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兵庫県南あわじ市の沼島にある「自凝神社(おのころ神社)」。
ココ、伊奘諾尊と伊奘冉尊が、島をつくり、新居と柱を建て、結婚した地であり、縁結びや恋愛系のパワースポット。多分、その神話的背景から国内最高峰。あまり知られていませんが。。。
地元では「おのころさん」と呼ばれ、山全体が御神体として信仰されてきました。神社はその山の頂上付近、まっすぐに伸びる階段の先にあります。
今回は、日本で最初の結婚式場とされる沼島の神社を日本神話とあわせてご紹介です。
沼島の自凝神社(おのころ神社)|伊奘諾尊と伊奘冉尊の結婚スポット!国生み神話から縁結びご利益満載の神社は山全体が御神体の恋愛系パワースポットです。
自凝神社の場所
兵庫県南あわじ市にある沼島にあります。
沼島へは、淡路島にある「土生港」から「沼島汽船」で10分の船旅。
詳しくはコチラで⇒「沼島へは沼島汽船でゴー!伊奘諾尊と伊奘冉尊による国生み神話の舞台「沼島」へ向かう唯一の交通手段「沼島汽船」の全貌をご紹介します」
沼島自体は、こんな感じの島で、淡路島の南4.6kmの紀伊水道北西部に浮かぶ島。

▲今回ご紹介する「自凝神社(おのころ神社)」は港(現在地)から見て右手の山の上。
国生み神話で登場する「天の御柱」と伝えられる上立神岩も合わせてチェックされてください⇒「上立神岩|国生み神話の舞台!「天の御柱」と伝える高さ30mの鋭く切り立つ巨岩は伊奘諾尊と伊奘冉尊が周囲をまわって結婚した超絶パワースポット!」
港を降りたら、右手へ。
先のエントリでも書きましたが、島内を観光する前に、帰りの船の時間をチェックしておきましょう。間違えると大変やで。

▲沼島の漁港風景。とてものんびりした雰囲気であります。
ターミナル内に置いてある地図と、標識を頼りに進みます。

▲先ほどの漁港をまっすぐ行ったところ、標識があります。左手が「上立神岩」。右手が「自凝神社」です。

▲漁港の奥、少し行くと標識が出てます。

▲バラックの隣が入口です。分かりにくいーーー(;´・ω・)

▲階段を登っていくと、細い道が続きます。山が御神体なので、山道を登っていく感じですね。


▲5分ほどでしょうか、ようやっと人工物らしきものが見えてきました!

キタ━(゚∀゚)━! 自凝神社の入口です!!!
自凝神社の創建経緯
社伝曰はく、
日本神話によると「天地の初発のときイザナキ・イザナミの二神が天浮橋にたちて天瓊矛をもって滄海をこおろころと探りて引き上げ給う時、矛の先より滴り落ちる潮自ら凝りて成りし島、これをおのころ島と言う」これが国生みの島おのころ島である。
おのころ山は御神体山であり寛政年間(1789~1801)に小祠を建て毎年旧九月十五日に祭礼が行われてきた。以来、現在は婦人会により祭礼が続けられている。
大正元年(1912)岩田なつ氏の発願奔走により、大正十二年(1923)に神殿が完成。その後、島内外の人々の信仰を厚くし、昭和十二年(1937)に拝殿を建立される。
神社説明文より
とのことで、
地元の皆さん、特に婦人会の皆さんに支えられて今も継続されている神社という次第。
自凝神社の境内

▲これまでの山道とは一転。人工的な直線でまっすぐに伸びる階段です。
平成14年(2002)に、島民・おのころ会員・全国信者の浄財により拝殿と石段の修復がなされました。


おおおおおおおおおお! これが自凝神社か!!! ついにやってきました!!
ご祭神とご利益

ご祭神:伊奘諾尊、伊奘冉尊、天照皇大神
ご利益:夫婦和合、恋愛成就、縁結び、国土開拓の神
国生み神話で、伊奘諾と伊奘冉の2神が協力して島を造り、新居と柱を建て、結婚した地。特に日本で最初の結婚にちなむ場所であり、恋愛系のパワースポットです。

▲拝殿裏の本殿はこんな感じです。
伊奘諾・伊奘冉の二神石像

▲コチラ、平成14年(2002)拝殿と石段の修復と合わせて建立された石像です。伊奘諾尊(♂)が持っているのが天之瓊矛です。
ではココで、当サイトならではの日本神話コンテンツを以下お届けします。
自凝神社にちなむ日本神話
日本神話そのものについては、コチラで概要をまとめてますので、チェックされてください⇒「『日本書紀』と『古事記』の違いに見る「日本神話」の豊かさとか奥ゆかしさとか」
今回は、御祭神「伊奘諾尊・伊奘冉尊」が『日本書紀』表記なので、あわせて正史『日本書紀』でご紹介。
「国生み神話」が登場するのは、第四段です。本伝と、異伝である一書がありますが、今回は本伝からご紹介。
以下、国生み部分を抜粋。
伊奘諾尊と伊奘冉尊の二柱の神は、天浮橋の上に立ち相談した。「この下に、国があるはずだ。」と言って、天之瓊矛を指し下ろし国を探した。
するとそこに広大な海原があった。
そして、その矛の先から滴った潮が自然に固まり一つの島になった。これを名付けて「馭廬嶋」とした。
二柱の神はその島に降り、そこで結婚し新たに国を産もうとした。そこで馭廬嶋を国の中心である柱として見立て、原理に従い、陽神は左から巡り、陰神は右から巡った。
ところが、国の柱を巡り同じ所で相対した時、陰神が先に唱えたのである。「ああ嬉しい、こんないい男に会えるとは」と。陽神はそれを悦ばず、「私が男だ。原理に従えば、まず私から唱えるべきであろう。女であるのになぜ先に言葉を発したのだ。この儀礼はもはや台無しになってしまった。改めて巡ろう。」と言った。
そこで、二柱の神はもう一度やり直し、国の柱を巡り、同じ所で相対した。そして、今度は陽神が先に唱え、「嬉しいことだ。このような可愛い女に会えるとは。」と言った。
そして陰神に「お前の身体にはどんなところがあるか。」と問うた。それに対し陰神は「私の身体には女の元となるところがある。」と答えた。陽神は「私の身体には男の元となるところがある。私の身体の元となるところを、お前の身体の元となるところに合わせよう。」と言った。ここで男と女が始めて交合し、夫婦となったのである。
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伊奘諾尊・伊奘冉尊、立於天浮橋之上、共計曰、底下豈無国歟、廼以天之瓊矛、指下而探之、是獲滄溟。其矛鋒滴瀝之潮、凝成一嶋。名之曰磤馭慮嶋。二神於是降居彼嶋、因欲共為夫婦、産生洲国。便以磤馭慮嶋、為国中之柱。而陽神左旋。陰神右旋。分巡国柱、同会一面。時陰神先唱曰。憙哉。遇可美少男焉。陽神不悦。曰。吾是男子。理当先唱。如何婦人反先言乎。事既不祥。宜以改旋。於是二神却更相遇。是行也陽神先唱曰。憙哉。遇可美少女。因問陰神曰。汝身有何成耶。対曰。吾身有一雌元之処。陽神曰。吾身亦有雄元之処。思欲以吾身元処、合汝身之元処。於是陰陽始遘合為夫婦。
『日本書紀』第四段 本伝より
ポイントをいくつか。
①「磤馭慮嶋」の場所は諸説あり
「磤馭慮」とは「自ずから凝り固まった」の意味。古くから場所が問題となり、代表的なところで、
- 和歌山県紀淡海峡中の沖ノ島
- 兵庫県三原郡南淡町の沼島
- 兵庫県津名郡淡路町の絵島
の3つがあり、諸説紛糾、逆に言うと神話ロマンをこれでもかと掻き立ててくれる島ですね。今回は、そんな名で、②の沼島を訪れているという訳です。
②陽神先唱、陰神後唱の大原則
日本神話を貫く大原則である「尊卑先後の序」。高貴なるものが卑なるものに先行するというルールであり、原則のこと。詳しくはコチラで⇒「天の道は単独で変化する。だから純粋な男神となった件|日本神話が伝える天地開闢 No.5」
このルールを間違えると、とんでもイベントが発生。絶対に間違えてはいけないのです。詳しくは別稿で。
国生み神話でも、この「尊卑先後の序」が貫かれており、
- 陽神(♂)が左まわり、陰神(♀)が右まわり
- 陽神(♂)が先に唱和、陰神(♀)が後に唱和
となってます。 (古代の序列は左が上。例:左大臣のほうが右大臣より上)
この大原則があるからこそ、最初に柱を旋回したとき陰神の先唱を陽神は「あかんやんけ!」と注意、もう一回やり直したという訳。
こんなやりとりがこの沼島で行われていたかと思うと、もうサイコー!!ですね。どこまでも広がる神話ロマン。本エントリをお読みの皆様も是非。
こちら、拝殿からの眺め。

伊奘諾尊、伊奘冉尊は今でも沼島港を見守っておられるようです。
まとめ
兵庫県南あわじ市の沼島にある自凝神社(おのころ神社)。
ココ、伊奘諾尊と伊奘冉尊が島を造り、柱を建て、結婚した地であり、縁結びや恋愛系のパワースポット。多分、その神話的背景から国内最高峰です。
地元では「おのころさん」と呼ばれ、山全体が御神体として信仰されてきました。神社はその山の頂上付近、まっすぐに伸びる階段の先にあります。
日本で最初の結婚式場とされる沼島の神社。是非チェックされてください。
日本神話好きな皆さまへ。当サイトおススメ神社の皆さん!
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