多彩で豊かな日本神話の世界へようこそ!
正史『日本書紀』をもとに、
最新の学術成果も取り入れながら、どこよりも分かりやすい解説をお届けします。
今回は、『日本書紀』巻第一(神代上)第五段の本伝。
第四段から続く新時代。
伊奘諾尊と伊奘冉尊という男女ペア神。
その性の営みによる出産の物語。
国生みから神生みへ、「生む」という行為の第二章であります。
概要で全体像をつかみ、ポイント把握してから本文へ。最後に、解説をお届けしてまとめ。
現代の私たちにも多くの学びをもらえる内容。日本神話から学ぶ。日本の神髄がここにあります。それでは行ってみましょう!
- 日本神話研究の第一人者である榎本先生監修。確かな学術成果に基づく記事です
- 日本神話全体の流れや構造を解き明かしながら解説。他には無い分かりやすい記事です
- 現代語訳のほか原文も掲載。日本神話編纂当時の雰囲気を感じてもらえます
- 登場する神様や重要ワードへのリンク付き。より深く知りたい方にもオススメです
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 本伝 天下之主者生み(神生み)
目次
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 本伝の概要
前回、『日本書紀』巻第一(神代上)第四段の一書10、
からの続き。
下図、赤枠部分。
ポイントは、
神話全体の流れの中で読み解くこと。
詳細は順次解説、大きな流れ、枠組みは以下の通り。
大テーマ | 小テーマ | 内容 | 段 |
誕生の物語 | 道による化生 | 乾による純男神 | 第一段 |
乾と坤による男女対耦神 | 第二段 | ||
神世七代として一括化 | 第三段 | ||
男女の性の営みによる出産 | 国生み | 第四段 | |
神生み | 第五段 |
第一段から第五段までは、
大きく「誕生」がテーマ。
この中で、
第五段は、
第四段から続く新時代の第二章。
引き続き、メインプレイヤーは伊奘諾尊と伊奘冉尊。男女ペア神。
テーマは、
男女の性の営みによる出産。
第四段の国生みから、第五段は神生みへ展開。
大八洲国という国の土台ができた(第四段)ので、
いよいよ統治者を生んでいく(第五段)。コレ「天下之主者」。
男女の性の営みによる神生み、
だからこそ、そこには責任が発生。
生んだ子に対しては、その性質に応じた「処遇」を与える。コレ「親の責任」。新時代ならではの概念です。
この中で、
皆様おなじみ、日神(天照大神)や素戔嗚尊が誕生。
今後の神話展開における最重要人物、いや、最重要神誕生の巻。
全体の流れは大きく三部構成
1. | 前段引き継ぎ 大自然生み |
2. | 協議 |
3. | 神生み(日神、月神、蛭児、素戔嗚尊誕生) |
今回もめっちゃ重要テーマが登場する見逃せない段。ポイントをしっかり押さえながら読み進めましょう。
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 本伝のポイント
ポイント5つ。
①前段からの流れ踏襲!海、川、山、木、草を生んでるのも見逃すな!
原文「次生海(次に海を生んだ)」から始まる第五段 本伝。
この形式、既に登場。第二段本伝。
「次に~」というのは、前段踏襲、前段からの流れでっせ、というサイン。
なので、
第五段は、第四段からの流れを承けて展開してる、ってこと、まずはチェック。
次にこうして、次にこうして~
といった流れを、継起的展開といいます。物事が相ついで起こっていくこと。そういう展開方法。
前段、大八洲国の誕生を承け、海、川、山、木、草を生んでいく。
このへんの大自然カテゴリは、「山川草木」という言葉で一括されます。で、一旦、ここで大自然生みは完了。
その上で再度協議して、神を生んでいく展開へ。
②ムズい!天下之主者生み。極端に振れてしまったのは、力みすぎたのかもしれない?
大枠は、第四段から続く新時代の風。
新時代の現場は、
男女の協議からスタート。日本ならではの奥ゆかしいはじまりであります。
第五段でも、
大自然生みが一段落したところで再度協議。いいじゃないですか、この、話し合って決めてく優しいジャパーンスタイル。
で、生もうとするのが「天下之主者」。
「天下」とは、天の下、すなわち地上すべてのこと。
「主者」とは主たる者。統治者のこと。
なので、
「地上世界の統治者」のことを言います。コイツを生んでいこうぜ、って話で。
でもね、、、
難しいんすよコレが!
統治者生みが!
これまでの洲生みや大自然生みとは訳が違う。何が違うって「統治」の概念が入るってとこ。統治者として相応しい人柄、もとい、神柄、能力、血統、、、等々、あらゆる点で理想スペックが求められます。
自分なら?世界の統治者を生む立場になって考えてみて。結構いろいろ考えちゃうでしょ???
極度にプレッシャーのかかる局面。。。
なにぶん初めてなもんで。。。伊奘諾尊、伊奘冉尊の二神も気合い入れて生みなします。
で、
結果、生まれたのは、
とんでもなくスゴイ子。
それが日神であり、月神。めっちゃ力んで生んだからね!そのスゴさ、ヤバさは本文をご確認。
二神びっくりするの巻
で、
あんまりにも素晴らしいので、地上に置いておくのは良くないと、天上に送ってしまいます。
そーくる?
ということで、天下之主者生み、再度チャレンジ。
今度は肩の力を抜いてね。さっきスゴイの生まれたのは力みのせいだから、、多分
って生まれたのが、蛭児と素戔嗚尊。
今度の二柱の子は、、、
逆に酷すぎた。。。涙
酷すぎてヤバい、、、二神再びたまげるの巻
で、
あんまりにも酷すぎるので、放棄&追放してしまいます。
結局、、、、
天下之主者生み、、、
コンプリートならず!残念!
と、
それでいいのか第五段、、、といった展開。
そんな中でも、
一応、ポイントがあって、、、それは、
生んだ子の持つ性質。
過度なんす。いずれも。
素晴らしすぎるしダメすぎる、、、
程よい感じが無い。神様は極端なんすよね。。。
ココ、第五段の最大のテーマは神生み、中でも、地上世界の統治者を生むことにあります。
統治者が誕生しないってことは、メインテーマが破綻してるってこと、
これめっちゃ大事なことなのでしっかりチェックしておいてください。
この不思議展開、、、
これでいいのか?と当惑を禁じ得ませんが、
これがあるから、つまり、天下の統治者不在のままだからこそ、後の、国造り・譲り&天孫降臨へとつながって行く訳で、
大きな神話展開の仕掛けとしてチェックです。
③現れまくる尊卑先後の序。枠組みをもとに神の誕生を読み解け!
地上世界の統治者を生もうと、
実際生んだ神
日神、月神、蛭兒、素戔嗚尊と、、、
で、
大事なのは、尊と卑という二項対立の枠組みが設定されてるってこと。
- 尊・・・日神、月神
- 卑・・・蛭児、素戔嗚尊
これ、あくまで結果論なんですが、、、尊卑先後の序がそのまま現出した!といっても過言ではございません。
そんなところをチェックです。
④日神と天照大神は違う?本伝だけでは性別不詳の最高神!
そんな中、ついに誕生、日神。後に、天照大神。
日神の持つ性質に着目。
本文では「光り輝くこと明るく色とりどりで世界の隅々まで照らした。(原文:光華明彩 照徹於六合之内」」と伝えます。
すっげーまぶしいの。色とりどりに、美しく光り輝く存在として描かれてます。
ポイントは、
第五段本伝では、あくまで「日神」として登場してるってこと。
注としての扱いで、「天照大神」という別名は伝えているものの、本文はあくまで日神。
「天照大神」として高天原の統治者となるのは第五段一書第六から。
もっと言うと、
第五段本伝の段階では、性別不祥。男か女かも分かりません。
女性であることが分かるのは第六段になってから。
なので、余計な先入観や予備知識は一旦置いといて、性別不詳のお日様の神が誕生した、ということでチェックです。
⑤際立つ素戔嗚尊の悪行!両親ブチ切れで息子追放!?
そんな中でも、
特に目を引くのが素戔嗚尊の悪行。
そもそもが、勇みたつ気性で、残忍であったと。で、いつも哭いてばかり。
「哭く」とは「泣く」とは違います。慟哭といった感じで、叫ぶニュアンス。残忍な神が哭き叫ぶ訳ですから、その凄まじさは想像を絶するものだったに違いない。空も山も海も大地もことごとく鳴動、ビリビリ世界が震える感じだったんでしょう。
このため、国中の多くの民が早死にし、青々とした山も枯れてしまう訳です。
ん?
いつ民が生まれた???
ま、それは置いといて。。。
ポイントは、
この凶暴性は、素戔嗚尊が本来、神性として持つ性質であること。
ある意味、無垢なんです。
何かに怒ってる訳でもなく、不満がある訳でもなく、生まれたときから、性質として乱暴者であったということ。第五段本伝の素戔嗚尊はそういう神として描かれてます。これチェック。異伝である一書6以降の素戔嗚尊とは違うので覚えといてくださいね。
これに対して、親である伊奘諾尊、伊奘冉尊は(多分)ブチ切れ。。。
おまえは「無道」だとして、追放処分に。追放先は根国。遙か彼方にある国として設定。詳しくは後ほど。
とにかく、
素戔嗚尊の悪行、その度合いは突出しているものの、
それは本来、神性として持つ性質であること。
処分は追放、根国が追放先として設定されてること。チェックください。
まとめます
- 前段からの流れ踏襲!海、川、山、木、草を生んでるのも見逃すな!
- ムズい!天下之主者生み。極端に振れてしまったのは、肩の力が入りすぎたのかもしれない、、、
- 現れまくる尊卑先後の序。枠組みをもとに神の誕生を読み解け!
- 日神と天照大神は違う?本伝だけでは性別不詳の最高神!
- 際立つ素戔嗚尊の悪行!両親ブチ切れで息子追放!?
以上、5点を踏まえて以下、本伝をチェックです。
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 本伝
次に海を生んだ。次に川を生む。次に山を生む。次に木の祖、句句廼馳を生む。次に草の祖、草野姫を生む。またの名を野槌と言う。
そして伊奘諾尊・伊奘冉尊は共に議り、「我々はすでに大八洲国をはじめ山川草木まで生んでいる。どうして地上世界の統治者を生まないでいようか。」と言った。
そこで、共に日神を生む。名を大日孁貴と言う。(大日孁貴、ここでは於保比屢咩能武智と言う。孁は、音は力丁の反である。ある書には、天照大神と言う。ある書には、天照大日孁尊と言う。)この子は、光り輝くこと明るく色とりどりで、世界の内を隅々まで照らした。それで、二柱の神は喜び「我々の子供は多いけれども、まだこのように霊妙不可思議な子はいない。長くこの国に留め置くのはよくない。すぐに天に送り、天上の事を授けるべきだ。」と言った。この時は、天と地がまだたがいに遠く離れていなかった。それで天柱を使って、天上に送り挙げたのである。
次に、月神を生んだ。(ある書には、月弓尊、月夜見尊、月読尊と言う。)その光りの色どりは日神に次ぐものであった。日神とならべて天上を治めさせるのがよいとして、また天に送った。
次に蛭児を生んだが、三歳になっても脚が立たなかった。それゆえ天磐櫲樟船に乗せ、風のまにまに捨てた。
次に素戔鳴尊を生んだ。(ある書には、神素戔鳴尊、速素戔鳴尊と言う。)この神は勇ましく残忍であった。そして、いつも哭くことをわざとしていた。このため、国内の多くの民を早死にさせ、また青々とした山を枯らしてしまった。それゆえ父母の二神は素戔嗚尊に勅して、「お前は、全く道に外れて乱暴だ。この世界に君臨してはならない。当然のこと、はるか遠く根国へ行かなければならない。」と命じ、遂に放逐したのである。
次生海 次生川 次生山 次生木祖句句廼馳 次生草祖草野姫 亦名野槌 既而伊奘諾尊伊奘冉尊 共議曰 吾已生大八洲國及山川草木 何不生天下之主者歟 於是 共生日神 號大日孁貴 【大日孁貴 此云於保比屢咩能武智 孁音力丁反 一書云 天照大神 一書云 天照大日孁尊】 此子光華明彩 照徹於六合之内 故二神喜曰 吾息雖多 未有若此靈異之兒 不宜久留此國 自當早送于天 而授以天上之事 是時 天地相去未遠 故以天柱 擧於天上也 次生月神 【一書云 月弓尊 月夜見尊 月讀尊】 其光彩亞日 可以配日而治 故亦送之于天 次生蛭兒 雖已三歳 脚猶不立 故載之於天磐櫲樟船 而順風放棄 次生素戔嗚尊 【一書云 神素戔嗚尊 速素戔嗚尊】 此神 有勇悍以安忍 且常以哭泣爲行 故令國内人民 多以夭折 復使青山變枯 故其父母二神 勅素戔嗚尊 汝甚無道 不可以君臨宇宙 固当遠適之於根國矣 遂逐之 (『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 本伝より)
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 本伝解説
あらためて、
第五段は、第四段から続く新時代の第二章。テーマは、男女の性の営みによる出産。
第四段の国生みから、第五段は神生みへ。
大八洲国という国の土台ができた(第四段)ので、
まずは自然物を生み、
いよいよ「統治者」を生んでいく(第五段)。コレ「天下之主者」。
男女の性の営みによる神生み、
だからこそ、そこには責任が発生。
生んだ子に対してはそれぞれに「処遇」を与える。コレ、「親の責任」。新時代ならではの概念として、しっかりチェック。
第五段は、大きく三部構成。
1. | 前段引き継ぎ 大自然生み |
2. | 協議 |
3. | 神生み(日神、月神、蛭児、素戔嗚尊誕生) |
ということで、各部ごとに解説していきます。
1.前段引き継ぎ 大自然生み
次に海を産んだ。次に川を生む。次ぎに山を生む。次ぎに木の祖、句句廼馳を生む。次に草の祖、草野姫を生む。またの名を野槌と言う。
前段からの引き継ぎの箇所。
原文「次生海 次生川 次生山~」と、「次」という言葉を先頭に立てることで、前段継承を明示。第四段の大八洲国を生んだ流れを承けて、海、川、山、木、草を生んでいった、と。
海について、前段、第四段で二神が天浮橋から天之瓊矛を指し下ろしたときに「滄溟を獲た」とありました。滄溟=青海原。
海ってあったんとちゃうん???
となりますが、ココでは、国土と対比される海、としてチェック。
大八洲国が誕生してる訳で、これは後の日本であり、国土の土台。日本は海に囲まれてる訳で、そのときのイメージとして、まず国土、そして取り囲む海、といった感じ。
これは「滄溟」という広漠たる青海原とは違う位置づけなんすね。「滄溟」は領海の概念がない、国という概念がない、単にどこまでも広がってる海、といったニュアンス。
だからこそ、大八洲国の誕生の意味は大きくて。
漠然と広い海→国土と対比される海へ。
国の概念が生まれることで、色々なものが明確になっていく雰囲気を感じていただきたい!
で、
海、川、山、木、草は、海から川伝いに山へ、山の木があって草があって、、、と、ストーリーチックな順番に。『日本書紀』では、大八洲国の国土に生まれたありとあらゆるもの、といったニュアンスをこうした表現で伝えていますが、『古事記』は具体的な神名を詳細に記載することで伝えてます。この違いもチェック。
その他、参考として
海や山を神格化すると「地祇」になります。天神に対する地祇。国土を守護する代表的な国神として位置づけられてます。表記上の通例として、「わたつみ」には「海神」を、「やまつみ」には「山祇」という漢字があてられます。
一方、木や草は、「精霊」といったニュアンス。「神」や「祇」という言葉は使用されてません。古語「ち」は、「おろち(蛇)」、「いかづち(雷)」など、霊威や霊力をもつ神を表しますが、ココでは、木の祖=くくのち、草の祖=のつち、という、むしろ精霊に近い表現になってます。
草が姫になってるのもオモロー!ですよね。象徴表現なのですが、山裾の広い傾斜地、高原地帯に生息する茅(かや)が風にそよぐ姿からか、女神としての表現になってるのもポイント。
いずれにしても、
大八洲国の国土にうまれた大自然シリーズ、ありとあらゆるもの、といったニュアンスをチェック。これは、この後の二神の協議において「山川草木」という言葉に集約されていきます。
2.協議
ここまで生むと、伊奘諾尊・伊奘冉尊は共に議り、「我々はすでに大八洲国をはじめ山川草木まで生んでいる。どうして地上世界の統治者を生まないでいようか。」と言った。
ポイント3つ。
①言表と行為、ここでは言表は「協議」という形式表現
言表と行為、という神様行動特性(通称、神様コンピテンシー、神コン)。
神様は、まず言表、つまり、言い表す。そして行為に及ぶ。背景にあるのは言霊信仰。言葉にすることで実現する、予祝的な意味あいもあり。
ココでの言表は、協議という形式で伝えてます。
二神オールウェイズ協議。
第四段でもお伝えしましたが、
協議からスタートする、って結構深い意味があって。
超越的な絶対神が、その意志のままに天地を創造するのとは全く違うスタイル。
性を異にする。だからこそ必然的に伴う個性の異なりや意見の対立。でも、それを前提として、「協議」によって乗り越えるってこと。
異質が互いを認め合い、すりあわせ、共に一つの方向を目指し、実現を図っていく。
「協議」とはそういう意味を持つってこと。
超絶ジャパーン的なるものとして激しくチェック。
②山川草木
冒頭の「海、川、山、木、草」を生んだことを「山川草木」として一括。この「山川草木」は「神羅万象」へつながっていくイメージとして是非。
次!
③天下之主者=地上世界の統治者
第五段のメインテーマである「天下之主者」生み。
第四段で大八洲国が誕生、つまり日本という国の土台ができたと。
さー次は統治者だと。そういう流れの中での「天下之主者」。
この「当初の狙い、意図」をもとに、その後の神生みをチェックです。
3.神生み(日神、月神、蛭児、素戔嗚尊誕生)
そこで、共に日神を生む。名を大日孁貴と言う。(大日孁貴、ここでは於保比屢咩能武智と言う。孁は、音は力丁の反である。ある書には、天照大神と言う。ある書には、天照大日孁尊と言う。)この子は、光り輝くこと明るく色とりどりで、世界の内を隅々まで照らした。それで、二柱の神は喜び「我々の子供は多いけれども、まだこのように霊妙不可思議な子はいない。長くこの国に留め置くのはよくない。すぐに天に送り、天上の事を授けるべきだ。」と言った。この時は、天と地がまだたがいに遠く離れていなかった。それで天柱を使って、天上に送り挙げたのである。
次に、月神を生んだ。(ある書には、月弓尊、月夜見尊、月読尊と言う。)その光りの色どりは日神に次ぐものであった。日神とならべて天上を治めさせるのがよいとして、また天に送った。
次ぎに蛭児を生んだが、三歳になっても脚が立たなかった。それゆえ天磐櫲樟船に乗せ、風のまにまに捨てた。
次に素戔鳴尊を生んだ。(ある書には、神素戔鳴尊、速素戔鳴尊と言う。)この神は勇ましく残忍であった。そして、いつも哭くことをわざとしていた。このため、国内の多くの民を早死にさせ、また青々とした山を枯らしてしまった。それゆえ父母の二神は素戔嗚尊に勅して、「お前は、全く道に外れて乱暴だ。この世界に君臨してはならない。当然のこと、はるか遠く根国へ行かなければならない。」と命じ、遂に放逐したのである。
雰囲気重要。
天下之主者を生もうとしてた、で、生んだ、そしたらスゴイのが生まれちゃった。(多分、ちょっと力んじゃったんだろう。初めてだし。「主者」ってスペック高そう、生むハードルも高そう、そら力入るよな。。)。だから天に送った。天下之主者はまだ生まれてない。今度は力むのやめて生んでみた。力抜いて、、、そしたら酷いの生まれちゃった。。。(多分、力を抜きすぎたせい。調整が難しい、、。主者って難しいな、主者って何なんだろな。。。)だから放棄するし追放した。
って感じ!
主者生み、
難しいんすよ。マジで。
伊奘諾尊、伊奘冉尊といえど、調整が難しい。ベストスペックに合わせていくのは至難の業。
結局、やってることと言えば、生み損ないを繰り返すだけ。
逆に言うと、それぐらい、「主者」ってスゴイ存在だってこと。簡単には生めないし、生まれない。なんなら、子供を生むってそれくらい大変なことなんです。
「大日本豊秋津洲」をはじめとする「大八洲国」を構成する「洲」や「山川草木」などは、
間断なく、それこそ次々に、難なく生んでるだけに、大きな転換に差し掛かっていることを「生み損ない」が暗示。残念ながら、当事者はなかなか気付かない、、、
そんなところを読み取っていただければと。
で、
ポイント2つ
①尊卑先後の序の現出。神の誕生は、尊と卑、先と後という枠組みで整理
第五段の「神生み」は、新時代の第二章。
男女の性の営みによるものなので、そこには2つの事項が発生。
- 営みの結果である子の性質
- 営みの結果に対する親の責任
第一章の「国生み」には「性質」という概念無し。同じ「生む」という行為なんですが、生んだのは「洲」だったので。
でも、第二章の「神生み」には「性質」という概念が入る。いよいよ「子供」なので、性格とか性質とか、子が本来的に持ってる「多様さ」が生まれてきますよね。
この本来的に持ってる性質の多様さが、神話に大きな展開を与えていくことになります。いつの時代も未来を創っていくのは子供らニュージェネレーションですよね。
また、営みの結果には「責任」が発生。第二章では、それを「処遇」として表現。生んだ子に対しては、その子の持つ性質に応じた処遇を与えます。
段 | 生んだもの | 性質 | 責任 |
第四段 | 洲(大八洲国) | 無し | 名付け |
第五段 | 神(山川草木) 神(主者ならざる四神) |
有り | 名付け、処遇 |
なので、
子の性質と、その性質に応じた処遇、という2軸で整理すると分かりやすい。
また、生まれる子をめぐっては、「尊卑先後の序」が具体的な現れとして設定されてます。
尊卑 | 誕生する神 | 性質 | 順番 | 処遇 |
尊 | 日神、月神 | 光華明彩照徹於六合之内、其光彩亜日 | 先 | 天送 |
卑 | 蛭児、素戔嗚尊 | 雖已三歳脚猶不立、有勇悍以安忍 | 後 | 放棄、追放 |
「尊」を体現し、「先」に誕生する日神と月神。
日神については、「光り輝くこと明るく色とりどりで世界の隅々まで照らした。(原文:光華明彩 照徹於六合之内」」と。すっげーまぶしいの。色とりどりに美しく光り輝く存在として描かれてますね。
また月神も「その光は日に次ぐものであった。(原文:其光彩亜日)」と。
いずれも、その「性質」、ピッカピカ輝いてるのが重要で。
この「性質」、あるいは、生まれながらにして持つ「霊異」を根拠として、
ともに天上のことを授ける(原文:授以天上之事)&天(上)に送る、という「処遇」になります。
なお、「天上の事を授ける」とは「天上世界の統治委任」のこと。第五段の一書6ではより具体的に統治領域を指定する形に展開。
一方、
「卑」を体現し、「後」に誕生する蛭児と素戔嗚尊。日神・月神とは著しく対照的な子たち。
蛭児は「雖已三歳、脚猶不立。」という状態。素戔嗚尊は、異常な悪神ぶりが際立ちます。
いずれも過度に卑なる性質ゆえに、蛭児は葦船にのせて放棄。素戔嗚尊は根国へ追放。
散々だ。。。
この「放棄」については、既に登場してました。第四段一書1。結婚儀礼を間違えたことで蛭児が誕生。二神は葦船に乗せて流してましたよね。
蛭児の放棄は、
共同体の存立を損ないかねない存在を、異物として排除する習俗、あるいは慣行の起源を物語っている(と、見るほかなく、、、)。
その意味で、本件は、始原における神様世界の生存原理に根差してる、とも言えて。この時点では、神様ワールドといえど「神聖の保持」に心砕く、、、といった感じで。なかなかな雰囲気です。
話を戻して、
このように、第五段の神生みは、「尊」と「卑」との対応が「先」と「後」との対応に重なり、この「尊・先」「卑・後」の序をもとに本伝全体が成りたつ構成になってる訳ですね。
ちなみに、、、
神武東征神話では、この「日神」としての性格、性質をもとに、神武が東征発議で「我天神」として位置づけてます。つながりチェック。
②過度な性質、からの処遇により、天下は統治者不在のまま。コレ、神話展開上の大きな仕掛け
過度にスゴすぎても、過度にダメすぎても、結局ダメだと。
多分、神様的には、日神・月神が良くて、蛭児・素戔嗚尊が悪い、といった価値判断はないと思うんですよね。どっちにしても過度であると天下、つまり地上世界には置いておけないんです。
こうして、伊奘諾尊・伊奘冉尊の当初の企図(天下之主者を生む)が、結局は破綻するに至るんですね。
もうちょい程よい生み方なかったの???
極端なんす。。。神様。
で、天下は統治者不在のまま。。。
なんですが、
「統治者不在」だからこそ、神話は展開する。
つまり、地上世界は悪いものが跋扈するダークワールドになっていくんですよね。これは後に、八岐大蛇や悪神たちの登場として語られます。
ポイント2点。
- 統治者がいないとどうなるか?という事を伝えてる
- 神話展開上の仕掛けである
1つめ。
統治者がいないとどうなるか?という事を伝えてる件。
統治者不在=管理者不在
例えば、家を管理する人がいないとどうなるか?
きっとその家は、埃だらけ虫だらけ、ボロボロになって朽ちていく、、、のは当たり前。
地上世界、もっと言うと、国というものも同じなんです。統治者がいないと、その世界は汚れていく、悪い奴らがのさばるようになる。だから統治者というのは必要なんだという話。
2つめ。
神話展開上の仕掛け
統治者不在だからこそ、その後の、国造り・譲り&天孫降臨へとつながっていく。
あえて地上世界のことは空けておいたんすね。きっと。天上世界と地上世界をつなげること、天上世界の統治者が地上世界の統治者を降臨させる・送り込む形で関連付ける、そういうゴールに向けては、ココでいきなり天下之主者を誕生させるより、まず天上世界を固めてから地上世界へ繋げていった方が縦のラインがしっかりできるので効果的。会社とかの組織づくりもそうですが、まずは上からつくっていく、固めていくのがセオリーですよね。
そう考えると、コレはこれで、大きな神話展開上の仕掛けとして位置づけられる訳で。このあたりもポイントとしてチェックです。
さて、以下、細かいところをいくつかチェックしておきます。
③第五段本伝では「日神」。世界の隅々まで照らす超尊貴な存在。
日神について、ポイント2点。
- 本文では、あくまで日神。名は「大日孁貴」。
- 異伝的な位置づけの「注」で「天照大神」。
神話ファンとしては、天照の印象が強いかと思いますが、第五段本伝の段階では、あくまで「日神」。で、神名が「大日孁貴」。
コレ、実は、めっちゃマニアックな名前の作りになってます。読み解きのカギは「孁」。
従来、これは「巫女の意で用いた文字」(岩波日本古典文学大系の頭中)と解釈するのが通例で。かつ、例えば、小学館新編日本古典文学全集の頭注では「神代紀の撰者は「孁」をメ(女)の訓にあて、しかも女神とした」といった説明になってるのですが、、、ある意味当たり前のことを言ってるだけ。説明になってない。。。
細かい考証は省きますが、
そもそも、「孁」は「霝」と「女」を組み合わせた会意文字です。
「会意」とは、漢字の造字法のこと。 既成の象形文字などを組み合わせてつくる方法。会意によって作られた漢字が「会意文字」。例えば「林」は「木」と「木」を会意によってつくった会意文字。
で、
じゃあ合成する前の「霝」が本来持っている意味はどんなか?
ということ、こちらの例。
昔に之一を得る者あり。天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧く、神は一を得て以て霝に
昔之得一者 天得一以清 地得一以寧 神得一以霝
馬王堆漢墓出土「帛書甲本『老子道徳経』(法本第三十九) 漢語大詞典「霝」
つまり、神は「一」を得て「霊妙」という無上最高の霊格になる、という意味。
そもそも論として、「霝」にはこうした非常に尊貴な「霊格」という意味があって、その中で、特にそれが女性であることを明示したのが「孁」だということ。
従って、「大日孁貴」とは、
大いなる+お日様の+最高の霊格で+非常に尊貴な存在である といった意味が込められているのです。しかも、特に激しく推すわけではないですが、サラッと女性であることを匂わせてる。そんな感じです。
この女性の匂わせ方は、〔一書6〕の素戔嗚尊の反抗、第七段の「姉」といった言葉へ繋がっていきます。今後の展開、そのつながりをしっかりチェックです。
他にも、押さえておきたいのは、
- 日神=天照大神なんですが、第五段本伝では、あくまで日神である。
- 「天照大神」として、高天原の統治者として位置づけられるのは、第五段一書第六から。
- 天照=女性神といった、余計な先入観や予備知識は一旦置いとくこと。
といった内容。
神話的には、天照の、この絶妙なポジショニングをチェックです。
- 本伝で日神として伝える。まずココで基本概念を打ち立てる。
- その上で、一書第6以降で、天照大神として伝え、高天原の統治者とする。
- さらに、次の第六段以降、一書6の「天照大神」が本伝へ乗っ取りをかけ、以後、天照大神として神話が展開。日神はフェードアウト。
本伝の、原型としての日神が、一書で天照大神へと引き継がれ、さらに第六段で本伝へ。以後、天照大神が神話展開の本流をつくっていく。非常に大きな仕掛けが動いていること、チェックです。詳しくは今後のエントリで順次解説していきます。
④天柱=第四段一書1で登場した天柱。天と地をつなぐ役割
「天柱」は第四段一書1で既に登場。
二柱の神はその島に降り居て、八尋之殿を作った。そして天柱を立てた。(原文:二神降居彼嶋、化作八尋之殿。又化竪天柱。) 第四段一書1
と。
この天柱、エレベーターみたいな感じで、神の転送、いや、天送用として位置づけ。
再度、天柱の概念をチェック。
「天柱」は、神仙の山として名高い崑崙山が背景として設定されてます。
例を挙げれば、
- 「崑崙山、天中柱也」(『芸文類聚』巻七「崑崙山」所引「龍魚河図」)
- 「崑崙山為天柱」(『初学記』巻五「総戴地第一」所引「河図括地象」)など
特に、②の背景設定は、天柱である崑崙山から気が上昇して天に通い、そこが地の中央に当たる、とするものです。
まさに、日神・月神を天に送るための柱そのものですよね。
⑤日本神話的月神は「間っ子」。いつの時代も影が薄い???
月の神、ということで、異伝の神名には、
- 月弓・・・弦を張って曲がった弓のような形をした月にちなむ名称。上弦・下弦が該当。弓張月、弦月ともいう。
- 月夜見・・・月は夜に見える。月にわざわざ「夜見」という漢字を設定したのは、後の〔一書11〕で昼と夜の断絶・隔離の起源譚を予定した名称。
- 月読・・・古代は月の満ち欠けをもとにした太陰暦がベース。月齢(月の満ち欠けを表す日数。新月が零、満月はほぼ十五日)や暦と関連するので読むという漢字。
といった具合で、これはこれで月をもとに、多様なあり方に即した表現が設定されてます。
ところで、
日本神話の中で、月神(月夜見尊)はホント存在感が薄い。。。
活動するといっても、「月夜見尊」だけ。あとは月影すら刺さない、、、
イメージ的には、個性の強い姉と弟の間に挟まれた間っ子、、、的な感じ。三人以上のお子様がいらっしゃる所ではどうなんでしょうか?特に、お姉ちゃんや末っ子の個性が強いと、間の子ってあんまり目立たない感じになりがちに、、、?その子の個性が無いということではなくて、単純に目立たないってこと。そんなことないか。。。
⑥素戔嗚尊の性質=本来もってる神性としての凶暴性
本文の「国中の多くの民を早死にさせ、また青々とした山を枯らしてしまった。」
これは、
- 早死に=本来もってる寿命を全うさせない、命を奪う、ということ。
- 枯らす=植物が持ってる生命力を奪う、ということ。
いずれも「殺」に集約される行為。なんて恐ろしい、、、
ポイントは、
この凶暴性、実は、素戔嗚尊が本来、神性として持つ性質である、ってこと。
ある意味、無垢。ナチュラルボーン。
外的要因によって怒ってる訳でもなく、不満がある訳でもなく、生まれたときから、性質として凶暴な側面をもっていたということ。第五段本伝の素戔嗚尊はそういう神として描かれてます。これチェック。
尚、異伝である一書6以降の素戔嗚尊の凶暴性とは違うタイプなので覚えといてください。書6は、不公平な処遇に対する怒り、不服を根拠とした凶暴性です。
⑦伊奘諾尊→日神、伊奘冉尊→素戔嗚尊。陽と陰の働きをそれぞれが引き継いでいく
大きく見ると、次の世代へのバトンタッチ。
陽や陰が本来的にもってる働きを、
伊奘諾尊と伊奘冉尊という男女神によって表現し、
今、それを日神と素戔嗚尊が引き継ごうとしている。。。
参考:日本神話的時間発生起源|伊奘諾尊・伊奘冉尊の柱巡りが時間の推移や季節を生みだした件
つまり、
根源の働きとしてプログラムされてる2項対立の構図。
- 陽の働き=徳を謀る=成長させていく
- 陰の働き=刑を謀る=殺していく、枯らしていく
この概念をもとに、
陰陽 | 働き | 具体例 | 国生み | 神生み |
陽 | 徳を謀る | 成長させていく | 伊奘諾尊(左旋回) | 日神(照徹於六合之内) |
陰 | 刑を謀る | 殺していく、枯らしていく | 伊奘冉尊(右旋回) | 素戔嗚尊(有勇悍以安忍) |
といった形で、整理しながら対応させてるんです。
まー、よくできてるわ。
特に、ココ、素戔嗚尊の凶暴性とは、陰の道がもつ「刑・殺」そのものであり、伊奘冉に代わって素戔嗚尊が引き継いでいるという形になってる。コレをチェック。
⑧追放する根国の位置づけ=遙か彼方の僻遠の地
追放処分となった素戔嗚尊ですが、
その追放先は根国。コレ、遙か彼方にある異界として設定。
そもそも、日本神話的地上世界マップはこんな感じになってます。
根国は、この第五段本伝の限りでは、水平方向に遙か彼方の地、といった位置づけ。
書6以降、母=伊奘冉尊のいるところが根国ということで地下世界が想定されるようになります。
●必読→ 根の国/根之堅州国ってどんなところ?極遠の地、根の国を分かりやすくまとめ!
最後に、
第五段本伝で誕生する神様たちをまとめておきます。
尊 | 日神(大日孁貴、天照大神) 月神(月弓、月夜見、月読尊) |
卑 | 蛭児 素戔嗚尊(神素戔鳴尊、速素戔鳴尊) |
まとめ
『日本書紀』巻第一(神代上)第五段 本伝
第五段は、第四段から続く新時代の第二章。
引き続き、メインプレイヤーは伊奘諾尊と伊奘冉尊という男女ペア神。
テーマは、男女の性の営みによる出産。第四段の国生みから、第五段は神生みへ展開。
大八洲国という国の土台ができた(第四段)ので、いよいよ統治者を生んでいく(第五段)。
男女の性の営みによる神生み、
なので、そこには2つの事項が発生。
- 営みの結果である子の性質
- 営みの結果に対する親の責任
「神生み」には「性質」という概念が入ります。二神の「子供」なので、性格とか性質とか、子が本来的に持ってる「多様さ」が生まれてきますし、この多様さが、今後の神話展開に大きな影響を与えていきます。
また、営みの結果には「責任」が発生。第五段では、それを「処遇」として表現。生んだ子に対しては、その子の持つ性質に応じた処遇を与えます。コレ、「親の責任」。新時代ならではの概念です。
また、第五段の神生みは、「尊」と「卑」との対応が「先」と「後」との対応に重なり、この「尊・先」「卑・後」の序をもとに本伝全体が成りたつ構成。いずれも、過度な性質であるがゆえに、天下、つまり地上世界にはいられない結末に。
世界は主者不在のまま。統治者不在であるがゆえに、悪神が跋扈するダークワールドへ。これは第八段の八岐大蛇へとつながって行きます。
次は、いよいよ第五段、天下の主者誕生です!
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佛教大学名誉教授 日本神話協会理事長 榎本福寿
埼玉県生まれ(S23)。京都大学大学院文学研究科博士課程国語学国文学(S53)。佛教大学助教授(S58)。中華人民共和国西安外国語学院(現西安外国語大学)文教専家(H1)。佛教大学教授(H6)。中華人民共和国北京大学高級訪問学者(H13)。東京大学大学院総合文化研究科私学研修員(H21)。主な書籍に『古代神話の文献学 神代を中心とした記紀の成りたち及び相関を読む』がある。『日本書紀』『古事記』を中心に上代文学における文献学的研究成果多数。
参考文献:『古代神話の文献学』(塙書房)、『新編日本古典文学全集 日本書紀』(小学館)、『日本書紀史注』(風人社)、『日本古典文学大系『日本書紀 上』(岩波書店)
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