。
そのうえで臨んだ国見丘の戦い。見事、敵を殲滅。山に逃げ込んだ残党もおびき寄せて殲滅。流石でござる。いわば、確変無双モードに突入した訳で。その意味で、本シーンは東征神話的に「大きな転換点」として位置づけられる訳です。
さらに、道臣命の武将としての特性がいかんなく発揮され、部下の久米部たちと一緒になって行動してます。歌を通じてコミュニケーションしてるのもオモローなポイント。
極めつけは、神武の「良将」への変容。
- 神饌を嘗めて加護パワーゲット
- 必克の決意を御謡で歌いあげ兵士を鼓舞→ 国見丘で見事に勝利
- プロデューサーとして掃討作戦を命じる →見事成功、臣下が活躍
- からの、驕ることなく変化する事態に備える、行動する
と、、、神武の「良将」への変容が神話展開の中に仕込まれてるってこと。ココ、激しく重要なのでしっかりチェックされてください。
神話を持って旅に出よう!
神武東征神話のもう一つの楽しみ方、それが伝承地を巡る旅です。以下いくつかご紹介!
●国見丘推定地(諸説あり定説なし。経ヶ塚山周辺の山、、、)
●忍坂伝承地:巨大な室をつくり残党どもをおびき寄せベロベロにして斬ったと伝わる地
次はコチラ!磐余制圧!!
神武東征神話のまとめ、目次はコチラ!
佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ(S23)。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
こちらの記事もどうぞ。オススメ関連エントリー
どこよりも分かりやすい日本神話解説シリーズはコチラ!
日本神話編纂の現場!奈良にカマン!
コメントを残す